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35 千の目と千の手(後編)

「誰の言ってることが八つ当たりだと……?」


 ぶくぶくと泡を立てて、シャーロット=ハイデンの姿はめくるめく程に変化していく。

 無数の触手の一つ一つにさらに細かい繊毛のようなものが生えていて、それぞれがまるで自律する筋肉を持っているかのように蠢いている。

 シャーロット自身の肌にはあちこちに穴が空いて、それぞれからどろりとした粘液が噴出し、定期的に床にしたたり落ちている。その液体は緑色と黄土色のマーブルカラーで、中には潰れた目のようなものがところどころに浮かんでいた。背中からはおろし金のような骨が肉を突き破って露出していたし、着ていた衣服は肉体と半ば一体化して癒着していた。

 醜い化け物と形容される理由も分からなくはないな。

 だが俺は、それくらいの変貌で彼女を怖がったりはしない。あの程度の異形、一流冒険者なら何度だって目にすることがあるからだ。


「取り消しやがれ! オレの怒りは正当な怒りだ! 悪人に然るべき罰を下してやると言っているのを、てめえは否定するつもりかよ!」


 そしてそれはロドヴィーゴだって同じだ。

 四肢を触手に絡め取られて、身動き一つ取れない状況であっても、シャーロットの変貌を前に全く気後れしない。

 そんな彼女に気圧される気配もなく、怒りを露わにして威嚇するロドヴィーゴも、中々肝が据わったものだ。

 流石に死線を何度もくぐり抜けてきただけのことはある。


「それが貴方の本当の怒りなら、こんなことは言いません。でも貴方は、自分自身に嘘をつきながらヴィンセントさんを攻撃している! だから私は、それを八つ当たりだと言ったんです!」


 シャーロットの姿が変化するにつれて声音も変わるかと思ったが、それは元通りの清涼感のある声のままだった。

 しかし逆にそれが違和感があって、なんとも歪な気持ちになる。

 というか、どこから声出してるんだろ……いや、今はそんなことどうでもいいか。


「だから、これ以上みっともない姿をさらすのは止めましょうよ! 私、これ以上自分を否定する貴方を見たくありません」

「ざっけんじゃねえぞ! 何様のつもりだ!」


 その時俺は、部屋の中の空気が一斉にざわめくのを肌で感じた。

 締め切られた建物に、外からの風が吹き込むことはない。

 だとすればそれが意味するのは――――まずい。


「お、おい。やめ――――」


 ロドヴィーゴを止めようとした俺だったが、目の前に現れた砂の幕に遮られてそれ以上言葉を伝えることができなかった。

 いつの間にか、ロドヴィーゴは砂の才能スキルを使える程度に回復していたらしい。

 まあそりゃそうだ。一切身体強化されていない俺の打撃力なんて高がしれている。

 こういうとき、自分のパワー不足が情けなくて仕方がない。

 声だけでなく視界すら阻まれた先で、ロドヴィーゴは怒声を荒げる。


「お前はなんだ!? 俺の友達か何かだったのか!? 見ず知らずの他人に語られるほど、安い人生送ってきたつもりはねえぞ!」


 どういうわけか、奴はまるで平静を失ったかの様子で、シャーロットに対してとびきりの殺意を向けている。

 それこそ、俺に向けていたそれに比肩するほどの。

 そんなに彼女の言葉が癪に障ったのか……だからって、やっていいことと駄目なことがあるだろ!


「やめろロドヴィーゴ! 殺すなら俺の方を殺せ、彼女は関係ないだ――――」

「とっとと取り消せ。じゃなかったら――――死ね!」


 次の瞬間、空中に浮かんでいた無数の砂が、一斉にシャーロット目がけて飛来する。

 部屋の中に持ち込まれていた砂というのは、当然全て毒入りだ。

 一舐めでもすれば、人は死ぬ。

 『抗体』になっている俺の体を摂取すれば一時的な解毒は可能だが、それも一時のものに過ぎない。

 次に毒を摂取すれば、また彼女の命は風前の灯火となってしまうのだ。

 そして現状、八方を取り囲まれたシャーロットがこれを回避する術はない。


「やめろおおおお!!!」


 俺は叫んだ。

 軋む体を必死に動かし、痛みに耐えて声を荒げる。

 だが、気持ちの上では大声でも、実際に出るのはどこか掠れた勢いのない声だ。

 しかもその声とロドヴィーゴの心との距離は、目に見える距離より遥かに遠い。

 届くはずもない声が部屋中に反響する。

 砂粒の一つ一つがシャーロットの体に開いた穴から吸い込まれていくのを、何も出来ずに目撃することしかできなかった。

 せめて速やかに解毒しなければならない。そう思って立ち上がろうとしたら、力が入らなくてつんのめった。


「うっ……!」


 まずい。まずいまずいまずい。

 このままではシャーロットをロドヴィーゴに殺させてしまう。

 シャーロットのためにも、ロドヴィーゴのためにも、それだけは絶対に防がなければならないのに――――……。


「……なんでしょう、これは。粉っぽいです」

「なっ……!」

「……え」


 ……あれ。

 まさか――――毒が効いていないのか!?

 今の彼女が、人間ではなくモンスターだから……?


