河童編・後日談4
とんとん、キュキュ、とんとん、キュキュ。
途中で畑に居たかか様に呼ばれ、収穫した野菜を洗ってほしいと言われたので、
ままごとは中断して、緑王のちび河童と一緒になって、傍にある小川に近づく。
私達は水の中に入って、渡された野菜をひとつひとつ丁寧に洗った。
水面がきらきらと光っていてきれいだ。両手足を水に浸すといい気分。
足元を見ると、小さな魚がすいっと泳いで通り過ぎていく。
おお、おいしそうだね……。
明日はここで私も水浴びして遊ぼうかな、なんて思っていると。
「くっ、なぜ余がこんなことまで……。
小娘。いつもこんなことをしているのか?」
「キュ」
そうだよ。
龍青様に一番いいものをあげる時には、私が洗うことにしているの。
あとはみんなで食べるものも、ここでじゃぶじゃぶするんだよ。
でも私、まだうろこが強くないから、水が冷たい時はやらなくていいけど。
そう言うと、緑王は何か考えながら私にこう話しかけてきた。
「水神の嫁となる娘が、不浄の泥に触れているなど嘆かわしい……。
おぬし、本当は郷や龍青の奴に大事にされておらぬのではないか?
こんな仕事、余やおぬしのような立場のものは目下の者にやらせるべきだ。
ましてや、おまえは郷の長の娘なのだろう? 幼い身の上ならなおさら……」
「キュイ」
ちがうよ。すごい大事にされているよ。
私はぷるぷると頭を振って答えた。
「キュイ、キュイキュイ」
とと様もかか様も、私がお腹いっぱい食べられるまで待っていてくれるし、
郷のみんなも私に木の実を持って来てくれるもの。
それにね、抱っこしてくれたり、おんぶしてくれたり、高い高いもしてくれる。
この郷はね。住む者みんなが仲間……家族になるんだよ。
「家族……? 血のつながりがないのにか?」
「キュ」
そうだよ。だから誰かがえらいとか、そういうのは無いんだ。
とと様はここで郷の長をしているけれど、
それは、みんなをまとめるために頼まれてしていること。
だから、獲物が手に入った時もみんなで口にするんだ。
私がみんなとちがう色目の子どもでも、私のことを仲間外れにしないし、
みんなが仲良しさんで、困ったことがあったら助け合うの。
この食べ物も、みんなで作って、みんなで分け合って食べるものなんだよ。
ここでは、生きるためにみんなで力を合わせて、
自分にやれる事をするの。
「キュイ」
緑王もこれからはここの仲間になるんだから、仲良くしてね。
私より小さな頭をぽんぽんとなでて、またじゃぶじゃぶと野菜を洗い始める。
手に持っていたきゅうりは、とってもおいしそうだった。
これ、あとで龍青様の供物にしようかな。
「仲間……余も……か……」
「キュ?」
緑王が、じいっと私の事を見てくるので顔を見上げる。
「よ、余の嫁になれば、嫌なことからはみんな解放されるのだぞ?」
「キュイ」
それはやだ。
ぷいっと私はそっぽを向く。まだあきらめてなかったのか。
私には……えっと「心に決めたお兄さんが居るからだめ」なのだ。
女房のお姉さんが、もし他の雄に嫁に誘われたら、
そう言えって教えてくれたもん。
「どうしても嫌か?」
「キュ」
私はこくりとうなずいた。
なぜだと言われたので、「だって龍青様じゃないからだよ」と答える。
それしか私には答えがないんだ。
私は龍青様が、あのお兄さんが大すきなんだよって。
そうしたら、「なぜだ」とまた言われて、不服そうな顔をされた。
「どいつもこいつも、なぜあやつばかり……」
「キュイ?」
だって龍青様はとっても優しいもの。
私は龍族の中でも、みんなとはちがう存在だけど、
お兄さんは初めて出会ったころから、私の事を気味悪がったり、
いやな事を全然してこなかった。すごく可愛がってくれたの。
あの時の私は分かっていなかったけれど、
きっと本能で大丈夫だと思ったんだろうね。
“このお兄さんなら、私の事を大事にしてくれる”って。
私、とっても怖がりなのに、
お兄さんのことは最初から全然怖くなかったの。
私が初めて出会う世界の、郷以外で暮らしている龍族の雄なのに。
『桃姫、おいで?』
見ず知らずの私を迎え入れて、守ってくれているのが分かった。
だからお兄さんのお膝の上は、とっても安心できた。
ここに居てもいいんだって言ってくれて、いつも分からせてくれるから。
それに龍青様は、私の知らない、すごくいろんなこと教えてくれるもの。
怖いことも辛いことも、龍青様がいつも守ってくれるから、
私もがんばって強くなって、お勉強もたくさんしてね?
