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警察をやめた北条の想い


   一七


「梶警部補。今日のニュースを見ましたか? 何ですかあのでたらめな内容は! 被害者が証言した犯人像が全然違うじゃないですか! いったい何をマスコミに流したんですか?」

 北条の出勤の開口一番が、上司に対する抗議であった。女子高生レイプ事件から二か月、事件の担当だった北条は根気強く病院に通ったおかげで、被害者である岡井由美から詳細な事情を聞聞き出すことに成功した。ところが、事態は思いもよらない方向に進んでいた。

「あれは、仕方がなかったんだ。長官の命令には逆らえない。警察官も所詮は公務員の身だ。重役に気に入られなければ運が良くて左遷、普通は首になる」

「被害者の気持ちを考えれば、あんたの首程度で収まるなら安いものだわ。ほら、さっさとハローワークに行きなさいよ」

「ほ・う・じょ・う!!!」

 例の事件について、被害者とともに新しい一歩へと歩もうとした矢先の報道であった。だが異なる犯人像を公開すれば永久に犯人は捕まらない。北条にとっては梶警部補の首と天秤にかければ、いや、かけるまでもなく被害者の偏見報道を問題視する。むしろ梶が首になれば一石二鳥である。

「それで、警察のお偉いさんに事件をもみ消すどころか、加害者を保護するような情報をリークしたのは、一体誰かしら?」

「それは俺にもわからない。だが、わかったところでお前には教えられんな。お前ならそいつの命を狙いかねない」

「よくわかっているじゃない」

 やはり、と肩を落とす梶警部補。

 北条は被疑者の情報がすり替わった件について、なんとしても真実を突きつけたかった。事件を解決するべく、あてにならない梶を横目に、北条は足早に警視庁を後にした。

「何が左遷だ? 何が首だ? 自分のことしか考えていない奴なんかいずれ天罰が下るんだよ! 梶のバカヤローーー!! 梶の『ピー―――――――!!!』」

 と、地下鉄有楽町線の車内はまたしても北条の怒号に包まれた。それも、今回は放送禁止用語である。車内の人たちは不審者が出たとばかりに、北条と顔を合わせないようにしていた。

北条はこの事件解決に向けて躍起になっていた。そのため、まずは情報収集として、北条は知り合いの新聞社の記者にことの真相を探ることにした。

「さて、奴はきっと女子高バレーの取材に行っているわね。なにせ女好きだから、新聞記者の特権を活かして若い女性の写真を撮りまくっているに違いないないわ」

 北条は自身の推理から、高校バレーの大会が行われている会場に向かった。会場では客席がほぼ埋まっており、熱気に包まれていた。だが、そのうちの二割程度はバレーボールというスポーツではなく、単に女子高生見たさに来ている人だ。スポーツ体型の引き締まった身体に高身長、さらにボーイッシュカットが似合う女子高生がただで見放題となれば、一部のマニアにとっては格好の材料である。

「ほら、やっぱり奴がいた。おい、こら、そこの変態記者。さっきから何撮ってるんだ?」

北条の姿を見て記者はギョッとした。まずい、この人に絡まれてはまたとんでもないことになると本能で察した。北条はなりふり構わずズケズケと突っ込んできた。

「おい、ちょっと聞きたいことがあるから聞け。この前あったレイプ事件だけど、うちのお偉いさんから事件についてあれこれと注文をつけて書くように言われなかったか」

「い、いえ。そ、そんなこ・・とは、あ、ありません! 絶対、絶対にありません!!!」

 新聞記者の首根っこを掴んで北条が問いただす。いや、脅迫だろうか。実質北条の方が背丈がわずかに高いこと、肝っ玉の大きさは北条の方が天と地ほどの差もあるほど大きいため、最初から勝負はあった。さらに、事件は明らかに圧力があったことが目に見えている。人間観察が得意な北条にしてみれば朝飯前である。いや、これでは一般人でもモロバレである。さらに北条は状況を楽しんでいるように追い打ちをかける。

「そうかそうか。ならお前のこれまでの悪事をお前の上司に報告するまでだな。えーと、一六歳の時に住居不法侵入、万引き、食い逃げ・・・みみっちい小心者の経歴をお前の上司に報告してやるぅ!!」

