23 かつて仲間だった男(2)
「ただいまー! ハッハー! 二人ともちゃんと留守番していたかな―!?」
「ごめん……時間、かかっちゃった。すぐに朝ご飯、作るね……!」
それから数分後、大量の食材を積み上げたリアカーを引いて、ゼルシアとモーリス氏が帰ってきた……のだが。
「なんか、二人とも微妙に砂っぽくなってませんか?」
まるで砂地の上で転げたように、二人の服装が砂だらけになっていた。
市場の買い物に砂まみれになる要素があるとは思えないが……。
「ああ、これは……実は道中、酷い土煙に襲われてね……」
「土煙……?」
「このあたりにしては珍しいよね。つむじ風がわぁってわき上がって、砂埃が宙に舞い上がったのさ!」
大げさなジェスチャーをしながら、事の次第を説明するモーリス氏。
土煙……つむじ風……なんだか聞き覚えのある現象だが……まあ、考えすぎだろ。
「食材の方は無事だったんですか?」
「ああ、大丈夫。ちゃんとカバーをかけておいたからね。ほら!」
リアカーの上には、一枚の薄い布が被せられていた。
なるほどおかげで、食材そのものは全く汚れていない。
「もちろん、ちゃんと洗うから……砂の心配は要らない……よ!」
ゼルシアは食材の載った籠を軽々と持ち上げて、厨房へと向かっていった。
その後にモーリス氏も続く。
俺も二人を手伝って、荷物の一通りを運んでいった。
その際、どこかで嗅いだことがあるような、仄かな甘い匂いが鼻先をくすぐったのが印象的だった。
「さあ……できたよ! まずは、食べて。食べて!」
それから三〇分後。
食卓に並ぶのは、大皿に盛られた山盛りのホットドッグ。
ソーセージとバンズは共通だが、一緒に挟まれている具材が温野菜だったり茸のソテーだったり色々趣向を凝らしてある。かかっているマスタードソースも、それぞれに合わせて調合したもののようだ。
本当なんでも、手間をかけようと思ったらかけられるもんだなあ。
「うわぁ……美味しそうです! それでは、いただきます!」
いの一番にかぶりつくシャーロット。
心底幸せそうな顔で、頬を一杯にして次々に平らげていく。
余程お腹が空いていたんだな。
「なんにも働いてないのに、手を付けるのはちょっと気が引けるわね……」
つい先ほど起きてきたばかりのアリソンは、ホットドッグを前にはにかんだ。
ゼルシアは笑顔で首を横に振る。
「気にし……ないで。簡単な料理だし。何より、食べてもらえるのが……一番、料理にとって、嬉しいことだと思うから……!」
「その通り! そして私たち料理人にとっても、自分の料理を食べてもらえるというのはとても嬉しいことなのさあ!」
そういうものか。まあそうだよな。
誰だって、自分がやったことが誰かを喜ばせると思ったら嬉しいものだ。
俺もそう。俺が生きていて一番幸せを感じる瞬間は、この『目』が誰かを救うための助けになったときだ。
他の能力とは違って、才能は個人に固有のもの。
だからこそ、役立てられた時の喜びもひとしおだ。
シャーロットの才能だって、使い方と環境次第では十分彼女の喜びに繋がるはず。
だからこそ、トラウマを理由に封印せず、活かしてやれる方法を見つけられればいいんだが――――
「……食べない、の?」
「え? あっ」
いかんいかん。余計な考え事をしていたら手元がお留守だった。
「悪い悪い。それじゃ、いただきま――――」
異変は、その時起こった。
ばたん。ばたん。
俺の両隣で、何かが倒れる音がする。
アリソンとシャーロットだ。
二人とも、椅子を転げ落ちて床に寝転がる形で倒れていた。
口からは泡を吹いている。
頬は青白く、目は僅かに痙攣して。
異常事態だということが、すぐに分かった。
「な、何が……どうしたんだい!? シャーロット!? シャーロット!」
取り乱し、シャーロットへと駆け寄っていくモーリス氏。
「な、なに……これ……」
口に手を当て、あわあわと周囲を見渡すゼルシア。
思い浮かんだ嫌な予感が、俺の口から思わずぽろりと飛び出す。
「まるで、毒でも、入っていたみたいな……」
「! ど、毒!? そういえば、ホットドッグを食べたのはシャロちゃんとアリソンさんだけ……」
既に血の気が引いていたゼルシアの顔色が、より一層悪くなった。
「でっ、でも! このパンも、ソーセージも、お野菜も……今日、市場から買ってきたものだよ!? 買った場所もバラバラだし、それに火だってちゃんと……」
