誰が敵で誰が味方なのか
二五
北条は指定された日比谷の高級ホテルに向かった。ロビーラウンジでは北条が守倉議員の不倫調査の時以来であった。今回は依頼料は発生しないためか頼んだのはウーロン茶では・・・なかった。
「すみません、アフタヌーンティーセットをください」
何と北条は、あろうことかアフタヌーンティーのはしごを敢行した。どれだけの食欲なのだろうか。さらに金額を見ると、七千円もの料金であった。いったい誰がこんな金額を払うのか。
「とりあえず、今回も町沢宛に領収書を送ってやろう」
そうだった。本件は警視庁からの特命であった。と、北条は独断で解釈して、昼間に町沢と頼んだアフタヌーンティーセット七千円×二にまた七千円のアフタヌーンティーを頼んだ北条。合計二万千円である。
時刻は一六時を過ぎた頃、ホテルのボーイが北条の席に来た。
「失礼します。北条様でよろしいでしょうか」
北条は紅茶をすすりながらうなづく。
「松本様からご依頼がありまして、北条様を松本様のお部屋まで通すようにお話をいただいています」
恐らく例のキャバ嬢のことだろう。町沢の調べで彼女の名前は松本と言ったこともあり、松本が本名なのであろう。これも偽名かもしれない思いをよそに、北条は立ち上がり例のキャバ嬢が待つ部屋へと向かった。
「あと、注文したアフタヌーンティーのケーキセットは部屋まで持ってきてね」
ボーイは笑顔で応対した。さすが高級ホテルのボーイである。北条のワガママにもそつなく対応する。
ボーイに案内された先は、エレベータに乗り三〇階のフロアだった。ホテルの中ではエコノミークラスであるが、その辺のビジネスホテルとはえらい違いであった。守倉議員の不倫調査では宿泊フロアまでは尾けていなかったため、北条にとっては貴重な経験となっていた。
ボーイに通された部屋の先に、例のキャバ嬢がいた。クラブの出勤前だろうか、髪は巻き上げられていた。
「北条さんですね。お部屋までご足労いただきありがとうございます」
アフタヌーンティーセットを運んできたボーイに別れを告げると、北条は応接フロアのような椅子に腰をかけた。
キャバ嬢も席に着いき、お互いに自己紹介をした。彼女の名前は松本美幸と名乗り、町沢から聞いていた通りの名前だ。ここで偽りはないことも分かった。銀座の高級クラブで働いているとの紹介があった。もっとも、北条はすでに調査済みの内容であった。
「あなた、守倉議員の葬式に来ていた人よね」
「そう、バレてたのね」
意外な答えに驚きを見せる北条。いや、葬式の会場で梶とあれだけヤイヤイやっていれば目立つだろう。実際、一部の参列者からはあの無礼者たちは一体何なんだと話題になっていた。
「となると、お店に行ったことやあなたを数日尾けていたことも知っていたってわけね」
北条の言葉に、松本は一瞬固まった。
「いえ、そこまでは知りませんでした」
近日中の尾行は気が付かなかったことが意外であった。ここまで勘の鋭い女性ならてっきりすべて見抜かれていると思ったからだ。そのため北条は、クラブに潜入した時、下品な胡散臭い社長(町沢)と一緒にいたと話した。すると、松本は眠っていた記憶がよみがえったかのように、その時の光景を思いだいた。北条のことは覚えていなかったが、下品な胡散臭い社長(町沢)存在自体は覚えていたらしく、下品なおっさんと松本は認識していた。哀れ町沢。
ケーキセットがボーイから運ばれ、一礼してボーイが部屋を出たのを確認し、北条が本題に入る質問をした。
「悪いけど、単刀直入に聞くわ。あなたは何の目的で私をここに呼び出したのかしら」
「はい。私は、亡くなった守倉議員のことを私的に調べています。それは、守倉議員の息子も徳地議員も殺された件についても同様です」
「そう、松本さんもあの事件を追っているのね」
「北条さん、も・・・」
北条は唐津組の内部を捜査するため、唐津組と関係のあるキャバ嬢である松本の身辺を探った。だが、やはりこのキャバ嬢は唐津組の人間ではない可能性が非常に高い。はたまた油断させておいて、唐津組に報告するつもりなのか。まだ松本のことを信じ切っていない北条は慎重になっていた。
「私は守倉議員が亡くなる前に暴力団の悪事を暴こうとするため、守倉議員と絶えず情報交換をしていました」
「暴力団の名前は、唐津組で間違いないかしら」