 女子高バレーの熱戦が繰り広げられている横で、場違いな大声が響いていた。関係者が何事かと冷ややかな目をしていた。ただし、先ほどの女子高生目当ての二割の人たちは、相変わらず女子高生をガン見していた。

「なんで、僕の消したい過去を知ってるんですか?」

「警察官の特権よ。一度でも犯罪を犯した人間は永久に犯罪経歴に名を残すことになるのよ。だから、あなたの名前を調べれば一発だったわ」

 国家権力の前に落胆する記者である。

「まぁいいや。もう答えは聞いたものだからな。だがそれだけじゃ足りないなぁ。この前みたく最新の覆面パトカーのナンバーを教えるにはまだまだ情報が不足しているなぁ。そうだなぁ・・・もっと情報をもらったら、うちの婦警の行きつけのバーを教えてやってもいいがなぁ」

「ふ、婦警・・・ゴクッ」

 根っからの女好きのこの新聞記者は、婦警というフレーズには目がくらんだ。それなら、新聞記者じゃなくてアイドルを追う週刊誌のパパラッチになればよかったのではないか。

「では、くれぐれも内緒ですよ・・・実は、レイプ事件の記事を作成中にデスクが突然原稿の差替えを要求してきたんです。それも、すでに書き換えられた原稿が渡されたんです」

「なーるほど。全ては上層部が計画した通りにことは進んだわけね。情報ありがと、これからも末永くよろしくね」

 それじゃ、と北条はメモを記者に渡した。そこには婦警の行きつけのバーのお店がメモされていた。ルンルン顔の記者であった。ただし、婦警は二〇代とは北条は一言も言っていない。北条が渡したお店は五〇代の婦人会の打ち上げとしているスナックであった。きっとお店のドアを開けた瞬間、地獄絵図が記者を襲うであろう。

「さて、マスコミ各社に圧力をかけたとなると、相手は相当厄介ね・・・」

 翌日、北条はこれまでに事件がもみ消された事例をピックアップしていた。被疑者は政治家や警察官僚などの、権力を手にしている人物もしくは血縁者。大半が世間知らずのバカ息子によるレイプものであった。今回の事件も女子高生がレイプされた事案だ。十中八九権力者のバカ息子による犯行であろう。

 北条は警視庁のパソコンから、未解決事件の収集をした。未解決事件の半分近くは被疑者が特定できたのにもかかわらず、圧力によって迷宮入りの事件として扱われている。事件がレイプであれば割り出しが早かった。レイプ事件は同一犯による複数の事件があげられる。つまり、レイプ魔は一度だけ事件を起こすのではない。覚せい剤と同じで、脳が刺激を求めるためか、何度も犯行に及ぶものだ。そのため、手口の近いものをいくつか割り出せば、簡単に被疑者を特定できると北条は睨んだ。

 被害者の供述では、夜の一〇時に公園を一人で歩いていたところ、後ろから突然襲われたとのこと。首筋にナイフを突きつけられたのち、柔道の内またのような技をかけられ転ばされ、被害を受けた。

 警視庁のデーターベースに似たような手口の事件がヒットしたのは六件であった。六件も事件を引き起こして犯人が捕まらないのは、故意に逮捕をしていないこと以外考えられない。常識的に考えて六件も事件を起こせば、間違いなく指紋や毛髪など動かぬ証拠が出てくるものだ。

 事件が発生しているのは六件とも金曜日だ。事件は全て同じ場所ではないが半径三キロ以内の公園で全てバラバラである。近くには合計一〇個の公園があるが、夜間ともなれば人目につかないのであろう。

 そこで、北条は公園で被疑者を待ち伏せすることにした。北条がまず向かった先は、巨大商業施設の雑貨コーナーであった。その一角にコスプレゾーンたるものがあり、ハロウィンの時期にはこぞって大活躍する雑貨だ。北条が手を伸ばしたのは、女子高生のコスプレ雑貨であった。そう、レイプの被害者が女子高生なら、自らが女子高生になって被疑者を捕えようじゃないかと企んだのだ。

