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8・龍青の章・後編




「最初は……幼すぎるから桃姫の両親が娘を探しに来た時に、

 俺は手放すつもりだったんだ」


 あんな形ではあったが、めぐり会えたのは嬉しかった。


 けれどまだ親の温もりを求めて、泣きじゃくるような幼い子どもだった桃姫。

両親と再会した時、姫があんなに泣いて喜ぶ姿を見て、

あのまま親から無理に取り上げて、ここで育ててやるよりも、

住み慣れた陸地へと帰して親子で仲良く暮らす方が、

姫にとっては幸せなのではないかと思った。


(俺には親と過ごせた経験はなかったから、その気持ちは分からないが)



――今ならばまだ、俺の方でもなんとかできるかもしれない。


 間に合うかもしれない。


 龍は、特に水神は愛情深い、それゆえに一度執着すると暴走すらしてしまう。

でも今なら、俺も少しの痛みと引き換えに、逃してやれるのではないかと思った。



(だから、あの両親がこの領域……屋敷への立ち入ることを許した)


 我が子を最後まで守れなかったことを思えば、

俺がこのまま取り上げることも可能だっただろう。


だが……。


『”とと様に、かか様に、みんなに、みんなに会いたいよう……”』



 保護したばかりの時、姫はよく俺にそう言って泣いていた。


 まだ桃姫とは本当の番にまではなっていなかったが、

可愛がっていただけに情は芽生えており、俺は姫の涙に弱かった。

純粋な子どもの願いであれば尚更。


(その願い……この水神、龍青が聞き届けよう)


 神格化している龍の世界と、桃姫のような普通の龍が暮らす世界は違う。

神が暮らす場所は神域といわれ、選ばれた数少ない者しか出入りが許されない。

俺が会う事を良しとしなければ、姫の居た世界とは決して交わらない。

だから、姫を元の世界に帰せばもう二度と会う事もないだろう……と、

そう思っていた。



(短い間だったが、桃姫はひとときでも俺の寂しさも癒してくれたんだ。

 だからその礼として、俺が“逃して”やろう。姫……)



 ようやく見つけた番となる娘を、俺は手放す決意をした。



――これから起きることは、俺が全て引き受けて何とかしてやるから。


――だからどうか健やかに……俺の分まで幸せにと。



 触れた命のぬくもり、子ども特有の少し甘い匂いのする娘。

真っ直ぐな瞳で見て、情を示してくれるその無垢な所も。

全て愛しいと思った。懐いてくれてとても嬉しいと思えた。

自分の事を水神としてではなく、龍青と呼んでくれる娘が居た事も。


 それはまだ保護者としての気持ちだったのだろうが。


 わずかな時間、俺の心を温めてくれた娘。だから……。


(――だから、さあ早く元の世界へとお帰り、俺の小さな桃姫)


 

怖いもの・・・・が目覚めて、おまえを見つけてしまわないうちに。


(俺に深く付き合ってしまえば、それだけ姫に危険が伴ってしまう)


 だからこれでいいんだ……と。


 別れてしまえば彼女は幼さゆえに、

ここで出会った俺のことなど……きっとすぐに忘れてしまう。

それでもいいと思えた。この世界にとっての出来事は全て夢だったと。

そう思う方が、姫にとっては幸せなのだから。



『達者でな』


『キュ?』


 そう思い、あの時は背を向けた。もう二度と会えなくても情が出来た娘。

傍で成長を見守れなくなるが、その代わりに陰で俺の力の及ぶ限り、

娘が無事に陸の世界で生きていけるよう、

出来る限りの力で守ってやろうとは思っていたが……。



『キュ――!』



 姫はそんな俺との縁を、泣きながら全力でしがみついてくる。

しがみ付くほどに――俺の存在を必要とし、好いてくれていた。


 神は必要としてくれる存在がいてくれることで成立する。

無垢な存在がただ一人、ただ一つだけでも本当の意味で肯定してくれるなら、

俺は神として存在することが出来る。姫から伝わる魂の響きは俺の心を震わせた。

俺に欠けている不安定な力の一部が埋まった気がした。


 無垢な魂を持つ娘、純粋な想いで俺のことを心から必要とされた時、

俺の中でも初めて心の底から“ホシイ”と感じた。


――この娘が傍に居てくれるのなら、それだけで俺は強くなれるのだと。



(桃姫の存在が、この幼い娘が俺の存在を認めてくれた)


 

