16 貧乏レストランを救済せよ!(3)
「何やってるのヴィンセント! どうしてあんな人前でむせ込むようなことをしたの!?」
ハイデン亭の閑散とした店内に戻った後、アリソンが俺に詰め寄ってきた。
「味が変わってたんだから仕方ないだろ。今のそのサンドイッチ、食べない方がいいぞ」
「何言ってるのよ。あんなに美味しいサンドイッチがちょっと日に当たったくらいで……あむっ……げほっ! ごほっ!」
大口開けてサンドイッチにかぶりつき、俺と同じように嘔吐いてその場でのたうつアリソン。
あーあー、だから言わんこっちゃない。
「……にゃ、にゃにこれえ……さ、さっきまでとっても美味しかったのに……」
「おそらくは、ローズマリーとかいうデブの仕業だ。あいつ、『食べ物を不味くする粉を作る』才能を持ってるらしい」
「えっ!?」
「な、なんですかその才能は!?」
「そのまんまだよ。恐らく奴は、何らかの手段でハイデン亭の料理にそれを振りかけて風評被害を招いたんだろう」
昔は美味しかったはずの料理が急にまずいと言われるようになったのは、十中八九それが理由だ。
「そういえば……他の店でも最近味が落ちたとかいう悪評が立ったのを聞いたことがあります! それで耐えられず、潰れた店もいくつかあるとか……」
「道理であの店にだけ異様な行列ができていたというわけか。無理やり寡占のような状態を作り上げていたわけだな」
恐らく俺が最初にこの店に来たときも、何らかの方法で粉が混ぜられたものを食べていたんだろうな。
逆に、昨日の夜にモーリス氏からいただいた賄いがちゃんと美味しかったのは、粉を混ぜられなかったから。
問題は、一体どうやってこの粉を混ぜたかということだが。
「何よそれ……信じられない! 私、ちょっと行ってくるわ!」
アリソンがまた殴り込みに向かいそうだったので――――
「ひゃうんっ!」
――――腰に差した刀をそっと引き抜く。
才能が解除されて、アリソンは思わずその場でつんのめった。
人目のあるところでこれをやるのはアリソンの弱点を露呈させるようなもんだから自粛したが……まあ、室内なら問題ないだろう。
「何するのよ!」
「むしろお前が何する気だったんだよ。いや言わなくていいぞ。殴り込みだろ。どうせ殴り込みだろ」
「そうよ! 悪いことしてるってはっきりしたんだから、ぶん殴って反省させればいいじゃない! それの何がいけないの!」
「まだ悪いことしてる証拠は掴んでないんだよ! そもそも謎は解決していないんだ。ただ粉を作れるというだけなら、レストラン全体の風評を落とすのは難しいだろ?」
「! それは……」
長年にわたって築き上げた信頼が、たかだか数回数人分の料理がまずくなった程度で崩れ落ちるはずがない。
『粉』の混入は、もっと長期、そして大規模に行われていたと考えるのが妥当だろう。
「シャーロット、ローズマリーがこの店に入ってきたことは今までにどのくらいあった?」
「ええと……一度もないと思います。あの人、私たちが作る料理は下々が食べるものだとか言って、最初っから興味がないみたいで」
「下々て。貴族気取りか何かかよ」
まあそんなことはどうでもいい。
「じゃあ、部下はどうだ? あいつの後ろに取り巻きが二人いただろう。あの取り巻きの姿は見たことあるか?」
「そうですね……精々一、二回程度でしょうか」
「それじゃ、部下がこっそり混ぜたとするにも回数不十分か」
他人の料理に目を盗んで混ぜるにしたって限界がある。
だとしたら粉を――――ん? 目を盗んで?
じゃあもし、目を盗む必要すらなかったとしたら?