 そして金曜日。北条はガサ入れに行くと称して、警視庁を後にした。時刻は夕方五時、雑貨店で購入したセーラー服を着て渋谷をうろついていた。

「一回こんな風に渋谷のセンター街を歩いてみたかったのよね」

 ルンルン気分の北条は、路上の軽トラックで販売していたクレープを片手にセーラー服姿でセンター街を歩いていた。この時二六歳。二六歳がセーラー服を着ては犯罪じゃないかと思うが、意外にも街の人たちは北条のことを普通の女子高生のように見ていた。それともやや童顔な北条はセーラー服を着れば女子高生そのものに見えるのか。中身は全然おばさんではあるが・・・いや、この時から、北条の変装能力は長けていたのかもしれない。

 調子に乗った北条は、女子高生のファッションの聖地となる『109』に入り最新のファッションを堪能していた。

「一回こんな風にショップを巡ってみたかったのよね」

 試着を繰り返したのち、何と北条は、へそ出しルックの服を購入したのであった。一体誰が見たいのだろうか。

 そんなことで時間をつぶして、時刻は夜の九時となったとき、やがて北条は先ほど購入した服のショップ袋をぷら下げて、事件近くの公園をうろついていた。公園の中は薄暗い。さらに人気がないことも気が付いた。そして、薄暗いため北条の姿はどこから見ても女子高生に見えるのであった。いや、女子高生と断定するものが最早セーラー服しかないためである。

 一時間後、数人のカップルが人目のつかないところでいちゃついているのを横目に、北条は二つ目の公園を歩いていた。

「しっかし、こんなかわいい女子高生が歩いているのに、なぜ誰もナンパしてこない。これはおかしい! 絶対に間違ってる!!」

 お前の考えが間違っているわ。北条が世の中の正論に対して文句を言ってた。だが、北条の意見に賛成する人は皆無であった。やがて、延々と愚痴を言いながら、公衆トイレの横に来たときであった。

「動くな!」

 突然後ろから男に声をかけられ、首筋にかすかに冷たいものが触れた。北条の直感では、首筋に触れているものはナイフであると察した。要するに、レイプ魔が現れたのだ。

「はははっ・・・」

「な、何がおかしい!!」

 突然笑いだす北条に、レイプ魔は驚く。

「こんなに簡単に引っかかるだなんて、人生ちょろいわね。言っておくけど、私は女子高生ではないわ。私は警察の人間よ」

 北条はすかさず持っていたショップの袋をレイプ魔の顔目掛けて投げた。ショップの袋は固い紙であり、特に角は勢いをつければ十分な破壊力を持つ。レイプ魔がひるんだすきに、北条はレイプ魔に顔面目掛けて蹴りを入れた。レイプ魔が落としたナイフを蹴飛ばし明後日の方向に転がるのを確認したのち、持っていた手錠をレイプ魔の手首にかけ、もう片方は勢いそのままにして消火栓の案内があるポールに掛けた。この間の時間わずか五秒であった。

「こ、コノヤロー!!!!」

「ハイいっちょあがり」

 パンパンと手を汚れを落とすようにして叩く北条。レイプ魔が必死に手錠を取ろうとするが、手錠はびくともしない。さらに、北条は戦利品としてレイプ魔の財布を抜き取っていた。あとで犯人の名前と住所を見るためだ。

 北条は警察に連絡して、すぐに被疑者連行ができる体勢を整えるよう指示をした。

「これで事件は解決ね。警察官を襲おうとした現行犯は、言い逃れできないわ」

 事件も解決した北条は上機嫌であった。

「や、やられた。第一おばさんが女子高生のコスプレなんかしてんじゃねーよ」

『ブチッ!!』

北条の怒りゲージが瞬時に振り切れた。

「おばさんだって? 何をぬかしているんだ、えぇ!? 私はれっきとした二六歳だよ、にじゅうろく!!」

 北条が、自身の鞄からエアーガン(ガス挿入式の威力が高いモデル)を取り出し、犯人の顔に向かって打ち始めた。柱に手錠がかけられてるとはいえ、さすがに近づくのはまずいと判断したためか、遠距離攻撃で犯人を攻撃していた。

