19 傷跡の在処(前編)
まさかこんなに盛況になるなんて思ってもいなかったので、ハイデン亭に備蓄してあった食材は少ない。
わざわざ近隣の食料品店に追加の買い出しに出かけてまで料理を用意したが、夕方頃にはそれも尽きてしまっていて、この日は早々に閉店となった。
「お疲れ様です、ヴィンセントさん。今日は一日、ありがとうございました! おかげでほら……こんなに!」
全て終わった後、シャーロットが山盛りになった小銭入れを誇らしげに見せてきた。
その屈託のない笑顔を見ていると、こちらも嬉しくなってくる。
「ここ数ヶ月分の儲けが、一日で稼げちゃいました!」
「……本当に、濡れ衣が解けて良かったな」
笑っていいのか分かんねえことをぶっ込んでくるのやめろ。
「はい! ゼルシア姉やお父さんが作る料理が、決してまずいものなんかじゃなかったと証明できて良かったです!」
「……」
自分のことは二の次か。
シャーロットだって、きっと辛い思いをしてきただろうにな。
「明日からはまた忙しくなるぞ。『ローズマリアージュ』がこの辺の店を食い散らかしてきた反動が、今この店に集まってるからな。俺たちがいるうちは手伝うけど、それも一週間限りのことだ」
「誰か新しい人を雇わないといけないかもしれませんね。でも、そう簡単に見つかるでしょうか?」
「挫折した冒険者を捕まえてくれば、給仕の人手不足くらいは解消できるかもしれないが……」
だが調理はそうはいかない。
モーリス氏とゼルシアの二人は、今後のレストラン運営に必要不可欠だ。
「ちなみにシャーロット、お前料理できるのか?」
「私ですか? ふふふ、聞いて驚いて下さい。なんと今朝のサンドイッチ、挟むお手伝いは私がしました!」
「それで驚かそうと思ったことにびっくりだよ」
どうやらそこまで料理は得意でないようだ。
じゃあ少なくとも、二人の代わりを務めることはできそうにないか。
「……お世話になった相手に砂かけて去るのは、よくないよな」
「何か言いましたか?」
「いいや、なんでも」
折角軌道に乗り始めたレストランの流れに、冷や水を浴びせるようなことはしたくない。
ゼルシアを誘うのは、すっぱり諦めることにしよう。
「……よし、シャワー借りて良いか?」
一日の疲れと共に、もやもやも含めて全部洗い流してしまおう。
そして心機一転して、次のことを考えるのがいい。
異変が起こったのは、シャワーを浴び始めてから数分後のことだ。
脱衣所から、布の擦れるような音がする。
まるで服を脱いでいる音に聞こえるがそんなはずはないので、多分誰かが忘れ物でも取りに来たんだろう。
でも忘れ物なんてあったかなあ?
「や、やあ。ヴィンセント君……中にいる?」
「誰かと思ったらゼルシアか。そんなところで何してるんだ?」
「あ、あのっ……入っても、いいかなっ?」
「…………は?」
こいついきなり何言ってんだ。
「ちょっ!? お前、何考えてるんだ!?」
「……問題、なさそうだね。じゃあ、入るよ……!」
「俺のこの反応のどこを聞いて問題ないと思ったんだお前は!?」
俺の反応なんてどこ吹く風でシャワールームの扉が無造作に開かれ、バスタオル一枚まとっただけのゼルシアが恐縮しながら現れた。
「あ、あはは……ご機嫌いかが……?」
俺は彼女に背を向け、妙なものが俺の視界にもゼルシアの視界にも入らないようにしゃがみ込んだ。
「ご機嫌いかがじゃねえよ。まさかお前がこんなトンチキな行動を取るタイプだとは思わなかったぞ」
「トンチキ……? ああ、大丈夫、だよ……ボクの体なんて、貧相、だから、見ても別に、楽しくない、でしょ……?」
「そんなことはないだろ!? アリソンほど分かりやすくないだけで、十分女性らしいからだっ……」
ここで気付く。何言ってんだ俺。キモいぞ。
「……とにかく、そんな安売りしていい裸でもないだろ」
「タオル、巻いてるから、そんなに気にしなくても……」
しかしゼルシアは、俺の方がタオル一枚纏わぬ全裸だということについてはどう思っているんだろう。
「……で、何の用事なんだ?」
「へ?」
「アリソンみたいな露出狂じゃあるまいし、わざわざシャワールームまでやってきたってことは何か話があったんだろ? ……それも、他の誰かに聞かれたくないようなことが」
「き、君は……結構、鋭いね」
「才能なしで冒険者をやっていくには、洞察力くらいは磨いてないとやってられないんでね」
もっともそれでも、俺は『殲滅団』の仲間が俺を見捨てるなんてことすら予想できてなかったんだけど。
「で、なんなんだ。風邪引く前に話を進めてくれるとありがたいんだが」
「あ、ご、ごめん。そうだね。えっと、パーティに誘ってくれたことについての、話、なんだけど」
