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狙われた町沢と信念を見せる北条


   一〇


「おい、北条! またお前か! お前は犯人逮捕のためなら何をしてもいいのか?」

「はいはいわかりましたよ、梶警部補。あんたの意見が正しい正しい」

「貴様というやつは! 上司に対してその口の利き方はなんだ?」

「形式だけの上司じゃない。仕事の能力としてなら、私はあなたを上司とはみなしてはいないわ」

「ぐぬぬ・・・」

 北条が犯人を逮捕するために、犯人が通っていたバーを丸々買い取り、お客さんのカモフラージュとしてエキストラを二〇人雇った。経費は八〇〇万円であった。なんとも大掛かりなセッティングが功を奏してか、無事に犯人逮捕につながった。

「北条! その八〇〇万円はどこから出てくるんだ?」

「あなたの給料からじゃないの? それに部下の責任を取るのが上司の仕事なんじゃない?」

 北条みこと二六歳、今から五年前の話だ。今はやや長めの髪の毛も五年前はショートカットのボーイッシュな雰囲気が垣間見える。中性的な雰囲気は独特なオーラがあり魅力的にも映っていた。梶警部補の経歴については話しても誰も興味がないと判断し、本編では割愛させていただきます。スピンオフが出るかは乞うご期待。

 豪快な逮捕劇から一夜明け、北条は別の事件の犯人確保に向けて躍起に動いていた。だが、事件のファイルに警察内部で使用されている隠語が書かれていた。それは、警察に圧力がかかっている事件であった。

「北条、お前わかっているのか? この犯人は上層部から圧力がかかっている被疑者だぞ。これ以上の調査はだめだ」

「だったら何なの? あんたの首が飛ぶっていうの? だったら警備会社に再就職すれば? 私は独身だから私の首が飛んでも別にかまわないけど」

「お前という人間は! それでも組織人か? 組織人なら上からの命令は絶対服従だということを知らんのか」

「私は自分が正しいと思ったことをやるまでよ。では、私はこれから聞き込みに行きますので、席を立たせていただきます」

「ぐぬぬ・・・」

 北条は足早にデスクを後にした。行先は、事件の被害者の元であった。上層部から圧力がかけられている事件の被害者だ。

「上層部の圧力に屈しろって? 冗談じゃないわ! 現に事件の被害者がいるのよ。その被害者をみすみす放置しろってことになるわ。一体何のための警察よ。弱いものを守るのが警察の仕事じゃないの? あのサイコー役立たず男!!」

 熱血漢にあふれる北条であった。心の叫びであったはずだが、その声は地下鉄有楽町線の車内で堂々と響いていた。周りにいる人たちは、北条の叫びにただ驚愕するだけであった。

 地下鉄に乗って向かった先は都内の総合病院であった。被害者は三田のアパートに住む女子高生。事件の概要は婦女暴行。つまりはレイプだ。

 事件を受けて被害者の女性は心神喪失としていた。好きな男子生徒とあこがれのファーストキスの夢を、訳の分からないレイプ魔に捧げる結果となったショックは大きい。北条は事情聴取と同じくして、精神的なケアをすることにした。今は男の顔など誰も見たくはない被害者を想定して、北条は単独で女子高生が入院している精神病棟に向かった。精神病棟に入るには、看護師がカギのかかった入り口を開ける仕組みとなっている。下手に外出させると入院患者が何をしでかすかわからないためであろう。だが、被害者は今病院のベッドから出る気力もない。にも拘らず内側からは出られない病棟はかえって悲壮感を増すばかりだ。

「失礼します」

 個室病棟には、事件のショックで表情を失くした一七歳の少女が明後日の方を見ていた。ベットの横には母親が付き添っていたが、被害者と同様にやつれきっていた。

岡井由美おかい ゆみさんですね。私は警視庁捜査一課の北条と申します。私がここに来た理由は一つです。かのにっくき犯人を殺すことを誓うためにここに来ました」

 罪を憎んで人を憎まずの精神からは程遠く、法の精神に則るべきの警察官とは到底思えない北条の発言である。だが、これは女性は誰もが共感するであろう。力で叶わない男性に力で圧倒された。この社会形成は古代から決して変わらないシステムに憤りを覚える女性も少なくはない。