「……仮説が一つ、立つかもしれないな」
俺がぽつりと漏らすと、アリソンがぐんと顔を近づけてきた。
「その反応……何か思いついたのね!」
「あくまで仮定の段階だけどな。これから俺たちは、その仮説が正しいか証明しなくちゃならない」
「――――……だったら、ボクも、それに……参加させて、欲しい」
「!」
不意に、思わぬ方向から聞こえてくるか細い声。
振り向くと、厨房服に身を包んだゼルシアが、のそりのそりとこちらに近づいてきていた。
長い髪をコック帽の中にまとめ上げるだけで、随分とさっぱりした印象になるもんだな。
「……ゼルシア」
「ボクの、料理は……前にいたパーティの、仲間に習って、この店で、働くにあたって、モーリスさんが、鍛えてくれたもの……」
前に見たときと同じようにおどおどした雰囲気ながら、しかしその瞳には、強い意志の炎が燃えていた。
「……ボク自身は、どれだけ馬鹿にされても、構わない。だけど、ボクの大切な人たちが……大切な人たちが、ボクに授けてくれた力が……馬鹿にされるのは、許せなかったんだ」
腐っても、元冒険者。
入れるところの気合というものはよく分かっているというわけか。
「……虫の良い話だとは、分かってる。君たちの誘いを、断っておきながら……こんなこと、言うのは、酷い話だけど。ボクにも、謎を解く手伝いを、させてほしい」
「虫の良い話なんかじゃねえよ。むしろ当然の権利だ」
俺はゼルシアに手を伸ばし、彼女が緊張しないように笑ってみせた。
「力を貸してくれ。ゼルシア=ブラック」
「……うん!」
ゼルシアは、そんな俺の手を握り返す。
ようやく少し、彼女との距離を縮められた気がする。
「……それで、取り急ぎは何をしたら、いいかな? ボク、できることならなんでも……」
「だったら、明日は最高に美味いビーフシチューを作って欲しい。できるか?」
「できるけど……なんで?」
「何故ならビーフシチューは俺の大好物だからだ!」
「……」
ゼルシアの方から、湿り気を帯びたじっとりとした視線が注がれる。
あれー? なんだかまた距離が生まれた気がするぞー?
それから一日が経って、ハイデン亭生活二日目の朝十時。
開店時刻が迫った店内には、昨日俺がゼルシアに注文したビーフシチューが大鍋一杯に用意されていた。
「い、一応作ったけど……これ、どうする……の?」
怪訝そうな目で聞くゼルシア。俺は満面の笑みで答えた。
「もちろん。俺が食べるんだよ」
「……まさか、本当に自分が食べたいがためだけに……ボクに、作らせたの……?」
いかん。ゼルシアの俺を見る目がどんどんと冷え切っていく。
仕方ない。事情があってあまり口には出したくなかったが、このまま疑われては本末転倒だ。
簡単に事情を説明するとしよう。
俺は咳払いしてから、ゼルシアに向き直った。
「もちろんそんなことはないぞ。これはだな、客引きのために使おうと思ってるんだ」
「客、引き……?」
「昨日のサンドイッチと同じように、これを使ってハイデン亭の料理が美味いことをアピールするんだよ」
「でも、昨日の今日で興味持ってくれますかね? この辺を通る人たちの多くは、多分昨日サンドイッチをゲロゲロしたヴィンセントさんの姿を見てますよ?」
横から突っ込みを入れるシャーロット。だがいい質問だ。
「だからこそ、今回は俺の大好物を注文したというわけだ。俺がどんなに頑張ってもサンドイッチを美味そうに食べるのには限界があるが、大好物のビーフシチューならそれこそ天に昇るような心持ちでその美味さをアピールできる」
実際、さっきから鼻をくすぐってくる牛肉の深みのある香りが、空きっ腹を刺激してたまらなくなっている。
そのために昨日の夜から何も食べてないんだ。
「というわけで、昼時になったら大鍋を運び出して、テラス席に置いて美味しく食べよう」
「あら? 通行客に振る舞うってわけじゃないのね?」
「馬鹿言うな。昨日あれだけハイデン亭の料理を馬鹿にしてきた連中だぞ! 向こうから頼み込んで来ない限り、食わせてやるわけないだろうが!」
俺がゲスっぽい笑みを浮かべると、アリソンの視線が呆れたように俺を射貫いた。
「あんた……まさか、シチュー作戦が成功しようが失敗しようが、どっちみち自分に損はないとか考えてないでしょうね?」
いやあ何のことかさっぱりだなあ。




