第38話 邪竜ファフニール
ヴァナハイム共和国からの帰り道、馬車で共和国の南東を走っていると、急に馬車が止まった。
急ブレーキだったため、慣性の法則が働いて向かいに座っていたルビィが俺の方へ倒れてくる。危ないので抱きかかえて、体勢を整えた。
すると、ルビィの体はすぽっと俺の体へと収まり、衝撃もなく落ち着く。
「あっぶな! ……大丈夫か、ルビィ。どっか怪我はない? 急に止まったせいで、ぶつかったりしてないか?」
「ううん、大丈夫……えへへ、ありがとねとおくん。もしとおくんがいなかったら、そっちの座席に顔ぶつけてたかも。ほら、フレイさんみたいな感じで」
横を見ると、フレイは向かいの座席に顔から突っ込んでいた。
しかも、そこは椅子の縁で、木で出来たパーツだったため、鼻から突っ込んだフレイは……あちゃあ。
でも、まぁイケメンの顔が傷つく分には別に文句はない。むしろ世界のイケメンは全員顔を怪我して、全人類の顔面偏差値を下げて欲しい。
そうすれば俺も、将来的にはイケメンの部類に入るんじゃなかろうか。相対的にだけど。
いや冗談はともかく、本当にいたそうなぶつかり方してるなフレイ。大丈夫か、マジで。
「いたいな! おい御者、急に止まったら危ないだろうが…………お、おい……なんだよあれ…………」
「どうしましたかお兄様……っ!?」
「おいおい、どうしたんだフレイ。鼻血でも出て、ぼくの綺麗な顔に傷が~~とか叫んじゃう?」
「そんな、キザな台詞誰が言うか。傷なんて毎日作っていたから気にしない……ってそんなこと言ってる場合か! トール、外を見ろ! あの黒い影はなんだ!」
「外……? どれどれ……って、なんだ……ありゃ」
窓から見た景色は何も無かった。
行きで通った時には、ここには村が合ったはずだ。それが、帰りの道だと無くなっていた。
あるのは嵐でも通ったのかと思うくらいの荒れた情景だけ。まさか、あの村だけにピンポイントで嵐が来たわけじゃないだろう。
次に目に写ったのは、フレイの言う通り黒い影。
村があったはずの場所に、大きな影が一つ。影を見た瞬間、一瞬闇ザコを思い浮かべたが、今そこにあるのは正真正銘ただの影だ。
だが、“ただの影”というにはそれはあまりにも大きかった。
だって、村一つくらいなら覆えそうなほどの大きさなんだぜ?
おかしいだろ、これは。
……これは馬車を降りて確かめなくては。なにか、嫌な予感がする。
「ルビィ、お前はここにいろ。いいな、絶対だぞ! ヴァナハイム共和国の時みたいに付いてきたら、絶対ダメだからな!」
「う、うん……」
「フレイ、一緒に来てくれ! フレイヤは念の為ルビィと一緒にいて!」
俺の声が必至だったためか、みんなすんなりと申し出を受け入れてくれた。
特にルビィは不安そうな顔をするものの、騒ぐわけでもなく、静かに行動していた。
馬車から出て、影のある方へ目を向ける。
すると、馬車の中からじゃ見えなかった空―――影の主の姿を見ることが出来た。
それは、影と同じく黒い姿をしていた。
「お、おいトール。あれは、俺が知ってる限りだと、ドラゴンに見えるんだが。魔物の中でも最上位に位置する、両親も手を出そうとはしなかったドラゴンに……」
「それだけじゃない……なんてこった、ありゃ邪竜じゃねーか……。ドラゴンの中でも凶暴凶悪な、他の生物を食らい尽くす災厄ともいえるやつだ」
「おい、あのドラゴンどんどん下降してきてないか」
「まずいな、俺達に気付いたか? こうなったらやるしかねぇ。フレイ、馬車まで行って、早く逃げるように言ってくれ」
「わかった! だがお前はどうする!?」
「俺はいい、急げ!」
邪竜――エターナルユグドラシルの一章で戦うこととなるボスモンスターだ。
通常攻撃が全体にダメージを与えるという、最初のボスにしては難易度が高いやつだ。
まぁ、だからこそ紙耐久のフレイヤをパーティから外してプレイヤー同士でパーティ組む人が続出したわけだが。
また邪竜は防御力も高く、初心者が回復役と耐久戦の大切さを知る敵である。はっきり言って、RPGを知らない人間だと詰むんじゃないだろうか。
そして、邪竜を語る上で外せないのが【イービルブレス】だ。
端的に説明すると、炎属性と状態異常付与の全体攻撃だ。
しかもブレス系という攻撃で、物理・魔法防御のどちらも意味をなさない。いわゆる固定ダメージである。