「刑事さんですか」

 母親が小さな声で受け答えをする。

「娘は、見ての通り事件のショックで心が壊れてしまいました。医者からは失言性と診断されました」

 被害者の姿を見て、今の状況では事情聴取は不可能と判断した北条。いつまでもここにいるわけにはいかない。今はそっとしてあげるのが正解であろう。

「お母さん、任せてください。この私が必ず犯人を逮捕します(殺します)。由美ちゃん、次にここに来るときには必ず犯人を逮捕して(殺して)くるわ」

 北条は勇み足で病室を後にした。


「町沢か、なんだか昔の私を見ているみたいだわ。だけど、私みたいな人生にならなきゃいいんだけど。警察という組織は正義を気取った巨大な暴力団。逮捕という権力をぶら下げて弱い民衆に脅しをかける一部の上層部。逆らえば、巨大な歯車に押しつぶされる。かつての私のようにね・・・」

 北条は自身の事務所でハーブティーを飲みながら、待ちゆく人や殺風景な景色を見ていた。


   一一


二月一一日

 町沢から連絡があった。なんでも、とびっきりの情報であるということだ。この前の黒塗りのベンツの男たちの顔が割れたのであろう。そう思い、北条は町沢の到着を自身の事務所で待った。

 約束の時間から遅れること一〇分、町沢が北条の事務所についた。

「遅い! 時間にルーズな男は仕事ができないと相場は決まっているものだ! やはり、町沢は仕事ができないのだな!」

「そんなこと言わないでくださいよ。捜査会議が少し長引いたせいですよ」

「あんたたち公務員はいくら時間を無駄にしようとお金をもらえるけど、私みたいなフリーランスは一秒たりとも時間を無駄にはしたくないのよ」

 タジタジになる町沢である。こうなってはもう何も言い返せない。

「それで、あの黒塗りのベンツに乗っていた人の顔は割れたの? そうだからここに来たんでしょ?」

「はい。僕の同期にマル暴がいるんです。そいつにこの車の写真に乗っている男を見せたんですけど、唐津組の人間であることに間違いありません」

町沢が唐津組の人間につけられている? 町沢は曲がりなりにも警察官だ。つけることのほうがよほどリスクがある。それに町沢は殺人事件を扱う捜査一課だ。組の活動に関連などないはずだ。接点があるとすれば・・・北条がとある推理をした。

「町沢。あんたが唐津組と接点があるとすれば、私と一緒に行ったクラブの店ね。直接の関りはないけど、あのクラブのバックには唐津組の影が潜んでいる可能性が非常に高いわ。町沢、確か例のキャバ嬢と接触したって言ったわね。あなた、まさかあの女に職質をしたとき名刺を渡したんじゃないでしょうね?」

「は、はい。何か尻尾をつかめるんじゃないかと思って、えさを与える目的で渡しました」

 何度かうなずく北条。

「バカね。警察内部に唐津組の関係者がいればどうなるかわからない? 警察内部の人間が唐津組にあなたの情報を流しているってことよ」

 町沢がハッとした。確かに、唐津組には警察内部に協力者がいることは分かっていた。迂闊だった。だが、後悔しても時すでに遅しだ。

「まぁ、安心しな。奴らが本気になれば、あんなたんかとっくの昔に東京湾に沈められているはずだわ。あんたがまだ生きているんなら、連中はあんたを殺す気ではない。それがせめてもの救いね」

 一歩間違えば、殺されていたかもしれないとなる事実をなかなか受け止められなかった。水を飲む町沢の手が震えていたのを北条は見逃さなかった。町沢は何とか平穏を保とうと、話を続けた。

「そして、助手席に座っている男は唐津組の舎弟なんですが、なんと、殺された守倉議員の息子だったんです」

「何だって!? おい、それは本当か?」

 想定外の報告だ。国会議員の息子が暴力団の舎弟? 一体どんなことがあればそんな矛盾した環境になるのだろうか。親が国会議員なら権力の塊であろう。息子は何をしてもおとがめなしであろう。そんな贅沢な環境にいながら、なぜ反社会組織に属しているのだろうか。こればかりは、さすがの北条でも驚きを隠せなかった。

「そうです。実際にマル暴も幹部の人間は知っていますが、末端の人間の顔までは関知していません。守倉議員の息子も実際に車のナンバーから事務所を割り出し、その事務所の構成員を調べたところ、ようやくヒットしました」

