河童編・8
放り投げられて、ぷんすかと怒る私を他所に、
ハゲつるぴっかのおじさんは、つかまえた青い子を見て楽しげに笑っている。
まるで狩りで獲物を手に入れた時のような、そんな顔で。
「よし、それじゃあ余の目的だった子どもは手に入った。
あいつは生き残りの青水龍だし、自分の縁戚はみんな途絶えているからな。
せめて同じ種族の色の雌を、嫁候補に選んでいるだろ。
大事な娘をさらわれたのを知って、せいぜい悔しがるといいさ」
「キュ……」
そこで、ハゲなおじさんが言った言葉に私は胸が痛くなった。
同じ……龍族。
また聞いた。その言葉。
そんなに、そんなに同じ色じゃないといけないのかな。
そう思うと急に苦しくなった気がして、顔をうつむける。
「や、やだ離し……!」
青水龍の子が、消えそうな声を上げて抵抗しているのに気づき、
私はぱっとまた顔を上げた。そうだ、今はそれどころじゃない。
「なあ小娘、あんな奴の嫁にはもったいないから、
余の嫁にしてやろう。あんな弱く面白みもない気味の悪い水神より、
断然いいだろう? なあ」
ただし――……もしもまた抵抗したらと、
首元に刃物をまた近づけ、にたりと目の前で不気味に笑っている。
その姿に、目の前に居た子は涙を浮かべて震えていた。
小さな手足がぷるぷると縮こまって、動けないみたいだ。
「ひ……っ!?」
「禍つ神にまで堕ち、あれだけ騒ぎを起こした神の息子が、
弱いくせに最近じゃこっちよりも豊かになり、力を付けているらしいな」
「キュ……?」
「その上、他の水神の水域まで手に入れ、長に認められた婚約者まで出来た。
話しによればおまえを婚約者に迎え入れてから、
幸運に恵まれていると聞く」
「……」
「だったらその娘をこちらに取り込めば、
余があいつよりも認められた存在になるということだ。
喜べ娘、おまえは余が正式に嫁に迎えてやろう!」
……よ、嫁? まさかそんな目的で私に近づこうとしたの?
まるで前に私のことをさらおうとした。はぐれ龍のおじさんを思い出す。
こいつ、あいつと同じだ。
「さあ来い! うちで育てて成体になったら祝言だ!!」
「……お、お待ちください!!」
近くに居た女房のお姉さんが集まり、
連れ去ろうとするおじさんを止めようとしているのに、
それを無視して、来た時と同じように、
水柱の中へとその子を連れていこうとする。
「やっ、やだあああっ!! 誰か、誰かたすけてええええっ!!」
「キュイ!」
え、まって!?
もしあの子が泳げなかったら、溺れて死んでしまうよっ!?
きっとあのかっぱは、それを知らないんじゃないか、
龍の子どもがまだ泳げないなんて……。
迷うことなく、ヤツは水の中に引きずり込もうとするので、
その子は怯えて必死にこっちに……目が合った私の方へ手を伸ばしていた。
「たすけて! お願いいいっ!!」
「キュ……!?」
たすけ……なきゃ、たすけなきゃ!
なんとか手を伸ばそうとするも、持ち上げられていたので高さがあって、
何度ぴょこぴょこと飛び掛かっても、全然届かなくて……。
「キュ……キュイ……ッ!」
そうだ鈴! 私は思いっきり鈴を鳴らしてみた。
龍青様を呼ぼう、お兄さんならなんとかしてくれるかもしれない。
私はころんと寝転がって龍青様を呼んだ。
「キュ……?」
するとおかしい。鈴がいつもみたいに上手に鳴らないぞ!?
一度だけ、ちりんちりんとだけなったそれは、
龍青様を呼び出すことは出来なかった。
そういえば、さっきも何度か鳴らしたけど上手く出来なかったような……。
な、なんで? 私があわてて何度も鈴を鳴らそうとするも、反応が無い。
「キュイ」
――そうだ。神様同士の力だと打ち消し合ってしまうんだった!
ここへ入ってこられたんだもの、何か妨害の呪いでもしているんだ。
ど、どうしよう、じゃあお兄さんを今すぐここへ連れてくる?
でも間に合いそうにないよ!?
「キュ、キュイイ……」
水の中に引きずり込まれていく子を見上げる。
そうしている間にも、中へとずるずると引きずり込まれていくじゃないか。
ま、間に合わない。このままじゃ連れて行かれちゃう!!
