二つ結びの中学生-1
まずはどこに行こうか?
大きなリュックサックが甲羅で僕が本体。その姿はまるでカタツムリ。カタツムリの僕は普段通学路として利用している閑散とした住宅街を歩きながら、最初の行き先を考える。この旅の目的は僕自身の才能を探し出すことなので、色々な体験が出来る場所がいい。
う~ん、意外と難しい。
どこに行こう。
旅の生活の準備はしっかりとしたけど、肝心の旅自体に関する準備を怠っていた僕だった。
昼前に起床して昼間にバタバタ旅の支度をしたので、もう夕方だった。夕日がまるで僕を応援しているかのように茜色の光を放っている。でもカラス達はまるで僕を馬鹿にしているかのようにうるさく鳴いている。神様は遥か上空でこの旅を激励しているのだろうか? それとも嘲笑っているのだろうか? 前者だったら嬉しいな。僕のことなんて見てないのかもしれないけど。
「とりあえず電車に乗ればいいと思うの」
いきなり、後ろから女の子の声が聞こえた。
僕はびっくりして、すぐさま後ろを振り向いた。
しかし、そこには僕が今まで歩いてきた道路が淡々と続いているだけで、誰もいなかった。
「…………」
僕は神隠しを見たかのような不思議な気分になってその場に立ち止まっていたが、しばらくすると踵を返して歩き始めた。
カタツムリの最初の行き先は、ひょんなことから駅に決定した。
★★★
十五分ほど住宅街を歩き、駅に辿り着いた。
この町は小さな町なので、駅も小さい。しかも無人駅。
夕方の駅には、僕以外の人影はない。
とりあえず、電車に乗って大きな街に行こう。
そう思い、僕は券売機の前で千円札を出した。
「切符は隣町まででいいよ」
券売機が千円札を吸い込んだ時、またさっきの女の子の声が聞こえてきた。
今回はかなり近い場所からはっきりと聞こえた。
どうやらこの声は霊的なやつでもなければ幻聴的なやつでもなかったらしい。凄く安心した。霊的な話は少し苦手なのだ。
僕は近くの電信柱に向かって、
「君は誰? さっきも電信柱に隠れていたんでしょ?」
すると、電信柱の影から「あ~、ばれちゃったか~、てへへ~」と何だか楽しそうな犯人があっさりと姿を現した。
彼女の着ている制服を見て、すぐに分かった。二つ結びの彼女は、僕の通っている大学の近くにある中学校の生徒だった。
彼女は昼下がりの太陽みたいにニコニコしながら、
「小巻の名前は春風小巻! 今年からピカピカの中学一年生! 『小巻』って呼んでね!」
「……うん。じゃあ、小巻はどうして僕のストーカーをしているの?」
「ストーカーなんて人聞き悪いなぁ、お兄ちゃん。小巻は行き先に困っていたお兄ちゃんの道標になろうと思っていただけなのに。人助けだよ、これは。ヒトダスケ」
「ヒトダスケ? どうして片言? どうして二回言った?」
「片言に特に意味はありませんし、二回言ったことにも特に意味はないのです。小巻は意味がないことをするのが結構得意だったりするタイプの女の子なのです」
「生まれて初めて聞いたよ、そんなタイプの女の子。え? ってか、どうして僕が行き先に困っているなんて分かったの?」
「小巻には困っている人を見つける才能があるのです」
この世の中にはそんな才能もあるのか。かなり珍しいタイプの才能だな。
まあ、変わり者の才能には変わった才能が多いっていうけど。
「そういうことなら人助けをありがとう。お蔭で僕は無事に旅立てそうだよ」
小巻は頭上に「?」を浮かべて、首を傾げた。
「旅立つって……お兄ちゃん、何をしている人? 冒険家? 格闘家? 魔法使い? 盗賊? ドラクエ? リアルドラクエ? 魔王倒しに行くの? それともただのニート?」
「僕はただの大学生だよ」
小巻はさっきと反対側に首を傾げて、
「ただの大学生が魔王倒しに行くの? どうして? どうしてただの大学生がそんな宿命を背負っているの? 魔王ってそんな気軽な感じで倒しに行けるものなの? ねぇねぇ? もしかして小巻でも魔王倒せるの? 魔王実は弱いの?」
「僕は魔王を倒しに行くわけじゃないよ」
小巻はまた反対側に首を傾げて、
「じゃあお兄ちゃんはどうして旅立つの?」
「僕は自分の才能を探しに行くのさ」
「お兄ちゃん、自分の才能なくしたの?」
「違うよ。僕は自分がどんな才能を持っているか分からないんだ。だから、旅の中で自分の持っている才能を探し出すんだ」
「ほぇ~。お兄ちゃん、カッケ~ッス」
大きく目を見開いて、僕を尊敬の眼差しで見てくる二つ結びの中学生。
今までの人生で、他人にこんな尊敬の眼差しを向けられたのは初めてかもしれない。
「でも、お兄ちゃんただの大学生なのに旅に出てもいいの? 大学生って学校に行かなくてもいいの? 大学生って毎日がパーティーなの?」
「いや、大学生でもちゃんと学校に行かないとダメだよ」
「じゃあお兄ちゃんダメじゃん」
「僕はちゃんと休学届を出したから大丈夫なのさ。多分」
「ほぇ~。よく分からないけど大学生ってスゴイッス」
また尊敬の眼差しで僕を見てくる二つ結びの中学生。尊敬されること自体は新鮮なんだけど、こんなことで尊敬されてもあんまり嬉しくないのである。
ふと僕は、ポケットからスマートフォンを取り出して現在時刻を確認した。電車の時刻表と照らし合わせてみると、どうやらあと三分ほどで電車が到着するようだ。早く切符を買って改札口を抜けなくては。
でもどこまでの切符を買おうか?