松本はゆっくりとうなずいた。遅かったが、北条は暴力団の名前は松本の口から言わせるべきだったと反省した。もし違う組の名前を出されたら、一気に話がややこしくなることだ。だが、松本は唐津組の人間ではないことを物語っていた。ここで、北条はあえて松本が唐津組の人間ではないことを再確認したかった。
「ということは、あなたは唐津組の人間ではないことでいいのね?」
「もちろんです、私はあんな組織の人間なんかではありません」
「まぁ、唐津組の人間なら探偵の私とは会うわけがないわね」
言葉では平然を装う北条。だが、北条の思考回路はパンク寸前であった。このキャバ嬢は一体何の目的で唐津組や守倉議員と接触しているのだろうか。
「実はね・・・」
北条がこれまでのいきさつを話した。守倉夫人から夫の不倫調査を受けたこと、その不倫調査をしていた時に松本とホテルで密会していた現場を押さえたこと、夫人に不倫調査の報告をしたこと。松本はやや心外そうな表情を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻し口を開いた。
「守倉議員の関係は、お見通しというわけですね」
「それで、あなたはこのホテルで守倉議員と密会していた目的は何? 見た感じでは『国会議員、深夜のホテルで愛人と密会』という週刊誌が飛びつきそうな見出しだけど、どうやら違うようね」
「その通りです。私は、守倉議員とはやましいことは何一つしていません。というより、そんな肉体関係を守倉議員とは持っていません。ホテルで密会していたのは、唐津組に関する情報交換やこれからのことについて話をしていました」
やましいことがない。中身は唐津組の情報交換。どうやら話は思いもよらない方向に行っているようだ。
「一体なぜあなたと守倉議員は唐津組を敵対視しているの?」
「私と守倉議員の目的は異なります。ですが、唐津組を崩壊させてやろうとする思いは一緒でした。私が唐津組の女として潜入している情報を収集し、その内容を守倉議員に報告することです。ですが、人が多い中ではできない話が多かったため、このホテルの一室を使って情報交換していました。いわばカムフラージュにもなります。誰かに見られても、単なる不倫現場にしか見られません」
「確かにカムフラージュにもなるけど、自身の議員生活が破滅になるリスクもあることよね」
「それは守倉さんと打ち合わせをしました。ですが相手は日本でも指折りのヤクザの手下です。マスコミが不倫だと賑わえば返って唐津組は手出しを出しにくくなることも想定しました」
この女性は色々と考えているものだと、北条は感心する。
「ただ、ここで誤算が起きました。どうやら、守倉夫人が不審に思って不倫調査を探偵に依頼したようでした」
「そう、あなたわかっていたのね」
全てお見通しであるかのように語る松本。対談においては北条がいつも主導権を握っていたが、この時は松本の方が主導権を握っていた。
「確かに守倉さんは普段の議員活動に私と常に顔を合わせていては、ご家族にとっても不審に思われるでしょう。実際に帰宅時間はいつも日付が変わっていましたから」
「そこで、事情を何も知らない守倉夫人が、夫が不倫をしているのではないかと不審に思い、探偵を使って不倫調査を私に依頼した、という訳ね」
「そう思われます。いつかは公にはなると覚悟をしていましたが」
「そうね、第三者から見れば守倉議員とあなたがホテルで密会していれば、間違いなく不倫と判断されるわ」
いつかは身内に密会がバレることを覚悟していたと、守倉議員は覚悟していたようだ。
「結果として、私は守倉夫人には夫の不倫として処理したわ。夫人は完全に夫は不倫をしていたと思っていたようね」
「そこがせめてもの救いでした。密会の真の目的がバレることが最悪なケースでしたから」
「ところで、あなたはなぜ唐津組と接触しているの? 一般人ならまず関わることがない組織ね」
北条が核心を突いた質問をした。松本の方はやはり聞いてきたかという表情を少し見せた。最初から北条には話すことを決意していたようではあったが、意を決して松本が話をした。
「あなたには全てを話しましょう。私には弟がいましたが、唐津組の人間に殺されました」
「ころ、された?」
はい、とキャバ嬢は頷いた。
「一年前のことです。私も事件の真相にはたどり着けなかったのですが、事件の背後には唐津組が絡んでいることを突き止めました。そこで、唐津組の人間がよく使っているクラブをどうにか突き止めました。そこで思いついたのが、そのクラブにキャストとして入ることです。やがて、唐津組の人間に接客する機会が多くなり、同伴やアフターにも行くようになりました。その時に守倉議員と知り合いました」
