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歴史2

なぜニミッツ提督がアメリカに帰ったかそれは第二次世界大戦が起きたからである。


1930年9月1日この日ドイツ帝国はポーランドに宣戦布告した。独立保証していた連合国がそろってドイツ帝国に宣戦布告することで第二次世界大戦が始まった。


この世界のドイツ帝国は第一次世界大戦に勝ったため莫大な賠償金を払うこともなく、精強な軍隊を保持していたため史実よりも強かった。


アメリカはまだ参戦してないが、ヨーロッパで大戦争起きてるなか遠い日本まで遠征して主力艦隊は派遣するのは外聞がよくないため、本国に帰還するようとにニミッツ提督に命令した。


この時ニミッツ提督は「命を救ったなジャップめ」といっておりかなり悔しがっていた。


日本は鎖国体制で今までずっと平和だったため治安維持できる程度の軍隊しか持っておらず、アメリカ軍対抗できるはずなかった。


そんななか第二次世界大戦によってアメリカ艦隊が帰還することになったことで、日本は命拾いしたのであった。



第二次世界大戦 


ドイツはモロトフ・リッペントロップ協定をソ連と結びともにポーランドにともに攻め込み分割した。


フランスは第一次世界大戦で負けたことで史実より国力が低く軍隊も弱かった。対してドイツ帝国軍は精強軍隊でベネルクス3国を侵攻し圧倒的速さの機甲師団が電撃的にパリ陥落フランスを降伏させた。


ドイツ帝国は機甲師団の強さを世界に見せつけるのであった。


ドイツ海軍と言われて「強い」というイメージを持つものは決して多くないだろう、しかしドイツ海軍は強かった。


史実と違いドイツ帝国は大洋艦隊を保持し続けた、第一次世界大戦勃発前、海洋国家イギリスと熾烈な建艦競争を繰り広げたドイツ海軍は健在であり世界的で5本の指に入る強力な海軍をもっていた。


さすがに総海軍力ではイギリスに勝てなくても、植民地守備のため世界中に分散してるイギリス艦隊と比べれば一極集中しているドイツ艦隊は充分イギリス艦隊と対抗できた。


イギリスは本土上陸を備えないといけないため、艦隊をドーバ海峡に集中せなければならなかった。


ドイツ空軍は連日イギリスに戦略爆撃をしかけ、なんとかイギリスは制空権をとられまいと戦闘機を展開し日々ドイツ戦闘機とは激しい航空戦を行っていた


リヴァプールにバーミンガムに首都ロンドンにまで,ドイツ軍の爆撃は行われ、イングランドの大都市は軒並み灰燼と化すのであった。


ドイツ艦隊はイギリス上陸を狙っており、あと数か月もすればできるのではないかと思われたが、行われることはなかった。


どうしてかって,ドイツ帝国の総統がとちくるったのか突然ソビエト侵攻を始めたからである。


イギリス陥落さえ叶えば連合国は降伏し、第二次世界大戦はドイツ帝国の勝利に終わったかもしれない。


なぜかの総統がソ連に侵攻する決断は今現在も謎である。


31年6月22日 ドイツ帝国は一方的に不可侵を破り突然ソ連に侵攻した。ドイツ空軍の爆撃によってソ連ご自慢のT34戦車はじめとする大量の戦車,航空機を鉄の塊に変えた。


ドイツは機甲師団による各地で突破し、同年9月にはレニーグラード キエフなどの主要都市を占領した。


アメリカは劣勢なイギリス ソ連を支えるために大量の物資を送っていた。


ドイツ軍は物資を運ぶ輸送船を阻止するため、潜水艦作戦を開始したのだが民間船を沈没させてしまい、多数のアメリカ人が亡くなった。


怒り狂ったアメリカ国民に押されアメリカはドイツ帝国に宣戦布告した。


チャーチル スターリンはアメリカ参戦を聞き狂喜乱舞したという。


アメリカが参戦したことで工業力 軍事力両方で優位になったが、とはいえ連合国にはソ連降伏という、タイムリミットが存在した。


ドイツと国境がつながっているのはソ連だけなので、ソ連が降伏してしまうとドイツ軍の多くが沿岸防衛するようになってしまい、連合国がドイツ(元フランス)に上陸することは絶望的になってしまうからだ。


同年10月にモスクワ攻略作戦が開始されたがアメリカによる大規模な援助によって、モスクワは要塞化されており、ドイツ軍はモスクワ占領をすることはできなかった。


ただモスクワ占領ができそうにないと悟ったドイツ軍司令部は潔く撤退し、冬到来前に補給が安定している後方まで戻ることができた。


スターリンの命令により冬に強いソ連軍は1月に総攻撃をドイツ軍に行うのだが質でも量でも劣っていたため全く効果がなく、逆にドイツ軍の反撃により消耗するのであった。

 


