河童編・17
ざくざくざく……。
くわという道具を使い、土を耕す音が響き、
新しく種をまき、もう実っているものを収穫していく。
私はというと、自分のお手伝いも終わって、
郷のみんなが仲良く働いている姿を、木陰からじいっと見守っている。
「キュイ」
龍の郷にも本格的な夏がやってきた。
まだうろこが弱い私は、こんな夏の暑さの中で過ごすのも辛い。
日差しがじりじりと痛いほどだし、すぐに疲れてしまうんだ。
でも龍青様と一緒の水浴びはすごく楽しいし、
おいしいものも多いので大好きな季節だ。
そんな中、畑の片隅では見慣れない緑の物体が、
ひいひい言いながら小さなくわを持って、
郷のみんなにまぎれて、畑の手入れをちまちまと手伝っているのを見ながら……。
私はそよそよと涼しい木の下で、龍青様のお膝の上で寝転がり、
甘えた声を出しながら、冷えたコケモモの実を食べていた。
ついさっきまで、お兄さんといっぱい水浴びもしたばかりなので、
ここで仲良く休んでいるのだ。
「ふふ、おいしいかい姫?」
「キュイ」
おいしい、龍青様抱っこ。
小さな両手を伸ばして龍青様に甘える。
うれしいことがあると、つい龍青様に抱っこをおねだりしてしまう。
「いいよ、おいで」
「キュ」
「……く、な、なんで余がこんな目にいい……っ!」
そう畑の中で不満げに言うのは、小さくなった河童のおじさんだ。
今は小鳥ぐらいに、ころころに小さな河童の子ども姿で、
郷のみんなと一緒に働いている。
「ほらほら、坊主、もっとちゃんと耕さないとだめだぞ」
とと様が河童のおじさんに……いや、ちびっ子にそう声をかけている。
このおじさんが、元は水神様だったなんて誰も分からないだろうな。
おじさんだったことは話してあるけど。
「ぼ、坊じゃない!! この余を何だと……」
「子どもだろ」
「子どもよね?」
「子どもだわ」
みんなが口々にそう言って笑っていた。
「~~っ!!」
今の河童のおじさんは、見た目は子どもだし、
この郷の子どもである私を狙っていたという、悪い水神様だったなんて、
さすがにおじさんも言えないんだろうな。
ここでは、龍の子どもは宝物のように大事にされるんだもの。
その子どもをさらって閉じ込めたなんて言ったら、どうなるか……。
ずっとここでお世話になるのだから、下手に刺激したくないだろうし。
実は約束していたから、かか様にだけは本当の事を言ってあるんだけど、
とと様には黙っておいた方がいいと言われたので、ないしょなの。
きっと知ったら、口から泡をぶくぶくして倒れちゃうだろうからって。
かか様は……また水神様つながりで私に知り合いが出来て、
ちょっと頭を悩ませているらしいけどね。
「それにしても、水神様と嬢ちゃんにいたずらをして、
とっても怒らせた怖いあやかしなんだってな坊。
恐れ知らずもやりすぎたらあかんぞ? はははは」
「……」
あれから……私が持っていた小づちの力によって、
子どもになったハゲつるピッカなおじさん……。
えっと、緑王だったけ? は、他所の水神の神域を侵した件、
その婚約者を無断で連れ去り、無理やりにも嫁にしようとした罪で、
神様の役目を取り上げられ、私の「げぼく」というものになって、
この郷で一から修行することになった。
「ほら、そこのちび河童! 体が小さいんだからその分きりきり働けよ!