北条の表情が鋭くなっていく。
「唐津組は政治家を使って自分達に都合のいい法案を押し付けるようにしている組織は知っていました。唐津組と関わるうちに、駒となる政治家は守倉議員であることがわかりました」
「そこで、守倉議員と接触したというわけね」
「はい。その時は守倉議員も真っ黒に染まった人間だど思っていました。ですが、どうやら守倉議員は弱みを握られているのか、ぞんざいな扱いをされていました」
「というと、守倉議員は組の中ではそこまで権力はなかったということね」
「そうなります。そこで、私は守倉議員と接触をしました。お互いどうにかして唐津組を壊滅に追い込みたい一心でした。そこで、私たちは都度情報交換をするべくこのホテルで度々会っていたのです」
北条が考えをまとめた。
「つまり、あなたは唐津組に先入して組織が壊滅する決定的な情報を掴もうというのね」
松本は静かにうなずいた。だが、北条が腑におちないことがった。
「よく、そんな危険なことをしようとしたものね」
「危険は十分承知でした。時々どこかの政治家か官僚か、警察のお偉いさんと密会をしていました。私は、少し頭の足りないキャバクラ嬢を演じていました。その方が奴らに怪しまれないと思いました」
守倉議員は国会議員だから死因が特定されていないものだと思っていたが、唐津組が警察に圧力をかけていると松本は想定していた。
「私は守倉議員は殺されたと思います。北条さんは、守倉議員が唐津組に殺されたと思いますか?」
「証拠がないから何とも言えないけど、可能性は限りなく高いわね」
「私も同感です。あの死に方はやけに不自然です」
話をしていくうちに、この松本は本当に唐津組に潜入しているようだ。だが、北条はこの松本とのやりとりの中でどうしても気になる点があった。
「それで、町沢を唐津組の人間に売ったのはどうしてかしら? あいつなら頼りにはならないかもしれないけど、この件には協力的になるはずよ」
「あれは、あの刑事が店の前で堂々と警察だと名乗ったからよ。それで、背後にいた唐津組の関係者にばっちりその様子が見られていたわ。だから、協力するしか手がなかったわ。実際、あなたが接触してきた時も背後に唐津組の人間がこっちを見ていたわ。待ち合わせていた人の店が違っていたってあの後説明したわ。あなたは機転がきくような人だから助かったわ」
全ては納得できた。町沢の最高役立たず男! バカ男が変なことをしたせいで自分に危害が及んだのは自業自得ね。そのまま射殺されなかっただけでも九死に一生だと北条は思った。だが、下手をすれば北条にも危害があった。いつまでもレンタカーで並木通りをウロウロしてないでさっさと渋谷に戻って正解であった。
「あなたはこれからも唐津組の探りを入れるつもりなのね」
「はい。覚悟は以前からできています」
「でも、それはあまりに危険だわ。引き際を見極めないと、あなたに危険が及ぶわ」
「もう手遅れよ。私はどっぷり闇に浸かっているわ。でも、そのおかげで唐津組が支配下に置いている権力者の数人は抑えているわ」
「それは、一般的に名の知られている人?」
「えぇ、一般人でもニュース見ればわかるわ。中には、警察内部に唐津組の手下が数名います。それもかなり地位の高い人物もいます」
「何ですって?」
元警察官として、やりきれない思いでいっぱいだった。私利私欲のために国家の権力を使っているなど、あってはならない。ましてや反社会組織が警察を味方につけ、圧力をかけることなど言語道断だ。かつて自分が刑事を辞めるきっかけとなった女子高生レイプ事件も圧力で犯人が逮捕できなかった過去を北条は振り返った。
だが、今は冷静にならなくてはいけない。北条はその警察官の名前を聞いた。
「それで、そいつらは一体どんな汚れたやつなの」
「警察内部の人間は全て把握してはいませんが、その中のうちひとりはあなたも存じているはずです。それは、守倉議員の葬式であなたと話ししていた人物です」
まさか! 当日北条が話をしていた人物といえば、町沢と梶である。この二人以外の警察関係者とは口を聞いていない。だが、北条にはもはや答えは見えていた。にわかに信じがたい答えであったが、他に答えが見当たらなかった。
「梶が、警察の内通者なのね」
「えぇ、その通りよ」
北条は軽いめまいを覚えた。