もっと立派になってお兄さんを守りたくなったんだ。
「キュ」
「……っ!」
私は今ここに居ない龍青様を思ってしっぽを振る。
お兄さんが付けてくれた特別な私の名前も、
私に教えてくれた、たくさんの「大好き」なことも、
みんなみんな、龍青様と出会わなかったらなかったものだ。
「キュイキュイ」
私は龍青様みたいに、誰かに傷つけられても優しくはなれないと思うけど、
お兄さんは……自分よりも弱い相手にもずっと優しいから、
強いんだなって思うの。
私よりもずっとずっと強くて、立派なお兄さんだから好きなんだ。
「キュ」
だから、私は龍青様の嫁になりたいんだよ。
嫁になれって、私の気持ちなんて考えてもくれないヤツなんかよりずっといい。
言うことを聞かせようと、ぶったりとか閉じ込めたりとか絶対にしないもの。
私にだって、えっと……そう、相手を選ぶ権利があるはずなんだよ。
それを緑王は、どうして自分だけに権利があるって思っちゃうの?
変じゃない? 番ってお互いが求めないとだめなんでしょ?
私はじゃぶじゃぶと新しい野菜を手にとっては、水の中で洗う。
「そ、それは……」
私や青水龍のあの子……つゆ草にだって気持ちがあるのにさ。
いやなことされたら、そいつの事をきらいになって当然でしょ。
私はね。龍青様が大すきだから、その龍青様の事をいじめたら許さないの、
ぜったいにぜったいに許さないんだから、分かった?
それがきっと、番を大切に思う私の気持ちなんだよ。
「……っ!」
私の言葉を聞いて、緑王は固まった後、ぺたりとお尻をつく。
ほとんど水の中に入ってしまった小さな河童は、
ぶくぶくと泡を口から出しながら、すごくすごく考えているようだった。
……なんか、その姿を見て龍青様のとと様の事を思い出すな。
水神様と言うのは、長い時を生きてきて、
いろいろと出来るのかもしれないけれど、
そのせいで、緑王は相手の事を思えなくなっちゃったのかな。
龍青様や、ミズチのおじちゃんにそういう所がないのは、
昔、いろいろな所を旅したことがあるせいかもしれない。
苦労していたから、周りに優しくできるんだと思う。
『緑王は、周りに過ちを正してくれるものが誰も居なかったせいだの。
甘やかされ、なんでも自分の思い通りにならぬと気がすまなくなってしもうた。
だから桃色のお嬢さん、おぬしの郷であの子を修行させてやってほしいのだ』
『キュ?』
『最初から、恵まれた環境で育ったものは誰かの痛みを理解できぬ。
だから、自分が水神として何が足りなかったのか、学ぶ機会を与えたい。
神は誰かに必要とされなければ存在できぬからのう。
一度弱き立場に戻り、誰かを大切にする心を育んでやってほしいのだ」
水神の長で、亀の翁おじいちゃんからは、そうお願いされている。
龍の郷に、いきなり河童のあやかしの子どもを預かることになって、
みんなは最初びっくりしていたけどね……。
でも、最後にはみんな、この話を受け入れてくれたんだよ。
だから、ここでやり直せるかはこの緑王次第なんだよね。
もしも「その時が来たら」翁おじいちゃんは水神に戻してあげる気らしい。
もちろんこれは、このちび河童さんにはまだ秘密なんだけどね。
私としては、龍青様のことをいじめるから、
ずーっとこのままがいいんだけどな。
それはそれとして、ふと私はあることを思った。
「キュイ」
水の中から、ちゃぽんと顔だけを出した緑王に話しかける。
ねえ、そういえば緑王ってお友達は居ないの?
「ぐほっ!?」
再び水の中に沈み込んだ緑王。
……その反応、居ないんだね。まあ、あの性格じゃあ難しいか。
まあ、私も今までは居なかったけどさ。
「な、なぜそれを……い、いやちがうっ!
高貴な水神の一柱の余は、もう友などというものなど居なくても……!」
「キュイ」
居なくて、さびしかったから……龍青様をいじめたのか。
私がじとっとした目で緑王を見つめると、
ぐっと息をのんで体を小さくした緑王の姿。
水面に口だけを浸して、ぶくぶくさせながら居心地の悪そうな顔をする。
「キュ~?」
「い、いや、それはだな……」
私は知っているぞ。龍青様にはミズチおじちゃんという友神がいる。
それも水神を引き継ぐ前からの、幼馴染だって言っていたし。
でも、緑王にはそんな相手は居なかった。似たような境遇で、
年も近くてかまってくれそうなのが……。
素直に「仲間に入れて」って言えばよかったのに。
私とちがって、ずっと周りに居なかったわけでもなかったのにさ。
龍青様なら、きっと仲間に入れてくれたよ?
