39 少女の中身(2)
シャーロットの部屋の前に来て、扉をノックする。
反応はない。だがドアの向こう側から漂ってくる人の気配から、彼女が部屋の中にいることは分かった。
「いるか? シャーロット」
相変わらず反応はない。
きっとそれだけ、人前であの才能を使ったのが苦痛だったんだろう。
だったら何よりもまず最初に、言わなきゃならないことがある。
「ありがとう。あのとき俺を助けてくれて」
がたりと、戸棚が揺れる音がして、続いて部屋の奥から、こちらに近づいてくるような足音が聞こえた。
相変わらず出てくることはないが、聞く体勢だけは整えてくれたようだ。
「シャーロットがあのとき出てきてくれなかったら、俺はあのまま殺されていたかも知れない。今俺がなんとか命を繋げているのは、シャーロットの勇気のおかげだよ」
「……」
あのとき、俺の命は本当に危うかった。
俺に毒は効かないが、殴られたって人は死ぬ。
俺への怒りで我を忘れたロドヴィーゴは、俺ではとても止められるものじゃなかった。
「だから本当は、顔を見て直接言いたいんだけど……」
「……別に、たいしたことはしてないです。私は私にできることをしただけですから」
部屋の中から、シャーロットの声が聞こえた。
覇気のない声だったが、生存が確認できたので一安心だ。
「大したことしてないって思うなら、出てきて顔を見せてくれよ。俺はどうしても、お前が大したことをしてしまったと思ってるんじゃないかと心配になってしまうんだ」
自分でも何言ってんだか分からないような物言いになってしまったが、シャーロットにちゃんと言いたいことは伝わっただろうか?
「……心配しなくても、別にそこまで落ち込んでるわけじゃないですよ。大丈夫です。そうじゃなくて、ただ……」
「ただ、なんだ?」
「……あの。ヴィンセントさんは、私の……ああなった姿を見て、どう思いましたか?」
扉の向こうから、彼女の緊張感が伝わっている。
実際、落ち込んでいるってわけじゃないんだろう。
どちらかというと彼女が今いるのはその前段階。きっと彼女は怖いんだ。
感情任せに、化け物としての姿を晒してしまった。またかつてと同じように、周りから拒絶されるんじゃないかって。
だったら、かけてやるべき言葉はひとつしかない。
「どうって、なんとも。前から聞いてたし、中身を知ってるし。姿形が変わるくらいで、俺は印象を変えたりしないよ」
「……」
その恐怖を前もって取り去ってやるための言葉だ。
「いいか。あの場でシャーロットの変身をはっきり目撃していたのは俺とロドヴィーゴくらいだ。ゼルシアは毒にやられてそれどころじゃなかったし、アリソンは大分遅れてやってきた。そしてロドヴィーゴの奴とあんたとが顔を合わせることは二度とないだろう。つまり実質、あんたの変身を気に掛けうるのは俺だけだったということだ。そして、その俺が気にしてないと言ってるんだから」
「私は」
絞るような声音。声色に混じる僅かな憤り。
「ヴィンセントさんの『特例』を聞きたいんじゃありません……!」
俺は思わず一歩後ろに下がった。
別に見られているわけでもないというのに、我ながらおかしな行動だ。
「特例……?」
「ヴィンセントさんは、本当にいい人だと……思います。誰かのために、いつでも一生懸命で。いつだって相手に親身になれるように接しているのが伝わってきますし、今日もきっと、そういう言葉をかけてくれると思いました」
「い、いやいや……それはちょっと俺のこと買いかぶりすぎじゃないか?」
「だけど、誰もがヴィンセントさんのように物事を肯定的に見てくれるわけじゃないんです」
俺にはとてもそうは思えなかったが、どうやらシャーロットにとって、俺の価値観は特別甘いものらしい。
そうなってくると、彼女をどう励ましたものか参ったな。
「私、生まれた町を離れるときに、絶対にこの才能は二度と使わないと心に誓いました。この才能は私の周りから人を遠ざけ、私を不幸にしてしまう力だから……と。なのに今日、私はまたこの才能を感情にまかせて使ってしまったんです」
俺は黙ってシャーロットの言葉を聞くことにした。
俺からの相槌がなかったのを見計らって、彼女は淡々と続ける。
「今回は、たまたま見ていたのがヴィンセントさんだけだったから、たまたま何事もなく終わりました。だけど、次また同じ過ちを犯したときに、近くにいてくれる人に恵まれるとは限らないんです。もし何か間違えたら、その時は私、大切なものをなくしてしまうかもしれません」
なるほど。
小耳に挟んだだけの俺には詳細は分からないが、どうやら昔の町での出来事は今でも彼女に深々と影を落としているようだ。
きっと、かつて住んでいた場所には仲の良い友達もいたのだろう。家族ぐるみの付き合いもあったに違いない。
それらを全て自分の才能のせいで失ってしまった結果、才能を使ったなら何もかも失うのが当然のことだと思うようになってしまったんだ。