子どもになったからって甘やかさないからな!!」
その畑の傍で、ハクお兄ちゃんが腰に手を当てて声をあげている。
せっかく大きくなれたというのに、
また小づちを振って、子どもの姿に戻ってしまったハクお兄ちゃんは、
龍青様を害そうとした、不届きものの河童を監視する役を買って出たのだ。
「……たくっ、うちの主様を切りつけようなどと、
不届きものにもほどがあるな! これからびしばし鍛えるからな!」
おちびちゃんになった河童は、
「悪いことをした罰に、当分の間ここで働く」ことになり、
ハクお兄ちゃんはよく郷に顔を出すようになった。
今では私のとと様、かか様とも気軽に話すこともするほどになったのだ。
……いや、それはハクお兄ちゃんだけか。
かか様はともかく、とと様はまだ震えているし。
それはそうと、ハクお兄ちゃんはせっかく大きくなれたんだから、
あのまま白蛇の水神様を継いじゃえばいいのに……なんて思っていたんだけど。
『これは……ぼくの力じゃないからな、自分で解けなきゃ意味がないだろ』
なんて、ずるはよくないと言っていた。
ハクお兄ちゃんの姿……あっちの方が本当の姿なんだよね?
成体になったハクお兄ちゃんは、龍青様と同じくらいに背が伸びていた。
あの姿なら、白蛇の長となっても誰も文句を言わないだろうに。
……なんて思っていたけれど。
きっと、ハクお兄ちゃんにもいろいろ考えがあるのだろう
私は物分かりのいいお子様なのだ。
『……けど、また、あれを借りてもいいか?
いつ、また必要になるかは分からないからさ』
そう聞かれたので、いいよとだけ言っておいた。
元々、私には使いこなせないので、持っていてもあれな物だし。
いいなあ、ハクお兄ちゃんは一回で成体になれて。
私なんて、ただ図体が大きくなっただけだったしな……。
ハクお兄ちゃんだけ、ずるいずるいって、
あの後ぴょこぴょこ飛んで抗議したんだよね。
……ああ、それはそうと、ハゲつるぴっかの河童のことなんだけどね?
「……俺はまだ手ぬるいと思うんだが、姫は良いのかい?」
「キュイ」
龍青様は私がさらわれことを、今でもすっごく怒っている。
河童のおじちゃんの処分は、被害を受けた私によって、
水神の長、翁のおじいちゃんに聞き届けられ、
あの時の流れで、罰はこんな形になったんだけど……。
私だって龍青様のことを傷つけようとしたことは、今でも許せない。
でも、あの中に入ってみんなで遊べたのは、けっこう楽しかったし、
……そう、元は私が勝手について行ってしまったので、
さらわれてはいないんだ。
あ、あの子は怖い思いしたから、ちがうんだろうけれど。
「キュ」
そうして、これまでの事を思い出した。
※ ※ ※ ※
あれから……龍青様が言うには、もう半月も前になる。
緑王が龍青様に向けられた刀に気づいた私が、あわてて取った行動。
敵を止めようとして私が飛びついたら、
着物の袖から持ってきた塩がこぼれ、相手にぶちまけた後、
私は小づちの力をめいっぱい振って、ヤツを子どもの姿へと変えた。
大きいと怖いのなら、私よりも小さくしてしまえと思ったんだ。
そう、河童の子どもでも、私よりも小さい河童にしたのだ。
でも小鳥ほどの小さなその姿、手まりよりも小さいそのまめ河童が、
私の目の前にちょこんと現れても、私は見慣れないものだったし、
元はあの凶暴な河童だから、まだ怖いと思っていて――……。
『キュ――ッ!!』
こわいいいいっ!!
私は龍青様に、刃物を向けようとしたヤツが現れたことで、
お兄さんが人間に命を奪われたあの時を思い出した。
だからとても混乱していて、目の前が真っ赤になりかけていた。
お兄さんが黄泉へ行ってしまった、あの時の辛く悲しかったことを思い出し、
今度こそ、何が何でも龍青様を守らなきゃと思ったんだ。
目の前で小さくなったとはいえ、まだ危険だと思ったその緑の物体を、
泣きじゃくりながら、とにかく必死になって両手でころころして、
狙われているお兄さんからどこか遠くへと、
遠ざけようとしたことだけは覚えている。
手まりをいつも遊びでころころしていたよりも早く、
ものすごい速さで走りながら転がしたのだ。必死に必死に転がした。
とにかくその時は、この悪いヤツを早く引き離さねばと思ったから。
『キュ、キュイ、キュイ!』
あっち、あっちいけ、あっちいけ!