「事情はわかったわ」
この次、梶と会う時には、敵だと思った方がいいのか。北条は複雑な胸の内を確かめる。
「それで、それ以外の人はいないの?」
「黒幕を追ってはいるものの、中々尻尾を掴めないわ。定例の幹部会でも、黒幕は姿を表さない」
「黒幕ね・・・気に食わないわね。自分は高みの見物で、汚い仕事は全部部下がやるなんて」
大筋の話は理解できた。これまでに起こったことは分かったが、今後についてどうすればいいか北条が悩んでいた時に、松本から提案があった。
「明日に唐津組の会合があるわ。私はお飾りの花役で出席するのですけど、北条さんの変装能力なら、紛れても違和感ないわ。私が働いているクラブの新入りって言う設定であれば問題ないわ」
その提案に北条は舌を巻いた。このキャバ嬢、相当頭がキレる。もしや、この前会った家政婦として潜入していたように松本も公安の一員か? だが口にすることはまずいと、北条は頭の中でとどめた。
「潜入することは朝飯前だけど、反社会組織の会合に行くのは、それなりの覚悟が必要ね。それに、素性がバレたらあなただって無事には済まないわ」
「えぇ、わかっています。ですが私の力では、これ以上のことは限界です。内部を探ることは出来ても、壊滅させることはできません。もう潮時だと思いました。ですが、あなたが現れてから、奴らを壊滅できるのでは? と思いました。あなたの力と警察の力があれば、可能では? そう思いました」
「壊滅ね。個人の力で組織を打ち負かすには相当な労力が必要になるわ。でも唐津組の真相を突き止める点については同じね。ここはひとつ共闘といこうかしら」
「は、はい。よろしく願いします」
北条は警察も把握していない真相にまた一歩近づいた。外部からの情報がつかめないのであれば、内部から情報を収集することだ。
「それでは、後程明日の唐津組の会合の場所を教えます」
こうして北条は、唐津組の会合に乗り込むこととなった。この時、町沢にはまだ連絡はしなかった。
二六
三月三日
北条は松本とともに唐津組の会合に参加することになった。会場は西新宿にある外資系のホテルだ。北条は地下の穴蔵でコソコソとやっているものだと想像していたが、意外としっかりとした会合であることに驚きを隠せなかった。
北条はどんな人物が集まるのかと、あれこれ想像を働かせていた。黒いスーツにサングラス、リーゼントに顔に傷があり、公共の場でありながら平気で葉巻を吸う姿を想像していた。しかし、実際には近所でゲートボールをやってそうなおじいちゃんや腰の低そうな中間管理職のサラリーマン風の見た目が圧倒的であった。今時、Vシネのような典型的なヤクザはいないようだ。その反面、普段すれ違うおっさんたちの中に反社会組織の人間がいるとなると、ぞっとする思いもあった。
会合の参加者は総勢百人。壁一面にパチンコの花のようなお祝いの花束がぎっしり。その下にはコンパニオンのような位置付けで松本と北条は座っていた。
(確かに、むさ苦しい男ばっかりの会合であれば、華がないわ。だけど、細かなところに気を使うところだけは感心できるわね)
必死にあくびを噛みしめる北条。それもそのはず。さっきから変なおっさんが壇上の上に立って、わけのわからない演説を延々と繰り返していたのである。一体いつになったらこのつまらない会合が終わるのか。先日徳地議員の講演会と何ら変わらないではないか。北条が辺りを見回した時だ。
「あ、あいつは・・・」
北条は見覚えのある人物を見つけたことに、驚きを隠せなかった。反社会組織に北条が知っている人物など、当然いない。普通はそうだ。だが、例外がある。それは身内が反社会組織に所属していた時だ。北条の件は後者に該当する。
「梶元警部補、やっぱり唐津組の人間なのね。それとも潜入捜査? いや、そんなことはない。警察もバカじゃないから、潜入捜査に最も不向きな奴を仕向けるわけがない。梶元警部補なら口を滑らせて正体がバレた結果真っ先に殺されるのがオチだわ。だから、私が梶の上司だったら真っ先に潜入捜査に仕向けるけどね。いや、そうだわ。上層部は案外私と同じ考えかも。さっすがぁ、わかってるぅ」
「北条さん、声が出てますよ・・・」
あわてて松本が静止する。幸い梶たちに聞かれることはなかったようだ。また、北条自身も得意の変装で梶にはバレることはないとふんでいた。むしろ、中年のオッサンともなれば若い女性は全員同じ顔に見えるはずだ。ん? 北条は若いのか?