 それがどんなに俺を救ってくれただろうか。


 だからその後に結び直した縁で、再会を約束した。

いつか姫に全てを話し、その上で生きる道を決める事が出来るように、

まだ考えられる余地を残しておくつもりで。


――そう……その時の俺はまだ、桃姫の行動力の良さを想像すらしていなかった。



恐ろしいまでの、姫の行動力を……。





※  ※  ※  ※



 神とふつうの龍の子ども。


 俺と桃姫に流れている、時の流れはちがったのだから、

姫にとって時間はたくさんあるはずだった。


 本当は物事の分別がつくまで、

姫が大きくなった時まで、俺は姫にまた会うつもりはなかったのだが、

誤算だったのは、お守りにと与えておいた鈴を利用して、

姫は毎日のように俺を呼びつけるようになったことだ。


 あの鈴は長い間俺が身に付け、

もしもの時のためにと、神通力を長年注ぎ込んでいた特別な鈴。

幼い姫でも使いこなせるように、額に俺の気をなじませたまじないをしておいたら、

気づけばこんなことになってしまっていた。


『キュ、キュイ、キュイイ』


 鈴を通し、俺を呼ぶ声が水の底に「警鐘」という形で鳴り響く。

最初は幼い姫が悪い輩にまた狙われたのかと、血相を変えて助けに行けば、


『……キュ?』


『も、桃姫!? 無事かっ!!』


『キュ~』


 水面から水しぶきを上げて飛び出してきた俺を見て、

小さなしっぽをめいっぱいに振りながら、

「いらっしゃい」と歓迎してくる、のんきな姫の姿に出迎えられる。

そう……姫はただ、俺を遊び相手として呼び出しただけだったのだ。


 普通なら、地上から水神を呼び出すにはそれ相応の準備が必要になる。

神聖な火を起こし、供物を捧げ、舞や祝詞等を要するのだが……。


 そんな事を知らぬ姫は、手まりを持ちながら俺に言った。


“あそぼ”と……。



『……水神であるこの俺を、まさか暇つぶしに呼び出すなんて、

 お、おまえが初めてだよ桃姫』


『キュ?』


 岩肌にしがみ付き、うな垂れる俺……なんてお気軽な水神召喚なんだ。

他の気の短い水神だったら、怒り狂って水の中に沈められていたぞ。


 あの時は、しばしの別れになると感傷に浸っていたのに、

わずか一日で呼び出され、ぶち壊されるとは思わなかった。


 余りのうるささにこれはただ事ではないと、

必死で水面まで泳いで来てみたらこれ。

紛らわしいから止めなさいと言って、そのつど止めさせたが、

気がつけば、これがほぼ毎日続くようになっていた。


 将来を約束しているとはいえ、自分は龍族の中でも一線を引いた神という存在、

今の桃姫とは立場が違うんだよと何度か教えたりもしたが、

相手は幼子なので当然分かるはずもなく、

次の日にはけろっと忘れて、また俺と遊ぶために呼び出す始末。


(さすがに、一度あげた物を取り上げる訳にもいかんし……)


 あれは姫を守る大事なお守りだが、

最近は桃姫のおもちゃと化しているのではないか。

俺が反応するのが嬉しくて、やたらと鳴らされている気がする。

水神を遊び相手に呼ぶための、呼び鈴にされるとは。


 将来の嫁相手に怖れ敬えとまでは言わないが、せめてもう少し自重してほしい。

ならば、顔を見せる時間を遅らせて、諦めさせたらどうだろうといざ試したら、

今度は俺がなかなか来ない事で、岩の上でキュイキュイ泣きだした姫は……。



『キュッ!』


 最後には、俺の住んでいる水の底まで自力で泳いで行こうと、

滝つぼの中に自らどっぼーんと音を立てて、飛び込んでしまったではないか。



『ぶわっ! 姫、止めろ!!』



 遠くから諦めてくれるのを、じっと見守っていた俺が気づき、

慌てて桃姫の体を受け取っていなかったら、

あのまま激流に流されていたか、岩にでも激突していたかもしれない。



『キュ?』


 焦って助け出した俺の気持ちを差し置いて、

あ、龍青様だと、俺の着物にしがみ付いて無邪気にしっぽを振る姫に脱力する。

俺がもし、ここへ本当に来ていなかったらどうする気だったんだ。この娘は……。


 たぶん何も考えていないのだろう。どうにかなるとか思っていそうだ。



『あっ、危ないだろう桃姫!? 勝手に水の中に入るなとあれほど』



 泳げないのに、この行動力の良さはどうなんだと、

あの両親に、姫のしつけについて本気で問いただしたい。

ちょっとどころか、すごくお転婆すぎやしないか?


