河童編・3
こほんと、ハクお兄ちゃんが咳払いをした。
「と、とにかくだ。我が主様の傍にお仕えしたい……と本気で言うのならば、
まずはここに居る娘のように、供もつけず、たった一匹だけで死臭漂い、
魑魅魍魎が居る黄泉入りでもして、先代様へごあいさつと、
水神の嫁として認められてからにでもするんだな!」
びしっ! と人差し指を夫婦に指差し、
ふんっと鼻息荒くハクお兄ちゃんは言った。言い切った。
長いお話を、こう……よく言えたものだなと感心する。
私だったら、途中で言っていることを忘れてしまう所だぞ。
「黄泉入りは、ぼくのような第一の神使ですら恐ろしい事なんだぞ」
――という、
ハクお兄ちゃんの心の声が聞こえた気がしたのは、私だけだろうか……。
あの時、泣くほど嫌がっていたのを私は覚えているぞ。
そうしたら近くの部屋で様子を見ていた侍従のお兄さん達から、
「ハク様かっこいい……!」とか、「さすが公方様の神使様だ」と拍手をされる。
するとますますハクお兄ちゃんは鼻息を荒くしつつも、顔を真っ赤にさせた。
注目されると恥ずかしくなってしまうのかな。
私もとりあえず、つられて小さな手でぱちぱちした。
「キュ」
その勢いで、部屋の隅で様子を見ていた女房のお姉さん達も、
何度もハクお兄ちゃんが言った言葉にうなずいてくれて。
「そ、そうですよ! 今さら姫様以外に公方様の嫁なんていりません!
それも側室どころか姫様を差し置いて、正妻を狙っている娘など!!」
「そんなことをされたら、うちの姫様はどうなるのですか!?
こんなにも公方様のことを慕ってくれているのに!!」
「姫様が来てくださってから、この屋敷にようやく春が訪れたのです。
公方様も、毎日とても楽しそうに笑ってくださるようになって……。
心のより所となる姫様を、この屋敷の者で誰が反対などしましょうか!」
この屋敷に来た時から、私のことをいつも可愛がってくれて
今も私をかばってくれているお姉さん達が、
間近で恋物語を見られなくなるとか、よく分からないことも言っているけれど、
私の味方をしてくれているってことでいいのかな……?
すんと鼻を鳴らして、私は龍青様の匂いを嗅いだ。
……じゃあ、私、このまま龍青様のそばに居ていいの?
ずっとお兄さんの仲良しでいいんだよね?
「キュ、キュイキュイキュイイ?」
「姫……ああ、そうだよ。
みんなもああ言ってくれている、姫はみんなに愛されているね。
それは姫が、みんなとがんばって仲良くなれた証拠なんだよ」
私はこくりとうなずいた。その後も話を聞きつけたみんなが来てくれて、
他の娘を嫁にするのは反対だと言ってくれた。
龍青様の魂を、黄泉の世界から無事に連れかえったことが、
眷属のみんなのことも助けたことになって、今はもう本当に、
私の事を反対する者なんて居ないということを教えてくれて……。
すんとまた鼻を鳴らした私は、みんながここに居ていいと言ってくれて、
すごくうれしくて、何度も何度もすんすんと鼻を鳴らした。
「――さて、皆の意見も一致したことで……ハク、皆も下がれ」
それまで静かにこの様子を見守っていた龍青様の声に、
わあわあ言っていた屋敷のみんなの声がぴたりと止まり、
龍青様に向かって頭を下げた後、すすっと部屋の両脇に移動していった。
「キュイ……」
「さあ、心配ないから姫はあちらの部屋で水菓子を……」
そう言われたけれど私はぷるぷると首を振り、
お兄さんと一緒に居るとキュイっと話す。私がお兄さんを守らなきゃと、
ぎゅっと龍青様の着物をつかんだままでいたら、頭をなでられた。
「あまり……姫には見せたくないのだがね」
龍青様は目の前の青水龍の子どもとその両親に向かい合う。
その顔はいつも私が見ている。あったかいものじゃなくて……。
同じ瞳なのに、涼やかで冷たい感じがするお兄さんに見えた。
「す、水神様……」
「俺や眷属たちは、おまえ達を同胞としてここに住まわせることは出来ない。
ここへ通したのは、姫と同じ年頃の娘を連れてきていると、
知らせを受けたからだ」
「……っ!」
「俺が仕事をしている間、姫の遊び相手になってくれたらと思ったのでな」
もしも私と相性が良ければ、龍の郷に迎え入れて学友にも出来ないかと。
だがー……と、新しい紫苑色の扇を開くと、
龍青様は口元を隠して首をかしげる。
「姫が喜ぶと思い、受け入れたのはさすがに間違いだったな。
まさかここへきて姫を害するものだとは思わず、姫に近づけてしまった。
……俺はまがい物の恋情など、今までさんざんと見飽きているのでな?
