4 元のけ者の恩返し(3)
覚悟を決めたエヴァは、恐る恐る俺の耳元に口を近づける。
固唾を呑んで見守る他の三人。
エヴァが動き出してからは、何も言わなかった。彼女の決断を尊重しようということなのだろうか。
「ふ、ふぅ」
ふぅ、とこそばゆい感覚が俺の耳にやってきたかと思うと、
「……おっ、来たぞ」
みしみしと肌が震え始める。
やがて俺の傷口は肉の泡に包まれて、みるみるうちに塞がった。
「……なっ……」
「こ、これは……」
その場にいる全員が、俺の体に起こった変化に唖然とした。
本当に傷が塞がるだなんて、誰も信じていなかったんだろう。
当の本人も、目をぱちくりさせて俺の腕を何度も見返していた。
だが、それと同時に彼女には実感もあるはずだ。
傷口を塞いだのが、彼女自身であるということに。
才能を使ったとき、必ず人は何らかの実感を得るものだから。
「私に、こんな力が……」
「怪我人の耳に息を吹きかけようなんて、考えたことなかっただろう」
だから今まで、その存在にすら気付くことができなかったんだ。
人それぞれにどんな才能が配分されるか決めているのが誰かは知らないが、仮に神様的な存在だとしたら随分と意地悪な性格だ。
もっと自然に気付ける才能ばかりにしてくれれば、もっと多くの人が幸せになれるのに。
ま、俺はどちらかというとそれで恩恵を得ている側だからあんまりは言わないけど。
「ヒーラーが一人いれば、道中で負った怪我も治すことができる。今よりずっと順調な旅になるはずだ」
少なくとも、ここから先の攻略も不可能ではなくなる。
二流パーティが一流半くらいにはパワーアップできるだろう。
「どうだ? これで追い出したくもない仲間を追い出す必要もなくなっただろ?」
「……あ」
間の抜けた声が四つ飛び出したかと思うと――――
「エヴァちゃああああん!!」
「マリアちゃあああん!!」
次の瞬間には女子同士で抱き合っていた。
「良かった! これで私、皆と離ればなれにならなくて済むね!」
「厳しいことを言ってごめんなさい! 今更こんなことを言うのは虫の良い話だって分かってるけど……私たちと一緒についてきてくれますか?」
「もちろん! 今までずっと足を引っ張ってきたんだから、これからは恩返しできるように頑張るよ!」
「エヴァちゃん……」
きゃんきゃんうるさいが、喜んでいる様子を見るのは悪い気はしない。
「それじゃ、俺は別の用事があるからそろそろ行くぜ」
なんだか面映ゆい気持ちになってきたので、さっさとその場を退散することにした。
「ありがとう、優しいおじさん! この恩は忘れません!」
「おじさんも冒険者なんでしょ? 頑張ってね!」
「おじさんの行く道に、大いなる栄光があることを願って……」
大げさに俺のことを称えてくる若者たちから逃げるように、俺はその場をそそくさと立ち去った。
「――――で、なんで私とは逆の方向に帰っていくのよ」
「ちっ……どさくさに紛れて撒けるかと思ったんだが……」
そして一分もしないうちに、あっさりアリソンに回り込まれてしまった。
流石の機動力。不可解な執着。
厄介な相手に目を付けられてしまったものだ。
「一つ、聞いて良いかしら?」
「なんだよ。答えなら最初っから決まって――――」
「どうしてわざわざあの冒険者パーティの仲を取り持つような真似をしたの? 貴方、仲間割れを望んでるって言ってたじゃない」
「……」
「フリーの優秀な才能の持ち主なんてこの先出会えるか分からないのに、あっさり手放すなんて。まるでパーティを再結成する気なんてないみたい」
険しい表情で、こちらをじっと見つめてくるアリソン。
さっきの連中と違って、適当にはぐらかすわけにはいかなそうだ。
「馬鹿言うな。俺は必ず、前のパーティより強い仲間を集めてみせる。ただ今回は、こうするのが最善だと思っただけだ」
「は?」
「俺と前のパーティは、そもそも向こうが俺のことを嫌っていたらしいから、今更修復のしようもなかった。だけどあいつらは、追放しようってその場になっても、お互いのことを思いやっていたじゃないか」
「……」
「だったら、俺の所なんかに来るより、仲を修復してやった方がよっぽどいい。そして俺にはそれができた」
「そんな理由で……」
人を思いやっている余裕が俺にあるのかって言われると、全くないんだけどな。
それでも俺は我慢できなかった。
「何より、嫌なんだよ。折角すごい才能を持っているのに、認められずに不幸になっていく奴を見るのがな」
「!」
ずっと旅をしてきた仲間と別れて、どこの馬の骨とも分からぬ無能な男一人とペアを組む。
あの子にとって、それが幸せなこととはどうしても思えなかったんだ。
「だからお前も、居場所はあるんだからさっさと元のところに戻れ」
「も、もどっ……!?」
「俺なんかとパーティを組むより、よっぽど幸せに過ごせると思うぞ」
俺が追い払うように手を動かすと、アリソンは顔を俯けて、軽く震えた。
「なんで、そんな……うっ……」
「え?」
「……なんで……なんで……」
声も僅かに震えている。
笑っている? いや……
「……なんで、そんなこと言うのよ――――!!!!」
その後おもむろに顔を上げたアリソンの目には……玉のような涙が光っていた。
先ほどまでの勇ましい姿が嘘のような泣きっぷりに、俺は思いっきり面食らう。
「わたしは! こんなに貴方のことを心配しているのに! なんでそんな酷いことばっかり言うのよ――――!!」
「い、いや俺はただ、お前みたいな優秀で順風満帆な冒険者が、俺みたいなはみ出し者に手を差し伸べる理由がよく分からなくって……」
「分からない!? 私が貴方のことを心配するのが、そんなに不思議なことかしら!?」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、アリソンは腰の脇差しを取り外し――――鞘をかぶせたまま、俺の鼻先に突きつけた。
「この脇差しは貴方がくれたものよ、ヴィンセント=オーガスタ! まさかそんなことまで忘れてしまったんじゃないでしょうね!?」
「……これは……!」
その脇差しは、豪奢なアリソンの装いには不釣り合いなほど傷んだ廃品まがいのなまくらだった。
装飾も地味だし、錆が至るところに広がっている。鞘は割れて、曲がった刀身の峰が剥き出しになっていたりもする。
だが俺は――――その脇差しに見覚えがあった。
確かにその脇差しは、アリソンに初めて会った日に、俺が彼女に渡したものだったから。
「……そうか、そういえば……」
そして俺はようやく、彼女との初めて出会った日のことを思い出した。