「おばさんって何だ、おばさんって? えぇ!? その口を二度と聞けないようにしてやろうか?」

「ぐわわああぁぁぁぁ!!!」

 そうして、北条はBB弾の袋(五〇〇発入り)を使い切るまで、レイプ魔の顔をめがけてひたすら連射していた。ここが北条の恐ろしいところである。

二〇分したのち、レイプ魔の顔が一.五倍近く腫れたところで、ぶん投げたへそ出しルックの服が入ったショップの袋を大切に持って家路についた。

 だが、事件は思わぬ方向に進んだ。

 なんと、被疑者は証拠不十分で翌日釈放されたのだ。北条は食い下がったが、第三者がいないとの理由で不起訴となった。レイプ事件で第三者などいるわけがない。明らかにまた圧力がかかったのだと北条は察した。

 ならばと、レイプ魔から抜き取った財布にある運転免許証を頼りに、自力で被疑者を引っ張り出すまでだ。そこで北条はこの運転免許証の人物を調べた。

「さて、このレイプ魔は一体どの権力者とつながりがあるのかしら?」

 警視庁のデーターベースから、被疑者は簡単に特定できた。だが、この被疑者は政治家でも警察官僚の血縁者でもない。なんと、暴力団幹部の息子であった。

「暴力団幹部が警察に圧力をかけているってわけ?」

そんな悪があっていいのか。いや、暴力団が直接警察に圧力をかけているのではない。暴力団が政治家に圧力をかけたかお金を渡したかで取引をし、政治家が警察に圧力をかけた方が筋が通る。

北条はこの事実を梶に報告することにした。

「梶警部補。お話があります。先日私が捕らえたレイプ魔についてですが」

「わあぁぁぁぁ!」

 声にもならない声を梶は出した。

「変な声を出さないでもらえませんか? てっきり例のレイプ魔が出たと思ったので、危うく絞め殺すところでした。いや、この際だから絞め殺しておくべきでした」

「ほ・う・じょ・う!!!!」

 ここだけではいつものやり取りであるが、梶は北条を会議室に連れて行った。そして、会議室のカギをしっかりと閉めたのち、北条に事件の真相を話した。

「北条、お前が捕まえたレイプ魔だが。警察の上層部から圧力がかかって、超法規的措置で釈放せざるを得なかったんだ」

「何寝ぼけたことを言っているのですか? 奴は六件もの女性を襲った被疑者であり、この私をも襲おうとした立派な犯罪者です。いえ、十分な凶悪犯です。それに、事件の被疑者が反社会組織の人間ならなおさら犯人を逮捕するべきです。それが、こともあろうに反社会組織の人間を圧力のせいで野放しにしていいんですか。奴はまた女性を襲うにきまっているわ」

「北条、お前の言いたいことは分かる。だが、長生きしていくには上からの命令には従わなくてはならんのだ」

「何が長生きですか? 自分の保身しか考えていないやつには言われたくないわ。その考えは法律上は死んでいないけど、人間としては死んでいるものね」

 北条の言葉に、梶はついに噴火した。

「北条! お前は上司に対して何だその口の利き方は?」

「だから言っているじゃない。自分の保身しか考えていない奴なんか上司でも何でもないわ。そんな上司は一切尊敬なんかできないわ」

「それなら出ていけ! 今すぐここから出ていけ!」

「それが、この組織の在り方ですか・・・」

 北条は決意した。正義の名のもとに国民を守るはずの国家機関が、反社会組織の圧力に屈したとなれば、もうこの機関は腐りきっていると。こんなところにいても人生を棒に振るだけだ。警察にいるだけ時間の無駄だと悟った北条は、警察を辞める決意をした。

「梶警部補、今日限りで私は警察を辞めます。今までお世話になりました。もう二度とあなたに会うことはないでしょう。次にあなたに会うことがあるとなれば、それはあなたの葬式の時です」

「おい! こら、北条!!」

 北条は警視庁を飛び出した。残りの人生をこんな場所にいては一生自分に嘘をついて生きていかなくてはならない。それでは、自分は何のために生まれてきたのか。その答えはこれから探そう。だが、北条はどうしても詫びを入れなくてはならないことがあった。北条が向かった先はレイプ魔の被害者が入院している精神病院であった。