『ぶべっ!? ぐえあああああっ! や、止めろおお小娘――っ!!』
『ひ、姫!?』
『キュイイイイ!!』
『まっ、待てそこの小娘!! うちの若様をどこへ連れていく!?』
私の考えていることに気づいたのか、
その動きを止めようとした河童の従者達が、あわてて道を塞ぎ、
私のことを通せんぼしようとするので、
泣き叫びながら牙をむいて威嚇する。
『キュイイ!』
おまえもかっ! おまえも私の龍青様をいじめる気なのか!?
お、おまえ達なんて、もう怖くないんだからな!
龍の子どもを本気で怒らせたらとっても怖いんだぞ!?
私の邪魔をするのなら、一匹残らずかみついてやるっ!
かぷっ! かぷかぷ!!
『ひっ、ひいいっ!』
『きゃああああっ!? いたっ!? 痛いいいいっ!!』
は、早く、早く遠くにやらなきゃ、
龍青様が、怖いヤツらにひどいことされちゃう前に!!
近づこうとするヤツらの足元に、次々と火球を作っては、
小さなしっぽを使い、投げつけては追い払う。
龍青様の方へ行こうとするヤツらも、まるっと追い払った。
私の怒りはこんなものでは収まらない。
ぷるぷると震えながら私はにらみつけた。
おまえ達、よくも、よくも龍青様を傷つけようとしたな!
私のお兄さんを傷つけるのなら、私だって黙ってないんだからな!!
怖い水神様だろうが、その家臣だろうが私には関係ない。
また龍青様をいじめるのなら、みんなやっつけてやるんだからっ!!
『キュ―!』
そして私は避けた従者たちの足の間をくぐり抜け、
ついでに着物を引き裂いては、敵の頭であるヤツをころころしてやった。
『ま、まてそこの娘! 我が若様をどこへ連れて行くつも――』
ころころ、ころころ、ころころころ……っ!
『と、止まらぬかっ!! あちっ! うわあああっ!!』
『キュ――ッ!』
じゃま、する、なっ!
かぷっ! かぷかぷっ!!
私はヤツの仲間に噛みついて、止めとばかりにしっぽで叩きつけた。
『ぐほっ!?』
『ひっ、ひいいっ!?』
『うぎゃああああああ――っ!?』
ころころ、かぷかぷ、ころころ……べしばし!
びりびり! ごろごろごろ……っ!!
号泣しながら、ごろごろと転がしては、
『あっちへ行け、あっちへ行け』と必死になって遠ざける。
触るのもすごく怖くて嫌だったけれど、
私はお兄さんを守ることに必死だった。
その結果、『念のため、もう一袋ちょうだい』と、
わりと多めに包んでもらっていた塩も全部ぶちまけ、龍青様をいじめた罰として、
私は小さな河童の元おじさんを更に塩だらけにした。
私のことを捕まえようとしたヤツらも、みんなまるっと塩まみれにした。
別名、「塩もみきゅうりの刑」
海水が苦手な河童一族にとって、
とても恐ろしい処刑方法らしいと後で聞いた。
これをされると河童は死ぬことはないが、頭の上の皿から大事な水分を奪われ、
しわしわになり弱ってしまうのだと。つまり弱体化させる有効な方法だと。
きゅうりが好物という河童でも、
さすがにきゅうりの気持ちにはなりたくないんだとか。
それは私も知らなかった。とにかく私はその刑を知らないままに、
その場にいた河童一族みんなに弱点である塩を、
「おみまい」していたのだった。
『うあああああ……っ!』
『みず、水をくれええええっ!!』
『ぎゃああああっ!!』
『痛い、痛い、塩からいいいっ!!』
どこもかしこも塩まみれの河童達は、みんな何か叫んでる。
私はキュイキュイと尚も泣きながら『あっちへいけ!』と叫んでいた。
転がしているいじめっ子の河童は、口から泡を吐いて、
まだ『ぎゃああ』とか叫んでいる。
う、うるさいよっ! 私の方がもっと怖いんだからな!