「だからお兄ちゃん、隣町までの切符を買いなよ。隣町までなら運賃も安いし……何と言っても、隣町には小巻の家があるのだ! ハハハッ!」
「僕の目的は小巻の家じゃないんだけどなぁ」
「いいじゃんいいじゃん! 隣町まででいいじゃん! 小巻も一緒に乗るからさ! そして小巻の家まで案内してやるからさ! ねぇ、お兄ちゃんってばぁ。一緒に行こうよぉ」
思ったよりしつこいな、この子。
もしかして僕なつかれてる? なぜ?
「僕の希望としては、まずは次の電車で都会の方に行ってネットカフェに泊まろうかと」
「えぇ~、つまらないなぁ~。ネットカフェに泊まるなら小巻の家に泊まりなよぉ」
「いや、でも、親御さんとかに悪いし──」
「えい!」
「あ!」
可愛らしい掛け声で、小巻が勝手に隣町までの切符のボタンを押した。
そして切符とお釣りが出てきたのと同じタイミングで、電車が到着するアナウンスが流れた。
「ほら、お兄ちゃん、もう電車来たよ! 早く切符とお釣り拾って改札抜けないと次の電車まで三十分以上も待たないといけないよ! もうこれは乗るしかないでしょ!」
「うっ……、三十分は確かに長い……」
小巻はどうやら定期券を持っていたらしく、改札口を元気に走り抜けるとこちらに両手で手招きをしながら、
「お兄ちゃん、早くおいでよ! 電車行っちゃうよ! 早く! 早く!」
「…………」
才能の旅は、序盤からグタグタなのであった。
★★★
普通電車で約十分。隣町に到着した。安定の田舎である。
改札口を抜けると、小巻がさっそく、
「じゃあ今から小巻の家を案内するからちゃんとついてきてね!」
どうやら僕が小巻の家に行くのは確定らしい。
「はいはい。僕荷物が多いからあんまり早く行かないでおくれよ」
「じゃあ小巻小走りぐらいでちょうどいい感じかな?」
「小巻小走り?」
「小巻の走るペースのことだよ、お兄ちゃん。遅い順に、小巻極小走り、小巻小走り、小巻中走り、小巻まぁまぁ走り、小巻大走りがあるのです」
「ほぉ……。じゃあ、小巻極小走りでお願いしようかな」
「お兄ちゃん、なかなかお目が高いですな。では、小巻極小走りで案内しましょう」
「うむ。お願いします」
「因みに、小巻極小走りでは小巻は走りません」
「え? 小巻極小走りなのに小巻走らないの? ……あ、歩くってことか」
「いいえ、歩きもしません」
「? じゃあどうやって僕を案内するんだよ?」
「お兄ちゃんが小巻を肩車します」
「はい?」
おいおい、何言っちゃてるのこの子?
