河童編・1
さて、そろそろ龍青様のお膝に戻ろうかな。
お屋敷のお庭に咲いていた、きれいな白い花をお土産に持って、
今日もなわばりの一つになったお屋敷の中を、
しっぽを振りながらとてとてと歩く。
「あら、姫様……お庭からお花を摘んでいらしたのですか?」
「キュ」
そうだよ。龍青様にあげるの。
こくんと私はうなずいた。
さっき、庭師のおじいちゃんが、
「百年に一度咲く、貴重なお花」だと言っていたんだけど、
そんなに珍しい花なら、大好きな龍青様にも見せてあげようと思って、
目の前に咲いていた花を、ぶちっと一つ引っこ抜いたら、
庭師のおじいちゃんが『のうわあああっ!?』と、
すごい悲鳴を上げていたけど……。
なんでだろうな?
私が驚いて震えながら、『キュ……キュイ……?』と、泣きそうになったら、
あわてて「ど、どうぞどうぞ」とくれだけど……。
もしかして、これ、本当は摘んではだめだったのだろうか?
すんと鼻に顔を近づけて、匂いを嗅ぎながら考えてみる。
「キュイ……」
でも、珍しいものを大好きな相手に贈るのは、
とってもいい事だって、私のかか様が言っていたし。
この花ならきっと喜んでくれるはず。
私から龍青様にあげてはだめって言われていないしな。
毎日の日課となったお屋敷の中のさんぽ。
すれちがう女房のお姉さんとあいさつをして、
部屋に戻る途中の柱やかべに、手でぺちぺちとさわったり、
しっぽをくっ付けてみて、私の匂いを付けては、
「ここは私の居場所だよ」と、なわばり作りをしていた。
「キュ」
すると龍青様のお屋敷の匂いに交じって、なんだかいい気分。
足に結ばれた鈴がちりんと鳴ると、
近くを歩いている従者のみんなが止まってくれて、
小さな私に頭を下げ、私のためにそっと真ん中の道をあけてくれる。
体の小さい私は、この鈴のおかげでずいぶんと歩きやすい。
「キュ?」
そうして龍青様の居るお部屋に戻ってきたら、
なにやらみんなが集まって、知らない気配を感じる……。
やや、どうやらお客様のようだ。
部屋の入り口や廊下に従者のお兄さんやお姉さん達が居るし、
中では龍青様が、よそいきの顔で話をしているではないか。
そう、前に女房のお姉さんが言っていた。
「死んだ魚のような目」をしていたのだ。
すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いでみると、
土の匂いと、水の気を含んだ同胞の匂いがする。
確か、龍族にはそれぞれ属性にちなんだ匂いがあるって、
前にかか様が言っていたから、今ここに来ているのは、
私と同じ地上で暮らしている龍族……なのだろうか。
ここで私とお兄さん以外の龍族とは珍しい。
見ると、龍青様の青銀の髪色に似た、
青い髪をした人型の夫婦が並んで座っていて、
その前に、小さな存在を感じた。
「キュ?」
だあれ?
「ま、まあ姫様」
仲のいい女房のお姉さん達が部屋の隅に居るのを見つけたので、
柱の陰から隠れているのを止めて、とててと駆け寄って近づき、
赤い着物の裾をくいくいっと引っ張ると、女房のお姉さん達が私に気づいて、
目線を合わせるようにしゃがみこんでくれた。
いつもだったら、どこから来た方ですよって、すぐに教えてくれるんだけれど、
私を見ると、みんな顔を見合わせて困った顔をしていた。なぜだ。
「ひ、姫様。公方様は今、お取込み中でお忙しいようですから、
あちらへ参りませんか? 姫様のお好きな水菓子をご用意しますよ?」
「キュ?」
おとりこみ? それなあに?
私は野生の勘で、なんとなく私に何か隠したいことがあるように感じた。
わ、分かったぞ、私に“ないしょ”でおいしい物を食べる気なんだろう!
きっとお客様用のごちそうがあるんだ。ずるい、私だって食べたい。
だから、そろそろとお姉さんたちの足元をすり抜けて、近づいてみれば、
そこにはなんと、初めてみる龍の子どもが居るではないかっ!?
「キュ……」
それも龍青様が小さくなった時のような、青水龍の子どもだ。
匂いからして私と同じ雌だと分かり、私はますますうれしくなった。
身丈も私と同じくらいだし、
私のほかに龍の子どもが居ると分かって、私は興奮した。
ここに私の遊び相手になってくれそうな子が居るなんて!
「――ん? 姫?」
「キュイ!」
私は持っていた花を女房のお姉さんに渡すと、
しっぽを振りながらその子に近づいて、さっそく小さな手を取って話しかける。
「キュ、キュイキュイ?」
ねえ、一緒にあそぼう?
