EX3.夜明けの『暁の殲滅団』
「治安課? 治安課が一体、こんな朝早くに何の用ですか」
治安課の連中がドミトリーの部屋の前にやってきた時、リーゼロッテはまだそのたちの悪い悪夢に気付くことができていなかった。
治安課の連中の表情はまるで弔問に現れたかのような暗く、見ているこちらの気分まで陰鬱になっていく。
いっそ扉を閉めてやろうかとも思ったが、そのあまりに物々しい雰囲気を前にして、無下にすることもできなかった。
「本日は、『暁の殲滅団』の方々にお伝えしなければならないことがあり、伺いました」
「伝えなきゃならないこと?」
その時、ルートヴィヒさんとレイチェルはまだ寝ていたし、ラウレンツはいつものように遊びに行ったきり、帰ってくる気配もない。
そしてロドヴィーゴの奴はヴィンセントを処理すると言ったきり、帰ってきていない。
嫌な予感が胸をよぎる。
まさかあいつ、失敗ったんじゃないでしょうね。
だけど、まさかそんな。あのロドヴィーゴが、ヴィンセントなんかに下手を打つなんて想像できない。
「ええ。貴方のパーティのロドヴィーゴ=エステラントが、殺人未遂で逮捕されました」
私の縋るような楽観は、治安課の詰まらなさそうな言葉によって粉々に砕け散った。
「えっ……!?」
「被疑者はフレスベンの中心部にあるハイデン亭という飲食店に侵入し、住み込みの店員と居候一人を殺そうとしました。現在は治安課の方で拘束されています」
ロドヴィーゴが言っていた店名だ。私はすぐに、あいつが何らかの手段でヴィンセントを追い出そうとして、失敗し捕まったということを理解する。
うかつだった。レイチェルから目が離せないからって、ロドヴィーゴに全て任せた私のミスだったわ。
まさかあいつが私たちを巻き込むようなことを言うとは思えないけど、あくまで知らぬ存ぜぬを通さねばならない。
あいつの下らない失敗がチーム全体の足を引っ張るようなことは、決してあってはならないのだから。
「……信じられないですね。まさか彼が、そんなことをするなんて……」
私は精一杯にしおらしい表情を作って、まるで想像しなかったという態度で振る舞ってみせる。
我ながら中々の演技派だと思う。
だが治安課の人間は表情一つ変えず、淡々とした口調で話を続けた。
「貴方たちパーティ仲間にも、この殺人未遂に関わっているのではないかという嫌疑がかかっています」
「そんな! 私たちは何もしていませんよ! 一体ロドヴィーゴは、どこの誰を殺そうとしたというのですか!?」
「貴方たちの元仲間、ヴィンセント=アウグストゥスですよ」
「……!」
っていうかあいつ、何をやってるのよ! 殺しちゃ駄目だってあれだけ言ったのに、なに当たり前のように殺そうとしてるの!?
いえ、もしかしたら嵌められたのかもしれないわ。
ヴィンセントは下らない作戦だけは良く思いつく頭を持っていたから、本来殺す気なんてなかったロドヴィーゴを上手く煽ってその気にさせたのかもしれないわね。
いずれにせよ、ヴィンセントの仲間だけでなくヴィンセント本人をも殺そうとしたとばれたのなら、私たちとの関連を類推されるのも無理はない。
「話を聞くと、パーティを別れたのはここ最近のことだというじゃないですか。チームから出て行った仲間を、秘密裏に殺しそうとしたのではないのですか?」
「待って下さい。確かに彼と私たちは袂を分かちましたが……殺すだけなら異界でやればいいことです。わざわざ市街地でやる理由はありませんよ」
「……それは、確かに」
実際、殺すだけなら冒険に出たときにでもやれば良かったのに。
わざわざ人目しかない街中で行動に出るなんて、あいつはこの十年間何を学んできたんだか。
「きっとロドヴィーゴが誰かを殺そうとしたというのも、何かの間違いです! きっと誰かに嵌められて、無実の罪を着せられているに違いありません!」
「それが、自分の犯罪について自らの口で語る場面が集音石によって記録されているんですよね」
「は……?」
何やってんのよあの莫迦!
私たちのことを喋ったりしてないでしょうね!?