そしてゼルシアは、何を思ったか身を乗り出して腕をまくった。
「……と、とにかく二人を癒やさないと……」
まさか才能で苦しみを和らげるつもりだろうか。
俺は身を乗り出し、ゼルシアの腕を握る。
「な、何するの? 早くしないと、二人が……」
「ちょっと待ってくれ。嫌な予感がするんだ」
砂埃。甘い香り。
そして――――食べてすぐに効力を発揮する猛毒。
この三つ全てに関連がある人物を、俺は一人知っている。
だが、もし本当にそいつの仕業だったとしたら――――
「……嫌な、予感って……」
「もし俺の予測が正しければ、この毒はゼルシアの才能で吸い出せる類のものじゃない。ゼルシアの才能はあくまで負ったダメージを移し替えるだけのもの。対してこの『毒』は、体内に残り続ける限り半永久的に二人の体を蝕み続ける」
俺は、懐から愛用のナイフを取り出した。
「この毒を克服するためには、毒そのものを摘出するか――――さもなくば抗体を与えるしかない!」
そして俺は、自分の右腕にナイフを突き立て、血が飛び散らないように慎重に切り傷を点けた。
ぽた、ぽた、と落ちる滴を、俺は手近にあったコップに注ぎ込む。
「ヴィンセント、くん……?」
「これをシャーロットに飲ませてくれ。俺はアリソンの口に注ぎに行く」
「な、何言ってるの? 血なんか、飲んでも薬には……」
「いいから!」
俺が強い剣幕で脅すと、ゼルシアは困惑しながらコップを掴んで持っていった。
「……くそっ」
俺は傷口をアリソンの口元にあてがって、複雑な気持ちで腕を締めた。
もし俺の予想が外れていたら、まるで何の関係もない新種の毒だったら。
二人はこのまま死んでしまうかもしれない。
それは耐えられないほど辛い事で、あってはならない世の不条理だ。
だが、もしこの毒が俺の知っている毒だったとしても――――次に俺にやってくるのは、深い深い絶望だ。
「……効いてくれ。効いてくれ……」
『血』がアリソンの体に吸い込まれ、彼女の全身に回っていくと同時に、全身の痙攣と口からたれ流れる涎の勢いが衰えていく。
肌にも血色が戻っていって、およそ数分でとりあえず落ち着いた状態にはなった。
これで死ぬことはなくなったはずだ。
「……ほ、本当に治った……?」
「シャーロット! ああ、シャーロット!」
唖然とするゼルシアと、涙を流しながら愛娘を抱きしめるモーリス氏を置いて、俺は荷台へと向かう。
確認したかったのは食材にかけられていた布だ。
ばらばらの場所で買った食材に、購入前から毒が仕込まれていたとは考えにくい。
だからあるとすれば、土煙に巻かれたという一瞬の出来事。
二人の意識が逸れる僅かな一瞬を狙って、霧吹きのようなもので全域に――――……。
「……見つけた」
カバーに空いていた指先ほどの穴に気付くまでに、時間はかからなかった。
小さな穴だが、何かを流し込むには十分すぎる大きさだった。
「ど、どうしたの……いきなり慌てて、飛び出したりなんか、して……」
追いかけてきたゼルシアを慮るような心の余裕はなかった。
「ヴィンセント、君……?」
「……ゼルシア! この穴に見覚えはあるか!?」
「へ?」
カバーを剥ぎ取り、ゼルシアに突きつける。
ゼルシアはしばらく目を瞬かせた後、ゆっくりと首を横に振った。
「う、ううん……
「――――くそっ! なんでだよ!」
俺はその場にしゃがみ込み、拳で地面を強く打った。
指の骨がみしみしと悲鳴を上げたが、痛みは殆ど感じなかった。
「ちょっ、ちょっと!? ヴィンセント君!? どうしたの、駄目だよ、そんなこと、したら……!」
信じたくなかった。だが信じざるを得なかった。
タイミング良く起こった不自然な土煙に、毒物を流し込むのにおあつらえ向きの穴。
料理から漂った、その毒特有の甘い香り。
そして、抗体を持っている俺の血によって効力を失う毒。
これだけ条件が揃って、あいつでないということはあり得ない。
「……ロドヴィーゴ……何故だ! どうしてここまで、酷いことをするんだ!」
ハイデン亭の食料に毒を仕込んだのは、他でもないロドヴィーゴ=エステラントだ。
俺は言われた通りパーティを抜けたはずなのに。
それ以降、今のところあいつらとは接触すらしていないのに。
なのにどうして、俺の今の仲間で巻き込んで俺を殺そうとするんだ。
なあ、教えてくれよ……お前らはそこまで、俺のことを憎んでいたのか?
俺が一体、何をしたって言うんだよ……!