「……っ!」
「キュ」
うれしい、龍の子どもなんて、周りには私だけだと思っていたから、
同じ年頃の子に会えるなんて思わなかったよ。それも雌でだよ。
私はしっぽをぶんぶんと振りながら、「どこから来たの?」とか、
「お兄さんと同じ青水龍だね」とか、「ねえ、あそぼう」と話して遊びに誘った。
でも、目の前の子は私のことを見ると、とてもおどろいた顔をした後、
私を頭の上から足先まで、じろじろと見ていたかと思えば、
ギッと私のことをにらんできて、ぺちっと手を叩かれ、
「――っ、な、なによあんた! 変な色! あっち行って!」
あげくに、おもいっきり後ろへと突き飛ばされたではないか。
「キュッ!?」
私はその勢いで、悲鳴を上げながらころころころんと倒れこみ、
部屋の隅でその様子を見ていた、女房のお姉さんから悲鳴が上がる。
「きゃあああっ!?」
「ひっ、姫様ぁっ!?」
「お、お怪我はありませんか!?」
「こっ、この子ども! あろうことか、大事な姫様になんたる無礼をっ!!」
「……っ!?」
あっという間に女房のお姉さん達に取り囲まれ、怒鳴られた青水龍の子は、
みんなの怖い声にびくっと飛び上がった後、ぷるぷると震え、
口をぐっとへの字のように引き結び、こちらをにらんでいるのが分かった。
その間に龍青様が立ち上がり、倒れた私の方へ来てくれた。
「ひ、姫っ! 大丈夫かい!?」
「……キュ、キュイ……」
私は突き飛ばされ、びっくりして両手足を天井に向けたまま固まってしまった。
何が起きたのか理解できなかった……なんだ。何が起きたんだ?
勢いがあったわりには、それほど痛くはなかったけれど……。
でも自分に起きたことがだんだんと理解できて、
じわあっと涙が浮かんだ私は、天井に伸ばしたままの手足を、
ぷるぷると震わせたあと、
「キュイイイ、キュイキュイ」
……と泣きながら体を起こし、両手を伸ばして龍青様に駆け寄って、
着物の袖にしがみ付き、すんすんと泣いた。
もしかして私、嫌がられたのかな。それも変な色って言われた……。
友達になれるかもと思った相手に、こんなに嫌われるとは思わなかったよ。
言われてみて、やっぱり私の姿って……みんなからすると変なんだと思い知らされた。
「姫……よしよし、怪我はないか?」
「キュ、キュイ……」
「さあおいで、痛い所はないね?」
そのまま抱っこされた私は、こくんとうなずくと、
龍青様がほっとした顔で、私の事をぎゅっと抱きしめてくれる。
怪我よりも、嫌がられたことが悲しかった。とてもとても悲しかったの。
まだ何にもしていないのに、ただいっしょに遊びたかっただけなのに……。
やっと龍族のお友達が出来ると思っていた私は、しょぼんとうな垂れる。
もういい……龍青様と、お兄さんと遊ぶから……と龍青様の着物に顔をうずめる。
遊び相手ならハクお兄ちゃんも居るし、
最近はスズメの子とも知り合えたし、い、いいもん。
そんな私に龍青様は頭をなでてくれて……すんと鼻を鳴らす私。
「……姫」
すると無言で私の様子を見ていた青い子が、
一度ちらっと後ろに居る夫婦を見た後、私達の方へと駆け寄ってくる。
私にしたことを、「ごめんなさい」と言ってくるのかと思いきや、
青い子は私の方ではなく、一緒に居た龍青様に目を向け両手を伸ばした。
「そ、そんな子より、あたしの方を可愛がってくださいませんか?」
私をまねるように、龍青様に甘えた声でキュイっと抱っこをせがんだのだ。
「あたしの方がおそろいのきれいな青色のうろこで、可愛いでしょう?」
と言いながら。
「……なにを」
龍青様が驚いた顔で言いかけると、
その話をさえぎるようにして青水龍の子どもが言う。
「湖の主様、あたしはあなた様と同じ純血種の青水龍です。
そんな雑種の子どもより、あたしの方が全然いいでしょう?」
「キュ?」
な、何を言っているんだこの子は……。
この私をさしおいて、「可愛がれ」だと?
な、なんでそんなことしなくちゃいけないの。
龍青様は今、私のことを「いいこいいこ」するので忙しいんだからね!
そうしたら、この子の両親らしき夫婦は、それを止めずに笑っているではないか。
ついさっき、自分の子どもが私にしたことを何とも思っていないかのようだ。
こんなとき、私のかか様やとと様だったら、
ちゃんと「だめだよ」って叱るのに、
なんで私にしたことを何も言わないで笑っていられるの?
「キュ……」
だから私はこの時、この家族がやって来た理由に気づいた。
(こ、こいつ……私の居場所を狙おうとしているんだな!?)
