河童編・5
「それにしてもあのちび、まだ見つからないのか……よし」
そう言ってハクお兄ちゃんは、丸い竹で出来たざると、
長い棒と、ひもをどこからか持ってきた。
これから何が始まるんだろうと、首をかしげてそばで見守っていたら、
まず、ひもを結んだ棒を立てて、ざるの端に引っ掛け、
中に蒸してある美味しそうな芋が乗った皿を置いた。
「これ、なあに?」って中をのぞき込むと、
反対側でハクお兄ちゃんも一緒にのぞきこんでいる。
「こうしてみると、おまえ達は本当の兄妹みたいだな」
龍青様がそんな私達を見て笑っていた。
その言葉に、私達はくるっと後ろに居る龍青様を振りかえる。
「そ、そりゃぼくはこいつの兄者だし? 兄として妹分の面倒は見ますよ」
「キュ?」
そうだっけ? 私の方が見ているよ。
いつも遊んであげているもん。私の方がお姉さんでもいいくらい。
あ、それより、これなあに?
「そんなことないだろ、ぼくだって見ているじゃないか。
勉強から、おまえが落書きした所だって掃除してやっているし――」
それより、これなあに?
私はぺちぺちとハクお兄ちゃんの足を叩く。
「おまえぼくの話を聞けよな! いつも大事な話はすっとぼけるんだから。
これは獣をとらえる時に使う罠だよ。
食べている間に紐を引くと棒が倒れてな」
「キュ」
「ざるが落ちて来て、中に閉じ込められてしまう仕組みなんだ。
あの子ども、おまえみたいにすばしっこいようだからさ、
こういうことはやっぱり、知恵を働かせないと」
「キュ?」
わな? それって獲物を捕る時の怖い道具だよね?
だ、だめだよ。あの子が泣いちゃったらどうするのと、私は両手を振って止めた。
こんなのなくても、いつか顔を出してくれるよと。
そうしたら、ハクお兄ちゃんが首を振ってだめだって言う。
「まずは捕まえるのが先だろう? ぼくだってそろそろ我慢の限界なんだよ。
目を離したすきに、主様の領域を好き勝手歩いて荒らしているんだし。
清潔第一のこの屋敷で、このぼくがどれだけ掃除していると!
ああ、主様じっとしていてください、そこはまだ足跡が残っていますので!」
「ふむ?」
「おみ足が汚れてしまっては大変ですから、ささ、こちらへ」
後ろを振りかえれば、床を掃除するときに使う道具が置いてあって、
ハクお兄ちゃんが龍青様の周りをせっせと拭きはじめた。
あの子が居なくなってから、そこかしこに付けられた泥の足跡を見つけ、
大慌てで屋敷中を掃除しているらしい。
なので、私も一緒にせっせと手伝ってみる。
……もしや、居なくなった自分の親を探しているのではないか。
居るとしたら、きっとかんなだったお姉さんが居たあそこだよね?
私はキュイっと鳴いて龍青様の方を見るも、龍青様は私を抱っこした。
「さて、ではここはハクに任せて、姫は一度巣に帰らないとね」
でも……せめて居場所を教えてあげなくていいのかなあ?
※ ※ ※ ※
その後、私が身支度を整えてもらっている間に、事件は起きていた。
青水龍の子がハクお兄ちゃんの用意した罠に引っかかり、
それに怒り狂ったことで、捕まえようとしていたハクお兄ちゃんは、
その子に手をかぷっと噛みつかれ、何度もしっぽの先で、
「しぱぱぱーんっ!」と頬を叩かれたらしく……。
せっかく見つけたのに捕り逃がしてしまった……と、
女房のお姉さんが実にくやしげに教えてくれた。
龍の子どもでも、本気で噛みついたら痛いんだよね。
やっぱり怖かったんだよ。ちゃんと止めればよかったな。
「まるで姫様を保護したばかりの頃に似ていると、
見ていて微笑ましくも思いましたが、
その……どうやら姫様より、ずいぶんと気性の激しいお子のようで」
「今まで姫様を見ていたから、大丈夫だとばかり……。
扱いが同じだと思って、甘かったのかもしれませんね」
「こうしてみると……姫様は懐っこい方でしたのね。
しばらくしたら、姫様は私どものお膝の上に座りに来てくれましたのに」
私の時は、すぐに抱っこをしようと近づいてきたお姉さん達だったが、
あの子は牙を向けて「こっち来るなあああー!!」と、
うなってくるものだから、怖がって近づくことも出来ないらしい。
見かけた者の話では、池の水を飲もうとして頭から落っこちてしまったり、
屋敷にある食べ物を、陰であさったりもして下敷きになっていたりして、
その後に助けてあげても、礼も言わずに逃げられていると教えてもらった。
なんというか……私の時より、実にたくましい子なんだなって思った。
私もちょっとあの子を見習うべきなのだろうか、
さすがに私はそういうことはしてなかった。
かか様に最近、「野性味がなくなっている」と言われていたし。
そんな私は、かか様へのお土産にもらったおやつを風呂敷に包み、
大事に大事に背中に背負う。そして女房のお姉さん達にぺこりとおじぎ。
おじゃましました。また後で来るね。
龍青様に連れられて廊下をとてとて進んでいくと、
庭先でせっせと動く白い物体を見かけた。
……ハクお兄ちゃんだ。
「くっ、侵入者のくせに、このぼくをバカにしやがって!!