「つまり、このバカ息子は唐津組の下っ端ってわけね。それも、その筋の世界でも無名なくらいの」

 町沢がゆっくりとうなずく。

「そこで、人間観察の鋭そうな北条さんなら、この件について何か面白い見解ができるのではないかと思い、この事務所に来ました」

 またか、と北条は思ったが、ここで依頼料を取れば来月まで生活費の心配がいらない。ここは真剣に話を聞いておくとするか。

「確か、この前クラブに行ったときに、唐津組は国会議員を使って自分たちの都合のいい法案を通そうっていう話があったわね。その国会議員は、守倉議員だったのかしら?」

「確証はありません。ただ、リストの中では一〇人程度いる中で名前がありました。あくまで捜査リストに載っていただけで、決定打になる証拠はありません」

 裏社会の人間は、いかに合法的に自分たちの利益を手に入れようかと躍起になっている。だから、もともと違法なものを国会議員を使って法案を変える。あくどいやり方だ。

「気になる点があるわ。ひとつは父親が権力の塊である国会議員にも関わらず、このバカ息子はなぜ暴力団に入っているのか。それも、幹部ではなく使いっぱしり。私の勘だけど、父親を憎んでいた可能性が高いわ」

「憎んでいた?」

「えぇ、国会議員なんて腹黒くなきゃ務まらない仕事だわ。自分の私腹を肥やすために、善良な市民をだますことも日常茶飯事といったところね。父親が善良な市民からお金を巻き上げている光景をまざまざと見せられては、嫌気がさすことは目に見えているわ。それにもうひとつ。殺された守倉議員自身がこの唐津組とパイプが繋がっていることね」

 町沢が驚きの表情を見せる。

「国会議員の方から暴力団とつながっているっていうんですか?」

「あり得る話でしょ。議員は時に汚れの仕事を受けなければいけないものよ。例えば、条例に反対する市民団体とかね。ああいった後始末を裏の人間に頼むのはよくある話だわ」

 北条が推理した二つ目のストーリーを町沢が考えた。行きついた先の答えは・・・

「自分の息子を情報伝達のパイプ役としていた?」

「その可能性が高いわ」

 もし事実であれば、真っ黒な国会議員である。自分の息子を使って反社会的組織とつながっているとすれば、一家もろとも唐津組とつながりがある可能性がある。そうなれば、あのおしとやかな守倉夫人も、極道の妻のように肝の据わった女性ということになる。

「もしその話が本当なら、あの守倉一家は単なる国会議員の一家ではないわ。調べれば裏社会のことが次々出てくるに違いないわね」

 この人に話をして正解だった。警察関係者の話だけではたどり着けなかったに違いない。町沢は北条の探偵の能力を評価していた。そもそも、北条も元はと言えば元警察の人間である。

「話は以上です。貴重な情報をありがとうございます」

「にしても国会議員の実子が暴力団の手下とはね。これに関しては事実だわ。マスコミが嗅ぎつけば間違いなく一面だわ」

「えぇ、このことは誰にも口外しないよう、ご協力をお願いします。では、私は・・・」

「これで帰ります、と言いたいわけ? せっかく貴重な情報を与えたのに、そのまま帰るってのは、ずいぶん話が良すぎると思わない?」

 町沢はキツネにつままれた表情をする。一体この人は何を言っているのだろう? 今の町沢を示す最高のひとことだ。

「あなたは、私に探偵としての能力を買って今日この事務所に来たのね。となれば、依頼料が発生するシステムになるわ」

「えぇ? そ、そんな無茶苦茶な話がありますか? 前回は私個人の依頼でしたが、今回は刑事として来ています。これは警察の事情聴取と同じです。警察が市民に協力するのは当然の義務です」

「なら私も言わせてもらうわ。探偵としての能力を警察は欲している。私はその能力を提供したわ。例え話を聞くだけでも、捜査が進展する有力な見解を示したわ。それに見合う対価も当然必要な分だけ払うものでしょ? それにお金を受け取る以上、依頼者の個人情報は絶対に守るわ。探偵には守秘義務があるもの」

「・・・・・・・・・」

 北条には何を言っても三倍返しにされてしまう。いっそ、弁護士か検察にでもなれば、日本中を席巻するのではないか。町沢の敗訴が確定したため、御礼金として二万円の支払いが執行された。

