6 助けたいとは言ったけど
遠くでもうもうと上がる狼煙と、地鳴りから伝わる巨大な生物の存在。
どうやらここにいてはならないモンスターが、凪の影響で出現したらしい。
「こうなるから凪の時期に動くのは嫌なんだよ!」
悪態をつきながら、俺は音の出所と俺たちとの距離を推測する。
地響きと空気が震えて鳴る音にラグがある。
狼煙の位置を見ても、まだもう少し余裕はありそうだ。
トーマスとアリソンの表情を伺うと、いずれも緊迫した表情に変わっていた。
だが恐れは見当たらない。
流石、死線をくぐり抜けてきただけのことはあるな。
「……参ったわね。話こそしてたけど、まさか異界に繰り出した初っぱなからイレギュラーに出くわすなんて思いもしなかったわ」
「だーから言ったろ? こういうことになるから異界は油断大敵なんだって!」
また轟音が響いた。それに続いて、女性の悲鳴らしき声も聞こえた。
ちらりと音の方角を見る。
木々に阻まれて何が起きているのかまでは分からなかったが、どうやら酷いことになっているのは間違いなさそうだ。
「現状を嘆いていても仕方ない。今できることを考えよう」
「できること、ですかー? そんなの、逃げるしかないんじゃー……」
ああ、トーマスはそういうタイプか。
分かるよ。俺だって本当はそういうルートに即断即決したい。
だが、仮にも一流冒険者だった者として、そういう態度でいるわけにはいかない。
「違う。これから考えるべきは、どうやって安全に助けるか、だ」
「……助けるー?」
怪訝そうな表情のトーマス。一方のアリソンは、得意げな表情で俺の方を見つめていた。
一体どういう感情の表情なんだよそれは。……まあ、いい。
「ああ。エメラルド狼燧が上がったということは、それを上げた冒険者がいたということだ。つまり今、どこかの冒険者パーティが突然発生したモンスターによってピンチになっている!」
冒険者ギルドには、探索中に近くのエリアでエメラルド狼燧が上がった場合、救援に向かわなければならないという努力義務がある。もっとも、自分に命の危険があると判断した場合は救援しなくて良いというルールがあるせいで、実質形骸化しているシステムではあるのだが。
「恐らくこの近隣に、フレスベンから来た他の冒険者パーティはいないだろう。『凪』というチャンスにわざわざ普段でも攻略できるこの異界を選ぶ理由がない。逆に、アルタイラスから来た冒険者パーティは、この緊急時に頼りにできるとは言いがたい……」
「つまり?」
「つまり、俺たち以外に助けられる人間はいないだろうということだ。俺たちが未完成なパーティだということを加味してもな」
――――だが、形骸化したシステムだろうと、それが人を助けに行かない理由にはならない。
恐らく今回襲われたのは、そうやって『凪』のシーズンを好機と思い身の丈に合わない異界の踏破を目論んだ三流パーティの一党だろう。というかそうでなくては困る。
『貪肉緑地帯』が実力相応なパーティとか、戯れに『貪肉緑地帯』に繰り出した一流パーティがやられたのだとしたら、俺たちにだってどうしようもない。
「というわけで、二人にはこれからちょっと無理に付き合ってもらいたんだが……」
「僕は全然大丈夫ですよー! 生まれたときから、無理なんていつでもしっぱなしでしたっしー!」
そりゃお前はそうだろうがよ。というか自覚あったのか。
「私も構わないわ。むしろ嬉しいくらいよ! ヴィンセントのことだから、ここは大事を取って撤退しようとか言うと思ってたから!」
「俺を何だと思ってるんだ。そこまで自己中な性格じゃねえよ」
助けに行く理由は結局寝覚めが悪いからに集約するから、その意味ではあくまで自分のためと言えるかもしれないけどな。
「とはいえ、無闇に命を危険に晒すつもりはない。敵モンスターを見つけたら、すぐに俺の『目』でそいつの脅威を測定する。その結果、いけそうなら戦うし……辛そうなら、俺は撤退する道を選ぶ」
今の時点では、ベットしているのはあくまで他人の命だ。
分の悪い賭けに、大切な仲間の命をレイズするつもりはない。
「そういえば、ヴィンセントの目はモンスター相手にも通用するんだったわね」
「ああ。基本的なモンスターの基礎能力は大体頭にたたき込んであるから、それと固有の才能を掛け合わせれば大体の戦力は測定可能だ」
「……さらっとモンスターの基礎能力は頭にたたき込んであるって言いましたけどー……モンスターってざっと三千種類はいると思うんですけどー?」
「たかが数千だろ。冒険者なら暗記して当然だ。そもそも十年もこの世界で生きてりゃ勝手に覚える」
「す、すごい……やはりヴィンセント氏はすごいですー!」
偉そうなことを言ったが、ぶっちゃけ三千のうち千種類くらいは頭に入ってない。
なのでその千に来られると非常に恥ずかしい思いをすることになる。頼むから来ないでくれよー?
普通大型になりやすいモンスターは大体頭に入ってるから、多分大丈夫だと思うんだけどなー?