バカにしやがってえええええっ! 今に見ていろよおおお!!」
今度は何を始めようとしているのか、
ハクお兄ちゃんは鼻息荒くしながら、庭に穴をぼっこぼこと掘っていた。
……前に私がハクお兄ちゃんに教えてあげた獲物を取る方法だな、あれって。
あれであの子を捕まえる気なのか。
でもここまでいくと、ハクお兄ちゃんは初めの目的を忘れて、
歩き回っているあの子を捕まえるというより、
どっちがすごいのかを競いたいんじゃないかなって気がする。
それを一緒になってじいっと眺めていた龍青様に、
「あれいいの?」って着物を引っぱり、指さして聞いてみた。
きれいに整えたお庭は、庭師のおじさんが整えているから、
お砂遊びの場所以外では荒らしちゃダメだって……。
確か、私はそう言われて怒られたことがあるんだけれどな。
でも今はあっちこっちに穴を掘って、落とし穴を作っているんだもの。
うさぎじゃないと怒られるんだよね?
「……ハクもあれで水神の血を引いているからな。
一度怒り出したら、しばらくは止められないから……俺もあきらめている」
死んだ魚のような顔で龍青様は答えた。
苦労しているんだね。ぽんぽんと手を当てて私はなぐさめることにした。
※ ※ ※ ※
さて、私はどんなに龍青様のお屋敷で過ごすのが好きでも、
守らなければいけないことがある。
前にとと様が迎えに来て、ふてくされて巣穴に帰ったあの日、
私はかか様と大事なお約束をしていたのだ。
『嫁入り前の子どものうちから、
婚約者の所に毎日寝泊まりをするのはよくないわ。
主様が好きなのは分かったから、ときどきお泊りするのは許す代わりに、
親が子の成長を見られるよう、きちんと帰ってきなさい……』
そうしたら、それを後で聞いた龍青様が……。
『そうだね……姫、ここを気に入ってくれたのは嬉しいが、
こうして姫が親と過ごせるのは今のうちだけだ。
いつかちゃんと迎えに行ってあげるから、今は巣に帰ろうね?』
龍青様にもそう言われて、お兄さんとかか様とのお約束はぜったいだ。
だから今日も、きちんと巣に帰ることはしなくてはいけない。
迎えに来てくれたかか様に、元気な姿を見せに帰って、
ついでに抱っこしてもらって甘える私。
すんすんとかか様の匂いを嗅いだ私は、
しばらくの間、かか様と木の実を探しながらお勉強をしたり、
郷にある畑に連れて行ってもらって、畑仕事の手伝いもする。
郷のみんなはいつだって、一匹しかいない子どもの私を歓迎してくれて、
「少し大きくなったね」と代わる代わる抱っこしてくれるので、
私も大好きだ。
だから、こうして一緒に過ごすのも居心地がいいと思っている。
「キュイ?」
「ああ、それはちょうどいいな。よし、嬢ちゃん採っていいぞ」
郷の畑では、ようやく作物が収穫できるようになってきて、
私は大きく実っていたきゅうりを見つけ、
しっぽを振りながら背伸びをして手を伸ばそうとすると、
近くで収穫をしていた知り合いのおじさんが気づいてくれて、
小さな私の体をひょいっと持ち上げてくれる。
言われるとおりに、ぽきっと音を立てて緑色の食べ物を手に入れた。
……まだ緑色をしているけれど、これ、食べても大丈夫なのかな?
草以外で実っているものは、
緑だと食べられないものが多いって教えてもらっていたけれど。
すんすんと匂いを嗅いでいると、おじさんに頭をなでられて目を細める。
「いやあ、俺達も作り慣れてねえからなあ……。
主様が言うには、黄色くなっちまったら苦くなって、
食べられなくなっちまうんだと」
「キュイ」
そうなんだ。
田畑の神様でもある龍青様は、
ここで生きるためにたくさんのことを教えてくれた。
だから収穫したものは、いくつかより分けて主様へのお礼……供物になる。
この郷と畑を外敵から守り、水を管理してくれている龍青様への恩返し。
祠の前で採ったきゅうりをそこに置いて、小さな手を合わせる。
ありがとうって気持ちや、大好きって気持ちが水神様の力になるんだ。
「キュ」
……変な味だったらどうしようと、
ためしに一口食べちゃったけど、別にいいよね?
美味しかったので、かじりかけのきゅうりは、
こっそりと一緒にお供えしておいた。
(龍青様、今日の供物だよ)
淡い光が現れると、目の前の贈り物……供物は姿を消していた。
それからまた、木のつるで編まれたかごの中に野菜をつめ込み、
手分けをしてみんなの巣穴に運ぶ。
帰る時も、代わる代わるみんなに抱っこされて私はごきげんだ。
「お嬢ちゃん、本当に少し大きくなったわね~」
「キュ」
「ああ、うろこの色つやなんてすごいきれいになっているな。
主様に本当に可愛がられているんで安心したよ。
こりゃそのうち、郷一番のべっぴんさんになるぞ」
べっぴんさん……?