スターリングラード攻略戦


ドイツはモスクワ攻略戦で異様なまでソ連軍が硬かったことが意外で再びモスクワを攻撃しても占領できる確信が持てなかった。


そのためソ連の第二都市であるスターリングラードを攻撃することになった。モスクワを攻撃してくるだろうと予想していたソ連軍はスターリングラード防衛に後手に回り7月に失陥してしまった。


モスクワほどではないにしろアメリカによって強化されたスターリングラードは固くドイツ側も攻略するのにかなりの損害だすこととなった。



レニングラード上陸作戦


ソ連海軍はドイツ海軍と比べ脆弱であるため無理に出港するようなことはせず、レニングラード港に引きこもっていだためドイツ海軍は簡単にバルト海の制海権を確保することができた。


そうしてレニングラード上陸作戦は立案された。


レニングラード32年4月,キール港を出港した上陸船団はドイツ北洋艦隊の護衛を受けながらレニングラードへと向かった。


ソ連艦隊による攻撃を受けたが北洋艦隊はそれを難なく退け、レニングラードにたどり着くと北洋艦隊は熾烈な艦砲射撃を行った。


この射撃によってレニングラードに存在したソ連軍は壊滅させることに成功しドイツ海兵隊によって1週間後にはレニングラードの占領,港の再建を完了させた。


続々と増援がレニングラードに行われドイツ軍は南進始める。目標はダウガヴァ川沿い膠着してるドイツ軍との合流。


レニングラードから南進すると同時にバルトではドイツ機甲師団による攻撃を再開、突然の第二戦線の出現で混乱してるソ連軍を蹴散らし、ダウダヴァ川の渡河を成功する。


そのまま北進しレニングラード南下部隊との合流を完了、バルトにいるソ連軍30万もの包囲を成功した。




32年がスターリングラード、レニングラードの2大都市占領の成功し、独ソ戦開始から2回目の冬を迎えることとなる。


さすがに反省したのかソ連軍の攻勢はなく、攻勢はないだろうとドイツ軍参謀部は兵に3週間の本国での休暇を認めた。


兵士たちは久しぶりに本国に帰ると大変喜び家族,旧友との再会を楽しんだ。


2大都市を占領したドイツ軍は兵士全体に楽観ムードが漂っており、ドイツ軍司令部までも33年度はモスクワ陥落させ連合国と和平できるだろうと考えていた。


その33年ソ連が降伏することはなかった。


ドイツ軍はモスクワの陥落を成功させたがソ連が講話の席に座ることはなかった。


モスクワが陥落するころにはスターリンは首都をウラジオストクに移し徹底抗戦の構えを見せていた。


一部の軍需工場を東に疎開してるとはいえ、ソ連の工業力はモスクワ以東にはほとんどなく小銃すらまともに配備すらできないのではとドイツ軍は思っていたが、ソ連兵は小銃をもっており激しい抵抗をし続けた。


なぜソ連がこうも抵抗できるかと言われるとアメリカのおかげである。


2大都市の陥落を聞いた連合国焦り、アメリカは今までの何倍ものレンドリース支援を決定した。


「ソ連兵が持っているものは全てアメリカ製だ」とドイツ軍に言われるほどであり、小銃に野砲,防寒着に保存食アメリカがソ連に送ったものは多岐にわたった。


アメリカのレンドリース装備はインドやウラジオストクからやってきておりドイツ軍がとめるのは事実上不可能であった。


こうしてソ連軍はモスクワを失ってもなお戦い続け、ドイツ軍は終わりの見えない泥沼戦を続けさせられることになる。


ドイツ空軍はゲリラ戦の行うソ連兵への攻撃、シベリア鉄道の破壊を任務としていたのだが、ソ連奥地に行くとまともな航空基地がなく、あったとしてもソ連軍によって破壊された後のものばかりであり、ソ連奥地に進めば進むほど展開できる航空機は減っていった。