ミズチおじちゃんだって面倒見がいいんだし。
「し、しかたないではないか、子どもの頃の余なんてこの体格だぞ?
本体の大きさだと小さすぎて、遊び相手にすらならなかったわ!
今なんておまえに小さくされたから、余計にな!」
「キュ」
そんなことないよ。龍青様は今も小さな私に合わせて遊んでくれるし。
話しだって目線を合わせてくれるもの。
しっぽを振りながら、キュイキュイと抗議する。
龍青様は私の家族になるんだから、仲良くしてくれなくちゃやだよ?
すぐには無理かもしれないけど。緑王は成体だったんだし、
もうそろそろ、”ごめんなさい”が出来ないと、はずかしいよ?
「……う、うむ」
「キュ」
「……余よりも幼いというのに、その子どもに諭されることになろうとは。
見かけにだまされて、あなどっていたのは間違いであったか。
案外、あやつとは似た者同士なのかもしれぬ」
「キュイ?」
「あやつのように、可愛げのない者になるなよ小娘」
また、じいいっと見てくるので何かなと思っていたら、
緑王のちびがっぱは、小さな水かきの付いた手を私の方へ伸ばしてくる。
あくしゅ? 首をかしげて「仲直りしようって意味かな」と、
私も手を伸ばそうとした。
その時だった。
「わ、居たああーっ!! 桃、久しぶりい~っ!?」
「……ぬ?」
「キューー!?」
私めがけて、何か小さな水色の物体が突進してくるではないか。
どこかで聞きなれた声だな、なんて思って声のする方を向くと、
私はその相手と一緒に水しぶきを立てながら、水の中へと倒れこんだ。
ちょっと!? と思いながら体を起こすと、
目の前には青水龍の子ども、つゆ草が私に抱き着いて笑っていた。
「キュ!」
つゆ草!
「あははは、やっと会えた―っ!
今ね? あなたのおじ様の所にごあいさつに行っていたのよ。
そしたら今日はこっちに居るって聞いたから会いに来たの。
ちょっと元気だった? 少しは大きくなったかしら」
「キュイ」
元気だよ。おかえり。前の群れはもういいの?
私は手をつなぎながら、キュイキュイと再会を喜ぶ。
私と同じ龍の子どものつゆ草。種族は違うけれど今は仲良しだ。
ここへ来られたということは無事に群れを抜けられたらしい。
まあ、水神様のお言葉付きとなっていれば、
さすがに断れないんだろうけど……。
道中は龍青様が守ってくれていたとはいえ、
こんなに早く戻って来られたということは、かなり無理をして来たのだろう。
つゆ草は少し疲れているような顔だし、
前に別れた時より、少しやせているように感じる。
それでも無事にここまでたどり着いてくれたことは、とてもうれしかった。
久しぶりだねって言いながら、
私は水の中に入れたままの野菜をひろい上げ、
かごの中にぽいっと入れる。
「……」
それをじいっと見ている緑王。
「……あれ? あんた居たの? ちびっこ誘拐魔」
「い、居るわ馬鹿者! うごわああっ!?」
つゆ草がすぐにでも叫ぼうとする緑王の頭を、
がしっとつかんで水の中に沈める。
「キュ?」
「うごわああああ」
「ふんだ!」
この子は前にいやな事をいっぱいされたので、
まだとっても根に持っているんだろう。
気持ちはわかるけど、さすがに止めた方がいいだろうか。
でも、緑王は元々河童なので水の中には強いんだよね。
頭を押さえられていても、水の中で緑王はじたばたと暴れているだけだし。
私は同じ郷の仲間になるんだから、仲良くしてねとお願いしておいた。
「ごぼぼぼ、いやだああ! ごぼっ!」
「あたしだっていやよ!」
「……キュ」
かんちがいとはいえ、一度は番になろうとしていたとは思えないな。
やっぱりあんなことがあったから、仲良くなるのは時間がかかるのかも。
龍の子どもは、いやな事は結構覚えているものだし……。
仕方ないな、しばらく様子を見るか。
ちょっとだけ郷の「せんぱい」として、私は見守ってあげることにした。
私はおりこうさんなのだ。
いつか、緑王の方からつゆ草に、
きちんと「ごめんなさい」出来るようにしないとね。
「……ああ、遅れてすまないね。迎えに来たよ姫」
「キュ?」
そうこうしているうちに、龍青様がお迎えに来てくれた。
私は「龍青様だ」と、しっぽを振りながら両手を伸ばして、
とてとてとお兄さんに近づいていく。そして足元に抱き着いた。
龍青様、私とってもさびしかった。
でも、そういえば……私はままごとの途中だったということを思い出し、
抱き上げられる前に、目の前でぴたっと止まった。
「……キュ」
「姫?」
そうだ。ままごとの続きだから、
こういう時はお出迎えしないといけないよね。
えっと、えっと……こういう時、なんて言うんだったかな?