おろおろしている間に上がる水しぶき、大きくなる水の音。
必死になって逃げ出そうと、その子はもがいていたけれど、
引き込まれる強い力に逆らえず、そのまま水の中へと飲まれて行って……。
慌ててまた鈴を鳴らしてみると、今度はわずかに反応をしめしてくれた。
でも、その子の周りを大きな泡で包んでくれたと思ったら、
すぐに姿が消えてしまう。
「キュ……キュ――!!」
つ、連れていかれちゃったよ! 大変だ。助けないと!
ハクお兄ちゃんと顔を見合わせると、
私は慌てて小石を拾い、地面にがりがりと文字を急いで書いて、
龍青様に伝言を残す。
“みどりのはげ、きた。こども、とりかえす”
「水柱の中に、きっと別の場所につながっているんだろう」
ハクお兄ちゃんが消えていく水柱を見て、そう言った。
だからと言って、中へと飛び込んでいくのは危険だとも。
「キュ……」
でも、でもまだ水柱は消えてない。
加護の印を持っていないあの子じゃ、何の目印もない。
今、見失ってしまったら、きっともう二度と助けられない気がした。
だって相手は龍青様と同じ水神様なんだから。
本気になったら、かくれんぼは得意だろう。
けれど今だったら……きっと出来ることがある。
力で打ち消し合うのだったら、鈴が反応しない方へ進めば、
きっとあの子が居るはずだと。
「ちびすけ、ぼくが主様に報告してくるから、おまえはここで―……」
「キュイ!」
私はぴょこぴょこと飛び跳ねて、ハクお兄ちゃんの話をさえぎって伝える。
ハクお兄ちゃん、龍青様とミズチおじちゃんをすぐ連れてきて!
これから私、あの子を連れ戻しに行ってくるから!
私はそう言うと、みるみるうちに小さくなっていく水柱の中へと、
ぴょんと飛び込んでいった。
「は? お、おい待てちびすけ!」
ハクお兄ちゃんの引き止める声を背に、水に包まれていく。
たくさんの泡に守られながら、私は必死に手足を動かしていった。
せっかく龍青様に教わった泳ぎを、ここで役立てるんだと。
でも、私の考えが甘かったのを知るのは、それからすぐだった。
ぷくぷくと白い泡に包まれながら、必死になって手足を動かすけれど……。
あれえ?おかしい。
龍青様とたくさん泳ぐとっくんをして、泳げるようになったはずなのに、
この水は私の思うようになってくれずに、強い力で引きずられていって……。
じたばたするほど私の体は飲み込まれていく。
最後に鈴がちりんと鳴ったのを聞いた後、私は気を失った。
※ ※ ※ ※
「……キュ?」
そして気づけば、見知らぬ水の底に倒れこんでいた。
上を見上げれば、水面がゆらゆらと揺れて私の姿を映している。
息はできるようなので、鈴が守ってくれているのだろう。
良い感じの丸い石っころが、周りにゴロゴロと転がっているな……。
二、三個拾いながら、ここどこだろうなと辺りを見回していると、
後ろからがしっと私の頭をつかまれた。
「キュ!?」
「だ、だから、おまえはぁ~っ!!」
びっくりして振り返ると、せき込みながらハクお兄ちゃんが居た。
ぜえぜえと言いながら倒れこんでいて、
近くには手まりも居て、ころころと転がっている。
よく見ると、私のお腹に白い糸がぐるぐるっと巻かれていて、
その先はハクお兄ちゃんが握っていた。
前に黄泉入りしたときに、身に着けていたのと似ているな。
「み、見失うかと思って、とっさに括り付けておいてよかった……」
なんだ。ハクお兄ちゃんも付いてきちゃったのか、
もう寂しがり屋さんなんだから。
今はもう遊びじゃないから、
ついてきても遊んであげられないよ? とキュイっと鳴く。
でも相棒の手まりは来てくれてうれしかったので、なででお礼を言った。
さて、こうして周りを見ても、
近くにはハゲつるぴっかなおじさんとあの子は居ない。
石と流木が沈んだ水の底、辺りには何もないように見える。
いったいどこへ連れて行かれてしまったんだろうか……。
「キュ……」
無事だといいな。
どうやらここは、知らない水の底のようだ。
上を見上げれば流れる水面が揺れている。息は……出来るみたい。
ということは、あの子も今は大丈夫かな。早く助けに行かないとね。
私は足元の鈴をちりんちりんと慣らして、ここには居ない龍青様のことを思った。
『姫、俺に黙ってどこかへ行かないようにね』
……お兄さんと、ちゃんとお約束していたのにな。初めて破っちゃった。
すんと鼻を鳴らして、ちょっと悪い子になってしまった私は、
あとで龍青様に、ちゃんと「ごめんなさい」しないといけないや。
ハクお兄ちゃんまでついて来ちゃったということは、
ちゃんと伝わってないかもしれないし。
「キュイ……」
でも大丈夫。龍青様ならきっと私のことを見つけてくれる。
だっていつだって龍青様は私のことを助けてくれるんだもの。
袖に鼻を近づけて、すんとお兄さんの匂いを嗅ぐ。
私の元気の「みなもと」の匂い。
いつもお膝の上で嗅いでいた大好きな龍青様の匂い。
すんすん……すんすん。
お兄さんからもらった鈴や若草色の着物もあるし、
相棒の手まりも一緒に居てくれる。だから怖くない、大丈夫だ。
とりあえずどこかに行こうとすると、
また私の頭を、がしっとつかんできたハクお兄ちゃんが居た。
「おい、見つかる前に主様の所へ帰るぞ、ここはまずい」
「キュ?」
なんでと首を傾げたら、ハクお兄ちゃんからため息がもれた。
「おまえ、分かってないでついて来たのか? あれは水神様の一柱だぞ?