「な、なっ……」


 俺だけではなく、ロドヴィーゴもまた絶句していた。

 触手に完全拘束されたままの手がわなわなと震え、しきりにまばたきを繰り返している。

 そんなロドヴィーゴを見て、シャーロットはおもむろに距離を近づける。

 ねとり、ねとりという湿った足音が迫る都度に、ロドヴィーゴの額から冷や汗が流れ出た。


「……っ、くそっ! この化け物が! 傲慢なアバズレが! 一体どうしてオレの邪魔をしやがる! なんだって、オレのことを勝手に決めつけようとするんだ!」

「決めつけ? 違います。貴方の本心は、必ず別のところにある。そうでなかったら――――」


 シャーロットの触手が、ロドヴィーゴの全身を一層強く締め上げた。

 嗚咽を漏らすロドヴィーゴ。

 そして体を包む粘液の向こう側から、悲しそうにロドヴィーゴを見つめるシャーロットの目。


「……あんなコラムを、書けるはずがないんですから」


 シャーロットの口から、こぼれるように落ちる一言。


「こら……む……?」


 ぽかんとするロドヴィーゴ。理解が及んでいないらしい。

 だが俺はすぐに思い出した。ロドヴィーゴとコラム。

 一件無関係に見えるこの二つを結びつけられるものは、それこそ一つしか存在しない。


「月刊冒険者、か……!」


 はっと息を呑み、シャーロットを二度見するロドヴィーゴ。

 シャーロットは小さく頷いてから、今までとは一転した覇気のない声で滔々と語る。


「四年前の二月号から、同年の八月号までの間連載された、集中短期連載企画。冒険者ロドヴィーゴ=エステラントに着目し、そのスカウトとしての拘りを聞くという名企画。私、この企画は特に大好きで、今でも記事は手元に残してあるんです」


 『殲滅団』のメンバーのうち何人かは、月刊冒険者の編集者に頼まれて連載企画を持ったことがある。

 ロドヴィーゴもその一人。奴は読み書きができないので、俺が奴の言葉を書き写す役割を請け負ったこともあった。

 ちなみに俺に企画の話が来たことはない。


「何が好きだったって、その記事の中でロドヴィーゴさん、斥候スカウトの仕事をとても楽しそうに語ってたんですよ。自分がこの道を選んで楽しかったこと、嬉しかったこと。斥候スカウトにならなければ出会えなかったもの、新しい発見。その全てがキラキラした言葉の中に、宝箱のようにして詰まっていたんです」


 俺の清書は、あくまで奴の言葉を文字にしただけ。

 奴が喋ったことを、そのまま一字一句違わず文字にしている。

 それが一部の冒険者には感覚的すぎてわかりにくいとかで不評だったそうだが……シャーロットのように、それがかえって心に響くということもあったようだ。


「……私は、それを読んでとてもワクワクしました。冒険者って、こんなに夢一杯で素敵な仕事なんだなって、感動しました。それほど人を感動させられる言葉を選べる人が、本心ではその仕事を嫌っていたなんて、私にはどうしても信じられないんです!」


 すがるようなシャーロットの声音。

 ああ……きっと彼女は、本当に『暁の殲滅団』のことを愛してくれていたのだろう。

 俺の話を聞いても、さほどショックを受けた素振りを見せなかったのも――――人としての殲滅団ではなく、冒険者としての殲滅団に憧れを抱いていたから。

 だからこそ彼女にとって、自分自身の冒険者生活そのものを否定しかねないようなロドヴィーゴの言葉は、それこそ、封印してきた才能ちからを解き放つほどにショックな出来事だったのだ。


「ねえ、本当は楽しかったんじゃないですか!? はじめ夢見た姿とは違っていても、斥候スカウトという新しい道の中に、貴方は貴方なりの楽しさを見つけられたんじゃないんですか!?」


 ロドヴィーゴは目を瞑り、苦しそうに空を仰いだ。

 彼自身、もしかしたら葛藤しているのかもしれない。

 斥候スカウトになりたくなかった自分、なってよかったと思う自分。

 どちらが本当の自分なのか、彼自身決めかねて、それで行き場のない怒りを俺にぶつけてしまったのかもしれない。


「どうなんですかっ……! 答えて、下さい……!」

「……オレは、オレはっ……!」


 涙の代わりに、シャーロットの全身の穴からどろどろと粘液がこぼれ出る。

 ロドヴィーゴをしめつける触手が緩み、彼の体がぼとりとその場に転げ落ちる。

 だが自由の身になったロドヴィーゴも、しゃがみ込んだまま項垂れて一歩も動こうとしなかった。

 激しい戦闘から一転して、その場に流れるのは陰鬱な空気。

 なんとかできるのは俺だけか。

 そう思って、痛い体を無理やり動かしながらなんとか立とうとしたその時――――


「ごめんなさい! 待たせたわね!」


 ドアを蹴破って、アリソンが部屋に飛び込んできた。

 こ……こいつ! 戦闘が終わってから来てどうするんだよ!

 出るときに声をかけ忘れた俺も悪いけど!

 だ、だが……自分のことでなければ底抜けに明るい傾向があるこいつなら、この場をなんとか明るく収めてくれるかもしれない。


「あー、えーとアリソン。今までの話は聞いてたか?」

「? いいえ、全く」


 くそっ! 一からか! 一から説明しないと駄目か!

 しかし一体一からって、どこから説明したらいいってんだ!?

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