一応、属性耐性アップで軽減出来るけど序盤じゃ高い装備品にしか付いてない。しかも五%アップとか雀の涙程度の耐性だ。
つまりレベル上げを怠って、HPが低いと完全に詰みだ。酷いよね。
まぁ、その場合でもパーティメンバーに恵まれればクリア出来るとは思う。でも実際、初心者でそんなすごい仲間がいるなんてレアケースなわけで。
で、闇ザコの例からこの邪竜も異世界だとさぞ強くなっているに違いない。
つまり、元々ゲームで強かったこいつは……。
「GURRRRRRR!!!!」
「くっそ、地面に降りただけで地響きかよ……って!」
邪竜は口を開ける。
その口の中は、赤々と輝いていて。
「いきなりブレスかよ!?」
目に映る景色が、炎で包まれた。
俺がいた場所は、一瞬で赤く燃え盛る大地へと変わった。
◆
とおくんが馬車から降りていった後、一緒に降りたはずのフレイさんが大急ぎでこっちに戻ってきた。
「おい御者! 今すぐこのあたりから離れろ、全速でだ! 死にたくなかったら言う通りにするんだ!」
「ふ、フレイさん。とおくんはどうしたんですか? とおくんもこっちに来てないんですか?」
「トールはまだ残っている、俺もまたあっちに行くつもりだ。ルビアさん、君は王女なんだろう。だったら、ここから早く逃げるんだ」
「だったらお兄様、私も加勢します! トールさんとお兄様だけで、あんなに魔力を持った魔物と戦うなんて無茶です!」
「お前はルビアさんと一緒にいろフレイヤ。こんな場所で、あんな魔物が出てきたのは偶然とは思えない。何者かの思惑があるはずだ。お前がいなくなれば、ルビアさんに危害が及ぶ可能性もある」
「…………っ。分かりました。ですがお兄様、くれぐれも気をつけてくださいね……」
「ああ、当たり前だ。俺は豊穣神だからな」
そういうと、フレイさんはまた影のある方へと向かっていった。
「私達2人で、豊穣神なんですよお兄様……」
「フレイヤさん……」
フレイヤさんはとても顔色が悪い。
お兄さんのフレイさんが、怖い魔物と戦おうとしてるからだ。
私も正直、怖い。
私自身が魔物に襲われることよりも、真っ先にとおくんのことが心配になった。
いくらとおくんが強くたって。
いくら四魔将に勝ったからって。
あんなに大きい影の持ち主の魔物に、たった二人で向かっていくなんて。
「とおくん……無事でいてね……」
私はせめてもの思いで、祈りを送る。
こんな時、自分の無力さがとっても嫌になる。一国の王女って言っても、私はこうやって誰かに守ってもらわなきゃ何も出来ない。
そんな現実が、本当に大嫌いで。
その結果、とおくんやフレイさんが傷つくのなら。
私は一体、何のためにここにいるんだろう。
一緒にいるだけで、他の人に迷惑をかけるなんて。
◆
「つぅ……」
体中を灼熱が通り過ぎる。
自分の肉が焦げた臭いっていうのを、俺は初めて嗅いだよ。
邪竜のブレスをもろに食らい、俺の体は致命的なダメージを負った。
一応、直撃する瞬間に対策していたのだが、この通りだ。
「やっぱり、防御アップしても意味はないか……ちっ」
咄嗟に【雷神】を発動し、更に【肉体強化】を発動して身体能力を強化した。だが、これだけだとブレスをもろに食らってしまう。
なので俺は、自動回復する回復魔法【リヒール】を発動していた。
エタドラとは違い、【肉体強化】で肉体の治癒能力もアップすることを修行中に確認していたので、それを実行したのだ。
これにより、常時回復するので傷は徐々に治っている。
そして、邪竜のブレスは魔法・物理防御を貫通するが炎耐性アップなどで軽減出来る。
【ディス・マファイア】という魔法を発動し、炎属性の攻撃に対する耐性を四〇%アップ(あくまでエタドラでの数字。この世界だとわからん)した。
だが、それでもこのダメージ。
やはり邪竜はエタドラよりも遥かに強いらしい。
次の攻撃を食らわないためにも、その場から離れようとする。
だが、体が動かない。足がすくむ。1歩踏み出そうとするが、足が震えるだけで動こうとしない。まるで地面に縫われたように、足が言うことを聞かない。
体にヒヤリと悪寒を感じる。そして、ブレスを吐き終わったドラゴンを見ると、胃が縮む。
怖い、そう俺は今怖いんだ。
だが、今更俺がこんなドラゴンにビビるはずがない、たぶん。
【イービルブレス】の副次効果、状態異常にかかってしまったのかも知れない。
これは、【恐怖】状態か?