(これでは、無事に成体になれるのか、心配になってくるではないか)


 この姫を放っておけないと思った。

目を離した隙に何かあっても困る。


 その日の俺は、そのまま桃姫の小さな両手を持って、

なぜかそこで水遊びを始めた姫に、付き合う羽目になった。

俺が体を支えることで、やっとのこと水面に体がぷかっと浮いている桃姫。

しっぽをぺしぺしと振って水の感触を楽しみ、やたらと楽しそうだ。



『キュ、キュ、キュ』


『た、たのしい……のか? 桃姫』


『キュイ!』



 なぜか遊びに巻き込まれ、俺が動揺しているのをよそに、

今度はあっぷあっぷと顔を水面から上げたり、潜ったりしながら足を動かす姫。

いやちがう……俺がしたかったのはこれじゃないんだが、

今日こそちゃんと言い聞かせて、会うのはしばらく止めようと。


 なのに、この俺にその言葉を言う隙など与えず、目の前で実に楽しそうに、

ちゃぷちゃぷと、小さな足を動かして泳ぐ練習をする桃姫を見て、

とても止めさせることはできなかった。



『……姫、もう少しいろんなものに警戒心を持とうな? な?』



……この俺が気に入った子どもをわざと溺れさせて、

連れて行くような者でなくて良かったなと、他人事のように思う。

水神の中には、そういう悪い奴もいるんだぞと教えているのだが。



『キューイ』


『く……っ!』



 そんな、そんな尻尾を振って、満面の笑みを浮かべてきて、

俺に全幅の信頼を寄せてくる姫の期待を裏切れなかった。


 もう少し「水神の嫁」になることについて、

考える時間をあげてもいいのではないかと思っていたのに、

何せ桃姫が俺を離してくれない。全力でしがみ付いて離すまいとしてくる。

そろそろ帰ろうとか、離れようとするとその気配を姫は感じるらしい。



(子どもの勘は鋭いと聞くが……これほどとは)


 思えば両親の元に返そうとした時も、姫は何か感じ取っていた。

本気で帰ろうとすれば、必ず次の日も遊ぶことを約束させられる。

次の約束をしなければ絶対に離してくれない。


 約束したからには、例えそれが子どもの遊戯の付き合いだったとしても、

神として叶えてやらなければいけなかった。

それを知らず知らずのうちに、姫はこなしている。

無意識での神との駆け引き、小さいがれっきとした神との盟約だ。


(ああ、せっかく見つけた遊び相手だものな、俺は……)


 次の約束をためらうと、姫は俺の着物にしがみ付いてキュイキュイ泣く。

泣いて、「明日も遊ぶの」と獣語で言い出してくる。

だから最後には、「分かった分かった」と俺が根負けし、

次の遊びの約束をして別れるようになった。


 例えそれが、姫の暇つぶしの為の遊び相手だったとしても、

嫁となる娘に、これほど求められては拒めるか。



※  ※  ※  ※



 そして現在に至るわけだが。



「――俺はもう姫を手放したくない。傍で見守っていきたい」

 


……というか、心配しすぎて傍に居てやらないといけない気がする。

それで桃姫が無事に大きくなれたかを傍で見届けなくては。


 最終的に、こう俺の考えは落ち着いた。


 諦めよう。このお転婆な娘は俺でも制御できそうにない。

ならばせめて、桃姫が危ない真似をしてこれ以上怪我をしないよう、

傍でちゃんと守ってやらなくては。嫁入り前の娘に傷をつける訳にもいかない。



「だからおまえにも手伝ってもらうぞ……ミズチ」


 姫が望むのであれば、伴侶となる雄はそれに応えるのみだ。

だからもう覚悟は出来ている。これからの因縁とも向き合う覚悟を。



「ああ、分かっている。後始末は俺様が引き受けよう。

 蛇と合流して残りの人間を見つけ出してやるよ。

 だけどな? おまえはもうこの件から引いておけ」


「なぜだ? 俺の桃姫を怖がらせ、いたぶった連中だぞ?

 婚約者の俺が制裁を下すのは当然だろうが」


「おまえが直接出てくると、嫁可愛さに暴走するからだよ。

 まあまだ今は番にすらなってない婚約者だけどな。

 おまえは暴走することの恐ろしさを、よく分かっていると思うが?」


「……っ」


「龍青」


「……そうだな。わかった」


 俺としては自分の手で首謀者の始末はどうにかしてやりたかったが、

その意見も確かに一理ある。水神が暴走すると収拾がつかなくなることを、

俺はよく知っているからな。


 口惜しいが……俺は膝の上で眠る姫の頭をなで、

全ての後始末をミズチに委ねることにした。




 



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