31 夜の戦い(3)
27話~30話のサブタイトルを変更しました。
部屋の中に吹き込んできたのは、ロドヴィーゴの力によって『毒』化した粉塵。
微細な粒が嵐のように部屋中をかき乱して、壁や床の隙間に潜り込むように混入していく。
時間にして二十一秒。
たったそれだけで、室内は完全に『毒』によって支配された。
そして。
「ゼルシア……!」
「どどど、どう、しよう。ちょっと、吸っちゃっ……」
部屋中に舞い上がった粉塵は、余程注意していなければ振り払えない。
反応が一瞬遅れたゼルシアは、その短い時間に相当量の毒を吸ってしまったらしい。
「か……はっ」
その場に膝を突き、うずくまるゼルシア。
顔色は仄白く、全身が僅かに痙攣している。
間違いなく『毒』の症状だ。
「あ~あ~。旦那のせいだぜ。旦那の決断が遅いから、この店はオレの毒塗れ。きっと二度と使えないだろうな」
「ロドヴィーゴ……てめえ!」
近づいてくる足音に、俺は視線を向け、怒りを発露する。
裏口の方から現れたロドヴィーゴは、不機嫌そうに唾を吐いた。
「まさか読まれてたとはな。おかげで表に出てくる羽目になっちまったじゃねえか」
部屋一帯を、砂埃が吹きすさぶ。
奴が持つ『猛毒』と『砂塵操作』の二つの才能を融合させた、最も邪悪な使い道がこれだ。
毒の粉によって征圧された空間は、人間が一切生きていけない地獄と化す。
さらに目でも潰せればなお強力だったんだろうが……奴の才能には目を直接狙えないという制限が課されている。仲間だった頃は邪魔な縛りだと思っていたが、今となっては不幸中の幸いだな。
ロドヴィーゴは目障りな砂埃をしばらく巻き上げた後、俺が無反応なのを見て埃を舞わせるのを止めた。
「おっと、旦那は『抗体』を持ってるんだったな。こんなことになるなら、作らせるんじゃなかったぜ」
俺の体には、奴の猛毒を無力化させる『抗体』がある。
おかげで猛毒の砂埃が舞う空間の中にあっても、俺は平静を保つことが出来る。
だが、ゼルシアの方はそうはいかない。
猛毒を体内に埋め込まれた彼女は、回復と侵食の狭間に立って今も苦しみ喘いでいた。
自己再生能力があるので死ぬことはないと思うが、長く続けば続くだけ無闇に苦しむことになる。
そんな苦しんでいるゼルシアの頭の上に、ロドヴィーゴは足を置きやがった。
「あぐっ……」
「そこを退け! 今すぐ彼女を解放しろ!」
「嫌だね。俺がそこのデブを回収するまで、この女には人質になってもらう」
足の裏でぐりぐりとゼルシアを圧迫するロドヴィーゴに、俺は思わず言葉を失う。
「おっ……お前っ……俺は、お前がそこまで嫌な奴だったとは思わなかったぞ!」
「旦那が悪いんだぜ? オレの話をちっとも聞かないで、意固地にこの店に残り続けるから」
「これだけ暴れ回ったら、はっきりと証拠が残る。治安課だって黙っていないぞ」
「はっ、馬鹿言うな。オレは旦那のその役立たずの『目』よりよっぽど素晴らしい目の力で、あんたが捜査を断られる姿もしっかり見ていた」
……やっぱり見ていたのか。
やはり情報面のアドバンテージにおいて、ロドヴィーゴの才能は凶悪の極みだ。
「要するに、治安課の連中はあんたの動向なんぞに興味はねーんだよ。この店の状況を持っていったところで、相手になんてしてもらえねーぜ」
「……だったら、どうしてお前はわざわざローズマリーを回収しに来た?」
俺がそう言うと、ロドヴィーゴの表情が固まった。
「本当に俺たちの話が全く相手にされないと思っているなら、わざわざそこのデブを回収する必要もないはずだ。ぶっちゃけ怖くなったんじゃないのか? ローズマリーが万が一連れ去られた場合に、自分の痕跡まで辿られてしまうんじゃないかって」
「……」
「そんな用心深いお前が、この砂を放置しておくわけがない。ローズマリーを回収したら、その後砂も撤収させるつもりだったんじゃないのか?」