「しかし問題は森という環境だな。視界が悪くて、よっぽど近づかないと目の力を使えない。俺の身体能力は二人より低いから、うっかり近づきすぎるとそれだけで致命傷に……」
「見ることさえできればいいのよね?」
「? ……ああ、そうだが……」
なんだろう。アリソンが浮かべる不気味な笑顔に嫌な予感しかしない。
「ねえ、ヴィンセント。多分向こうにいるモンスターって、相当大きな生き物なのよね? 視界さえ開ければ、遠くからでも見渡せるような――――」
「アリソンお前……一体何をする気だ?」
「トーマス君にも手伝ってもらうわよ! 大丈夫、危なくならないように努力するから!」
「危なくなる前提なのかよ! おい馬鹿、やめろ、一体何をする気――――」
俺は抵抗しようとしたが、アリソンの馬鹿力に勝てるはずがなかった。
そして。
「というわけで、これから私とトーマス君で、ヴィンセントの体を頭上高くに放り投げるわ! 異論はないわね、ヴィンセント!」
「ありまくりだバ――――「ないようなので安心したわ」
アリソンはトーマスに俺を拘束させた上で、とんでもないことを提案……いや、強行採決しやがった。
「私たちが今いる場所は、運良く障害になる木々が少なめよ。だから、放り投げれば木々に邪魔されることなく一面見渡せる高さまで行けるでしょう。貴方は空を飛んでいる内に、目につく大型モンスターの才能をざっと確認すればいい」
「飛ばされながらそんなもの確認できるか! というか俺はお前らほど丈夫じゃないんだぞ!? 落ちたらどうするんだよ!」
「心配しないで? ちゃんと私がキャッチしてあげるから!」
「キャッチされたって衝撃自体は変わらないと思うんだけど!?」
「何よヴィンセント。仲間を信じられないっていうの? 少しは仲間を信頼することを覚えなさいって、私前にも言ったわよね?」
「ここで信頼の押し売りするのは人間としてどうかと思うぞ!」
たちの悪い口八丁の使い方覚えやがって。
「というかトーマス! お前もなんでアリソンの言われるがままなんだよ! ちょっとはためらえ!」
「……僕が、お二人のどこを尊敬しているのか言ってませんでしたねー……」
「ん?」
「僕はアリソン氏のことを、超美人だと思っていますー!」
「知らねえよ! 急に何の話だ!?」
「逆に聞きますがヴィンセント氏、自分が最高に美人だと思う女性に頼み事をされて断れる男子がこの世にいるでしょうかー!?」
「てめえ!」
真面目な顔して言うことじゃねえよ! いや真面目な顔でもねえな!
なんだその腑抜けた面は!
「というわけで行くわよ。三、二――――」
アリソンの手が、トーマスによって持ち上げられた俺の足にかかる。
おいおい。本気でやる気なのかよ。
「一―――――」
「ちょ、ちょっと待て、せめて心の準備を――――」
「よいしょおおおおおっっっ!!」
「ぎゃあああああっっっ!!」
俺が想定していたより、俺の体は数倍ほど高く飛び上がった。
大体目算で百メートルくらいだ。
ぐんぐんと遠くなっていく森の緑が、そのまま落下時の苦しみと比例しているような気がして、血の気が限りなく引いていく。
風を感じる。こんな形で感じたくはなかった。
自分が鳥になったような気分を味わった。こんな形で味わいたくはなかった。
(くそっ……こうなったら覚悟を決めろ! 死ぬにしても無駄に終わってたまるかっ……!)
空中で身動きを取るのは難しかったが、俺はなんとか体を捻って周囲を見渡す。
そして見つけた。
轟音が響いた方角に、森の木々を踏みつぶしながら揺れ動く巨大蠕虫がいることを。
「巨大蠕虫はこの森に生息していないはず……あれが今回のイレギュラーか!」
巨大蠕虫は、全長20メートルほどの、巨大なミミズのようなモンスターだ。
でかい分しぶとくて厄介だが、身動きは遅いので脅威度はそこまで高くない。
才能さえ確認できれば、巨大蠕虫の危険度は十分推測できるだろう。
「『人を見る目』!!」
目の力を作動させ、奴の才能を読み取ろうとする。
ちょうどその時、俺の体は最大高度に到達し――――すぐに、背筋が凍るような落下体験を味わうこととなる。
「……っ!」
やばい。なんだこれ。今まで生まれてこの方ここまでの高度に打ち上げられたことなかったから全く未知の領域だ。
全身が恐怖で涼んでいくような、不気味な感触を覚える。とても気分の良いものじゃない。
特に股間のあたりが涼しい。気持ち悪い。なんだこれ。なんだこれ。
っていうかこのまま落ちたら本当に死ぬじゃねえか! アリソンは一体何やってるんだよ!
早く俺のことを迎えに来てくれ、じゃないと――――
「ふふ、お待たせしたわね!」
その時、俺の背中と腰に回される頼もしい腕の感触。
飛び上がったアリソンが、俺の体を抱きかかえるように掴んでくれたのだ。
「アリソン!」
「さあ、落下の瞬間は気合入れなさい! ちょーっとだけ衝撃が走るかもしれないから!」
アリソンにしっかり抱きかかえられたまま、俺は森の中に着地する。
有言実行と言うべきか、アリソンの手際は非常に素晴らしく、あれだけの高さから落ちたにもかかわらず衝撃は殆ど感じられなかった。
恐らく……膝のサスペンションなどを駆使してできるだけ俺に衝撃が伝わらないよう配慮してくれたのだろう。
舌を巻くべきはアリソンの技巧と、人に対する思いやりの精神だな。
「流石だな、アリソン」
「言ったでしょ、仲間を信頼しなさいって。私の仕事だもの。完璧にやるわよ」
アリソンはにっこり笑うと、信頼を帯びた目で俺の顔をじっと見る。
「さあ、次はヴィンセントの番よ。貴方も貴方の仕事を完璧にやったのよね?」
「……ああ」
俺だって、文句を言うばっかりじゃない。
やるとなったら、たとえ不本意でも仕事はしっかりする。
ただでさえ出来ることの少ない俺だ。
せめて自分の専門分野の仕事くらいこなせなければ、何の存在意義があるというのか。
俺は軽く咳払いしてから、トーマスとアリソンの顔を交互に見て、口を開いた。
「相手は巨大蠕虫だ。そして俺たちなら――――大丈夫、勝てる」