俺には他人事とは思えなかった。
発端の理由は全く無関係、どころか真逆と言ってもいいくらいだったけど、俺も自分が生きてきた世界全てから否定されるような経験をしたことがあった。というかしたばかりだ。
そんなとき、まるでその時経験したことが世界の全てであるかのように錯覚してしまいがちだけど、実際は違う。
俺はアリソンやシャーロットにそのことを気付かせてもらった。
だから今度は俺の方が、シャーロットにそれを気付かせる番だ。
「いいかシャーロット! よく聞け!」
「へっ!?」
俺は勢いよくドアを開け放つ。
部屋の中で膝を抱えていたシャーロットは、突然現れた俺に驚いて、後ろに少し転がった。
「う゛ぃ、ヴィンセントさん!? なんでいきなり入ってきたんですか!?」
「入るなって言われたわけではないからな!」
「そういえば特にそういうことは言ってませんでしたけど!」
「いいかシャーロット! 今からあんたに大事なことをひとつ教える!」
感情に訴えかけようとしても、今のシャーロットには届かない。
何故なら彼女が俺のことを謎に過大評価しているからだ。
評価が高いのは普通はいいことだが、こういうときは逆に困る。
だったらどうする。
簡単だ。
「他の町ならともかく、フレスベンの人間はシャーロットのことを恐れたりしない! 少なくとも怖がって迫害したりするようなことは絶対にないと言っていい! だから」
「どうして……どうしてそんなことが言えるんですか?」
「それは――――」
理責めで一般論を導き出す!
「――――それくらいでビビってたら、一流冒険者は務まらないからだ!」
「!!」
これは決して適当を言ってるわけじゃない。
俺やロドヴィーゴがシャーロットの変貌に驚かなかった最大の理由は、彼女が変貌すると知っていたからじゃない。
それくらいのモンスター、冒険中に何度も出会って慣れっこだからだ。
シャーロットの変身よりもっとグロテスクな化け物にも、数え切れないくらい出会ってきたし、そいつらにだって一々ビビったりはしない。ビビってたら死ぬからだ。
ここフレスベンは、そんな冒険を乗り越えてきた冒険者が多く集まる町。
俺たちほどじゃないにせよ、死線をくぐり抜けてきた強メンタルがこぞって集まっている。
そして、わざわざそんな荒くれ者どもが集まる町に暮らしている一般人も、並の心臓の持ち主ではないだろう。
なんせ俺はともかくアリソンのような強者の頼みを恐れもせずに断るような連中だ。素晴らしく筋金入りである。
「よーく考えてみろシャーロット。あんたが憧れた冒険者たちは、あんた程度にビビって泣き出すほどの軟弱者か? そんな程度の連中に、あんたは今まで憧れてきたのか?」
「そ、そんな……そんなことは、決して!」
「だったら分かるはずだ。他の町ならともかく、この町に限ってあんたが迫害されたりするようなことはぜ~ったいにないということが!」
「……!」
目から鱗。青天の霹靂。
シャーロットの間の抜けた表情は、おおよそそういった彼女の戸惑いを俺にありありと伝えてきた。
「で、でもそれって……他の町へ行って、万が一この才能のことがばれたら……やっぱり迫害されるかもしれない、ってことじゃないですか?」
「ん。まあ、そうとも言うな」
「だったら!」
「でも、他の町に用事があるわけじゃないだろ?」
ごくりと唾を飲み込むシャーロット。
俺は語気を緩め、優しい声音を作って続ける。
「この町で、親父さんやゼルシアと一緒に店を続けて生きていく。そのつもりなら、他の町のことなんて気にする必要はないはずだ。別にちょっと旅行に行ったり買い出しに行くくらいで才能を使うこともないだろうしな」
俺の願いはただひとつ。
才能によって要らぬ心労を抱えることになった彼女にとって、才能が重荷にならないようにすること。
彼女を冒険者に誘導するつもりなら、自由に動けなくなるこのアドバイスはあまりプラスにならないが、もうそれでも構わない。
「だから、もう自分の才能を嫌悪する必要はないんだ。シャーロットが思っているよりもずっと、その才能は良い意味で『取るに足りない』ものなんだから」
そんな才能、取るに足らない――――俺がこんな言い方をするのは珍しい。実際、こういう物言いをするのは極力避けていたところがある。才能は必ず役に立つし、活かすよう努めるべきものだと思っていたから。
だけど、ロドヴィーゴの告白を聞いたことによって、俺の中に新しい価値観が生まれた。
おかげでシャーロットに手を差し伸べられるようになったんだから、あの戦いも決して無意味なものではなかったんだろう。
「……ヴィンセント、さん……」
俺の演説を聞いた後、泣きそうな顔になるシャーロット。
おいおい、なんでそんな表情をする必要があるんだよ。
まるで俺が、とっても悲しくなるようなことを言ったみたいじゃないか。




