白蛇編・15
水神様の社での件が落ち着いてから、ひと月が経ったころ。
私は龍青様と居られるときは、ずっとべったりとくっ付いていた。
龍青様の屋敷にお泊りが出来る時は、
出来るだけ泊まらせてもらって、いつでも龍青様と一緒。
しっぽをふりふりと振りながら、大好きなお膝の上で甘える。
もう大丈夫……と分かっていても、あんなことがあったから、
私は龍青様にひしっと抱き着いて、離すまいとしていたのだ。
あんまりにもべったりとしているものだから、
龍青様やお屋敷の人たちはよく笑っていたけど、
私の気持ちを分かってくれて、心行くまで抱き着かせてくれた。
でも私がなかなか巣に帰ってこないので、
「そろそろ帰してほしい」と私のとと様が滝の前で泣くものだから、
頬をふくらませて巣穴に帰って、ようやくそれも終わる。
そんな日が続いたある日、龍青様から「そろそろ姫も大丈夫かな」と、
お団子というのを、初めておやつに食べさせてくれることになった。
これも人間の作りだした食べ物なんだよと聞いて、変な顔をした私は、
几帳の影に隠れて、「いらない」と首をぶんぶんと振って断った。
ぷるぷると震えながら、私はあの事を思い出しておびえてしまう。
「姫、姫~? ほら、怖くないからこっちへおいで?」
「キュイイ……」
あんなことがあったから、私は人間嫌いが少し悪化した。
人型になっている龍青様のことは大丈夫だけれど、
屋敷で働く従者のみんなが近づくと、飛び上がってしまうようになって、
人間じゃないからだいじょうぶと、私が本能で安心だと理解できるまで、
それは続いた。
「まいったな……すっかり逆戻りになってしまった」
「……姫様、よっぽどあの時のことが怖かったのですね」
女房のお姉さんが心配げに部屋の隅で私を見ている。
最本殿で起きた話を聞いた屋敷のお姉さんも侍従のお兄さんも、
そんな風になってしまった私のことを怒ったりせず、
ゆっくりとまた付き合ってくれるようになった。
「姫様、だいじょうぶですわ。私どもも先に味見いたしましたから」
「キュイ?」
「ええ、柔らかくておいしかったですわよ。
姫様にもぜひ出来立てを召し上がっていただきたいですわ」
いつも可愛がってくれる女房のお姉さんに言われて、そろそろと出てくる。
いつも私の面倒を見てくれる優しいお姉さんの一人だ。
おかげで今は、龍青様以外のお膝の上に乗せてもらうのも、
数日でまたできるようになったけれど。
「キュ、キュイイ……」
ただ、“人間”という言葉に、私は異様に怖がるようになっていた。
ぷるぷると几帳の陰に隠れて、顔をのぞかせたまま、
涙目で龍青様や女房のお姉さん達を見る。
怖い人間来ない? 龍青様と私をいじめたりしない?
なんてよく聞くようになっていた。
「ああ、来たりしないよ。人間は水の底では息ができないからね」
すると龍青様が、私の目の前で串にさされた団子を一口食べ、
「ほら、美味しいよ? まずは一口試してごらん」と言われて、
「キュ……」
しっぽをたらんと下げて、龍青様に両手を伸ばしてそろそろと近づけば、
龍青様は持っていた団子を膳の上にある皿に乗せ、
怖がらせないようにそっとお膝に乗せてくれた。
差し出された団子をおそるおそる食べてみると……どうしたことだろう、
それがもう、とっても柔らかくておいしかったんだ。
「キュ……キュイ!」
本当だ。お……おいしい!
「ふふ、おいしいだろう? 喉に詰まらせないようによく噛むんだよ」
ひと口、もう一口と食べてみて、気づけばしっぽを振っていた。
お団子の周りは茶色くて、しょっぱいんだけどそれだけじゃなくて、
なんて言うんだろう……かむと柔らかくて甘みも感じるようになって。
こんなおいしいものを、人間は考えて食べているんだな……。
そう思って社で過ごしたことを思い出す。
お祭りはほんの少しの参加になってしまって、
最初の目的をあんまり達成できなかったんだよね。
龍青様の社にいた人間の巫女さんや宮司さん達……。
龍の子どもの私が社の中に居るって知っていても、
そういえば怖いことはしてこなかったな。
私を怖がらせないよう、できるだけ静かにして離れて過ごしてくれたり、
お祭りで私の好きそうなものをそっと用意してくれたのも、あの人達だった。
「すまないね。姫、あんなことになるとは思わなくて……。
社で働く者達が姫のことを心配していたよ。
せっかく来てくれたのに、あんな形で帰ることになってしまったからね」
「キュ……」
部屋の隅に飾られていたのは白い撫子の花。
私のお見舞いにと、社の人間が贈ってくれたものらしい。
いつも私は龍青様の部屋に居るので、こっちに飾ってもらった。
龍青様の言うとおり、人間にもいろいろ居るのかな。
今なら、ほんの少しだけわかる気がするけど。
まだ今の私には歩み寄る勇気はなかった。
でも……今度会うときには、手を合わせたりして、
「こんにちは」ぐらいは、やれるようになれるかなと考えた。
「……キュ」
「うん? どうしたんだい姫、口に合わなかったかな?」
「キュイ」
ううん、すっごくおいしかったよ。
これね、残りはとと様とかか様にお土産にしてもいい?