どうせ、俺の持つものの恩恵にあやかりたいという腹積もりなのだろう?」
「……っ!」
「嫁にするのなら、ありのままの俺を慕ってくれる無垢な姫がいい。
元々、姫が望んでくれなければ、俺の代で絶やそうとさえ思っていたのだから」
こうして、嫁になってくれる娘は既に居るから他はいらないと、
龍青様は私の方を見下ろし、桃色をした私のうろこを優しくなでてくれる。
目の前の夫婦が「いぎょう」だとか言っていた私のうろこを……とても優しく。
それは悲しかった私の気持ちをなぐさめてくれた。
「何より……それを言うなら俺こそ異形の存在だろう?
普通の龍にあらず、神としても未熟者だからな。
この花の色のように、愛らしい娘に対して失礼だ。なあ? 姫」
龍青様の声に、私は顔を見上げる。
「キュ……?」
「そんな俺でも嫁になってくれるのだろう? 姫」
着物を「これでもか」とつかんでいた私の小さな手に、
龍青様の大きな手が上に重なって包み込む。
大丈夫だよと、龍青様が私に笑いかけてくれるから、
私はゴロゴロと喉を鳴らして、「そうだよ、嫁になるよ」と、
龍青様に、こくっとうなずく。
……私のうろこの色を、
「花のようだ」と言ってくれるのはお兄さんだけだもの。
「だそうだ。姫以外の嫁など俺は今後も必要とはしない。
跡取りがもし居なければ、他の神にこの水域を任せればいいからな」
龍青様の言葉で、家臣のみんなの顔に笑顔が戻っていて、
衣擦れの音をたてながらゆっくりと頭を下げる。
張り詰めるような空気が、少しずつ和らいでいくように感じた。
すんと鼻を鳴らしてうなずく私に、龍青様の手がまた頭に触れる。
そうだね。いつだって龍青様はお約束を守ってくれるもの。
だから、私を迎えに来て嫁にしてくれるのも、いつかきっと叶えてくれるの。
「そ、それではうちの娘は……」
「そのことだが、そこの娘は納得の上でここへ来ていると思えないのだが、
さっきから俺の神気の影響を真に受けて、
がくがくと震えているじゃないか」
龍青様に言われて見れば、確かに目の前に居た子は手足をぶるぶると震わせ、
水色の瞳に涙を浮かべて、必死に耐えているようだった。
てっきり龍青様に嫌われちゃったせいで、
そうなっているのかなって思ったんだけど、
一緒に来たその子の母親も同じように震えているんだよね。
「キュ?」
「なんだ……主様の神気にすらまともに耐えられないくせに、
それでよく嫁になんて志願したものだな」
ハクお兄ちゃんが敵意むき出しにそう言って腕を組む。
それを見て、私もハクお兄ちゃんのまねっこをしてみたくなり、
腕をく……もうとしたけど、短くてできなかった。
く、くやしくなんてないもん。ちょっとやってみたかっただけだもん。
だから代わりに、あの子急にどうしたのって聞いてみたら、
女子どもは龍青様の持つ強い神気……。
神様の持つ気配に耐えられないことが多いんだって。
そういえば……よく龍青様が「姫は平気なんだね」って、
不思議そうにしていたな……。
あれのことなのか。
その様子を見ながら、私は龍青様の着物をつかんだまま、
鼻に当ててすんすんしていた。うん、私のしっぽが揺れるだけだ。
今日もお兄さんの匂いはとってもいい匂いだし、一緒に居て安心するのにな。
私は目を細めて「私は大好きだよ」とキュイっと言ったら、
「……だから俺には、姫が必要なんだよ」
龍青様が笑ってくれた。
私が龍青様にすんすんと匂いを嗅ぎながら、
これでもかとばかりに甘えていると、
その後ろで私とは別に鼻をすする子どもの声が聞こえてくる。
それは、私のことをここから追いやろうとしたあの青い子どもで。
「さて、こんな若い身空で、嫁の座を狙った動機はなんだろうね?