「失礼します」

 北条が病室に入ると、岡井由美が一人で外を見ていた。母親は不在のようだ。

「岡井由美さん。実はあなたに謝らなきゃならないことがあるわ」

 岡井由美は今でも失言性を引きずっていた。だが、北条の言葉に耳を傾けるサインとして。ゆっくりと首を縦に振った。

「あなたを襲った被疑者は、警察の圧力で捜査が打ち切られたわ。つまり、これ以上はもうい捜査ができないということ。私は、被害者を泣き寝入りさせる組織にはいたくはなかった。だから、私は警察をたった今辞めてきたわ。ごめんね。だけど、安心して。警察を辞めても私はあなたを襲った犯人を必ず突き止めるわ」

 岡井由美は表情を失くしてはいたが、目にはうっすらと涙があった。そして、北条にも。二人の涙が病室の夕焼けを彩る・・・


「あれから五年も経つのね。その間に変わったものもあれば全く変わらないものもある。だけど、警察の内部は相変わらずね。圧力に屈して何が正義かわからなくなっている。きっと、大富豪には免罪符として多額の寄付を送れば、人を殺しても許される時代がやってくるのかもね。そして、世の中はお金がある人物の好きなようになる。結局持たざる者は権力の前に屈するしかないのね」

 北条は自身の探偵事務所で、夕陽を見ながらつぶやいていた。それは、五年前に岡井由美とともに涙を流した病室の夕陽に似ていた。


   一八


「全く、まさか警察に事情を聞かれるとは。とんだ想定外だった」

「えぇ。ですが特に怪しまれることは何もないはずですわ」

「何かあったら俺の政治人生が終わるだろ。せっかくここまで貯めた『義援金』が取り上げられるところだった。こんなところで俺の人生を終わりにはしたくない」

「それは私も同意ね。何のためにあなたと結婚したと思っているのよ」

「おいおい、まさか仮面夫婦だったなんてことはないだろう。おれはお前を愛していたのは本当の話だろう」

「意外な話ね。てっきり私の父の権力があるからこそ私に近づいてきたと思ったのに」

「最初はそうだったさ。お前の父親の権力があれば俺はやりたい放題だ。最も、お前の父親はその権力を国民のために使おうとしていたがな。愚かな男よ」

「ちょっと、曲がりなりにも私の父親なんだから、変な悪口はよしてよね。それに、死人に口なしって言うじゃない」

「ほう、お前にも一応義理というものがあるのだな。その点については意外だな」

「当たり前じゃない。あなたほど悪魔なはずはないわ」

「おいおい、言ってくれるじゃないか。だからといって、あの方ほどは悪魔ではない」

「本当よね。あの方ほど天使のような悪魔の笑顔を持つ人はいないわ」

「その点は俺も驚いた。まさに一般市民に溶け込んでる。全く、いつ見ても驚かされるよ。警察も欺いている点についても同様だ。ところで、例の法案だが、守倉の親父が死んだ今となってはおそらく俺がこの法案の改定を引き受けることになるだろう」

「例の法案って、薬事法改定よね。その薬事法改定って、小児喘息の治療薬よね。それが、錬金術を使って、私たちの利益になるのよね」

「もちろんそうだ。間違っても子供たちの未来のためのものではない。そんなものは建前に過ぎない。でなければわざわざ引き受けたりはしない。俺は慈善事業家ではない。政治家だ。そこを履き違えてもらっては困る。そして、この案件が国会に通れば、一躍俺は裏社会で名前を永久に刻むことになるだろう。そして、その恩恵がこの俺にもたらされるのだ。その時、俺は真の権力を握るのだ」

「なんだか昔の悪者みたいなセリフね」

「さて、これからが忙しくなるぞ。唐津組の調整もしなくてはいけない。といっても、あの方の雇われ店長の身だけどな」

「その点はあなたに任せるわ。だからといって『義援金』の調整も怠らないでね。せっかくハワイに別荘を建てることができたんだから。他にもフランクミュラーの購入やバリにも別荘を建てたいんだから」