私も負けじと、キュー! と泣きじゃくっていた。
『ひ、姫ぇ……?』
そんな様子を、龍青様は遠くから呆然とした顔で見守っていて……。
『おい……いいのかよ龍青、嬢ちゃんを止めなくて』
ミズチのおじちゃんが、龍青様になんか言っているのが遠くから聞こえた。
『いや、止めようにも姫があまりにも興奮しているからな……。
姫は父君の火属性を受け継いでいるから、怒りに触れるとしばらくはこうなる。
他に害はなさそうだし、少し様子を見よう。
ここの主に加担して、姫を監禁していた者達だし……』
『……害、ないのかあれで』
『ふぉっふぉっふぉっ……桃色のお嬢さんはいつも元気じゃのう』
『主様、ぼくもあいつに混ざってきていいですか?』
ミズチのおじちゃんんが呆れた声を出す中、
翁のおじいちゃんは笑い、ハクお兄ちゃんは興奮気味にそう言っていた。
一方、私はそれどころじゃない。
これでもかと遠くに追いやった後、気づけば池の前まで来ていた。
――”姫、そこで止まりなさい。”
そのまま勢いで一緒に落ちそうになった時に、龍青様の声が聞こえてきて、
私のお腹の周りに、くるくるくるんと水の蛇がからまると、
私の体はふわりと宙に浮き上がって止まり、
その場にそっと降ろされた。
すると、目の前に居たしおしおの緑の物体だけが、
そのまま池の中へと、どぼんと落ちる。
『……ぐああ……こ、こんなガキに……水神の余が、やら……れ……』
目を回しながら、ぷか~っと音を立てて水の上に浮かぶ、小さな緑の物体。
私はすんすんと鼻をすすりながら、龍青様……と、
キュイキュイと泣きながらしゃがみ込む。
『キュ……キュイイイ』
『姫、俺はこっちに居るよ? いい子だからこっちへ戻っておいで?』
龍青様の言葉が後ろからして、くるっと振りかえる。
そこには無事だった龍青様と、みんなが待っていてくれた。
『ほら、俺はもう大丈夫だから……ね?』
離れたところに両手を広げてしゃがみ込む、龍青様の姿。
私はだいじょうぶ……? もう怖くないの?と、キュイっと鳴くと、
龍青様はこくりとうなずいた。
だから両手を伸ばし、そのまま龍青様の所へと、とててっと戻っていく。
『キュ……キュ~!』
『よしよし、手が汚れてしまったね。洗ってあげよう』
龍青様が水球を出して私の手を洗い、懐から布を出して拭いてくれる。
その近くでは、なぜか困った顔で笑うミズチのおじちゃんと、
ふぉっふぉっと小さなひげをなでながら笑っている、亀の翁おじいちゃんが居る。
ハクお兄ちゃんは私と入れ替わるようにすれ違って、
河童のおじちゃんのことを、取り出した縄でぐいぐいと縛っていた。
私はそのまま龍青様に抱っこされて、ぎゅうっとしがみ付く。
ぷるぷると震えがまだ残っていた。すんすんっと鼻を鳴らした私に、
龍青様からため息が漏れる。
『……怖かったんだね?』
『キュイ……』
怖かったのは、龍青様が居なくなっちゃうこと。
大好きなお兄さんと離れ離れになっちゃうのが、一番怖かったの。
だからその気持ちを分かってくれて、
龍青様は抱っこしながら私の背中をとんとんしてくれた。
『ごめんね。そばに居たのに怖がらせてしまって。
もう大丈夫だから、それに姫はあんなことをしなくてもいいんだよ?
うん、本当に危険だから、やらなくていいからね?』
『キュ……』
龍青様の肩に頭を乗せて、静かに息を吐く。
こうして河童の水神による、龍の子ども連れ去り事件は、
被害を受けた私の怒りに触れ、大暴れして終わったのだった。




