第85話 大森林闊歩
昼間にもかかわらず薄暗い、太陽の光が満全に届かない木々の群れ。
外界との接触を禁止する結界と比喩されるほどの、閉じられた空間。
アスガード国南部にあるイダヴェル大森林の中を、俺たちは進んでいた。
行きの道で使った馬車は目立つため、別の道を行かせてミズガルズ王国へと帰らせた。
念のためルビィも乗せてもらおうと思ったが、ビュウが止めさせた。
「お兄さん、もし帰りの馬車でお姉さんが襲われた場合どうするのさ。一人だけだとアスガードの至神乙女達に捕まっちゃうかもよ?」
確かにビュウの言うとおりだ。
このまま俺たちとルビィが分かれたら、俺たちはルビィが危ない目に遭っても感知しようがない。
それならば、多少危険が及ぶとしても俺たちと一緒にいて、目の前で守った方がマシだろうと連れてきた。
ルビィは戸惑いながらも、俺たちと行動を共にすることとなった。
ちなみにこんな事になった経緯について話すと、ルビィにちょっとだけ怒られた。
「もう、やっぱりもめ事になってるじゃない! だからあれほど大丈夫なの? って言ったのに」
「返す言葉もございません」
「はぁ……。……でも、私たちの国を思っての行動だったんだよね? ありがとう」
国のため……と言われると、少し違う。
確かにアスガード側の理不尽な対応や、ミズガルズのと交易を無くすといった宣言が気に入らないから行動に移した節はある。
だが、俺があんな泥棒まがいの行為をしてまでブリュンヒルトに訳を聞きに行ったのは――――
「お前の、悲しそうな顔見るのは嫌だったからな」
「…………ひょっとして、とおくん、大学のこと気にしてくれてたの?」
意外そうな顔をするルビィ。
くそ、真正面から「私のために頑張ってくれたの?」みたいなこと言われるとなんか恥ずかしいぜ。
「か、勘違いするなよっ! 俺は単に、女の泣き顔を見て悦に浸るような趣味はないってだけだ! 別にお前が可哀想だとか、そんなこと考えてたんじゃないからな!」
「はいはい、見せつけてくれてごちそーさま」
俺とルビィのやりとりを見たビュウが、呆れたように声を出す。
なんだその反応は。まるでバカップルを見るような眼で俺を見るな。
見世物じゃないんだぞ、金取ってやろうか金。
森に来てから早二時間。樹海の中を右往左往している内に、ここがどこなのか分からなくなってしまっていた。簡単に言うと遭難である。
ビュウが先頭を切りたがるせいで、俺たちの行く方向はめちゃくちゃに。
気の向くままに適当な方角に進むビュウと、それに気付かず付いていった俺たちの失態だ。
こんな大森林で迷ってしまったら、日本の富士の樹海よろしく死んでしまう。
くそ、目的を達成できなくなるが、いざとなれば【テレポ】でミズガルズに帰ることもでき……いや、転移石はまだ故障中だったか。
転移するとすればヴァナハイム共和国か。
「お兄さん、何考え事してるの」
「いや、いざという時の移動先をとな」
「はぁ? 何の話? そんなことより、そろそろ気配が近いよ」
「へ?」
ビュウの言葉でハッとする。
もしかして、俺はとんでもない勘違いをしていたのではないか。
適当に歩いているように見えたビュウは、実は目的を持って進んでいたのかもしれない。
なにせ四魔将のビュウだ。常人では計り知れない知覚能力でも持っている可能性もある。
「うん、間違いない。この辺りだよ」
そう言うと、ビュウは足を止めた。
しかし、周囲には何もない。
大きな木々が空を覆っているが、それだけだ。
特に目立った人影もないし、誰かが隠れるようなスペースもない。
「誰もいないじゃないか。なんだよ、結局子供の適当な勘に付き合わされたのかよ」
「いけないよとおくん、そういうこと言っちゃ。ビュウ君、この辺りに何か人の気配を感じるんですよね?」
「うん、僕の【風糸結界】で……って、あまり能力のことは言わない方がいっか。詳細は言わないけど、僕の能力でこっちに人の気配を感じたんだ。それでここまで来てみたはいいけど……」
「なるほどな」
いざ目的地についても、誰もいないと。
ビュウの能力、風糸結界についてはよく知っている。本人は隠したいようだけど、悪いがこっちはエタドラで予習済みでね。
こいつの属性は風。風糸結界は魔力で出来た風を周囲に張り巡らせる簡易的な感知魔法だ。
簡易的とは言っても、その応用性はそこらの大魔法の比ではない。
敵の動きを風を通して読み、回避する。
風の魔力を刃に変えて、本人の剣の技量も合わさり最強の剣術を扱う。
そして、今回こいつは人の動きによる微弱な風の流れの変化を感知し、ここまでやって来たということだ。
こいつは数時間歩き続けるほど、距離の開いた場所へ、正確に追ってきた。
それは数キロもの範囲にいる人間の居場所を正確に把握できるということだ。恐ろしい、の一言で済まされない。
例えば戦場でこいつに狙われたら、例え大勢の兵士の中に混ざっていても、嗅ぎ付かれると言うことも起こり得る。
そんなやつを相手にするなんて、想像もしたくない。おまけに剣の技量はティウと同等かそれ以上。あのブリュンヒルト相手に優勢だったんだ。傷は再生されていたが。
今は敵対していないという事実に、安堵せざるを得ない。
ルビィはそんなビュウに少しも臆面無く接する。
ある意味すごい子だよな、ルビィ……。
いや、一国の姫だから他国の将軍に畏まる必要も無いから当然か?