こんなにおいしいんだもの、とと様達にも教えてあげたいんだ。
「ああ、そういう事か、いいよ。まだ残りがあるから、
それを包んで帰りに持たせよう。だから姫が食べても平気だよ」
「キュ!」
やっぱり龍青様のお膝の上で食べるものはおいしい。
黄泉入りしてからもう一か月も経ったけれど、
あの時のことはよく覚えている。
だからまたこうして一緒に居ることができて、
私はとっても幸せだなって、しみじみ思った。
※ ※ ※ ※
「姫……今日は本当に巣穴まで送らなくても大丈夫かい?」
その日の夕暮れどき、龍青様が滝の前で私を岩の上に降ろすと、
私はお礼を言って、だいじょうぶと手を振った。
手まりも一緒だし、郷で暮らしている夫婦が私の送り迎えをしてくれるからだ。
ここから少し下りれば、切り株の上で座って待っていてくれるだろう。
本当はもっと一緒に居られたらうれしいけど、
あまりべったりだと、またかか様に怒られてしまうし……。
「そうかい? ……じゃあ、もし何かあったら鈴を鳴らすんだよ?
念のため、姫が無事に巣穴へ着くまではここに居てあげるから」
「キュ」
水鏡を取り出して、龍青様は無事に帰れるまで見守ってくれるらしい。
いつもこんな風に私を見ていてくれるから、私も安心して帰れるんだ。
草の葉で包まれたお土産をちょこんと頭の上に乗せ、
落とさないように気を付けながら、龍青様に手を振って、
巣穴までの道をとてとてと駆け降りて行った。
来た道を引き返しながら、覚えたての鼻歌を歌う。
後ろからは手まりがころころとついて来ていた。
「……キュ?」
「ピー」
近くで鳥の鳴き声がして、手まりを両手に持って空を見上げれば、
子どものスズメが木の枝に止まって私のことを見下ろしていた。
ふわふわした羽毛に包まれたそれは、見ていてとてもかわいくて、
私を見てしきりに何か言っている。
ちがう種族だから言葉はほとんど分からないけれど、
何となく言いたいことが分かる気がした。
「おまえ、そんなに大きい体なのにまだ飛べないのか」って、
そう言われた気がする。
私は体を見下ろした。ぽっこりお腹と短い手足。
確かにあの大きさのスズメでも空を飛べるのに、
私はまだ飛べないんだよね。
でもまだ私の翼では、自分の体を支えて飛ぶには難しいんだって。
いつかきっと、りっぱ龍になって龍青様やみんなを喜ばせたいから、
これからは泳いだり、戦ったりする練習だけじゃなくて、
飛ぶ練習もしなきゃなと思った。
人間の娘に……姿を変えるのはまだ難しいけどね。
「キュイ、キュイキュイ?」
ねえ、もし飛べるようになったら私と一緒に遊んでくれる?
そう言ったら、スズメは「しかたないな」って顔でピイピイ鳴いて、
翼を広げて私の周りを飛んで去って行ったので、
私はキュイっと鳴いて、小さな手を振って見送った。
またね。スズメさん。
(そういえば、ハクお兄ちゃんに、
龍青様の嫁にふさわしくないって、言われたままだな……)
亀のおじいちゃんは、自分の名を出せばみんな何も言わなくなるって言うけど、
出来れば私は自分の力で認めてもらいたいし。
「キュ!」
だから私は小さな手をにぎりしめた。
よし! いつか見返してやろう。この私は出来る子なんだって。
――それから、私の新しい”とっくん”が始まったのだ。
※ ※ ※ ※
――そして、次の日。
「キュ、キュ、キュイ!」
「……姫?」
「キュ、キュ、キュイ!」
私は仕事をしている龍青様の近くで、お腹を床にくっ付けて、
手と足と背中の翼をぱたぱたと動かしていた。するとどうだろう、
なんと少しだけ体がふわりと宙を浮いたではないか。
「キュイ!」
すごい、龍青様みて! 私すごい? すごい?
床の上すれすれだけど、これは飛んでいるよね?
しっぽの先は床に付いてしまっているけれどね。
「姫、さっきから何をしているんだ? 新しい泳ぎの練習か?」
「キュイ?」
龍青様が持っていた筆を机に置いて、飛んでいる私の方を見ている。
どうやら、また泳ぎの練習をしていると思われたようだ。
「キュイ? キュイキュイ?」
ちがうよ? 今日はね、空を飛ぶ練習をしているんだよ?
ほら、浮いているでしょうと、キュイキュイ鳴いて龍青様に教えてあげる。
歩いた方が早いんじゃないかって思うけど、気にしない、気にしない。
体を浮かせた私は、手足を泳ぎの時のようにじたばたと動かして、
前に進もうとしていた。まだその場に浮かぶだけしか出来ないのだ。
「キュイ、キュイキュイ」
部屋の隅から飛んで、龍青様のお膝の上まで行くのが私の目標。
それでね。ちゃんと出来たごほうびに龍青様にそのまま頭をなでてもらって、
すんすんと匂いを嗅いでみるんだ。どうだ。すてきな考えでしょう?
