小さな子のお留守番
ある日、私の気持ちはすごく沈んでいた。
「本日は、申し訳ありませんが主様が出かけることになりまして……」
そう、私の元に侍従のお兄さんがやって来たときの悲しみったらない。
鈴を鳴らすと龍青様が来ることになっているのに、
代わりにこのお兄さんが来るときは、一緒に遊べないという合図なので、
私は萌黄色の着物を着た。侍従のお兄さんを見たとたんに泣き出した。
「キュ……イ、キュイイ、キュイイイ!」
「あ、あああ、姫様どうか泣かないでくださいませ」
そうしたら、侍従のお兄さんがあわてて高い高いをしてくれた。
「公方様はですね。水の恵みを与えに行っているのです」
それは空から雨を降らせる時に言う言葉。
この世界で生きている者たちの命をつなぐ、大切な儀式なんだって。
「キュ~……」
「姫様も、公方様が大事なお仕事をされることは分かりますよね?」
「キュイ」
水がないと生きていけないってことは、幼い私にも分かるよ。
だからみんなが生きていくために、龍青様のお仕事は邪魔しちゃいけない。
私は龍青様の嫁として、ぐっとこらえて、こくりとうなずいた。
まだ嫁にはなっていないけれど、
私は「嫁のつとめ」というのを教えてもらっている。
良い雌は、雄の仕事を邪魔してはいけないんだって。
「ふふ、公方様は本当に姫様に慕われておりますね」
いつも夢の中でも会っているけれど、みんなには内緒なので知らない。
でも出来るのなら、龍青様にずうっとくっ付いていたい気持ちがあるんだ。
これが番を求める半身の気持ちなのかと思うと、なんとも辛いものだよね。
大事なお仕事だと分かっていても、まだ少し涙が浮かんでしまった。
「キュ、キュイ……?」
すぐ、帰って来てくれる?
私の言いたいことが分かったのか、お兄さんは慌てたように教えてくれた。
「あ、あの、そう何日も留守にされるわけではありませんから、姫様、
すぐに、そ、そうです。すぐにまた会いに来てくれますから、ね?」
頭をなでられ、渡されたのは浅葱色の手紙と野の花。
花びらが五つある、あわく色づいた桃色の花で、
「カワラナデシコですよ」と侍従のお兄さんが教えてくれた。
それを受け取った私は、しょんぼりした気持ちで巣穴に帰る。
雨が降ってきたら、滝も水路も危ないからって、
子どもの龍は外へ出られなくなるんだ。
つまりだ……雨が降ってからしばらくは、
龍青様が会いに来てくれない限り会えなくなる。
「キュイイ……」
だから雨は私にとって、大切だけど寂しくなるときだった。
巣穴に戻ると、合図のようにぱらぱらと雨が降ってきて、
辺り一帯が水の匂いに包まれた世界に変わる。
じっと外を見ていると、狩りと水路の動きを変えて来た私のとと様が、
あわてて巣穴に戻って来た。
でも、いつもなら喜んでとと様に飛びつく私には、そんな元気はなかった。
とと様は外遊びしか知らないのだ。
「ど、どうした桃、そんなところで寝転がって」
「キュ……」
ころんと寝転がった私は、
手まりを抱っこしたまま目の横から、つうと涙が流れた。
さびしい……さびしすぎる。
「な、なにをそんなに泣いているんだ?
あれ、そういえば今日は主様の所に行かないんだな」
「……キュ」
だって、龍青様はお仕事だし遊べないもん。
とと様に言われて、私はこくりとうなずき、またうつ伏せで寝転がった。
涙のあとが広がっていく、離れているのはほんの少しなのにすごく寂しい。
「そうか、そうだな。これから雨が降ってくるものな。いや、残念だな」
とと様は私が龍青様の所に遊びに行かないので、何かほっとしていたけれど、
かか様がとと様をしっぽの先でぺしっと叩いて、とと様を叱っていた。
「あなた、主様には娘を何度も助けていただいたんですよ?
そればかりか、私達の命まで救っていただいて、
ここの暮らしまでいろいろと良くしていただいたのに……」
「そ、それはもちろん分かっているよ。主様には返しきれない恩がある。
だ、だがな、まだ桃はこんなに幼いんだぞ?