「任せておけ。俺にもまだまだ欲しいものはある。まぁ、政治家にとってはなくてはならない感情」だがな。

『コンコン』

ノックの音が響いた。徳地夫妻が音に反応して表情を変えた。

「どうぞ」

「失礼します」

入ってきたのは守倉邸の家政婦であった。

「コーヒーをお持ちしました」

「ありがとう、そこに置いといてくれ」

「かしこまりました、徳地様」

「ありがとう」

いつものように振る舞う徳地夫妻である。

「さて、守倉の父親に恥じない政治活動をしなくてはならないな」


「守倉の跡を継ぐのは、徳地で問題ないんでしょうか」

「そうだ。徳地は守倉の義理の息子だ。裏事情には精通している人物だ。守倉を慕っているかは定かではないが、徳地は強欲の持ち主だ。どんな手を使ってでも権力を手に入れる奴だ」

「なら、引き続き例の薬事法の改定に着手できますね。なんとしてもあの薬を手に入れなければ。あの薬を合法的に使えなければ、我々の未来はない。夢のワンダーランドを築くための大切な薬ですよ」

「随分と子供じみた表現をするものだ。それでも警察官か?」

「私めはノンキャリアのため、そこまでの博識はありません」

「だが悪知恵は効く。常に犯罪と向き合っている人間が、最も完全犯罪を立てやすい。そして、最も適任な職業は警察組織だ。天性の悪知恵の働きを見せるお前が、警察で犯罪と向き合うことで、最高の人材になる」

「褒め言葉として受け取っておきます」

またしても権力者と警察官の怪しげな会合である。

「ねぇ〜、その薬事法改定ってなぁに?」

「お前は知らなくても良いことだ」

「またそのフレーズ?」

 またしても例のキャバ嬢だ。もう一人は唐津組の人間であろうか。


   一九


二月二二日

「何となくなんだけど、引っかかるわね、徳地夫妻。何か隠しているに違いないわ。これは、調査に乗出さなくてはいけないわね。守倉夫人には・・・内緒にしておくべきかしら」

 北条があれこれ考えているときであった。入り口から人の気配がした。だが、その気配ももうすでに何度も受けていたため、事務所に来た人物を簡単に特定した。

「また町沢? 一体この事務所に来るのはこれで何度目?」

 北条は振り返らずにズバッと答えた。

「なんで僕だってわかったんですか?」

「単純的で人生の負け組オーラをまとった人物が来たと察知したからよ」

 本当にこの北条という人物は何者なのだろうか。町沢はこれまでの人生を振り返って、北条みたいな人物には一度もお目にかかったことはなかった。どこか別の世界から来た人なのだろうか。

「それで、用件は何?」

「は、はい。その、守倉一族が次々と殺されていく中で、事件はこれで終わらないような気がします。あの一家には政治家がもう一人います。」

「徳地のことね。私も気にかかっていた事案よ。町沢もよく気が付いたわね。まずは合格点よ」

 町沢は一瞬きょとんとした。北条から合格点をもらえたことが意外だった。この手の人物は人をほめることなどまずしない。やって当たり前という考えなのだろうと思っていた。

「それで、徳地議員のことを僕なりに調べてみました」

 徳地議員。守倉議員とは義理の父親の関係で血は繋がっていないが、自身の息子がお粗末なせいか、政治家である彼を実の息子のように扱っていた。同時に、徳地議員も守倉議員を父親のよう慕っていたらしい。現在は市議会議員であるが、今度の参議院選の立候補に向けて準備をしているとの噂がある。