「領収書は発行しますか?」

「・・・いいえ」

 やや肩を落とした町沢が、ドアを閉める音ですら落ち込んでいると分かるくらい落ち込んでいた。内心、駅前の牛丼が二か月近くは食べることができたであろうと考えていた。だんだん欲しいものの規模が小さくなりつつある。それもそのはず、先日北条に尾行をした依頼料一五万円に、さらに今回の二万円。この一か月は必要最小限の生活しかできない。哀しきサラリーマンだ。


   一二


 警視庁近くの牛丼屋、いつも町沢は牛丼の大盛りを注文するが、気分的に並盛しか注文したくはなかった。節約である。そんな百円しか違わないのに。

 町沢が警視庁に戻って、これまであった経緯を上司の梶に報告しようとした。国会議員が殺された事件を調査していては、なぜか身の危険を感じずにはいられない。

「梶警部、お話があります」

「なんだ? 今度の競馬の本命がようやくわかったのか」

 えぇーい! どいつもこいつも!! もしかして、北条さんの人を食うような性格は、梶警部のせいなのだろうか。それとも、北条さんに感化されたのか。町沢があれこれ推理したが、時間の無駄だと気が付いた。

「梶警部、これはいたって重要な報告です。先日の守倉議員殺人事件ですが・・・」

 その言葉に、梶は眉をひそめた。それと同時に、おちゃらけた空気が一気に重くなった。

「町沢、ちょっと部屋を移そうか」

 二人は誰もいない会議室へと向かった。窓もついていない薄暗い会議室。電気をつけなければ真っ暗な空間だ。梶は会議室に鍵をかけ、鍵がかかっていることを何度も確認した。

「町沢、率直に言う。この国会議員の事件から身を引け」

「は、はい?」

 梶から聞かされたのは想定外の言葉であった。思わず町沢が拍子抜けした声を出す。

「な、なぜでしょうか。警視庁捜査一課たるもの、殺人事件の可能性があれば真っ先に調査するべきです」

「これ以上は俺の口からは言えない。だが、この件に首を突っ込んでは、俺だけではなくお前の首も飛ぶことになる」

「つまり、政治的な背景が絡んでいるのですか?」

「だから言っているであろう、これ以上は俺の口からは言えない」

 事は町沢が自分で思うより深刻だ。政治的背景が絡んでいては、一介の国家公務員の末端では太刀打ちできない。この事件は、ここまで深刻なことなのか。思えば、テレビを見ていても、直接的な原因は報道されていなかった。殺害と分かっているのは、警察内部、北条、そしてクラブにいた唐津組。北条は外すとなれば、この中の誰かが圧力をかけたのか。だとすれば、確かに事件を調査していた町沢がつけられてるのも納得はできる。だが、警察関係者に圧力をかけることなど、よほどの権力者でない限りできない。

「つまり、唐津組関係者である国家の権力者がこの件に圧力をかけているっていうことですか」

「何度も言わせるな、俺からは何も言えない」

 この会議室に盗聴器が仕掛けられていることを考慮してか、上司からは何も言わない構図だ。だが、この状況では確実に警察上層部に圧力をかけている人物がいる。いや、被害者は国会議員だ。ほかの国会議員や代議士の先生のつながりで抹殺された可能性も否定できない。

「町沢、お前は色々とこの事件を嗅ぎまわっているようだが、一部の組織がお前のことをマークしている。そして、俺も守倉議員の葬式に参列していたからか、マークされているようだ。あの時は犯人逮捕に躍起になっていたが、うかつだった。いいか、この会議室から出たら、何事もなくいつもと同じように振舞うんだ。決して国会議員殺しのことは口に出してはいけない。この警察内部にも裏の組織とつながっている人間がいる可能性もある」

「そ、そんなことがあるのですか? 国民の安全と平和を守る警察が反社会的組織と癒着しているだなんて」

「私の階級になればわかることだが、警察は常に犯罪者と向き合っている。時に犯罪組織とも関わる。その時、薬やお金というエサで警察官が犯罪組織の犬となることもある。事実、私の同期も犯罪組織の駒となり、警察内部の情報を漏えいさせた事件が発生したこともある」