それも子どもに対して容赦がないことで有名な、河童一族の若様だ。
元は子どもに悪さをするんで、鎮めるために神格化した一族だというぞ。
つまり、ぼく達にとっては天敵中の天敵だ」
ああ、だからハクお兄ちゃんはあそこで何もしなかったのか。
いつもだったら「主様の神域に無断で~」とか言うはずだものね。
けれどなるほど……どうりで私やあの子に対する扱いがひどいんだ。
龍の雌なんて、他所の種族からしたら利用するだけとしか思われていないのかな。
同じ水神様でも嫌なヤツが居るんだね。私の婚約者は龍青様で本当に良かったよ。
「それにさっきの話からすると、狙いはおまえだってわかるだろう?
ここは別の水神様の領域内、その場所に勝手に立ち入ったぼく達は、
見つかれば、神域を穢した侵入者として捕らえられるだろう。
それにおまえの正体を知られたら、ここに居ることが危険になる。
主様にとっておまえは、最大の弱みになるだろうからな。
もしもそうなったら……」
「キュ……」
スピっと鼻息がもれて、目を閉じ、
がくりと私の頭が前に倒れこみそうになる。
「だから、寝るなってば!
なんでお前は難しい話になるといつも眠っちゃうんだよ!?」
だって眠くなっちゃうんだもん……。
あんまり長い話は苦手なんだよね。
ハクお兄ちゃんは私が飛び出さないようにと、私の手をつかみ、
そわそわして辺りを見回している。
つまり、ここはどこかの水の底にある、あの緑色をした水神様の水域らしい。
私達は招かれたわけじゃないので、見つかったら大変だと教えてもらった。
ふーんと近くにあった水草を、
空いて居る方の手でぷちぷちと引っこ抜いて遊びながら、私はうなずく。
どのくらいに怖いんだろう。禍つ神になった龍青様のとと様くらい?
それともいたずらがバレた時の、私のかか様くらいかな。
「……ちょっと待て、おまえの母親、先代様並みに怖いのか?」
「キュ?」
ちがうよ。ごめんなさいしたら、とってもやさしいよ?
まだ本気で怒らせたことはないけど、
龍の本能で怒らせたらだめだって、なんとなく分かるの。
「そ、そうなのか」
「キュイ……」
でも、あの子……私に助けてって言っていたしな。
べつに同じ郷の子でもないし、仲が良いってわけでもないけれど、
私は助けを求められたら、とりあえずは助けてあげなきゃと思うんだよね。
だって怖い思いをしたら、私はいつもみんなに助けてもらっていたし。
龍は「助け合いが大切なんだよ」って教えてもらっているから。
私のとと様はそうして、かか様を人間から助けてあげたんだよと。
そうしたらハクお兄ちゃんは不満そうな顔をした。
「放っておけよ。おまえ、あいつに意地悪されていたのを忘れたのか?