やがて、梶は席を立ち、唐津組の幹部クラスと思われるの人間のもとに向かった。その様子を北条はじっと見ていた。
「これは、警察からようこそ、梶さん」
「いえいえ、とんでもありません。ですが、警察の名前は出さないでもらえませんか。どこかで聞き耳をされては困りますからね。これをネタにされたらシャレになりませんよ。現役警察官がヤクザの会合に参加することなど言語道断です」
「まぁそう言うな。ここには国を動かす官僚や国会議員だっている。皆、一蓮托生ですよ」
「それもそうでしたな」
「なるほどね。唐津組のお偉いさんと警察が仲良くしていたら、マスコミにとっては格好の餌ね。与えてやろうかしら。いや、もう少し泳がせておくのがベストね。それにしても、何あの話し方? 随分とまともじゃない。普段のダメおやじぶりはどこに行ったのかしら?」
事実、梶の雰囲気は普段の警察官としての風格がなかった。警察官である時の彼は、愚痴は多いが熱血漢あふれるところがあった。だが、この場の梶は、一言で言えば、腹黒い政治家がしっくりくるような雰囲気だ。北条は、なおも梶と唐津組との会話に聞き耳をたてる。
「それで、例の件だが。その後どうなっている」
「その件を今言いますか。せっかちですね。状況は先日話した時と変わらないですよ」
どの件だ? 北条は話の見えない会話にあくせくしていた。それにしても梶の雰囲気は北条が知っている梶とは全く異なっていた。黒歴史だとしても二年間は梶の部下として働いていたが、こんな表情は今まで一度たりとも見せてはいなかった。
やがて梶が元の席に戻った。北条は一瞬梶と目が合ったような気がした。だが、ここで目線を外せば怪しいと思われる。それに今の自分は得意の変装能力で全くの別人として見えているはず。梶が目線をそらした時、北条は松本に確認をした。
「ねぇ、松本さん。ところで唐津組の組長は、一体どこの誰なのかしら?」
「私も探りを入れてはいたのですが、実際のところ組長は公の場には姿を現しません。それどころか、存在自体も一部の幹部しか知らされていません」
どうやら、組長を不明瞭にすることで、警察の捜査から逃れられること、組織から神格化として崇められることのことだ。そんな子供だましなと、北条は首をひねるが、ともあれ、組長が誰かよくわからない暴力団が存在するレアなケースだといえよう。
会合は次々からオッサンが出てきて、訳の分からないことを偉そうに延々と話をするばかりであった。北条はまたしても現役の刑事時代の面倒くさい組合大会を振り返っていた。本当にどの組織も同じようにくだらないことをするものだ。今の時代動画で配信して好きな人だけが見れるようなシステムとなれば、どれだけ有効な時間が生まれることか。
会合の第一部が終了し、ここから先は唐津組員のみの参加となるため、北条たちは退場せざるを得なかった。帰宅する人たちの中に梶の姿はないことを北条は確認していた。
「あのオッサンは、唐津組の重要な構成ってわけ? つまり、警察に潜入していて情報を垂れ流しにしている? 警察官として、いや、人間として失格ね」
本日はこれ以上の唐津組の調査は不可能と判断し、北条は松本に別れを告げ自身の事務所に向かうことにした。
二七
「守倉の跡を継ぐのは、徳地で問題ないんだろうな」
「はい。徳地は守倉の義理の息子です。裏事情には精通している人物です。守倉を慕っているかは定かではありませんが、徳地は強欲の持ち主です。どんな手を使ってでも権力を手に入れる奴です」
「なら、引き続き例の薬事法の改定に着手できるな。なんとしてもあの薬を手に入れなければ」
「当然です。あの薬を合法的に使えなければ、我々の未来はありません。夢のワンダーランドを築くための大切な薬です」
「随分と子供じみた表現をするものだ。それでも警察官か?」
「私めはノンキャリアのため、そこまでの博識はありません」
「だが悪知恵は効く。常に犯罪と向き合っている人間が、最も完全犯罪を立てやすい。そして、最も適任な職業は警察組織だ。天性の悪知恵の働きを見せるお前が、警察で犯罪と向き合うことで、最高の人材になる」
「褒め言葉として受け取っておきます」
またしても権力者と警察官の怪しげな会合である。
「ねぇ〜、その薬事法改定ってなぁに?」
「お前は知らなくても良いことだ」
「またそのフレーズ?」
またしても例のキャバ嬢だ。
「では、私はこれで失礼します」
そう言って、席を立ったのは梶であった。
「わたしもこれで失礼するわ。この後出勤しなくちゃいけないしぃ」
続けて、席を立ったのは松本であった。
この時の会合は、徳地議員が殺される三日前であった。