「唐津組に浸かっていた守倉議員とつるんでいるところをみると、この徳地議員も唐津組と関係がないわけないわ」

 口を開いたのは北条であった。

「ということは、この徳地も唐津組に絡んでいる可能性があるということになります。それに、被害者じゃなくて被疑者の可能性もあるということにもなります」

北条の問いに町沢も答える。

「この男、調べてみる必要があるわ。この徳地、明日自身の講演会があるって話だわ。ちょっと様子を見に行こうと思うわ」

「それなら、僕も行きます。いくらなんでも、これ以上民間人を巻き込むわけにはいかないですよ」

「いや、警察官が行くのは空気が悪くなるわ。すでにあなたの顔は割れているもの」

確かにその通りだ。徳地とは守倉バカ息子殺人事件の時にバッチリ会っていた。だが、町沢にも気になることがあった。

「あの現場に北条さんもいましたよね。なら、北条さんも徳地の講演会に行くのは怪しくないですか」

「私は怪人二十面相も真っ青の変装技術があるのよ。こんな講演会に変装して紛れ込むなんて簡単よ」

 なんとなく納得できる町沢である。

「わかりました。北条さんが徳地議員の後援会に行っている間に、僕は守倉議員の政治活動について洗ってみます」

「それじゃよろしくね」

 町沢はまたしても勢いよく北条の事務所を出た。そして、勢いよくエレベーターのボタンを押すが、反応しない。何度か押しているうちに、下の階行きのボタンが点灯した。


 警視庁に戻ってきた町沢は守倉議員の政策について調べることにした。調査として、守倉議員の後援会事務所に捜査の協力を要請した。政策方針、つまりマニュフェストを提出してもらった。この中の政策のどれかが、唐津組にとって都合がよくなるということか。

 マニフェストを見ると、原子力発電には賛成、消費税増税にも賛成、高校の授業料無償化には反対・・・こうしてみるといかにも普通の議員である。賛否両論はあるにせよ、私利私欲のための政治家ではないことが町沢にもわかった。

 だが、唐津組のための政治をしているとなると、そうも言ってはいられない。唐津組の活動に関わる政策を地道に探すことにした。

 さらに、町沢は知り合いのマル暴に協力をお願いして、唐津組の活動を入手していた。武闘派な活動だけでなく、クラブの営業やおしぼり屋と称したミカジメ料徴取など、多岐にわたる活動をしていた。

 活動内容を見れば、とても政治的背景と関連するものはないもない。法律に関わるものといえば、風営法くらいか。だが、守倉議員の政治経歴には風営法に関する経歴は記録されていなかった。

「本当に守倉議員と唐津組に接点なあんてあるのか?」

 町沢が不思議に思うのも無理はなかった。だが資料を眺めていると、唐津組のある活動経歴が目についた。

「薬事法改定についての推進的活動・・・守倉議員が確か薬事法の改定について率先していたはずだ」

 唐津組は先日、守倉議員が率先している薬事法の改定に待ったをかける医師団に対して威嚇ともとれる行動をとっていた。いわゆる恐喝である。

 そして、守倉議員が率先している薬事法の中身を町沢は調べた。内容として、小児喘息の治療に役立てる薬を使用可能とする法案だ。これまでより強力な薬剤を使用することで小児喘息の治療に効果があるが、副作用として、ごくまれに発作が発生するらしい。最悪、死に至るケースも想定されるそうだ。医師団の中にはこのリスクを避けるべく反対の立場をとっていた。

 ここで町沢は疑問に思った。なぜヤクザが小児喘息の治療の薬の認可を下すような活動をしている。唐津組は慈善事業ではあるまい。可能性があるとすれば、こういう強硬的な採決には必ず反対派の組織が立ち上がる。もしかすると、この反対派組織を排除するために唐津組は活動しているのか。いや、それであれば守倉議員が唐津組に指示したことになる。それでなければ、反対派を恐喝することでビジネスチャンスが転がり込むというのか。

 だが、守倉議員と唐津組の接点となるのはこの薬事法の件に間違いない。町沢は気になって薬に詳しい科捜研に相談することにした。

 科捜研の主任クラスの研究者になると、専用の実験室が与えられる。町沢は、知り合いの実験室へと向かった。

「町沢です。ちょっと、薬のことについて話したいことがあるのですけど」

 科捜研の実験室の奥から出てきたのは、ガスマスクをした人物であった。

「あら、町沢君。いらっしゃい」

「といっても、そのガスマスク姿じゃ誰かわからないっすよ」

「とはいっても、その口調から見ると、私のことをわかって言っているようなものじゃない」

 ガスマスクをしている人物は、この実験室の責任者でもある、三村香苗みむら かなえという女性だ。年齢的に北条と同じくらいであろうか。彼女はガスマスクを外した。頭に巻いていた茶髪パーマの髪がするりと落ちる。科捜研の人間とは思えない美貌の持ち主だ。北条と町沢が潜入捜査した銀座のクラブにいてもおかしくはない。はて、どっかのドラマであったような。