「僕が小巻を肩車するなら、それはもう小巻極小走りとは言わないんじゃ……」
「小巻極小走りとは実は名前だけなのである!」
「どや顔でそんな解説されてもなぁ……」
「お兄ちゃんが小巻極小走りがいいって言ったんだからね! 大人なんだから責任は取ってもらうよ! 小巻、行きま~す!」
小巻はそう言いながら僕に迫ってきて、無理やり肩に乗ろうとしてきた。
こんな大荷物を背負っている人間に肩車を要求するなんて鬼である。鬼の二つ結びである。
「こ、こら! 分かった、分かったから暴れるな! ほら、乗りやすいようにしゃがむからちょっと離れて」
「わーい! 肩車! 肩車!」
自分の才能に気付く前に、自分が相当なお人好しだと気付いた僕だった。
★★★
「着きました! ジャジャ~ン! ここが小巻ハウスです!」
小巻の案内の元、僕と僕に肩車されている小巻は小巻の家に到着した。
駅から小巻の家は思ったよりも遠く、徒歩で三十分以上もかかった。だから僕の肩はもう限界だった。
まさか本当にフルで肩車をするはめになるとは思わなかった。途中、流石にきつくなった僕が肩車を止めてもいいかと訊いたところ「嫌だ!」の一言でばっさりお断りされた。お断りされるとは思わなかった。きっと小巻は「大人なら何だって出来る」と勘違いしているピュアピュアガールなのだろう。そうじゃなかったらデスガールだ。
駅を出たばっかりの景色は、田舎は田舎でもド田舎ではなかった。団地やアパートなどがちらほらと見受けられ、車が走り、多少の喧騒があり、スーパーマーケット等もあった。しかし、歩いて行くにつれてだんだんと田畑が増えていき、最終的には田畑と山しか見えなくなった。そんなド田舎の一本道をさらに歩き進んでいるととうとう日が落ちた。ド田舎の一本道には街灯すらなかったけど、月光が驚くほど真直ぐ地上に届いていたから普通に歩くことが出来た。
死ぬ思いで辿り着いた小巻の家は、思っていたよりもずっと豪邸だった。周囲に淡々と広がっている田畑の中に、ポツンと一際目立つ瓦屋根の家。家自体の面積もそうだが、これは庭も相当広いだろう。テニスコートぐらいは余裕で作れそうだ。誰もが思い浮かべる「日本の屋敷」だった。
僕は僕の肩にまたがっている小巻に、
「小巻って、実はお嬢様だったりするの?」
「小巻は小巻だよ!」
「いや、それは知ってるけど」
小巻のこの非常識さって、もしかして箱入り娘的なやつだからなのか?
「そういえばお兄ちゃん、お疲れ様! よく小巻極小走りに耐えましたね! ご褒美に今晩は小巻の家に泊めてあげましょう! はい、それでは小巻を降ろしてください」
と、何故かかなりの上から目線で小巻が言うので、僕はしゃがみ込んで小巻を降ろした。小巻の両足が地面に着いた瞬間、僕の肩が大きな呼吸をした。体の一部を限界まで酷使した後ってこんな感覚になるのか、と一つ知識が増えた僕だった。
元気が有り余っている小巻は、僕の肩から降りるやいなや走って家の敷地内に入っていく。僕は最後の力を振り絞り、必死に小巻に付いて行った。
広大な庭を抜けると、玄関が見えてきた。
小巻は勢いよく玄関を開けると「ただいま!」と言って靴を脱ぎ捨て家に上がった。
「ほら、お兄ちゃんも早く上がって!」
「じゃあ、お言葉に甘えて……、お、お邪魔します……」
小さな声で社交辞令を申して、僕も家に上がった。上がると、まずは自分の靴を揃えた。
「ん?」
靴を揃い終えた時、ふと僕は違和感に気付いた。
あれ? なんかおかしいぞ?
この家の靴置き場には靴棚らしき棚が見当たらない。なのに、今この靴置き場にある靴は、さっき小巻が脱ぎ捨てたスニーカーと、恐らく小巻のであろうピンクのサンダルと、僕の靴のみだ。
どういうことなのだろうか?
……あ、そうか。ここ以外にも別に玄関があるのか。こんなに広い家だから玄関の数もそれなりに多いってカラクリだろう。そうだとすれば、ここは正規の玄関ではないのか? もしかして……小巻専用玄関とか?