「……!」
まさかゼルシアの方から切り出してくるとは思わなかった。
俺は神妙に、彼女の次の言葉を待つ。
「まずはその前に……改めて、ありがとう。ボクたちの、ためなんかに、ここまでして、くれて……」
「された分の礼を返しただけだ。そこまで気にすることじゃない」
「……ボクはそうは思わない、よ。人にしてもらっただけ、お返しするのって……きっと、そんなに簡単なことじゃない、から。アリソンちゃんから、聞いたよ。君の、詳しいこと……信じていた仲間に、裏切られたって」
アリソンめ。余計なことを話しやがったな。
「その人たちは……君に、してもらった分のお返しを……ちゃんと果たさずに、君のことを捨てた。そうされたすぐ後に、私たちに、思いやりを向けてくれた君は……きっと、とても良い人なんだと思う」
「俺は良い人なんかじゃないぞ」
今だって、ハイデン亭を助けたがためにゼルシアを引き入れるルートが消滅したことをちょっと後悔してるし、それに。
「前に言ったと思うが、俺は『殲滅団』を超えるパーティを作るつもりでいる! そして自分たちを軽々と飛び越えていく俺を見て、あいつらを悔しがらせてやるつもりなんだ!」
きょとんと目を丸くするゼルシア。
「こんな復讐を企んでいるような男が、いい男なもんか!」
俺がそう言うと、彼女は何がツボにはまったのかくすくすと笑った。
「それが、復讐って……ふふ。君は本当に……優しい人なんだね」
あ、あれ? なんか俺、馬鹿にされてない?
「だから良い人なんかじゃないって……」
「そんな君に、ボクは、できる限りの恩返しが、したい。だから、ずっとはいられないけど……」
「期間限定で俺たちのことを手伝ってくれるってか?」
はっと口を覆い、黙り込むゼルシア。
図星だったみたいだな。
やれやれ、そんな気を遣わなくたっていいのに……根が善良なんだろうが、そんなんだからあれこれ気に病むことになるんだぞ。
「いいよ、別にそんなことしなくても。まだ冒険者へのトラウマは抜けきってないんだろ? 苦しい顔して手伝ってもらっても、こっちも心苦しいだけだ」
「べ、別に、ボクは……」
「それに、ゼルシア。あんたはこの店に必要不可欠の存在になってる」
「……!」
「最初はそれを知らなかったから、あんたのことを勧誘したけど……今となっては、この店からあんたを奪うわけにはいかないって、そう思うよ」
「……ボクが、この店にとって、必要な存在に……?」
「なんだ。そんな自覚もなかったのか」
きっと冒険者時代の一件で、自己評価が最低レベルまで下がっているんだろうな。
それはきっと、長い時間が癒やしてくれる心の傷だが、治すために必要な環境は冒険者じゃない、料理店だ。
「ま、そんなわけで、あんたのことは諦めたよ。まだ時間はあるし、仲間はまた別をあたって見ることにする」
「……」
「ただし、その前に一つだけやっておきたいことがある」
「やっておきたいこと……?」
俺は立ち上がり、ゼルシアの方を振り向いた。
ゼルシアは驚いたような表情で一歩後ろに下がる。
そういえば俺、今全裸だったな。まあでも一々場所を変えるのも面倒だろう。もうどうでもいいや。
「俺はどうしても納得できていない。あんたの仲間が死んだのは、本当にあんた自身のせいなのか?」
「え? そ、それは、そうだよ。だって、ボクが上手く力を、使え、なかったから……」
「俺は違うと思ってる。あんたの才能が上手く作用しなかったのは、あんた自身にじゃなく、才能の方に問題があったに違いない」
「な、なんで……」
「それはゼルシアが勇敢な人だからだ」
彼女の才能は、強力だが同時に狂気の沙汰だ。
誰かを癒やすために一旦彼女に傷を移さなければならない関係上、彼女は必然的に誰よりも傷つかなければならない。
そんな才能を当たり前のように使ってきたというゼルシアが――――冒険者の日常的なピンチごときですくみ上がるものか。
何よりこいつ――――男が裸でシャワー浴びてるところに、わざわざ飛び込んでくるような謎の度胸があるんだぞ。
「だから俺に、あんたの才能を見させて欲しい。見つめ合わないと分からない、奥の奥底まで」
「……っ」
息を呑み、しばらく固まった後、ゼルシアは小さく頷き、こちらに目線を合わせてきた。
俺はそれを同意だと受け取り、髪を静かに掻き上げる。
「『完全看破』」
仄かな青白い光が俺と彼女の目と目を伝い、次の瞬間、彼女の全身は膨大な文字列に覆われた。
そして――――
「……見つけた」
ゼルシアを苦しめてきた事件の真相。
彼女の才能に隠された不確定要素の正体は、拍子抜けするほどあっさり見つかった。