そういえばミズチのおじちゃんが、前にそんなこと言っていたな。
何だろうと思いながら、悪い気はしなかったのでしっぽを振って応えた。
郷のみんなは仲良くしてくれるし、屋敷のみんなも可愛がってくれる。
だから……とと様とかか様の子どもで良かったなって思った。
自分の巣穴に置いていたしいの実と、運んだきゅうりの一つを、
かか様に少しだけ分けてもらって、風呂敷きに包み込むと、
また龍青様の所に行くねと、かか様に告げて立ち上がる。
「桃? さっき主様に供物を送ったばかりだけれど、それはどうするの?」
「キュイ」
青水龍の子どもにあげようと思うの。
私は話すべきかどうか考えて……。
やっぱり素直に昨日の事を話すことにした。
かか様、とと様には誰かと知り合ったら話すことも約束したから。
私が親の知らないうちに、変な相手と知り合っていないかと、
いつも心配されるからね。
「キュイ? キュイイ、キュ、キュイイ?」
あのね? かか様。昨日は龍青様のお屋敷に青水龍の親子が来てね?
主様と同じ種族だから、水神様の嫁にどうかって言って来たの。
私くらいの大きさの子どもだったんだけど……。
「……え? そ、それで主様はなんて?」
かか様は私の話を聞いてから、手を止めて振り返る。
もう私と龍青様の間には、お兄さんの嫁になるという印は残っていない。
だから、私とお兄さんをつなぐものはないし、禍つ神に狙われることもない。
まあ、龍青様のとと様は元に戻ったから大丈夫だけど。
今まで、私以外に龍の子どもで嫁になれる娘は居なかった。
でも今は、お兄さんの嫁になりたがっているのは私だけじゃなくなったから、
私より、同じ種族の血を大事にするかもしれなくて……。
でもね? 大丈夫だよって私はキュイっと鳴いて顔をあげる。
龍青様は私が居るからって、いらないって言ってくれたの。
そしたら、私のことをその家族が「いぎょう」って言ってきて、
私よりその子の方が、同じ仲間を増やせていいだろうって言ってきたんだ。
そこまで言うと、私は胸がぎゅっとなって、目の前がじわっとにじむ。
すると、かか様がぎゅうっと私のことを抱き上げてくれた。
抱っこしてくれたことが、私にはうれしかったけれど、
かか様は悲しい顔をしている。
「キュ?」
「……っ、ごめんね桃、つらかったでしょう。
ただでさえ、あなたは火属性のとと様の血を引いている。
主様は水属性、本来なら相反する立場だから……。
余計に肩身の狭い思いをさせてしまっているのね」
かか様の目からこぼれた涙が私の頬に当たる。
かたみ? 言っていることがよく分からない。
そうしたら、かか様が教えてくれた。
とと様を番に選んだのは、主様からの呪いに抗うためでもあったのだと。
でもそれが、私を苦しめているのではないかとかか様は言った。
「キュ……?」
どうしてかか様が泣くの? かか様が悲しいと私も悲しいよ。
泣いちゃだめと、背伸びしてかか様の顔を必死になってぺろぺろと舐めると、
かか様は私の顔をのぞきこみ、そこで少し笑ってくれた。
私のうろこは桃色、とと様ともかか様ともちがうし、
普通の龍には珍しく、二つの属性を持っていて狙われやすいから、
かか様は私をこの姿で産んだことを、ずっと気にしているのかな。
でも私は大丈夫だよって、かか様を見上げてキュイっと鳴く。
「キュイ、キュイキュイ」
だって、私にとと様の力があったから、
龍青様のことを守れたことだってあるもの。
生き物は火を恐れるから、怖い人間とだって戦うことが出来たし、
黄泉の世界では役に立ったって、龍青様だって言ってくれたし。
お兄さんをあの子に取られそうで嫌だなって思って、
しょんぼりはしていたけど、そうしたら龍青様が私の頭をなでてくれてね?
私のうろこは花の色だって言ってくれて、
私のことを嫁にしてくれるって言ってくれたから、すごくうれしかったの。
龍青様が私に言った言葉を思い出して、私はしっぽを振る。
お兄さんはいつでも、私とのお約束を守ってくれるもの。
だからきっと……私のこと、迎えに来てくれるはずなんだよって。
「そう……よかったわね」
「キュイ」
でも、その子……途中で泣き出して逃げちゃったの、
みんなが怖い顔したから、怖がらせちゃったのかもしれない。
私の事を悪く言ってきた夫婦は、そのまま座敷牢に入れられちゃってね。
それで今、残されたその子は見つからないまま、
一匹ぼっちで龍青様のお屋敷のどこかでさまよっていて……。
すごくさびしい思いをしているだろうから、
食べ物を分けてあげようかなって思ったんだ。
頼るものが居なくて、お腹が空いているととっても悲しくなる。
それを私はとてもよく覚えているから。