二八
三月四日
北条が町沢の携帯電話に連絡をいれた。
「町沢、梶は今どこにいる?」
慌てふためく北条。なんとしても梶の暴走を止めなくてはならない。
「梶警部ですか? そういえば今日は本庁に来てませんね」
「町沢、唐津組の内通者は、梶だ」
「何ですって!?」
驚くばかりの町沢であった。だが、思い当たる節があった。この事件に関して、やたらに捜査を阻止させようとしたこと。北条が現れてからやたらに嫌悪する様子があったこと。恐らく、正義感の強い北条が出てくれば、間違いなく真相に辿り着いてしまうこと。梶は危惧したのであろう。だからそれとなく北条を突き放したのであろう。
「一体、梶警部はなんの目的で奴らと手を組んでいるのですか」
「さぁ、金に目が眩んだんじゃない? 無理な住宅ローンを組んで、家計が圧迫したのが目に見えるわ。それに、別に梶のことなんか興味ないし」
そこは相変わらずの北条である。
「とにかく、梶を監視しろ。あのオヤジ、ことある度に私を逮捕させようとしたが、今度はこっちが梶を逮捕する番だ。それも本気で」
躍起になっている北条であるが、彼女には逮捕する権限が今は与えられていない。町沢は突っ込もうとしたが、反撃にあうことを想定し、そのまま北条の話を聞いていた。
「しかし、現職の刑事が反社会組織と親密なのはいただけないですね。警察官としては、絶対にあってはならないことです」
町沢も北条に触発されてか、自身の正義感に火をつける。
「町沢、まだ早まっちゃいけない。梶を逮捕して処刑台に送りたいのはやまやまだが、逮捕するだけの証拠がない。それに警察内部の裏切り者が梶だけとは限らない。ここで梶を逮捕すれば、唐津組に警戒心を抱かせることになる」
北条の言うことには一理ある。情けない話ではあるが、これかの梶についてどう対処すればいいか、町沢は北条に相談した。
「とりあえず行動は起こさないほうがいいわ。まずは泳がせましょう。だから、これまでと同じように梶と接することね。ただし、監視はつけてね」
梶の身辺調査は警視庁にいる町沢に任せることにして、北条は守倉一族の調査をすることにした。この一家はすでに三人もの人間が亡くなっている。犯人は守倉一族に恨みのある人間なのだろうか。とすれば、残るは守倉夫人と徳地夫人の二人だ。家政婦は公安の崎村のため除外する。もうこの一家には男性がいないことを考えると、未亡人二人の安否も危ういと考えた。もし政治方針に恨みがあるのであれば、この一家にはもう政治家はいないから犯人は恨み果たしたことになる。だが、それでも晴らし足りないのであれば、まだ復讐は終わってはいないのか。結論として、百聞は一見に如かずで北条は守倉邸に乗り込むことにした。
北条が守倉邸に訪れるのはこれで三回目だ。訪れるたびに守倉一族が亡くなっていく。まるで呪われた館だ。呼び鈴を鳴らすと、出てきたのは崎村であった。
「これは、北条さん。本日はどのような用件ですか?」
「えぇ、守倉夫人のことが気にかかっていたので、少し様子を見に来たのです。家政婦さんの方はお変わりありませんか?」
「えぇ。私の方は特に変わりはありません」
隠されたサインだ。この一族は被害者でもある反面、反社会的組織に加担して政治的圧力をかけていた加害者でもある。北条の変わりないかと聞いたのは守倉一家が怪しげな活動をしていないかどうかであった。崎村も北条の意図を瞬時に読み取り、国家を脅かす活動をしていない点について変わりないと伝えた。二人には瞬時にツーカーのようにして意思疎通ができた。これが梶と町沢では絶対にできない芸当である。
いつものように応接室に通された北条は、守倉夫人を待った。その間にあれこれと考えていた。稼ぎ頭の守倉議員、義理の息子の徳地議員が亡くなった今となっては、二人の未亡人はこれからどういう暮らしをしていくのだろうか。この世田谷の豪邸も売りに出すのだろうか。
「これは、北条さん。ようこそいらっしゃいました」
やや暗い顔をした守倉夫人が出てきた。それもそのはずだ。今年に入ってから夫の不倫、死亡、連れ子と義理の息子が亡くなっている。その悲しみが表情を見ただけで伝わってくる。
「守倉夫人、お身体は大丈夫ですか? なんだか無理をしているようですが」
「状況は深刻ですが、悲しむ暇もないほどあわただしいのが現状です」
家政婦の崎村がお茶を入れに来た。見事なまでの家政婦の仕事ぶりだと北条は感心する。公安独特の威圧するオーラは一切ない。委託だからか。
崎村が応接室を後にしたのを確認すると、北条は守倉邸に来た目的を話し始めた。