それに水神様の嫁になりたがっていたじゃないか。
ただ水神の嫁になるのだったら、何もうちの主様でなくてもいいはずだろ」
「キュ」
それはそうだけれど……。
最後に見た顔を見ていると、あの子はとても怯えていたし、
なんだかあの子を見ていると、私が保護されたばかりの頃を思い出すんだ。
私の時は、龍青様がそばに居て守ってくれた。
とと様もかか様も私の事を迎えに来てくれた。
屋敷のみんなも、なんだかんだで私を可愛がってくれていたし。
でも……あの子には今、誰も居ない。このままじゃ迎えにも来てもらえない。
一匹ぼっちで心細い思いをしているはずなんだよね。
見た感じ、あのおじさんの扱いじゃ……。
大切にしてくれるとはとても思えないし。
ぷちぷちとまた水草をてきとうに引き抜くと、
近くでぱりんという音が聞こえた。
すると目の前には、無かったはずの大きな屋敷が急に現れる。
「幻惑の結界……? こんな所に?」
「キュ?」
さっきまでは何もなかったように見えたのに。
見れば私が引っこぬいた水草の色が、急に枯れて緑から茶色に変わっていた。
それに私が拾った小石のいくつかに、何かの文字が浮き上がっている。
なんだこれ? 私は持っていた草と小石をあわてて放り捨て、
ハクお兄ちゃんの着物で手を拭いた。
どうやら、私が引き抜いた水草とかに、
何やら特別なまじないが仕掛けられていたらしい。
「おまえ、こんなもの良く見つけたな。
これ結界石だぞ、こっちは幻惑の霊草」
「キュイ?」
そうなの?
「神使のぼくでも分からないってことは、
かなりの力が働いていたはずだ……って、
こら、ぼくの着物で手を拭くなよ! 汚れるだろ!?」
「キュ?」
ハクお兄ちゃんが驚いているが、本当にてきとうに手に取っただけだ。
ちょっと長くて、引っこ抜いたら楽しそうと草を手に取り、
丸くて使いやすそうな石だったから、後でどこかに投げようとしただけだし。
おどろいて手を離したハクお兄ちゃんをちらっと見た後、
現れた建物に向かって、手まりを両手で持ってとてとてと歩き出す。
龍青様の所ほどじゃないけど、少し大きな屋敷があるな。
きっとあそこにあの子が居るんだね。よし、じゃあ行ってみるか。
「キュ」
私知っている。「せんにゅう」とかいうやつだ。
よく、私のとと様が仲間を助ける時にやっているやつ。
私もとと様みたいにがんばるぞと、しっぽを振り振りしてやる気を出していると、
後ろでそれを見ていたハクお兄ちゃんが「ああ、もう!」と言ってついて来た。
「キュイ?」
……ハクお兄ちゃんはもう先に帰っていていいよ? とキュイっと鳴く。
ごめんね? ハクお兄ちゃんとはあとで遊んであげるねと手を振った。
「お、おまえな! 兄者が妹分だけを残して帰れるわけがないだろう!
というか、なんでぼくがこんな所で遊んで欲しくて、
わがまま言っているようになるんだよ」
そのまま私の横をそそくさと歩き出した。
文句は言いつつも私を手伝ってくれるのか。
だから、「ハクお兄ちゃんって実はいいヤツだったんだね」と、
キュイっと鳴いて、手まりをそっと地面に置き、
ハクお兄ちゃんの紫色の着物の裾をつかみながら、
一緒にぽてぼてと歩く。
「おまえ……普段からこんなに面倒を見てやっているのに、
このぼくを一体何だと思っていたんだよ」
と言われたから、「かまってさん?」と言ったらがっかりされた。なんでー?
遊びにさそってあげると、嬉しそうに私達について来るじゃないか。
「あのなあ……兄者というのはおまえの守り役でもあるんだぞ?
危険を遠ざけ、教えたり、守り導くことをしてやってだな。
あとで……主様にきちんと謝らないと」
「キュ?」
「おまえをまた危険な目にさらしてしまうんだ。当然だろ」
もしかして、人間に襲われたあの時のことを言っているのかな。
妹分の私に助けてもらったことを、ちょっと気にしているようだ。
そんなことを話しながら歩くと、屋敷が近くなってきた。
かやぶきと木と石を積み上げて作った屋敷は、龍青様のお屋敷に比べると、
なんというか……どこもかしこも、ちょっとぼろい感じがする。
「河童一族は持てる水源が少ない分、そんなに暮らしは豊かではないんだろう」
ふむ、水神様が違うとこんなにも違うものなのか。
きっとここの主とやらは、私みたいに「ぐーたら」が好きなんだろうな。
歩いているうちに、またいい感じの丸い小石を見つけたので手に取り、
柱のすみにそっと印をつける。今日は龍青様のお社の鳥居の形だ。
歩きながら私はそれを、ところどころに描いてみた。