今から婚約者にべったりしなくても……俺は寂しい」
「もうあの子は自分の世界が出来ているし、
主様の番になっているのよ。少なくとも心はね」
ぬくもりも恋しくなって、今度はかか様の背中によじ登って眠った。
いつもだったら、龍青様のお膝の上ですんすんと匂いを嗅いでいるのにな。
とと様がこっちへおいでって言っていたけど、しらんぷりする。
私が龍青様と会えないのを嬉しそうにするんだもの。とと様のいじわる。
頬をぷくーっとふくらませて、そっぽを向いた。
「む、娘に嫌われた!?」
かか様が私に「ただのやきもちよ」と言ってあやしてくれたけど、
私はすんすんと鼻を鳴らして、ごきげんが悪かった。
「キュ」
こういう時、いつもだったらミズチおじちゃんを呼ぶところだけれど。
龍青様が忙しいということは、おじちゃんも忙しいのだろう。
(つまんないな……ミズチのおじちゃんは結婚したばかりだから、
あんまり邪魔しちゃダメだって言われているし)
最近は探していた嫁が見つかって、少し付き合いが悪くなった気がする。
でも会うごとに、肌がつやつやしてきているので、幸せなのだろう。
前は嫁の話をするたびに悲しそうな顔をしていたのを知っているし。
だから、私は親分として放っておいてあげるのだ。
あと、かまってくれるのと言ったら、スズメの子どもとハクお兄ちゃんか。
スズメさんは雨宿りしているだろうから、来てくれないだろうな。
ハクお兄ちゃんはきっと社の管理で忙しいだろうし……。
「桃は本当に主様と仲が良いのね」
かか様がそう言って、背中に乗った私をゆらゆらと揺らしてあやしてくれる。
私がとと様とかか様の知らないところで水神様と知り合いになるものだから、
かか様から、あとで約束させられたことがある。
誰かと知り合いになったら、ちゃんとかか様、とと様に話しておくようにと。
だから、ミズチのおじちゃんのほかに、ハクのお兄ちゃんとか、
龍青様の知り合いのことは話しておいたんだ。
そうしたら、こないだの水神様たちが狙われたことで、
ミズチのおじちゃん達はこの郷に来てくれて……。
郷を守るために、龍青様と結界を張るのを手伝ってくれたから、
とと様とかか様は会ったことがあるらしい。
でも、その後、亀のおじいちゃんとも知り合いになって、
他の水神様にも、会ったことはないけれど、
私の存在は知られることになったんだって話しておいた。
『う、うちの娘はなんで、よりによって俺が目を離しているときに、
水神様ばかりと知り合うことになるんだ』
と、私のとと様は四つんばいになって、震えていたよ。
私は何もしていないもん、
龍青様を追いかけてすんすんしているだけだもん。
でも、こうして離れて過ごしていると、
やっぱり私って変わった生活していると気づくよ。
ふつうは、水神様に会うこともめったに出来ないことなんだって。
※ ※ ※ ※
「――……キュ?」
うとうとしているうちに眠ってしまったらしい。
気が付けば、雨は止んでいて周りはもう夜になっていた。
昼間からごろごろと寝ていたので、こんな時間に起きてしまったのだろう。
周りがとても暗いから、お日様が出てくるのはきっとまだ先なんだろう。
とと様もかか様もすやすやと寝息を立てて眠っている。
だから私は心細さから、とと様とかか様をゆさゆさと揺らしして起こそうとした。
「キュイ……」
かか様、とと様……抱っこ。
夜は苦手だ。あの郷で人間に追われたことを思い出してしまうし、
この暗いところから何か出てきそうって思ってしまうんだ。
そんなことを言ったら「黄泉にまで行ったのに」とか言われちゃうけれど。
「キュイ……」
起きてよう……。
みんなが眠っていて、私だけが起きていると、
まるで私だけが、この世界に取り残された気持ちになってしまうんだ。
私だけ、私だけが暗いこの場所に居るんじゃないかって。
だからとても心細くなった。
せめて腕の中で抱っこしてもらえないかなって思ったけれど。
だめだ……潜り込むには難しそうだった。
「キュイイ……」
しかたないので風呂敷から着物を取り出す。龍青様にもらった着物の一つだ。
今は寝起きだからか夜目が効かずに、暗くてどんな着物か分からないけれど、
匂いが付いているのなら何でもいい。
一つを手に取って頭の上にかぶって匂いを嗅ぐと、
昨日つけておいた龍青様の匂いがして、しっぽが少し揺れた。
こうしていると、龍青様に頭をなでてもらっている気持ちになれる。
