二つ結びの中学生-2
その晩、小巻は僕に抱き付いたまま辛い過去を話してくれた。
話し終えて少し時間が経つと、風呂場ではしゃぎ過ぎて疲れたのか、泣き疲れたのか、眠ってしまった。
小巻の話を要約するとこうだ。
小巻の両親は、小巻が幼い頃に交通事故で亡くなった。
小巻の両親が小巻を連れて、車で動物園に連れて行く途中だったという。
高速道路で居眠り運転のトラックと衝突。運転席に座っていた父親と助手席に座っていた母親は即死、後部座席に座っていた小巻だけが奇跡的に軽傷で済んだという。人が二人も亡くなった大事故だったので、翌日には全国的に新聞やニュースで報道されたらしい。大手企業の社長だった小巻の父親の財産、そして事故の原因となったトラックの運転主からの賠償金で、小巻と事故当時家で留守番をしていた小巻の姉は暮らすことになった。いとこや親戚などが小巻と小巻の姉を引き取ると言ってくれたらしいが、二人はそれを拒んだ。
それから数年の時が流れ、小巻の姉はどこか遠くの高校に進学を決め、小巻を置いて家を出た。小巻と小巻の姉は昔からあまり仲が良くなかったらしく、まともな会話もせずに、置手紙一枚を残して去ったという。
それからの小巻は孤児施設で育てられ、中学校に入学するタイミングでこの家に帰ってきた。
この話を聞いて、僕は一睡も出来なかった。
小巻が人懐っこいのは、寂しかったからなのだ。
だから、多分僕じゃなくても良かったのだろう。自分に構ってくれそうな人なら誰でも良かったのだろう。たまたま僕が行き先に困っていて、たまたま小巻が困っている人を見つける才能があって、たまたま僕がお人好しだっただけなのだ。
偶然の出会いなのかもしれないけど、この話を聞いてしまったからには、もう引き返せない。
どうかこの子には幸せになってほしい。
そのために、僕には何が出来るのだろう?
考えていたら、いつの間にか朝が来ていた。障子から差し込む朝日がたまらなく眩しかった。
「小巻、朝だよ」
僕は僕の胸の中でスヤスヤ眠っている小巻に、小さな声でそう言った。
「お兄ちゃん、おはよ」
「あ、起きてたの?」
「うん。ちょっと前から起きてたよ。でもお兄ちゃんが温かかったから寝たふりしてたの」
「そうなんだ。じゃあもうちょっとこのままでいいよ」
「うん、そうする」
なかなか可愛いことを言ってくれる女子中学生である。
「あ、でも、今日って何曜日だっけ? 平日なら学校があるでしょ? 支度はしなくていいの?」
「今日は土曜日だよ、お兄ちゃん」
「あ、そうなんだ」
一週間以上大学に行ってないと曜日感覚ってなくなるんだな。いけないいけない。
「小巻、そのままでいいからちょっと聞いてくれる?」
「どうしたの?」
「僕は小巻のために何が出来るかな?」
「一緒に遊ぶこと! 小巻、お兄ちゃんとまだまだ遊びたいよ!」
「分かった。他にはもうないかな?」
「他には? う~ん……あ、それじゃあ、」
小巻はそこで言葉を切ると、サッと布団から抜け出して、畳の上で綺麗に正座を作って、
「お兄ちゃんにお願いがあります。小巻と一緒にお墓参りに行ってください」
そう言いながら、布団で横になっている僕に向かって深々と頭を下げた。
★★★
小巻の両親のお墓は小巻の家の裏山にあるらしい。
僕のリュックサックは小巻の家に置かせてもらうことにした。山登りにあの大荷物はきつい。因みに、今回は小巻小走り(=歩き)を選択した僕だった。女子中学生を肩車して山登りはもっときつい。
お墓までの山道はかなり幅が狭く、並列で歩くのは不可能だった。なので、小巻が先頭で、僕が背中を追っていく形で進むことになった。狭いだけで傾斜はそれほど高くはないので、大して危険な道ではなかった。
山道を歩きながら、僕は小巻の背中に向かって、
「ねぇ、小巻。どうして僕と一緒にお墓参りに行きたかったの?」
「小巻、実はお父さんとお母さんが死んじゃってから一度もお墓参りに行ったことないの」
「え?」
「本当だよ。小巻、一人でお父さんとお母さんのお墓を見ちゃったらあの時の記憶が蘇ってどうにかなっちゃいそうだったから、ずっと行けてなかったの。お姉ちゃんと行こうと思ってもお姉ちゃんは小巻の相手なんて全然してくれなかったし」
「そうなんだ……」
「でも、小巻、お兄ちゃんが一緒だったら平気な気がしたの。だから頼んだんだよ」
まだ会ってから一日程度なのにずいぶんと信頼されたものだ。
ちょっと嬉しいな。
才能を持っていない僕でも、誰かの頼りになることがあるんだな。
「着いたよ」
登り終えた先には円形の広い空間があり、前方には「春風秋浩」と書かれたお墓と「春風千巻」と書かれたお墓が立っていた。
僕と小巻はお墓の前に行き、持ってきていた掃除道具でそれぞれのお墓を綺麗に掃除して、線香を上げて、最後に小巻の両親が好きだったというお菓子とお花をお供えした。
そして、既に泣きそうになっていた小巻はお墓に向かって──お父さんとお母さんに向かって静かに話し始めた。