ロドヴィーゴのこめかみがひくついているのが分かった。どうやら図星だったらしい。
「随分と……知ったような口を利いてくれるじゃねえか!」
ロドヴィーゴの手が小刻みに動くと、部屋中にあった砂が俺の目の前に集積し、弾けるように宙を舞った。
視界が遮られる。
無駄と分かっていても、俺は手で砂を払う。
遮られた視界の奥から、ロドヴィーゴが大きく前進してきていた。
「オラァ!」
「……ぐっ!」
ロドヴィーゴの蹴りを、俺はもろに食らってしまう。
跳ね飛ばされ、壁に叩きつけられる俺。
「単純な戦闘力ではラウレンツやルートヴィヒに敵わないとしてもよぉ~! 旦那相手くらいなら余裕で倒せるだけの力を持ってるんだぜ、俺は!」
知っている。それも含めて、俺はロドヴィーゴを引き込んだんだから。
だがお前の身体能力強化は、外の世界では精々逃げに使える程度。
ローズマリーやアリソンやラウレンツのように、絶対的な差を生む力量差じゃない。
「……そうか、俺が余裕で倒せると思うか」
俺は戸板に掲げられていたモップを握りしめて、ロドヴィーゴに向き直る。
「俺の見込みは違う。お前はそこまで強くない」
「……んだと?」
「お前の適性はあくまで『斥候』だ。前衛の戦闘職をやるには、力不足だと言ってるんだよ」
「んだと、このクソ野郎!」
ロドヴィーゴが再び砂埃を巻き上げながら、俺の方へと向かってくる。
また目隠しで攪乱して死角から攻撃するつもりなのだろう。だが――――
「ぐっ!?」
「ワンパターンなんだよ」
俺がモップで指し示した方向に、ロドヴィーゴはまんまと飛んできた。
砂で視界を隠すということは、自分の視界を隠すこととも同じ。
つまり俺が奴の位置さえ予測できていれば……
「ぐふっ!」
……砂はむしろ、俺の味方として働くだろう。
「な、なんだこの野郎……! 一発くらい当てたくらいで……」
「じゃあ、二発ならどうだ?」
「ぐっ」
間髪入れず、次の一撃を。
ロドヴィーゴはそれほどタフじゃない。
だから攻撃の手を緩めなければ、ある程度押さえ込むことは可能だ。
「三発、四発、五発」
「がっ、ぐはっ、ごふっ!」
だからこそ俺は、こいつが来ると分かっていてなお、一人で戦おうとしたのだから。
何発か奴を打ったところで、モップが軋んで二つに折れた。
戦闘用のものじゃないもんな。これ以上は使えないか。
だがもう十分だ。
「知ってるぞ。砂の力を操るには、ある程度の集中が必要だ。これだけ痛い思いをした後なら、もうしばらく砂の力は使えねえ」
「……な、なめんじゃ、ねえぞ……」
売り言葉に買い言葉でロドヴィーゴは砂を操ろうとするが、その勢いは弱々しく、目くらましの砂をまき散らすことすらできない。
このままロドヴィーゴを俺の力だけで撃破することができれば、後の話は簡単だ。
「……それ以上動くなよ。俺は無闇にお前を傷つけ――――」
「オレは、『本来前衛になるべき男』だった!」
「!」
次の瞬間、ロドヴィーゴの体が大きく前に飛び出してくる。
力任せの跳躍。
格上相手ではまず通用しない、闇雲な突撃。
だが俺の貧弱な身体能力では、反応がどうしても一歩遅れて……
「ぐっ!?」
――――奴の一撃を、またもろに食らってしまう。
まずい。さっきと違って今度は当たり所が悪い。
骨を数本、持って行かれた気がする。
腕に力が入らない。
「旦那なんぞに……てめえなんぞに倒せると思うな! 思い上がるなよ!」
「……」
「昔から、そういうところが気にくわなかったんだ。人はこうあるべきだとか言う、押しつけ、思い上がり……!」
ロドヴィーゴの血走った目を、朦朧とする意識の中眺めながら――――……
「挙げ句俺に斥候なんていう、やりたくもないことをやらせやがって!」
……俺は、ロドヴィーゴと初めて会った日のことを思い出していた。