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
「ん? どうした?」
「ご飯にする? お風呂にする? それとも小巻にする?」
「女子中学生がそんなことを言ってはいけません」
「どうして?」
「どうしてって言われても……」
もしかして、小巻は自分が言ったことの意味を理解していないのか? だんだんとこのピュアピュアガールの将来が不安になってきたぞ。
「まあ、その三択ならお風呂がいいかな。流石に歩き疲れたし」
「了解しました! お風呂いっちょう! アニキ、小巻についてきてくだせぇ!」
ということで、僕は迷路みたいな廊下を抜けた先にある風呂場に案内された。
脱衣所がスーパー銭湯の脱衣所ぐらいあって、思わず見入ってしまった。一般家庭でここまで広い脱衣所が存在したという事実に一番驚きを隠せなかった。
これは風呂に浸かるのが楽しみになってきたぞ。
「って、小巻……? あの……僕、風呂に入りたんだけど……」
「うむ。じっくり浸かるがよいぞ」
「いや、そうじゃなくて、どうして小巻も服を脱いでいるの?」
「どうしてもこうも小巻も風呂に入るからに決まってるじゃん。何言ってるのお兄ちゃん?」
「え? えぇ!? もしかして一緒に入る感じなの!?」
「そうだよ! せっかくのお泊りなのに一緒に入らないとかもったいないじゃんか! もぉ~、お兄ちゃんは分かってないなぁ~。人間、裸の付き合いって大切なんだよぉ~」
「お、おう……。それはそうかもだけど……」
僕は本当にこの子の将来が心配だよ。
これ大丈夫なの? ここ小巻の家だよね? 小巻の両親に僕が小巻と一緒に風呂に入ったことがバレたら色々とヤバいんじゃないか? 下手したら警察沙汰? そんなことになったら才能の旅どころじゃなくなるよ。でも小巻にそんなこと言っても絶対に聞いてくれそうにないしなぁ。だって一緒に入る気満々だもん。もうパンツ一枚の状態だもん。うーん、困ったものだ。
……いや。そうか。そうだよな。僕の考え過ぎだよな。これは気持ちの問題ですぐに解決するのだ。僕にやましい気持ちがない限り、何が起きようが絶対に警察沙汰にはならない。だから知り合って間もない女子中学生と一緒にお風呂に入ったって別に構わないのだ。人間、裸の付き合いは大切。僕にやましい気持ちがないのなら、むしろ一緒に入るべきだ。
「よ~し! お兄ちゃん、まずは背中の流し合いからだよ!」
「おうよ!」
才能の旅初日、この日、僕は生まれて初めて女子中学生とお風呂を共にした。
二つ結びの女子中学生の家はとても大きくて、その家の風呂場もとても大きくて、彼女の胸はまだまだ小さかった。
★★★
晩御飯をご馳走になるのは僕の気持ち的に申し訳なかったので「お風呂の後はご飯だね!」という小巻の言葉に僕は「今お腹いっぱいだからご飯は遠慮しとくよ」と普通に嘘をついた。小巻は「えぇ~」と少し残念そうだったけど「まあお腹いっぱいなら仕方ないね」と言って僕を寝室まで案内してくれた。
寝室は畳の部屋で、ぐちゃぐちゃになった布団が敷いてあった。恐らくここは小巻の寝室で、この布団は小巻が朝起きたままの状態で放置していたものだろう。
「ちょっと待ってね」
言って、小巻はぐちゃぐちゃの布団をちょっとぐちゃぐちゃ程度まで整えた。
「お兄ちゃん、今日はここで寝ていいよ!」
実は風呂から上がった直後に今日半日の疲れが睡魔となって襲ってきていた僕だった。
「ありがとう」
僕は小巻に一言お礼を言うと、バッテリーの切れたロボットのように布団に倒れ込んだ。
「実は小巻も今日はお腹減ってないから、もう最後のイベントにいっちゃいますか」
小巻はそう言うと、猫のように布団に侵入してきて、僕にギュッと抱きついた。
いきなりでびっくりした。
「こ、小巻……?」
「最後のイベントは小巻だよ、お兄ちゃん!」
「それってどういうこと……?」
「こういうことだよ!」
すると、小巻はさらに強く僕を抱き締めてきた。
……うん。よかった。そういうことで良かった。小巻がピュアピュアガールで良かった。
「ほら、お兄ちゃんも小巻を抱き締めるの!」
「はいはい」
僕は適当に返事をして、小巻を抱き締め返した。
「…………」
それから、どれだけ小巻を抱き締めていただろうか? 三分? 五分? 十分?
さっきまでテンションの高かった小巻が、今はとても大人しい。というか、何一つ喋らなくなった。黙り込んだ。もしかしてもう眠ってしまったのだろうか?
僕が疑問を浮かべていたら、小巻の鼻をすする音が聞こえてきた。ぐす……、ぐす……、と確かに聞こえてくる。あれ? 小巻、僕の胸で泣いているのか? どうして? 僕、小巻を泣かせるようなことした? もしかして強く抱き締め過ぎた? いや、そんなことはないと思うけど……。
「小巻、どうしたの……?」
僕が恐る恐る訊くと、小巻は、ぐす……、ぐす……、と泣きながら、
「お兄ちゃん、実はね、小巻にはね、お父さんもお母さんもいないの」
風呂上がりでぽかぽか温かい二つ結びの女子中学生、その心はたぶん冷たかった。