 町沢にとっては衝撃的な事実であった。だが、それは自分が無知だからなのか。逆に警察と犯罪組織はなぁなぁでなければ機能しないシステムなのだろうか。

「・・・わかりました」

 この場はうなずくしかなかった。今考えれば、あのベンツに乗っていた唐津組、ならびに守倉議員のバカ息子に狙われていたのも納得できる。確かに、あのまま単独で職質をすれば、守倉議員とあの世で取り調べをする羽目になっていただろう。

 何事もなかったかのように、二人は会議室から出てきた。すると、目の前に新入社員の若くてフレッシュな婦警が挨拶をしてきた。

「お疲れ様です、梶警部」

「やぁ、お疲れ」

(いつものように振舞えって言ったのは、梶警部じゃないかーーー!! なんだそのジェントルマンの対応は!? いつもの対応は「今日も笑顔がかわいいねぇ~、やっぱり若い娘はいいねぇ~きれいな肌はいいねぇ~」じゃねーーーか!!!)

 冷静に考えれば、町沢のほうが熱くなりやすい傾向であることが、お判りいただけるだろう。だが、梶がいつもと態度が違うには理由がある。昔の過ちが記憶から蘇ってきたからだ。蘇ってきた記憶を除去しようと戦うために、余裕のある態度が取れなくなっていた。

(しかし、町沢も北条みたいなやつだな。だが、北条みたいな道には進んでもらいたくはない。あれは、私の間違いだった)

 梶の心遣いに、町沢は気が付かなかった。そして、北条も・・・


  一三


二月一八日

 梶との話し合いから一週間後の午前九時前、町沢は外回りに出ると言い、警視庁を後にした。外回りといっても、町沢は警察官のため名刺を持ってペコペコ頭を下げに行くわけではない。ガサ入れに行くという隠語だ。

 だが、町沢は外回りの表現すら隠語扱いとしていた。ガサに入れに行くのではなく、向かった先は、渋谷にある雑居ビル、すなわち北条の探偵事務所であった。相変わらずボタンの反応が悪いエレベーターに乗り、一一階の北条の事務所のドアを開けた。

「失礼します。北条さん、いますかぁ?」

「いないなら普通カギがかかっているだろうが」

 北条が在籍していた。まぁ、鍵の件は言われてみればそうか、と納得する町沢であった。

「それで、用件は何?」

 前にもこんなやり取りがあったような気がしてならない町沢である。

「は、はい。やはり今回の守倉議員の事件は上層部の圧力でまともな捜査ができません」

 一瞬間が空いた。北条は難しい顔をした後で口を開いた。

「やっぱりね。私が睨んだ通りのストーリーね」

 町沢はこともあろうに、民間人である北条に国家機密を漏らしていた。だが、幸いにも元警察官である北条は警察の体質を見抜いていたためか、さほど驚きはしなかった。これがマスコミに流れれば大問題となる。いや、そもそもマスコミは報道したくてもできないのか。なんともやきもきする展開である。

「守倉議員は事故死じゃなくて殺されたんでしょ? そんなの報道陣の中では話題になってるわよ。圧力がかかっているから下手に口外はできないけど」

「な、なんですって? 北条さんはどうして守倉議員が殺害されたことだけでなく、報道陣の裏情報まで知っているんですか?」

「私立探偵というもの、独自のネットワークがあるわ。私の場合は口の軽い女好きの新聞記者と刑事時代に知り合ってから今日までお世話になっているわ」

「それじゃあ、そのダメ人間みたいな新聞記者から守倉議員殺害や警察への圧力を聞いたってことですか?」

「早い話がそうね。今回の事件だけじゃなくて世の中の事件は報道されていようがされていないが私にはあらゆる情報が入ってくる。マスコミとは個人的なネットワークを持っていたほうがこの業界は非常に役に立つわ」

 北条の考察はこうだ。世の中の権力者は後ろめたい事件が発生すると保身に走るのが古い体質のまま。だから一切の報道を禁止するためマスコミに圧力をかけるのが常套手段になる。言ってしまえば全ての情報を握っているのはマスコミである。世間一般にはマスコミが情報を報じることで初めて情報を得る。だから、世の中の事実を知るだけならマスコミ関連会社に就職することが賢明となる。ただし、情報を漏らせば首となるが。

「それじゃあ、警察の機密情報は一部の民間人には筒抜けだということですか?」

「知らなかった? 警察組織も一部の部外者には丸裸にされているわ。まして、このネット社会ともなればいつどこで誰が見ているかわからない。だから、あなたの行動は常に誰に見られてもいいような行動をとらないと痛い目を見る結果となる。挙句の果てには、誰かが告発するから覚悟することね」