すんと鼻を鳴らして巣穴の外を見ると、ここよりも外の方が明るそうだ。
そろそろと近づいて巣穴から出ようとすると、そこでちりんと鈴の音が響く。
あ……と私が思った時には、目の前には龍青様が立っていた。
「キュ?」
「姫、こんな夜分に若い娘が外出とはよろしくないね。
暗い時は危ないから、巣穴から出てはいけないと、ご両親にも言われ……」
私は龍青様が言い終わる前に、両手を伸ばして駆け寄った。
抱っこ、抱っことせがむ私に、龍青様はしゃがみ込んで私を抱き上げてくれる。
夢じゃない、本物の龍青様だと私がすんすんと鼻を鳴らしていると、
龍青様が懐の布で私の目元をぬぐってくれた。
「……よしよし、どうした? 怖い夢でも見たのかな?」
「キュ……キュイイ」
目が覚めて眠れないの、とと様もかか様も眠っているから起きてくれなくて、
暗い世界に置いてけぼりにされたみたいで、寂しくなっちゃったんだ。
そう言ってすんと鼻を鳴らして龍青様の着物をつかんだら、
お兄さんは私の頭をなでてくれた。
「そうか……そういえば姫は一匹で眠るのはまだ怖がっていたね。
じゃあ、おいで。眠れるまで俺が傍についていよう、
今夜の月はきれいだよ。姫はもう見たかな?」
「キュ?」
龍青様に言われて顔をあげる。すると空には丸い月があった。
「満月だよ」
さっき明るいと思っていたのは、この月の光りのせいだったらしい。
いつもは暗くなる頃に眠ってしまうから、分からなかった。
きれいだね。龍青様と見られたからすごくきれい、
前にもこうして一緒に見たよねとキュイっと鳴いたら、龍青様は笑った。
「そうか、そうだね。俺も姫と一緒に見られたから、よりきれいに思えるよ」
「キュ」
龍青様のお屋敷で暮らしていたころも、こうして一緒に月を見た。
あの時は水面に映るものだったけれど、今はこうして本物の月を見ている。
今日はどうしていたかとお兄さんに聞かれて、私は泣いていたなんて言えなくて、
でも龍青様は何も話さない私の目元を指先でなぞって、
「ごめんね……」と言ったので、きっとばれたんだろうな。
だから私は、龍青様の着物に顔をうずめてごまかした。
寂しかった? と聞かれたので、こくりとうなずく。
「俺の不在をそんなに悲しんでくれるとは、心地よくもあり申し訳ないね」
「キュ?」
「……こんな風に、小さな姫と俺は、あとどれだけ一緒に居られるだろう」
「キュ?」
「ふふ、姫は日々成長しているからね。
こうして眠れない姫を抱っこしてあげられるのも、いつまでかなと思ってね」
そうか、今だけかもしれないもんね。
私がたくさん頬ずりして甘えると、龍青様の笑い声が聞こえた。
「姫がこれ以上寂しくならないように、
成体になるまでに、お願いを全てかなえてやれたらいいんだけど」
それは、私が龍青様に助けてもらった時に願ったもののことだろう。
とと様、かか様、仲間のみんなに会いたいと願った私の願いを。
(もう、いっぱいかなえてくれているよ。龍青様)
全部じゃないけれど、私の帰る場所をまた作ってくれたもの。
そのまま龍青様は私を抱っこしたまま、郷の中を散歩してくれた。
雨が止んだ後の道は好きだ。蛙の鳴き声は嫌いだけど、
りりりと鳴く虫の音色は面白いし、草のいい匂いがより強く感じるから。
龍青様が歩くと水路も緩やかなものに変わっていく。
みんなで作った田んぼのわきにある道をゆっくりと歩きながら、
またいつもみたいに子守唄を歌い、私の頭をなでてくれて。
「キュ……」
初めて会ったころも、こうして私をなぐさめてくれたから、
私はしっぽをゆらゆらと振って、胸があったかくなるのを感じた。
龍青様につられて、私も少し覚えた龍青様の子守唄を一緒に歌う。
「ふふ、姫はおりこうだね。またこれも覚えたんだ。
俺とは違って、どんどん成長していくね……ちょっと寂しいな」
「キュ?」
「……姫はいつも俺に純粋な愛情を注いでくれるけれど、
お転婆だから、一匹でどんどん先に行っちゃうからね。
いつか姫に置いていかれる気がして怖いよ。
俺が傍に居なくても、姫は成長していっているんだね」
少し寂しそうに笑う龍青様に私は言った。
「キュイ? キュイキュイ」
そんなことないよ? 成長しているのは龍青様のおかげだよ。
龍青様のことが大好きになって、お兄さんに喜んでほしいって思ったから、
すごく大変で、泣いちゃったりしても、いっぱい勉強してがんばろうと思ったの。
だから、置いていかないし、ぜったいに離れたりしないよ?