 カレー上陸作戦


1933 6月 圧倒的に不利なソ連を助けるために行われた作戦である。


ただ急遽行われた作戦のため準備不足が否めなかった。 


イギリスのドーバーから出発した輸送船団と輸送船団を囲むようにして守る護衛艦隊はカレーへと進んでいた。


連合国の艦隊は空母2戦艦10重巡10軽巡12と多数の駆逐艦できた大艦隊であった。


ドーバ海峡は狭いためドイツ軍は哨戒機によって簡単に連合国海軍を発見し、ドイツ大洋艦隊は上陸を阻止するため出撃した。


艦隊内容は空母2戦艦12重巡6軽巡8駆逐多数で戦力拮抗してたドイツ艦隊は連合国艦隊に真正面からぶつかる。


連合国艦隊は輸送船団を守るためドイツ艦隊とぶつかる選択を取った。


戦力は拮抗してたが連合国艦隊は海軍国イギリス艦隊を主力にした艦隊であり充分は勝機があると考えていたのだ。


ただ実際の戦闘はドイツ艦隊の方が有利であった。


連合国艦隊は主にイギリス海軍とアメリカ海軍によって編成されており、アメリカ艦は新鋭艦が多かったが主力であるイギリス艦は旧式艦が多かったのだ。 


対してドイツ艦隊は新しい艦で囲まれており、連合国艦隊に対しアウトレインジ戦法で有利に戦闘を行い。


一つの艦隊に複数国の船があるというのは指揮が難しく逆に連合国艦隊は効率的にドイツ海軍に対応することができなかった。


補足だがドーバー海峡には双方大量の攻撃機戦闘機を飛ばしており100機程度空母艦載機が敵艦隊にどうこうできるわけなかった。

成功するわけがなかった。


ドイツ艦隊と連合国海軍が激しい海戦行っているなか輸送船団に忍び寄る艦がいた。それはUボートである。


院密性に優れたUボートは輸送船団に忍び寄り数十隻の輸送船を沈没させた。


海戦では敗北し、潜水艦に肝心の輸送船団を壊滅させられ踏んだり蹴ったりの連合国艦隊は撤退することとなる。


ドイツ海軍は追撃を試み、連合国艦隊に戦艦4隻重巡4隻軽巡6隻多数の駆逐艦を撃沈という大戦果を挙げた、ただ戦艦1隻重巡軽巡4隻ずつ駆逐艦多数の


ドイツ海軍の規模的には無視できない被害を受けた、またアメリカの新型戦艦を沈没できなかったのが悔やまれた。


この海戦では双方とも多くの艦が損傷し、連合国軍は上陸ができる貴重な戦力を失った


上陸作戦という目標は失敗させたがドイツ軍は連合国の上陸対策のため多く師団を配置しなくてはならなくなりドイツ軍は戦力不足に悩まされた。



ノルマンディー上陸作戦


ノルマンディー上陸作戦は前回のカレー海戦の約2年半後1936年に行われた。


連合国艦隊を発見したドイツ艦隊は出撃した。


今回の連合国艦隊はほとんどがアメリカ最新鋭艦でありドイツ海軍は得意のアウトレンジ作戦をとることができなかった。


ドイツ空軍も必死に制空権をとられんようにしていたが長年の航空戦による消耗で生産力で圧倒的に勝る連合国に勝つことはできなった。結果ドイツ海軍は壊滅した。

 

ノルマンディー上陸作自体は予想よりも苦戦したが成功に収め、ドイツにとっても悪夢の二正面作戦が可能となった。


枢軸国にとって意味幸運だったのはイタリア上陸は行われなかったことだろう。


この世界ではアフリカ大陸とヨーロッパがかなり離れているためアフリカからイタリア上陸は現実的な話ではなかったのだ。


ちなみに連合国のギリシャ支援がほぼなかったことでイタリア軍はほとんど被害を受けず占領することができた。


余力のあるイタリア軍はドイツのフランス戦線には大量に配備されることになり連合国を苦しめることとなる。


ドイツ空軍は数年にも渡る航空戦で消耗しており、連合国の戦略爆撃を防ぐことをできず、工業地帯を破壊されることで生産力が落ちより空軍差が広がっていった。


ドイツ軍は4年以上の長い時間をかけ両戦線で撤退を繰り返し、そして1942年11月ベルリン陥落で無条件降伏となった。


イタリアは和平しようとしたが、無条件降伏以外認めないという連合国,ソ連の発言にイタリア国民は激怒し徹底抗戦が叫ばれるようになった。


イタリア軍はフランス戦線で損害を受けていたがイタリア国土はほぼ無傷であり、イタリアのフランスドイツ国境はピレネー山脈アルプス山脈という天然の要塞があったので長期間防衛線を行うことは可能だと考えた。


連合国は3年以上かけイタリアに無差別爆撃を行い、全土を焦土化したあとイタリアローマに上陸作戦を行い降伏させた。


くしくもこの世界の第二次世界大戦は史実よりも5年以上早く始まったはずなのに1945年8月15日に終結した。


この戦争で民間人 軍人合わせて1億人に以上死亡した。


とくにソ連 イタリア ドイツの死者がとてつもなく多かった。そして新たな冷戦時代の始まりを告げた。

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