見た所、俺や姫とは面識もないようだし……」
龍青様はにこにこと笑いながら、青水龍の子どもをじいっと見下ろしていた。
「う……うう……だって……だって……じゃないと、あたし……っ!」
「こ、こら、じっとしていなさい!」
娘を連れてきたおじさんが自分の子を黙らせようとするけれど、
もうやだと言って、青い子どもはわっと泣きだした。
あ、泣かしちゃった……私は龍青様の懐からいそいそと抜け出てくると、
そろそろと近づいて、着物の袖で涙をふきふきしてあげる。
「……っ!」
びくっと反応した青い子は私の方を見た。
「姫?」
「キュ」
泣かなくていいよ。大丈夫。
みんな体が大きいけどね? 優しいからいじめたりしないよ?
最初は私もいろいろ言われたけれど、今は仲良くできたもの。
私は怖がらせないように、せいいっぱい優しくしてみせた。
「……っ! 離して!」
でも、そんな私の手をぱしっとまた払いのけられた。
そしてそのまま、私の着ていた若草色の着物をがしっとつかまれる。
「ずるいわよ、あなたばっかり!!
あたしは何が何でも水神様の嫁にならないといけないの!
こんなきれいな着物も着て、みんなに可愛がられて、
なんで出来損ないのあんたの方が、あたしより良い目にあっているのよ!」
「キュ、キュイ!?」
「よこしなさいよ!!」
いきなり着ていた着物をはぎ取られそうになって、私が悲鳴を上げれば、
近くで様子を見ていた手まりが、襲われている私のことを助けようと、
目の前に居た青い子どもに勢いよくぶつかる。
その勢いでころんと倒れこんだ私と、
今も手まりによって叩かれているその子は、私が気づくころには、
わあわあ泣き叫びながら、手まりと必死になって戦っていた。
よく分からないけれど、つ、強い……。
取り残された私は床に両手をつけながら、あっけにとられて固まっていた。
私だったら、きっとすぐに泣いてしまう所だぞ。
「……キュ」
「こんな、こんなよく分からないお守りも付いて、なんであなたなの、
気味の悪いその色で、なんでそんなに大切にされているの、
あたしの方がよっぽど、よっぽど……う、うわあああん」
気味が悪いと言われて、私はまたしょんぼりとなった。
もしかして、野生の世界では私ってそんなに嫌な色なのかな。
かか様も野生では生きづらい色だって聞いたことあるし。
怖いことしないのに、いじわるとかもしないのに。
かか様ととと様の言うことを聞いて、
良い子にして仲良く暮らしているつもりなのに……。
ずっと顔を覆って泣くその子に、私は手まりに「おいで」と呼び寄せた。
ころころと私の元に戻って来た手まりを持ち、
私は青い子を見ながら、ちょっとだけ考えて……。
その子の近くにもう一度だけ、そろそろと近づく。
「……っ!」
キュっと鳴き声を上げて肩をびくりと震わせたその子は、
私のことをじっと見てきた。
「な、なによ……っ!」
「キュ」
……ごめんね? 私、龍青様が大すきなの、
この着物も、手まりもね? 元は龍青様のお下がりで、
お兄さんからもらったから、すごく大すきなの。
みんなすごく大切で、他に代わりがないから、
あなたにはあげられないよ。
私ね、大きくなったら龍青様のお嫁さんになるの、そう約束したの。
ずっとずっと一緒にいるって約束したんだよ。だから、ごめんね?
