40 次なる悪夢(1)
その後。俺は一旦彼女を一人にすることにして部屋を離れた。
元気を取り戻したシャーロットがいつも通りの明るい笑顔で厨房に姿を現したのは、それから一時間ほど後のこと。
「お待たせしました!」
すっかり元気を取り戻した様子のシャーロットに、俺たちはひとまず安心する。
良かった。完璧かどうかはともかくとして、俺の言葉も少しは彼女の助けになったようだ。
「ご心配をおかけしてすみません! さあ、残りの片付けぱぱっと済ませちゃいましょう!」
「おう!」
「そうだね……
「ちゃちゃっと終わらせて、明日からの本営業に備えましょう!」
こうしてシャーロットも揃ったところで、俺たちの清掃活動はより一層加速し――――午後六時、ついに俺たちは厨房と客席から全ての毒砂を除去することに成功した。
「でも、うっかり見逃してたら砂が混じってたらどうしよう……」
「やめろ! そういうことは考えるんじゃない!」
時刻はちょうど夕餉時。
ゼルシアが作ってくれた大鍋のミネストローネを囲みながら、俺たちは空腹を癒やしていた。
そんな中ぽつりとアリソンが呟いた一言が、朗らかな場の空気に激震を走らせることになる。
「だって、砂を全部どけたって言っても、それは目視で確認しただけじゃない? もしかしたらうっかり見逃していた砂が何かのきっかけに巻き上げられて口の中に入ったりとか……」
「そうならないために一日かけてチェックしたんだから、今更そんな後ろ向きなこと考えたって仕方ないだろ!」
本当こいつは……普段は脳天気で楽天的なのに、たまに発作的にネガティブを極めるのどうにかならないのか。
「これだけしっかりチェックした上での『万が一』なんて、もう人間の対応できる範囲を超えてるぞ。そんなの通りすがりの毒蜘蛛が偶然スープに入ったの警戒するのと同レベルだ」
「じゃあ、万が一のことに怖がりながらいなきゃいけないってことにならないかしら?」
「だからってどうすりゃいいんだよ。家を建て直すか? それとも引っ越すか?」
「……」
黙り込むアリソン。入れ替わるように、次はシャーロットが口を開いた。
「ヴィンセントさんの『血』は、毒に対する抗体になるんですよね?」
「ああ。なんなら瓶一本分くらいここに置いていこうか? いざというときに備えて、あるだけで安心感が違うだろ」
「そ、それはありがたいんですけど……私を『抗体』にすることってできないんでしょうか?」
「!」
まあ、そういう展開になるのは想定の範囲内だな。
「ほ、ほら。もし私の体が薬代わりになるなら、毒のことでピリピリする必要もなくなるわけですし……」
「体を『抗体』にするには、ロドヴィーゴが作った純粋な毒が一定量必要だ」
「あっ、そ、そうなんですか」
「まあ、『殲滅団』メンバーは各自ロドヴィーゴの『毒』をそれぞれ少量ずつ分配されてるから、同じような手順で抗体化処置をできないわけじゃないんだが……だとしても、『抗体』化するのはお勧めしないな」
俺は腕をまくり上げ、肩の部分をさらけ出す。
そこに刻まれた十字の傷を指し示すと、シャーロットは目を繰り返し瞬かせた。
「凄い傷! 冒険中についた傷ですか!? そのエピソードは知らないです!」
「冒険中じゃない。抗体化する時についた傷だよ」
傷跡を指で押さえると、疼くような痛みが腕全体に広がった。
今でも治りきってはいないようだ。
「『抗体』化をお勧めしない理由はただひとつ。単純にすっげえ痛いんだ。大体一週間くらいはろくに身動きできなくなるし、一ヶ月は全身を定期的に激しい痛みが襲う。生活に支障がなくなるまでは四半年くらいはかかると思った方がいい」
「ええ……」
「俺が抗体化を試す前は、他にもやってみたいと言ってる奴いたんだけどな」
あまりの痛みに俺が身もだえする姿を見ると、みんな潮が引くように手を下ろした。
それが、『殲滅団』で『抗体』を持っているのが俺一人しかいない理由だ。
「ヴィンセントさんは、初めからそうなるって知ってたんですか?」
「ん? まあ、相当痛いってくらいはな。三ヶ月も尾を引いたのは、流石に予想外だったけど」
「それでよくやろうと思いましたね」
「誰かがやらないといけないことだからな。そして誰かがやるなら、俺しかいなかった」
俺が体に毒を取り込んだのは、まだレイチェルが加入していない頃。
だが完成しつつあったチームの中で、俺の役割について少し悩み出した頃でもあった。
きっと内心どこかで、お荷物として放り出される未来を想起していたのだろう。