ゲームにある、麻痺と似た状態異常だ。効果は六〇%の確率で行動失敗。
敵が使うと厄介だが、自分が使うとなるとクソ効果っていう状態異常の筆頭だ。
だが、異世界だとこんなにも強力なバッドステータスだとは。
こんなことなら、状態異常になった時1度だけ無効化する魔法【リクリア】を発動しておくんだった。
「ああくそっ、ろくに動けない……! もう一発【イービルブレス】をくらったら死ぬ……かもっ……! クソ、動け! 動けよ足! こんなところで、あんな邪竜なんかに殺されてたまるかよっ!」
「GUHHHH……」
「あ……ああ……」
邪竜が顎を開く。
その奥から、また赤々とした炎息が出てこようとしている。今攻撃されると、ダメだ。
口から放たれる炎息は、今度こそ俺の命を燃やし尽くしてしまうだろう。
そんなことになってたまるか。今すぐ逃げなくては。
【恐怖】が体を支配しようとするが、所詮は確率デバフ。何度も行動しようとすれば、ちゃんと行動出来るだろう。
なんて、甘い考えを持っているわけじゃない。この世界だと【恐怖】は本当に感情に働きかけているようだし、確率なんて設定が存在しているわけがない。
だが、恐怖に飲まれる程度じゃ、こんな邪竜に負ける程度じゃこの先やっていけないんだよ!
俺はもう一度、足を動かそうとする。
一歩。
二歩。
二歩だけ足が動いた。震える足を死に物狂いで動かして、やっとだ。
しかしそこまでだった。三歩目を踏み出そうとすると、再び足がすくんでしまった。
「あ…………」
灼熱のブレスが、邪竜の口から放たれる。
その毒々しいまでに赤く燃える息は、地面を這い、洪水のように流れてくる。すべてを飲み込む、災害のように。
距離が近づくにつれ、肌が焼ける。
一瞬で乾燥し、皮膚が裂け、肉が露出し、血が溢れる。しかしその血も瞬時に蒸発する。
僅か数秒でそんなことを繰り返し、かさぶたと傷が増えていく。
炎耐性をアップしているとはいえ何も防御手段を取ってない無防備状態だ。
この世界じゃ、魔力を持っている者なら【肉体強化】を使わずとも無意識に魔力で肉体を強化するようだが、今はそれも出来ない。
もっとも、一度試してみたが魔法じゃなく魔力によって肉体強化しても一割ステータスがアップするかどうか……といった程度だったが。
まぁ、俺でそうだったんだから他の人ならもっと恩恵が低いかもしれない。
そして、そんななけなしの強化さえ無い状態でブレスなど受けたら。待っているのは死だ。
「う、うわあああああああ!!」
目を瞑る。
次の瞬間、俺の体は炎息にのまれる……と思っていたが、目を閉じて数秒経ってもそんなことにはならない。
「…………?」
目を開ける。
すると、目の前には炎息があった。しかし息は俺のちょうど前で二つに割れて、後方にそれていた。
炎息が二つに割れている理由は、竜巻だ。
正確には小さな竜巻、地面から発生して僅か五メートルの高さにとどまっている。だがそんな小さな竜巻があの炎息を見事に逸らしていた。
これは風魔法の【タイフーン】によく似ている。しかし、ここまで小さかっただろうか。
俺の知っている【タイフーン】はもっと範囲が大きくて、そのくせ威力が無いはずだ。いや、エタドラ内での知識だが。
これほどの風魔法を操るなんて、一体何者だろうか。
いや、ひょっとして。
その竜巻を発生させた人間は。
「なに震え上がっているんだ。闘技場で俺を連れ出した時のお前は、もっと強気だったぞ」
風を纏い、金に輝く髪の毛を揺らす貴公子。
天候を司る極神。
【豊穣神】の片割れフレイがそこに立っていた。