キュイキュイっとそう言って、一度手まりを床に置き、
いいこいいこと頭をなでてあげると、その子は両手で顔を覆って泣いた。
今度は振り払われなかった。
「姫……」
「キュ、キュイ!?」
ち、ちがうよ? 泣かしてないよ?
私が龍青様の方を振り返り、両手をぱたぱたして言ったら、
分かっているよと龍青様がおいでをしてくれて……。
傍で泣いているその子が気になって、何度か後ろを振り返るも、
これ以上私には何もできそうもないので、手まりと龍青様の元へ戻ろうとする。
そうしたら、その子から「ぐうう~」と、
お腹の音が聞こえてきた。そしてすんすんと鼻を鳴らしながら、
両手でぽっこりした小さなお腹を押さえていた。
ちろっとこちらと目が合い、その子はお腹をまた見下ろして言う。
「こ、ここに居れば、毎日ごちそうがお腹いっぱい食べられて、
ぜいたくできるって言われたのに……。
お父さんとお母さんにだって……っ!」
それを聞いて、あわてたのは後ろにいる夫婦だ。
「こっ、こら黙りなさい!」
「そうよ。大人しく私達の言うことを聞いていろ!!」
声を荒げてしかる声に驚いたのか、その子はびくっと飛び上がり、
またキュイキュイと泣きだして、両手を前に伸ばすと、
部屋を飛び出し、その場からすたたーっ! と、
逃げ出してしまったではないか。
「に、逃げましたわ!」
「ちょっとだれか捕まえて!」
みんなの足元をすり抜けていったせいで、
悲鳴を上げて避ける女房のお姉さん達と、
見守っていた侍従のお兄さん達が、転びそうになりながら子どもの後を追う。
静かになったその部屋で取り残され、
青い子が飛び出した方を見て、おろおろとしている青水龍の夫婦。
自分たちも追いかけようとしたのか、怖いお顔をして立ち上がろうとしたとき、
龍青様は夫婦に向かって水の蛇を放って捕らえ、こう言った。
「さて、幼い子どもの前で、親の捕縛は可哀そうだと思っていたが……。
ちょうどいい、そこの夫婦を牢へつないでおけ、
後で尋問したいことがある」
部屋に残っていた侍従のお兄さん達に、龍青様が指示を出す。
悲鳴を上げるその夫婦に、私は首を傾げた。
なんだろう、さっきから少し様子が変だなって思っていたけれど、
龍青様も同じことを考えていたのかな。
私は居なくなった子が気になって、外に出てみた。
みんなは庭先に飛び出して、膝を曲げていろんな所をのぞいている。
どうやら、連れ戻そうとしたら外へ出てしまったらしい。
でもここは水神様の作った水の底の世界、そう簡単に陸へは戻れないんだ。
私はみんなに交じって、一緒にあの子を探すお手伝いを始めた。
「キュ」
あ、そうだ。どうせみんなで探すんだから……と、
私は良いことを思いついて、柱に両手をつき、頭をくっ付けて、
10数えた後に大きな声でこう話す。
「キュイ、キュイーイ?」
もう、いいかーい?
それは、みんなと仲良くなれるという、
龍青様から教えてもらった特別な言葉、特別な遊びなのだ。