ルビィはビュウの方を見て、それから周囲を見渡す。
「ビュウ君の言うとおり、このあたりから不思議な感覚を感じる……」
「お姉さんも感知魔法を?」
「ううん、違うの。この感覚は私の能力だと思う。不思議、今までこんな感覚が訪れるのは初めて。なんだか懐かしい雰囲気を感じるの」
ルビィの能力というと、世界樹の巫女か。
彼女が帝国から狙われる原因となった能力。その巫女としての力が、ここで何らかの反応を示しているということか?
一体、何があるって言うんだ。
「お姉さん、もっと詳しく分かる? その感覚の発信源とか」
「うん、頑張ってみるね。……ええと、こっちかな」
ルビィは不確かな足取りでゆっくりと歩みを進める。
漠然とした、自分でも何なのか分からないような感覚だ。雲を掴むような気分に違いない。
ルビィはふらふらと行ったり来たりを繰り返し、そしてある場所で立ち止まった。
「うん。間違いないよ、ここにいる」
「いる? ちょっと待ちなルビィ。その言い方だとまるで、そこに誰かがいるみたいじゃないか。冗談なら早めに撤回知れくれるとこっちも嬉しいんだが」
「もう、冗談じゃないよ! ここ、ここにいるの」
「お姉さん、僕の能力もここにいるって指し示してる。雷神のお兄さんは信じてないみたいだけど」
「ぐっ……」
二対一となってしまった。
高度な探知能力持ちのビュウと、世界樹の巫女なんて大層な能力を持ってるルビィ。
対して俺は感知系能力は持っていない。
うん、これは信じるしかないようだな。
「しかし……」
「まさか……ね」
「そのまさかだよ、びっくりだね~~」
二人の反応が指し示した場所。
それは何の変哲も無い、土の上だ。
「これは一体、どういうこったろ」
「さぁ……」
首をひねるビュウ、頭をかしげるルビィ。
この二人が分からないんなら、俺はお手上げだ。ずっと歩き詰めだし、考えるのさえも疲れてきた。
ぐううぅ~~と音が鳴る。
「あはは、ごめん腹減っちまった」
「そういえば僕もおなか減った! もうペコペコだよ」
「お前はさっき食っただろう」
「成長期だも~~ん」
「ったく……」
しょうがないから、飯でも食おう。
「さて、さっきの街で買ってきたペッパーブルーチーズサンドでも食べるとするか。みんなの分もあるぞ」
「おっ、気が利くねお兄さん♪」
「私もそれ好きー」
さて、全員分の食事が行き渡ったことだし、特製のサンドイッチを口に運ぶとしよう。
「さて、いただきま――――」
「隙ありです! いただき、三週間ぶりのまともな食事ーー!!!」
ガッ! と素早く俺の手元からサンドイッチが奪われた。
視界には白い影。よく確認すると、フードを被った幼い少女の姿だと分かった。
少女は俺の手から奪ったサンドイッチを一目散に口に入れて、リスのように頬を膨らませた。
パッと見た印象から、小動物だと頭に浮かんだ。
「なっ! なんだお前、人のご飯をいきなり!」
「ごめんなさい、悪気はないのです! ですが私の胃はこの好物のペッパーブルーチーズサンドを求めて止まないのです! これも世界を救うためだと思って、もう一個ほど食べさせてくださいありがとうございます!」
人目で分かった。
この少女は、厄介者に違いない。