今はまだこんなに小さくても、龍青様を私が守ってあげるんだから。
そう言って抱き着いたら、龍青様は嬉しそうに笑ってくれた。
「本当に、姫は俺にはもったいない娘だと思うよ。
……父には感謝しないとね、あんな形ではあったけれど、
俺と姫の縁を結んでくれたんだから」
「キュイ」
そうだね。それまでにいっぱい悲しいこともあったけれど、
でも、私も龍青様に会えたのは良かったと思うもん。
私の小さな世界を広げてくれたのは、龍青様だからね。
私は龍青様の着物を両手でぎゅっとにぎって、こくりとうなずいた。
龍青様も辛いことがあったけれど、
自分のとと様と仲直りできたから良かったよね。
きっと黄泉の世界で、お話をきちんと出来たからなんだろうな。
「ほら姫、蛍もきれいに光っているよ」
龍青様に言われた方を向いてみると、
蛍の優しい光がふわりと舞うように、田んぼの中からちらほらと見える。
私達とちがって、蛍は少しの間しか生きられない、
命の光りなんだって教えてもらった。
「短い間でね。自分の番を探しているんだよ」
「キュイ……」
小さな手を伸ばすと、蛍の光に触れられそう……でも私は手を下げた。
みんな、番が見つかるといいねってキュイキュイと龍青様に話しかける。
命って不思議なんだなって思ったのは、
ミズチのおじちゃんとスイレンのお姉さんを見てからだ。
死んだら終わりだって思っていた私だけど、生まれ変わりがあるんだと知って、
黄泉の世界にも行ったから、なんとなく、みんなつながっているように思えたんだ。
「キュ」
あのね? 龍青様。
「ん?」
私、むずかしいことは……まだ、よくわからないけれど、
もし生まれ変わってもね? また龍青様と会って遊びたいな。
「姫……」
「キュイ」
ずっとずっと仲良しでいるからねって、龍青様の懐で頬ずりしたら、
なんだかとろんとまた眠くなってきて、まぶたが重くなってきた。
龍青様に会えて安心したからかな、頭がゆらゆらと揺れて、
小さなあくびがもれた。
「ああ……そろそろ寝られそうかな?」
「キュ……」
「ではおやすみ、俺の小さな姫君。いい夢を……ありがとう」
夜のお散歩は楽しいけれど、
子どもの体だからずっと長くは起きていられないみたい。
ほんとはね? もっとお話ししたかったんだけど、龍青様はわかったかな。
じゃあまた、一緒に夜のお散歩しようねって言ったら、
龍青様がいいよと言ってくれた。
「ただし、姫がもう少し大きくなってからね」
私は目を閉じたまま口元をゆるめる。
今までたくさんの約束をして、龍青様はいつも守ってくれるから、
だからこれも、きっといつか叶えてくれるよね。
それから私は龍青様にもたれかかって眠り、夢を見た。
龍青様のとなりで手をつないで歩く私は、長い桃色の髪をした人型の姿で……。
そんな私を見て、龍青様がとっても幸せな顔で笑ってくれるの。
その顔がとっても私は好きだったから、
人型の姿になるのも、悪くないんじゃないかなって少し思うようになった。
いつか本当に、龍青様と手をつないで歩ける日がくればいいなって。
そう、思ったんだ。