「信じられない……彼はそんなこと、するようには見えなかったのに……」
「いずれにせよ、貴方達パーティメンバーにも嫌疑がかかっているのです。関わりがないと仰るなら、それを証明するためにご同行下さい」
「ええ、構いません。私たちは何一つ、やましいことはやっていないのですから」
実際、治安課に呼び出されて問いただされても、それ自体には問題はない。
だって私たちは、今回の殺人未遂には本当に関わっていないのだから。
私は邪魔しろとしか言っていない。なのにロドヴィーゴは、勝手に暴走してヴィンセントを殺そうとした。
そんな莫迦のことまで、責任抱えてはいられない。
アリバイを主張すれば、それだけで問題は解決するだろう。
「ただ……すみません。流石に突然のことすぎて、私も動転しているんです。気持ちの整理をしたいので、もう少し時間をいただいてもいいですか?」
……問題があるとすれば、叙勲の話だ。
冒険者なんて生業は、いつかは限界が来る賤業だ。
常に死と隣り合わせの危険に立ち向かわないといけないし、歳を取れば取るほど一線で戦うのは難しくなる。
このまま冒険者を続けていたら、たとえ私たちでも三十年以内に死ぬだろう。
だが国によって叙勲され、特別待遇を約束された冒険者は、それから一生食べ物には困らずに済む。
私たち『暁の殲滅団』は、そんな特権階級にあと一歩のところにまで近づいていたのだ。
なのに、ロドヴィーゴの失敗が上に知られれば、その道程は一気に遠ざかる。
次の叙勲候補からはまず間違いなく外されるし、下手したら今後二度と候補に入れてもらえなくなるかもしれない。
そうなったら現役ナンバーワンパーティとしての立ち位置すら怪しくなってくる。
私たちの輝かしい人生は、急転絶望に真っ逆さまだ。
「……」
治安課の連中は、怪しむような目をこちらに向けてくる。
冒険者を続けられなくなって途中で引退したあぶれ者共が、随分と偉そうな目をするじゃないの。
「……はあ、分かりました。私たちとしても、『暁の殲滅団』がまさか組織単位で犯罪に関わっているとは思いたくありません。後で代表を治安課に寄越して下さい」
しばらくの気まずい沈黙の後、治安課の男は私の頼みを聞いてくれた。
優しさというよりは恐れだろう。
今ここで私の頼みをはねのけることで、あのラウレンツ=デステルシアの機嫌を損ねたくないと。
『殲滅団』は最強無比のエリート冒険者の集まりだが、規格外と断定できるのはあの男だけだ。
この町に十三人いる治安課がまとめて襲いかかっても、恐らくラウレンツには勝てないだろう。
「本当ですか! ありがとうございます!」
「極力今日中に態度を決めて下さいね」
「ええ、勿論です! 流石治安課の方ですね! 素晴らしい判断に感謝してもしきれません!」
私は少しわざとらしいくらいに治安課を褒め称えて、申し訳なさそうに振る舞いながらドアを閉めた。
「本日はこんな朝早くからご足労ありがとうございました。それでは、相談してきますのであとは……」
「……」
「…………」
「………………」
「はぁ~~……!」
そして戸を閉めた後、つもりに積もったため息を一気に吐き出す。
本当っ、信じられない! 最悪!
ロドヴィーゴの無能! 莫迦! 役立たず!
あんたのせいで叙勲がなしになったりしたら、私あんたのことを一生恨むわよ!
「なんとしてでも、傷をできるだけ小さくしないと……」
「何の傷だ?」
不意に、背後から聞こえる聞き慣れた甘ったるい声。
振り向くと、赤ら顔のラウレンツが爪楊枝を咥えて私の後ろに立っていた。
どうやらこいつ、酒場や水商売を点々と渡り歩きながら、夜通し街を歩き通していたらしい。
「さ、酒臭……っ、ラウレンツ……! あんた、一体いつからそこに……」
「ん。さっき来たところだぜ。そこの窓からな」
私たちの部屋は、ドミトリーの中でも一番高い十八階にある。
当然、普通の人間なら窓から入ってくるなんてできるはずがない。
それを酔っ払いながらでもできてしまうあたりが、この男の規格外ぶりをよく表していた。
私は戦々恐々としながらも、ラウレンツに事の次第を説明した。
「へえ……今ってそんな面白いことになってんのか。くく、ふふ……ははははは!」
するとラウレンツは、唐突すぎて不気味な程にからから笑い出した。
一体何事かと思って問いただしてみると、ラウレンツは目元にこぼれた涙を拭きながら言った。
「いやあ、あっはっは。災難だなとは思うけどよ。まだ上に話は通ってないんだろ? だったら今のうちに、ロドヴィーゴの口から何も語られないようにしてしまえばいいってことじゃないか」
「……ちょっと。あんたまで殴り込みに行って助けに行くとか、考えるんじゃないわよ」
ロドヴィーゴもばれないつもりで対策は積んでいたと思う。
それでも見つけられ、今は酷く追い詰められている。
いくらラウレンツが身体能力の寵児だからって、殺人を誤魔化せるほどの特殊な力には繋がらない。
「これ以上うちのチーム出身に犯罪者が出たら、このチームおしまいよ! いよいよ叙勲なんて、夢のまた夢になるわ!」
「あっはっは。そんなことするわけないじゃあないか。俺だって、あいつをここから助けてやる方法がないことくらいは知ってるさ」
「だったら――――」
「だけど、あいつを殺す方法なら知ってる。誰にも気付かれずに、遠隔であいつのことを殺す技ならな」
「なっ……!」
「話を聞く限り、今回の事件はあくまで殺人未遂で、具体的な死者というのは出ていない……」
ラウレンツはそう言うと、お決まりの悪い悪い笑顔を浮かべて私にささやきかけてきた。
「ロドヴィーゴが正式に取り調べを受ける前に死んだら、この件はうやむやになると思わないか?」
「あんた……」
つくづく思う。ラウレンツ=デステルシアはどうしようもないクズ野郎だ。
どうして神様がこんな男に、世界中探しても上がないほどの強さを与えたのか理解に苦しむ。
だが時としてその性格の悪さが、自分勝手さが、容赦のなさが、役に立つ時があるというのもまた事実だ。
人の心を持たないこの男は、時に私のような半端者ではとても出せない作戦を立てる。
モラルで選択肢が縛られていないというのは、一般に強みとして働くのだ。
「……殺せるの? 誰にも貴方がやったと分からない方法で、既に治安課に囚われた」
そして選択肢が提示されたなら、私は黙ってそれに乗っかれば良い。
罪悪感は、目の前にいるこの男が洗い流してくれる。
「ああ。殺せるぜ。やり方は昔、ヴィンセントの奴が教えてくれた」
そう言うと、ラウレンツは怪力の右腕をぐるぐると回して――――
「ただ、お前が協力してくれたらな……リーゼロッテ」
「私に飛び火したりしないんでしょうね」
「誓って『ない』と言い切れる。厳密にはこれからやるのは殺人じゃないからな」
その場に似つかわしくない、屈託のない笑みを浮かべた。
「ただ、ロドヴィーゴが勝手に死ぬだけだ」




