一夫多妻罪
「ぐわぁあああ!」
夕暮れ時の目抜通りに男の叫び声がこだまする。
どこかの路地裏からであろうか、その声は若干の反響と共に、カフェのオープンテラスでくつろいでいた僕の耳に届いた。
「っ!」
明らかに緊急事態だ。
僕は飲みかけのティーカップを机に叩きつけるように置きながら立ち上がった。
通り魔か何かであれば一人で立ち向かうのも難しいかもと思い、加勢を頼もうと周囲を見渡す。
満席とまでは言えないものの、まばらに座っている他の客たちは誰もが落ち着きを払っていた。
不快そうに眉をしかめている者も居るには居るのだが、さも日常であるといった具合でしかない。叫び声など気にも留めずにティーカップをすする者が大勢である。
砂漠地帯特有の乾いた風が通り抜けているのみであった。
そんな異様な光景にたじろいでいると、斜め後ろの席に座っていた老人に声をかけられる。
「お兄さん、急に立ち上がってどうしたのかね」
落ち着いた声で尋ねられた僕は、動揺しながら答えを返す。
「えっ、いや、男の人の叫び声が……あっ、助けに行かないと!」
周囲の状況に流されていたものの、緊急事態なことには変わっていない。そのことを思い出して駆け出そうとした僕を、彼は立ち上がって近づいてきながら手で制してきた。
「なるほどのぅ、大丈夫じゃて、落ち着きなされ。この街ではよくある、そうさな、捕り物じゃよ」
老人の言葉を脳内で噛み砕き、自身の考え違いに気づく。なるほど、誰かが犯罪者に襲われてるのではなく、犯罪者を逮捕とか制裁しているのか。
そういうことなら、この落ち着いた雰囲気も腑に落ちる。
すっかり安心した僕は、立ち上がった拍子に倒れていた椅子を元の位置に戻しながら座り直す。
老人もあわせるかのように、自分の椅子を引き寄せて着席した。
同席してもよいかというジェスチャーに、僕は目礼で頷く。この老人は状況を知っているようなのでこちらとしても色々と聞いてみたかった。
「ああ、取り締まりか何かがあったんですね。教えていただいてありがとうございました」
改めて、老人の方に向き直り、感謝を述べる。
テーブルを挟んで向かい合うように対峙した彼は、苦労をされたのだろう、皺まみれの紳士然とした人物であり、僕は自然と背筋を伸ばして対応する。
「なんのなんの、お兄さんは余所から来られたんじゃろ。それなら知らなくて当然じゃわい。観光旅行かの?」
「ああ、いえ、初めは数日の観光だけのつもりだったんですが。この街の雰囲気が気に入りまして。短い期間だけでも住まわせてもらおうかと、ついさっき役場に届け出を出したところです」
そう告げると、老人は一瞬驚愕の表情を見せ、すぐに破顔、哄笑しながら僕の肩を叩く。
「ほっほっ、それはいい! なんなら短い期間と言わず、一生をここで過ごしなされ。犯罪には厳しいが、それも含めて住みやすい良い街じゃぞ」
「ははっ、検討してみますね。……それにしても皆さん、落ち着いていらっしゃるようで、今日そういった逮捕があるとご存じだったのですか?」
「うむ、そこの広場に多きな掲示板があるじゃろ? そこで本日の夕方に逮捕を行うことが周知されておったのよ」
老人が指差す方を見てみると、広場中央にある井戸の向こう側、成人男性よりも背の高い掲示板がある。様々な情報が見られるなら後で近くまで行ってみようと思いながら、気になったことを尋ねてみる。
「なるほど、後で見に行ってみます。ちなみに、捕まった男の罪状は何だったのでしょう? 大々的に周知しているとなると、犯人も逃げ出しそうなものですが」
「うむ、彼奴の罪状は、一夫多妻罪と書いてあったの。よくある、というほど多いわけではないが……割合にひっかかる輩が多い罪状じゃな」
「一夫多妻罪、ですか……。この街では複数の妻を娶ることが罪なのですか?」
路上に見える男性は少ないものの、周囲を女性が取り囲んでおり、とても一夫多妻が禁じられているようには見えなかったのだがと僕は首をひねる。
「いやいや、この街では一夫多妻を認めておるよ。男より女の数のが多くなってしまっている状況をなんとかするためにのぅ」
「確か、砂漠の開拓とかで男手が持っていかれたんでしたか」
街を歩く人たちも女性ばかりで、男性はほとんど見かけない。
ここに住むと決めたのも、そうしたハーレムの王みたいな立場になれないだろうかという下心が大きかった。ここの住民として結婚すれば、合法的に複数の嫁を連れ帰れると、僕は心の中で下卑た笑みを浮かべる。
「ほっほっ、よく勉強しておる。素晴らしい心掛けじゃのぅ」
「これから住む場所ですから。ほんの少しだけではありますが、勉強させていただきました」
うむうむと老人は頷く。
街について知ってもらえるのが嬉しいのだろう、上機嫌な様子が見てとれる。
「……さて、どうやら捕り物が終わったようじゃな」
広場の向こうから屈強な女性陣が一人の男を連行しているのが視界に写る。うなだれた男性の姿を見るに、老人の言ったとおりの逮捕劇があったのだろう。
その光景を見ながら、そういえば分からないことがあったのだと、僕は老人に尋ねた。
「結局、一夫多妻罪とはどのような罪なのでしょうか?」
老人は薄く、薄く笑った。
一拍の沈黙の後、彼は遠い目をしながら答えた。
「……男性住民に適用される罰則付きの法令でな。妻が規定人数に満たない場合に無理やり結婚させるものじゃよ」
「……は?」
言っていることの意味がすぐさま理解できなかった。
そんな僕をしり目に、老人は言葉を続ける。
「全ての妻との間に子をもうけるまで、この街から出ることができぬ。男性は女性に対して平等に愛を注ぐことが厳命されており、毎年、女性陣から希望者を募る制度じゃ。少子化対策として行政が打ち出しているものでの、残念ながら拒否することはできぬ」
理解が追いつかない。
頭の中で今の言葉を反芻する。
「……お兄さんくらいの年齢ならば立候補者は3桁を超えるじゃろうなぁ」
老人は哀れみをたたえた表情で、そう呟いた。
「儂も歳でな、新しい男性が住民になってくれるのは有難い」
今の僕はこの街の住民であり、つまり老人の言葉どおりならば――。
「いたぞ! 新鮮な男住民だ!」
誰かが呼び声をあげる。
その少し後、夕暮れ時の目抜通りに男の叫び声がこだました。