「お父さん、お母さん、お久しぶりです。小巻です。もう中学生になりました。大きくなったでしょ? 胸はまだまだ小さいけど、これから大きくなると信じています。お父さんとお母さんがこの世からいなくなってもうずいぶんと時が流れました。今更ですが、あの時、小巻だけ生き残ってしまってごめんなさい。小巻は今でもたまにあの時の夢を見ます。だから、その度に悲しくなります。でもお父さんとお母さんの顔を見ることが出来るのでほんのちょっとだけ心地よい気持ちになったりもします。お姉ちゃんは高校生になって家を出ました。どこにいるのかは分かりません。小巻はお姉ちゃんが家を出た後、孤児施設にお世話になることにしました。孤児施設では少ないですがちゃんとお友達も出来たので楽しかったです。でもたまにお父さんとお母さんに会いたくなって仕方なくて泣きながら暴れたりもしました。小巻はあんまりいい子ではなかったみたいです。中学生になって、周りにはみんな新しい人で、まだクラスには馴染めてないですが、昨日、お父さんとお母さんから授かった才能のお蔭でとある優しいお兄ちゃんと出会いました。その優しいお兄ちゃんが一緒にお父さんとお母さんに会いに行ってくれるということで、小巻は勇気を出して今日ここに来ることが出来たのです」
小巻は半泣きの状態で、頑張って話す。
今までのこと、今のこと。
僕はそんな小巻を、心の中で応援しながら見守る。
「お父さん、お母さん、ずっと言いたかったことがあります──」
そこで小巻はたまらなくなったのか、とうとう完全に泣き始めた。
可愛いらしい顔をぐちゃぐちゃにして、喉から精一杯の声を絞り出して、
「小巻を、ぐす、生んで、ぐす、くれて、あ、ありがとうございます、ぐす、うぇ~ん……」
最後の言葉を言い終えると、小巻はその場に泣き崩れた。
「小巻は小巻らしく生きなさい」
「小巻はきっといい子ですよ。私たちの子ですからね」
その瞬間、お墓から男性の声と女性の声が聞こえてきた。
その声はとても優しくて、温かくて、全てを包み込んでくれるような寛大さを孕んでいた。
そして、僕は瞠目した。
お墓の前に、スーツを着た男性と、ドレスを着た女性が立っていたのだ。
小巻はその光景を見て、びっくりして反射的に立ち上がって言った。
「お父さん! お母さん!」
小巻が大きな声でそう言った瞬間、二人がにっこりと微笑んだ。
そして、笑ったままゆっくりと虚空に消えていった。
二人が消えた後、裏山には一際強い不自然な風が吹いた。
★★★
その後再び泣き始めた小巻をおんぶして、僕は裏山を降りた。
家に帰った後も小巻はずっと泣いていた。僕も手の震えが止まらなかった。
見たものや感じたものを正直はっきりとは思い出せない。だけど、僕と小巻は確実に不思議な体験をした。
お墓参りをして良かったと思う。きっとこの体験は、小巻のこれからの人生に大きく貢献する体験になったはずだ。
しばらく小巻を一人にしてやろうと思い、僕は小巻を寝室の布団の上に降ろすと、寝室を出て、隣の部屋を借りることにした。あんまり遠くの部屋を借りると迷子になりそうだしね。
しばらくすると、ガラガラと引き戸を開けて、小巻がこちらの部屋に入ってきた。泣き止んだらしい。
というか、むしろ小巻の顔は雨上がりの日差しのようにニコニコだった。回復力の早さに少し驚いた。
「お兄ちゃん、ありがとう! 小巻、もう元気になったから大丈夫だよ!」
「それはよかった」
「うん! だって小巻はお父さんから言われたんだ! 小巻は小巻らしく生きなさいってね!」
「うん。僕も小巻は小巻らしく元気で生きるのが一番いいと思うよ」
「だから、お兄ちゃんにお願いがあるの!」
「ん?」
「小巻もお兄ちゃんの旅に連れて行ってほしい!」
「え?」
「小巻はお姉ちゃんを探したい。お姉ちゃん、お父さんとお母さんのお墓参りに行ったことないはずだから、お姉ちゃんをお墓参りに行かせたい。そして、お姉ちゃんとお話をして、仲良くなって、仲良く暮らしたい。それが今の小巻の目標。きっと、お父さんとお母さんもそれを望んでいるはずだから。だから、お兄ちゃんと一緒に旅をする中で小巻はお姉ちゃんを探し出したい。あとお兄ちゃんとまだ一緒にいたいし!」
「でも……小巻はまだ中学生だし、学校に行かなきゃだし、」
「小巻、お金は銀行にたくさんあるから大丈夫だよ! あと学校もお兄ちゃんと同じ休学届を出せば大丈夫! あとで学校に電話しとくから!」
「中学校に休学の制度とかあるのかなぁ……」
「大丈夫! 小巻なら適当な理由をつけて長期休みをもらうなんて余裕だよ!」
なんかそういう行動力だけは僕と少し似ている気がするな、この子。
「本当の本当に一緒に行くの? 旅をする以上、贅沢は出来ないよ?」
「小巻にとって、お兄ちゃんと一緒にいることが最高の贅沢なのです!」
何それ。めっちゃ嬉しいんですけど。
「じゃあちょっと旅の支度をしてくるね! あ、その前にお兄ちゃんに行っておくことが──」
小巻は慌ただしく部屋の入口まで走ると、そこで足を止め、こちらを向いて最高の笑顔でこう言った。
「お兄ちゃんには小巻の才能があると思うよ!」
そんなヘンテコな才能がこの世にあってたまるか、と呆れながら、僕は笑った。