だから少しでも自分に価値を作り出すために、自ら抗体となることを買って出た。その時は意識していなかったけど、今思うと要するにそういう思考回路だったんだろうな。
ま、結局あんまり意味はなかったんだけどな。
「ま、俺の血があればそれで事足りるんだから、わざわざ酷い思いをする必要もないさ。そもそも毒が混入すること自体もうないと思うけど――――」
言いながら、俺がミネストローネのお代わりをよそおうとした時、店のドアがゆっくり開いた。
誰かと思ったら、ディエゴだった。
「ディエゴか。何しに来た?」
「ひとつは質問、ひとつは報告やな」
? なんだか、穏やかじゃない雰囲気だな。
何を持ち込もうとしているのかは知らないが、折角安らぎの食事を楽しもうとしている時に空気の読めない奴だ。
「質問から先にいくで」
「端的に済ませてくれよ」
「君ら、ドルゲル=ローズマリーの遺体をどこにやった?」
「……は?」
どこって……言われた通り外に出したはずだが。
「治安課の職員が昼に遺体を取りに行ったら、どこにもそれらしいものがなかったって言ってたで」
「なんだと? 俺は確かに、奴の死体を外に出し……」
そこで俺は、嫌な予感に思い至る。
そういえば、完全に死んだと思って適当に放り投げていたが……。
「……死んでなかった可能性って、あると思うか?」
「んー? いや、君」
「あのときの俺はそれどころじゃなかったんだよ!」
徹夜でフラフラ、しかもタコ殴りにされた直後で、あのときの俺は正直健康な状態だったとは言いがたい。
そんな状態で土嚢のような男を運ばされたのだ。
正直脈もろくに測っていないし、なんとなくひんやりしていたような体を無理やり外に持っていくだけで精一杯だった。
死んだという前提で話が進んでいたから死んだつもりで放り投げたが、もしあれが生きていたなら……。
「隙を見て、逃げられたかも……」
「はあ? 何してるん?」
ディエゴは呆れたような目で俺をじっと見た。
うっ……これについては言い訳こそ出てくるものの、弁明のしようもない!
「もしかしたら、誰か別の人間に死体を盗まれたのかもしれないけど……もしそうじゃなくて、普通に盗まれただけだったとしたら……その……すまん」
しばらく黙って眉をひそめていたディエゴだったが、やがて何かを思いついたように手を打って、首を横に振った。
「……いや。そういうことなら、かえって好都合やったかもしれへん」
「好都合?」
「もしローズマリーが生きているなら、そいつをとっ捕まえたらまたなんかの手がかりが見つかるかもしれへんからな」
「? ちょっと待て。それってどういう――――」
俺の質問を遮るように、ディエゴの掠れた声が部屋に響いた。
「質問は終わって次は報告や。ロドヴィーゴ=エステラントが死んだ」
「……は?」
最初俺は、ディエゴが何を言っているのか理解できなかった。
死んだ?
ロドヴィーゴが?
なんで?
「お、おい。それどういうことだよ。まさか自殺……」
「いいや。多分違うと思うで。奴はつい数十分前、取調中の椅子の上で泡吹いて死んだんやけど、その直前に変なことを言うてた。『やめろ』『オレを殺す気か』『離してくれ』……ってな」
『離してくれ』? 妙だな。
「羽交い締めか何かにしてたのか?」
「いいや。勿論両手は縄で縛っておいたけど、それ以外は特に拘束はなしや。そもそも取り調べしてた職員と奴との距離もそれなりに空いてた。それで突然死ぬんやから、こっちとしても意味が分からなくて困ってたんや」
「……泡吹いて死んだ、って言ったよな。もう少し詳しく説明できるか?」
「詳しくも何も、口から泡吹いて、目を痙攣させたかと思うと、そのまま石のように全身を硬直させて次の瞬間には死んでたんや。
「……」
その時、ある仮説が俺の脳裏をよぎり、寒々しい思いが全身を支配する。
ここ最近、こんなことばかりだ。
「まさか……」
「なんか、心当たりがありそうやな」
『殲滅団』を離れて、距離を取ったおかげで見えてきたのか。
それとも俺がいなくなったことで、『殲滅団』の箍が外れてきたのか。
いずれにせよ、大切だと思っていた元仲間の悪しき面を続けざまに見せつけられると、流石の俺も疲弊してくる。
「恐らく、恐らくだが――――」
俺は吐き出すように淡々と、確信に近い仮定を口に出した。
「……ロドヴィーゴを殺したのは、『暁の殲滅団』の中の誰かだ」
どうしてこんな推理、よりにもよってこの俺が言わなくちゃならないんだ。
だがこれを言えるのは俺しかいない。
『殲滅団』の才能も、内情も、そして彼らの人間性も。
この場で知っているのは、ただ俺一人なのだから。