「キュ。キュイイイ、キュイキュ」
そうだ。おかえりなさい。あなた。
私はまだ「夫の帰りを待つ嫁さん」役なのだ。
嫁ならば、ちゃんと夫のことを出迎えてあげないといけない。
かか様がとと様を出迎える時みたいに、
甘えた声で、しっぽを振り振りしつつ言ってみる。
いつも私の親をじいっと見続けて、勉強したこのやり取り。
とと様はいつも、うれしそうにしていたものだ。
「キュ」
どうだ。ちゃんと言えたでしょ? 私、かか様みたいだった?
「……っ!?」
てっきり、龍青様が喜んで続きをしてくれるかなって思ったんだけど、
その言葉を聞いた龍青様はぴたっと動きが止まる。
龍青様……? と、様子がおかしいお兄さんに首をかしげていると。
「あ……あああああ!? 姫が……姫があああっ!!」
みるみるうちに目の前のお兄さんの顔が赤くなり、
そのまま、「姫が、姫がああ……」と言いながら、
ぱたっとその場に倒れこんでしまった。
「……キュ?」
ぷしゅうう……と龍青様の頭から、
今度は、なぞの煙が上がっている……。なぜだ!?
……龍青様? ぺちぺちとお兄さんの顔をさわるが反応がない。
どうしようつゆ草、龍青様死んじゃうの?
私、まだ「ただいま」も言われていないのに。
ままごとは強制的に終わらせられちゃうの? つづきは出来ないの?
もしかして私、また黄泉に行かないといけないのかな?
「死んでないわよ……それより桃、だめじゃない。
ちゃんと前もって、これからままごとやるって説明してあげなきゃ。
主様は免疫が無い方なんだから、いきなり夫婦ごっこは刺激が強いのよ。
身構える前にやったもんだから、気絶してしまったんだわ」
「キュ?」
そうなの? めんえき……?
つゆ草は本当に難しい言葉を知っているね。
もう、おままごとは何回もやっているし、
分かってくれていると思ったんだけど……。
思い出してみても、そういえば何度か龍青様の様子がおかしいことがあった。
苦しそうに息切れしたかと思えば、
『か、形だけでも祝言のままごともするべきだろうか』とか、
なんかそんな事を言って、聞いていたミズチおじちゃんに、
羽交い絞めにされて止められていたな。
しまいには、
『この日の姫との思い出を糧に、俺はあと一億年は生きていける……』
……とか遠い目をしていたっけ。
「いちおくねん」っていう意味が分からないけど。
龍青様が幸せそうだったので、放っておいたんだよね。
「それにしても、みんなに恐れられる水神様が、
まさかあんた相手だと、こんな感じになるとは思わなかったわ」
つゆ草が倒れている龍青様を横目に見ながら、首をかしげる。
「キュイ?」
そんなことないよ? 龍青様はいつだってみんなに優しいよ?
そのまま、つゆ草と龍青様も参加してもらって、
仲良く続きをしようと思っていたのに、
倒れこんで、なんかぴくぴくしている龍青様を、
私はゆさゆさしながら、お兄さんの回復を待った。
龍青様がこんな感じでは、私の嫁入りはまだまだ先のようだ。
早く成体になりたいものだな。
「……は、はは、だらしがないのう、龍青。
幼子のままごとすら満足に付き合えぬとは、
これなら余の方がよっぽどこの小娘に……」
「……っ!」
緑王が倒れた龍青様を見て、指さしながらけらけらと笑い始めたかと思えば、
その言葉に龍青様は、勢いよく立ち上がり。
手のひらに水で出来た蛇を取り出した。
「……もう一度言ってみろ、このエロがっぱ。海の底にでも沈められたいか?」
「ぎょええっ!?」
そのまま、飛び上がって逃げ出した緑王と龍青様の追いかけっこが始まる。
ずるい、私とままごとの続きをやるつもりだったのに、
いやそれより、私も追いかけっこやりたい。
だから私はつゆ草も誘って、龍青様達の後を追った。
気づいたら、遊びに来たミズチのおじちゃんやハクお兄ちゃんまで加わって、
鬼ごっこはその日、私達が疲れるまで続いた。
そんな私達を見て、郷のみんなが畑仕事をしながら楽しそうに笑っている。
たくさんの水神様がやってくる龍の郷。
これからますます、私達の郷はにぎやかになりそうだ。
~河童編・後日談・終~