 北条がいれたてのハーブティーを口にして、思考を働かせていた。今日はレモンピールを入れていたせいか、あたりにほんのりとレモンの香りが漂う。

「だからといって、そんな簡単に告発なんてできますか? それに、告発といっても、一体どういうような内容ですか?」

「例えば、今私に報告した守倉議員殺害の件だけど、警察からの圧力がかかっている中であなたは簡単に口にしたわね。これを私が密告したらあなたの人生はどうなると思う?」

 町沢は『しまった』と頭をハンマーで叩かれた衝撃を受けたような感覚を受け、やがて血の気が引くのがわかった。

「まぁ、私はあなたの人生なんか別に気にしちゃいないから何も言わないけど、これからは気を付けることね。口が軽いという理由だけで殺されるケースだってこの世の中では起こり得ることだから」

町沢声を小さく、わかりましたと首を縦に振った。

「まぁ、せっかくだから情報提供のお礼として、私もとっておきの機密を教えてあげるわ」

 北条は、さらにとっておきの情報を町沢に教えることにした。

「知ってた? 梶は一見頑固に見えても情に訴えて何度もお願いすれば折れるのよ。まるでかつての日本軍が上層部に情に訴えて失敗した責任者を何度も起用していたようにね。その結果、どちらも失敗する結末なわけ」

 北条の口から歴史のことが出てきたことに驚く町沢である。

「それじゃあ、もう一度梶警部にお願いすれば流れが変わるかもしれませんね」

「そうね。かつて吉田松陰はこう言っていたわ『お願いです。お願いですから一度失敗しただけであきらめないでください』ってね。だからあなたも一回断られたくらいであきらめちゃだめよ」

 今日の北条はおかしい。なぜこれだけ教養深いコメントが次から次へと出てくるのだろうか。普通女性がこの手のいい言葉はドラマや映画から引用するものだが、北条は違った。

「わかりました。もう一度梶警部にお願いをしてみます。ところで北条さん。今日の北条さんは哲学的な面がすごく出ているような。何かあったんですか?」

「別に変わったことはしてないわ。どちらかといえば低俗なゴシップ誌を読むよりは考えさせられる本を読むのが好きなだけよ。これは独立してフリーランスになればわかることだけど、一秒たりとも人生の時間を無駄にはしたくないの。だから、自分のためにならないことは一切興味がないわ。例えば、芸能人が覚せい剤で捕まった事件を延々と語っているワイドショーなんかを見ていては、時間をどぶに捨てているのと同じなのよ」

 どことなく共感できる町沢である。もしかしたら自身に恋人がいないのもデートにかける時間より仕事をしていたい自分がいるのかもしれないと。

「まぁ、あんたに恋人がいないのは単にモテないだけだと思うけどね」

「わあぁぁぁ! なんでわかったんですか」

「それは女の勘と人相学よ。どうせ自分の非になるところを無理やり明るくしたかったんでしょ? そんな顔をしていたもの。それであなたの生活ぶりを曲がりなりにも観察させてもらったけど、きっと一人でいるのは仕事が好きだからほかのことには一切興味がない自分を肯定したいのだなって思ったわけ」

 いっそ探偵事務所ではなくて占い師か人生相談屋にでもなれば一躍有名になるのではないだろうか。いや、フリーランスになるにはありとあらゆる能力にたけていなければ務まらない仕事なのだろうとも町沢は思った。

「ともあれ、早く仕事に戻ってこの事件を解決してほしいわ。それで今回の顧問料は見逃してあげるから」

「えぇ? 本当だったらこれだけでもお金を取るつもりだったんですか?」

「当たり前だ。私の時間は全て仕事の時間だ。その時間を奪ったお前はそれに見合う対価を支払う必要がある」

 なんだかんだ言っても、今回はお金が出ていかないことにほっとしている町沢である。

「は、はい。わかりました。なんとしてもこの事件を解決して見せます」

 町沢は勢いよくドアを閉めて出ていった。北条はハーブティーを堪能しながらビルから出ていく町沢を眺めていた。

「まだ警察に圧力をかける害虫がいたのね。五年経ってもいまだに暗躍しているだなんて腹立たしいわ」

 北条の持つティーカップが微かに震えていた。



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