前に、かんなだった頃のお姉さんのことがあったから、私にでもわかる。
まだ番になっていない龍青様を狙って、雌の子どもを嫁にと近づけているんだ。
そ、それもお兄さんと同じ色の、青水龍の子どもを……。
龍青様と同じ……私はちらっと自分の体を見下ろした。
短い手足にぽっこりお腹、そして桃色をした私の体は龍の世界でも珍しい色、
どうがんばっても龍青様とおそろいの色にはなれないけれど。
でも、でも……私は龍青様の、このお兄さんの傍に居たいのに。
また「おまえよりは良い」とみんなにも思われそうで、私は悲しくなる。
(やだ、とっちゃやだ……)
ぐっと口元を引き結んだ私は、龍青様にしがみ付く。
龍青様は私のとくべつな「大好き」なんだよ? ここは私の居場所なのに。
でもそんな私の気持ちをよそに、目の前の青水龍の夫婦はにこやかに笑っている。
私が目の前で震えながら泣いていることなんて、なんてことないように。
それはまるで……私のことを「ただの物」として売ろうとした。
あの男に似ていた。
「主様、娘の言う通り、私どもは主様と同じ青水龍です。
うちの娘を嫁に迎えてくだされば、種族の繁栄、
主様の仲間を増やすことも出来るでしょう」
「キュ……」
ああ、やっぱりそうなんだ。
つきんと胸のあたりが痛くなった気がした。
同じ、仲間……それは私がどんなにがんばっても同じにはなれないもの。
私はずっと龍青様と私は似ているのかなって思っていた。
他の龍族とはちょっとちがう所があったから。
だから一緒に居れば、龍青様もさびしくないかなって思ったんだ。
『ここには龍族がもう俺しか居ないんだよ。
だから姫がこのままずっと傍にいてくれたら……俺も嬉しいな』
そうお兄さんが私に言ってくれたことがあるから。
でも……水神の一族じゃなくても、
ただの青水龍は他に居るということが分かって、
私はちょっとしょんぼりした気持ちになった。
私だけが仲間はずれみたいだなって。
私みたいな桃色をした同族は、きっとどこを探しても居ないと思うし……。
龍の子どもが居たことはうれしかったけれど、龍青様のこととなったら別だ。
前に女房のお姉さんが言っていた恋敵というものが、これなんじゃないか?
つまり、私の大好きなお兄さんを取ってしまうかもしれない敵なのだ。
それなら私にだって考えがあるぞ、
私は抗議の声をあげてキュイキュイ鳴きながら、
龍青様にがしっと強くしがみ付いた。このお兄さんはもう私のだ。
一番の仲良しさんは、これからもずっと私なんだからね。
「湖の主様……そんな変な色の子なんて放っておいて、
このあたしの方を可愛がってくださいませんか?」
そうしたら、龍青様に甘えた声でまたお願いをするヤツが居た!
し、しっぽまで振っているぞ。
しかも今、私のことを「変な色」とか言ったなっ!?
変じゃないもん、龍青様はきれいだって言ってくれるもん!
「キュ!」
「ねえ、主様?」
む、無視された! 私のこと無視されている!
私は目の前の子に負けまいと、キュイキュイともっと大きく抗議の声をあげる。
私の方が龍青様に可愛がってもらうんだからな!
おまえなんてお呼びじゃないのだ!
龍青様、一緒にあっち行こう。こんなヤツ相手にしちゃだめ。
「……」
「キュ?」
すると龍青様はそんな子を無言でじいっと見つめていた。
ついさっき私のことを突き飛ばした子を。私のことを放っておけとか言う子を。
私はそれを見て、お兄さんの着物をつかむ手をぎゅっと強めた。
(……や、やだよう)
それをいいことに、その子どもは一歩、二歩とまた近づき……。
私みたいに膝の上によじ登ろうとしたのだろう、私と同じことをしようと。
それとも抱っこしてもらおうとしたのか、
お兄さんの膝の上に手を触れようとした。
けれど龍青様が持っていた扇でさっと止め、首を振る。
「おっとそこまでだ。
娘、それ以上この俺に近づくことは、例え子どもであっても許さない。
俺に気安く触れて良い娘は、今この膝の上に居る姫だけだからね」
そう言って、龍青様は私の事を見下ろした。
「……っ!」
「キュ?」
「それより、姫にしたことに対して、おまえは何も思わないのかい?
子どもだからと言って、許されると思ったら大間違いだよ。
打ち所が悪かったら、この娘が命を落としていた可能性だってあるんだ。
ここに居る姫は俺の大事な婚約者、何者だろうと傷つけることは許さない」
その言葉を聞いて、私は胸がとくんとして、あったかくなっていく気がした。
龍青様はこの子が、私に「ごめんなさい」ができるかどうかを、
ずっと見守ってくれていただけらしい。
鼻をすんとならし顔を見上げて「龍青様……」とキュイっと呼ぶ私に、
龍青様はまた私に目を向けてくれて、そっと笑いかけてくれる。
「怖かったね?」
「キュ……」
龍青様はいつも一番に私を見てくれるんだ。
あの時も、今だって龍青様は私の味方でいてくれるんだって、
私のことを守ってくれるんだって分かって、すごくうれしかった。
だから私は、龍青様の、このお兄さんの傍に居たいって思うようになったんだよ。
龍青様……とキュイっと呼びながら、
私はお兄さんの着物に額を押し付けて、ぐりぐりして甘えた。