「ところで、なんでガスマスクなんかしているんですか?」

「ふっふっふっふ・・・よくぞ聞いてくれた。そう、劇的な新薬を作っているのだ。それは、犯人がマヒするしびれ薬なのだ!!」

 三村が劇薬の入った瓶を高らかに掲げていた。アニメなら『ジャーン!!』という効果音に背景として太陽の光がぐるぐると回る効果が付きそうなシーンだ。

「で、その薬って何につかうんですか?」

「ふっふっふっふ・・・よくぞ聞いてくれたわ。そう、シュールストレミングと魚の死骸とう〇この臭いと腋臭のオッサンの汗を混ぜ合わせた劇薬を瓶に詰めたのだ。そして、犯人に向けてその缶を破裂させれば、犯人の鼻は耐え難い苦痛に苦しんでマヒする。その間に犯人の身柄を確保できる代物だ」

 なんだか想像しただけで吐き気がしてきた町沢である。読者の皆さんもお食事中なら大変申し訳ない。

「そうだ! この新薬を早速町沢君に試してみるとしよう!!」

「やめてください!!」

 三村が新製品の瓶を町沢の顔に向けた。とっさに町沢は先ほどまで三村がしていたガスマスクを装着しようとした。だが、三村もガスマスクに手を伸ばした。ここからはガスマスクの奪い合いであった。

「なぜ拒むのだね町沢君? 完成すれば一躍世界中に浸透する薬の第一号の実験者という非常に名誉なことなのだよ」

「そんな名誉なことなんかいらないっすよ」

 タジタジの町沢である。

 どうにかして劇薬の被害から逃れることができた町沢は、仕切り直して、科捜研に来た木歴を話した。

「それで、僕が来たのはある薬品のことなんです。今度の国会で決議される薬事法の改正にのだったのですが」

 守倉議員が進めていた薬事法が改正された場合、新たに使用可能な薬品のリストを町沢が机の上においた。

「この中の薬品を使って、ドラッグに似た成分を調合することって、可能ですか」

「そうねぇ・・・」

 三村は髪をかき上げながら考え始める。そのしぐさ中年のオヤジならいちころであろう。モデルにでもなれる美貌を持ちながら、なぜ科捜研に入ったのだろうかと町沢は思う。

「この薬品、新たに小児喘息の治療薬として成果の実証もあるけど、副作用も強いわね。確か発作が出るような・・・はて、これは一般社会に広がっている建前上の理由だったわ」

「そんな裏の副作用なんてものがあるのですか?」

「そうね。公にはできないけど、シンナーやガソリンと似た成分と混ぜ合わせれば、マリファナに似たような幻覚作用を引き起こすことは考えられるわ。ほら、ガソリンスタンドに行くと、なんとも気持ちい臭いってあるじゃない。その高揚感を劇的に高める作用を補助するのに、この薬がもってこいてわけ」

 町沢のにらんだとおりである。つまり、日本でドラッグを合法的に作れるということだ。国が許しているのであれば、マリファナを作り放題、使い放題だ。そうなれば、マリファナ製造レシピを持つ者にとっては莫大な富となる。恐らく、唐津組はその秘伝のレシピを持っているのであろう。ともなれば、唐津組は守倉議員を駒として薬事法の改定に躍起になっていたに違いない。

「町沢君。この薬なら、私の実験室にもあるから試行錯誤でマリファナを合成できるけど、早速作って使用してみる?」

「い、い、い、いらないっすよ」

 三村が科捜研に入った理由。それは、マッドサイエンティストといったところか。確かに、彼女にとっては天職である。

 町沢は逃げるようにして科捜研実験室を後にした。

「もしかして三村さんはマリファナを作成して服用しているせいで、あんなぶっ飛んだ性格になったのか。それだったら、北条さんも・・・いや、『マリファナやってるんですか?』なんて口が裂けても言えないな。言ったら殺されるな」



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