「今年に入ってから、いや、この二か月でこの一家で三人もの人間が亡くなっているのは異常な事態です。守倉一族に恨みがある人間の犯行の可能性が非常に高いです。そのため、守倉夫人や徳地夫人にも身の危険が及ぶ可能性が高いです」
「身の危険というのは、私たちの命ということですか?」
「単純に言えばそうなります」
応接室にしばしの沈黙が流れた。
「心当たりは?」
「政治家というのは誰かにとっては良くても、誰かにとっては恨みを買うこともあります。政策を進めていくうちには必ず反対派の人間もいますから。前にも話しましたが、ダム建設がいい例です」
なるほどと言わんばかりの北条であった。
「ですが、これはあくまで私の個人的な意見ですが、これまでの事件はプロによる犯行の可能性が非常に高いです。そのため、守倉議員と接点のあった唐津組の人間による犯行が非常に高いです。このままでは守倉夫人だけでなく実の娘にも被害が及ぶ可能性があります。そこで、提案なのですが、一度この守倉邸から身を引いたほうが良いと思います」
つまりは、この守倉邸を引き払い、どこか遠いところで静かに暮らしたほうがいいという北条の提案であった。
「事情は分かりました。ですが、今私はここを離れるわけにはいきません」
「それはどうしてですか」
「これまで主人には様々な支援をしてきた人たちがいます。主人が亡くなった今となっては、その人たちの想いはどこへ向かうのでしょうか。主人を応援してくださったのは、自身の生活を豊かにするためだと思っています。政治家の妻として、主人を応援して出さった人たちに向けて、後継者となる人物を探す責任があります」
政治家の妻としての責任が重くのしかかっているのか、守倉夫人の意志は固く、守倉邸を離れることはしないようだ。北条のこれまで培ってきた人間観察から、守倉夫人は芯の堅いタイプであり、一度決めたことは中々変えない性質を持っている。やむなしと判断した北条は、方向性を変え切り札を出すことにした。
「私は現役の刑事時代に警察の圧力が原因で犯人が検挙できない事件に遭遇したことがありました。その時の無念は今でも夢に出てくるくらいです。そして、この事件にも圧力がかかっている気がしてなりません。それは、守倉議員は事故死ではなく殺害されたと思っています。世間一般には真相は闇のまま葬り去っていしまうのです」
「と、言いますと。北条さんは主人は事故死ではなく殺されたという見解をお持ちなのですか?」
「はい。確証はありませんが、殺された可能性が高いです」
「ま、待ってください。警察は事故死として処理をしたのですが、主人は他殺だというのですか?」
守倉夫人が熱くなってきている。無理もないだろう。事故死であれば運命と思って諦めがつく。殺意がなかったことが考慮できる。だが、殺されたとなれば話は別だ。誰かが意図的に恨みを持っていたとなれば勝手が違ってくる。どうやら、守倉夫人には事件の真実が伝えられていないようだ。
「ですが、殺されたといっても、主人はガードレールに衝突して亡くなりました。いわば単独事故です。そこから殺人事件と結びつけるのは、少々無理があるような気がしますが」
「ここから先は私が勝手に描いたフィクションの要素が含まれますが、唐津組が裏切って守倉議員を殺害するとなれば、いかに事故に見せて殺害するかを考えます。反社会組織は常に法律の抜け穴を見つけるのに必死です」
「となると、主人は事故に見せかけられて唐津組に殺されたストーリーになるのですか。ですが、警察はそんなことを一言も言ってはいませんでした」
「確かにそうです。ですが、この事件は警察に圧力がかかっているとなると、事件の真実が捻じ曲げられたのです。それは、先に話しました私の事件とも同じです。恐らくこの事件も私の事件と同じ結末を迎えると思われます」
「そんなことが・・・」
再び応接室に沈黙の時間が訪れる。
「主人が他殺だということはにわかに信じられませんが、事情は分かりました。ですが、警察が動けない状況ではどうすることもできないのが実情なのですね。そこでなんですが、これからどうしていけばいいのでしょうか」
「警察が動かない以上、私と守倉夫人で協力して事件を公表したいと思っています」
「事故ではなく、事件であるということを公表するというのですか」
北条の考えはこうだ。事件につながる証拠を見つけて、それを報道陣を使うなりネットを使うなりで公表するというのだ。発信元が守倉議員という政治家の妻というブランドがあるため、信用度は一般人よりも高い。なにより、世間を味方に付ければ怖いものはない。世間の風当たりが強ければ法律ですら改定することができる。
「ですが、一体これからどうやって事件の証拠を集めて、公表していけばいいのでしょうか」
「そこが問題です。私も尽力します。今のところ策は特にありませんが」
「わかりました。私の主人は殺されたことを受け止めます。今は頭の整理が追い付いてはいませんが」
「えぇ、焦らずに行きましょう」
守倉議員殺害事件について、共に真相を突き止めようと二人は決意した。
北条は守倉邸を後にして、しばし守倉夫人の言葉を振り返っていた。
「守倉議員はガードレールに衝突して亡くなったのね。事故死としてしか聞いていなかったから、知らなかったわ」
二九
北条は手詰まり状態で悩んでいた。一連の事件の実行犯がわからないためである。さらに、梶の行動も不可解だ。だが、決定的な証拠がない。途方に暮れた北条は守倉邸を後にしたこの日、日付が変わってから自身の探偵事務所に戻ってきた。
いつものように、エレベーターのボタンを押した。だが、反応がない。上のボタンを押しても、ライトが点灯しない。二,三回ボタンを連打するも、一切反応がない。
「故障かよ!!」
町沢の危惧していた通り、このビルのエレベーターはガタが来ていたが、本日寿命を迎えた。だが悲しむ人間はいない。逆に怒っている人間が目の前にいる。怒りの北条はエレベーターに香典となる蹴りを入れた後、非常階段で泣く泣く登ることにした。
「全く、最近ツイてないな」
自身の事務所まで非常階段を使って一階から登ることなど、今までなかった。疲れた上の上り階段。それも一一階まで登らなくてはならない。三〇歳を超えた北条にとっては、体が重い。五階まで登って汗が噴き出すように出てきた。七階まで登った頃には膝が震えていた。九階まで登った時には野球のようにゲームセットになってほしいとどれだけ懇願したか。そして、延長戦となる一〇階に登ろうとしたとき・・・
ガサッ・・・
何か踏んだか? まぁ、渋谷の裏路地の雑居ビルだ。ゴミが散乱していてもおかしくはない。
いつもの北条なら蹴り飛ばすだろう。いや、どちらかといえば疲労のピークで蹴りを入れる体力がなかったといえるほうが正しい。そのせいか、この時は不思議と足元のものを手に取った。
「パスケース? いったいどこのドジが落としたんだか。やれやれ、こうなったら町沢にでも逸失届を提出してやろうか。町沢にとってはちょうどいい仕事だ」
町沢は本庁の捜査一課である。おまわりさんではない。町沢が聞いたらさぞ悲しむだろう。
「それじゃあ、こんなところにパスケースを落とした、どん臭い奴をお目にかかろうとしようか」
北条がパスケースを開けた。
「・・・・・・・・・」
深夜に一人沈黙が続く。
普段一人でボケとツッコミをする北条が、沈黙している。
そこには去年のクリスマスに殺害された、西岡唯が写っていた。だが、それだけなら、殺害現場の遺留品として説明がつく。事実、西岡唯はこのビルの非常階段で殺されたのだから。だが、そこに一緒に写っている人物が問題だ。
「なんで、守倉議員が一緒に写っているのかしら?」
単なる写真なら、絵に描いたキャバクラ嬢と三流議員の構図ならよくあることだ。だが、女性のパスケースに年配の男性が写っている点はおかしい。逆にオッサンが若い女性と映っている写真を入れるケースはある。単なる見せびらかしのためだ。ただし、立場が逆転すると、よっぽど親しくなくては、パスケースに年配の男性の写真など普通は入れない。ここではおっさんフェチの例は除くことにしよう。
写真は守倉議員と西岡唯が二人笑顔で肩を並べていた。今となっては二人ともこの世にはいないことを考えると、なんだか切ない。
「殺されたこの女性、まさか守倉議員と繋がりがあったなんて。事件の全ては守倉議員が殺された時ではなく、ここでこの女性が殺されたときから始まったのね。事件のカギを握るこの女性、ちょっと調べてみる価値があるわね」
翌日、北条は西岡唯の身辺を調査することにした。探偵の北条にとって、守倉議員との接点を調べることなど、たやすいことだった。
「西岡唯・・・ 守倉議員の実の娘だったとわね。迂闊だったわ。まさか、こんなところで接点があったとわね。母親が違うところを考えると、いいとこ隠し子ってところかしら」
あの一家には暴力団、圧力、殺人事件、さらに隠し子が追加された。真っ黒もいいとろだと北条は呆れる。守倉家一族のドキュメンタリーを創るだけで、もうVシネがそのまま作れる環境だ。
「守倉夫人は夫の隠し子の存在に気が付いているのかしら。確かめたいのはやまやまだけど、今の精神状態で真実を突きつければ、ショックで死ぬことも考えられるわね。しばらく様子を見るとするか」