「まだ姫は翼も小さいし、飛ぶ練習は早いと思うが……」
「キュ」
龍青様が立ち上がって私の方へ来ようとしたので、だめってキュイと鳴く。
龍青様はごほうびなのだ。だからそこから動いちゃ困るの。
私は両手を前に伸ばしてそう言った。
「うーん、でももし力尽きたら床に落ちてしまうし、
大けがをするかもしれないよ?
だから姫、落ちても大丈夫そうな柔らかいものの上で……。
そうだな、敷物の上か布を重ねた寝床の上とかでやってみたらどうだ?」
なるほど、確かに飛ぶのは疲れるものね。
こくりとうなずいて、やってみると言って立ち上がる。
落ちても大丈夫そうな場所か……。
それなら高く飛べるようになっても怖くないかな。
私は手まりと一緒に、飛ぶ練習に良い場所を探しに歩き出した。
※ ※ ※ ※
――というわけで、私はさっそく下に置いてもいいものを捕まえた。
「……おい、まさかそれで、ぼくの所に来たとか言うんじゃないだろうな」
「キュ?」
そうだよと私がキュイっというと、
ハクお兄ちゃんが「ぼくは踏み台か!」と叫ばれたので、
ちがうよ? 下敷きだよと言ったら、だんまりされた。
「こ、このぼくが……神使のぼくが、小娘の下敷き代わり……だと?」
今日はハクのお兄ちゃんが、龍青様の屋敷に顔を出した。
社からちょうど大事な書物を龍青様に届けに来ていたので、
私はいい所に来たねと、ハクのお兄ちゃんの着物を引っ張り、
無理やり付き合ってもらうことにした。
じたばたとお兄ちゃんの上で、飛ぶ練習をすることにしたのだ。
下敷きにしても、心が痛まないで丈夫そうなのって、
いつもはミズチのおじちゃんを選ぶところなんだけれど、
今日は残念だけどこの屋敷の中には居ないんだよね。
嫁のスイレンのお姉さんと、人間がやっている市に行っているんだ。
本当はあのお祭りのときにおじちゃんが嫁を恋しくなり、
あとで合流して、一緒に遊びに行く予定だったと教えてもらって、
おじちゃんはこっちに遊びに来ないって教えてもらったよ。
だからあのとき、スイレンのお姉さんもいたんだね。
龍青様はまだ黄泉がえりで、体がとっても心配だし、
私はお兄さんの匂いを嗅ぐのに夢中になって、
きっと練習にもならないだろうからね。
「キュ!」
だから、その代わりにハクお兄ちゃんに練習台になってもらう。
床の上で寝そべったお兄ちゃんの上で、
私は、キュイキュイと声を出しながら翼をぱたぱたっと動かし、
体の上で休んでは浮かんでの、とっくんをしていたのだった。
龍青様の上だと出来なかったことも、
このお兄ちゃんの上なら遠慮なくできるよね。
本当に、いい相手を見つけたと私は思ったぞ。
何度かやって高い所まで浮かべるようになった私は、
そのまま力尽きて落っこちるたびに、「ぐほっ!?」とか「うおっ!?」と、
悲鳴を上げたりしているけれど、だいじょうぶ私気にしない。
キュイっと鳴いて、思いっきりとっくんさせてもらうことにした。
「くっ、うう……主様がこのぼくに、
“兄貴分として姫の面倒を見てやれ”って言われなければ、
ぼくだってこんなこと断っているのにいいい……ぐほっ!」
ハクお兄ちゃんに激突しながら、私はがんばって飛ぶ。
「キュイ、キュイ!」
つぎ、つぎ、つぎ!
「うわああっ!? こら、ちょっとは遠慮しろよおおお!」
ハクお兄ちゃんの居る所より、少しだけずれて落っこちそうになると、
あわてたようにハクお兄ちゃんが立ち上がって、私を受け止めてくれる。
文句を言いながらも私に付き合ってくれるんだから、
このお兄ちゃんも結構いいやつだな、なんて思うようになった。
「うぐおおっ!?」
「キュ!」
……けどその前に彼のお腹へ私が頭から落っこちるので、
きっとかなり痛いかもしれない。うずくまったままぴくぴくとしているので、
私は「だいじょうぶ?」と、ぺちぺちとハクのお兄ちゃんを叩いて起こした。
「お、おまえな、そもそも嫁入り前なのに傷でもついたらどうするんだよ。
主様の、その……嫁になるつもりなんだろ?」
「キュ?」
「べ、別にぼくはまだ、おまえを認めたというわけじゃないからな!?
でも、おまえがもしも怪我でもしたら、
主様がおまえのことで、すごく悲しむじゃないか。
もう少し大きくなってからにすればいいだろ」
やだ! 私は早くりっぱな龍になって、龍青様の嫁になるの!
私はキュイキュイと抗議した。
スズメの子と遊ぶ約束したのもあるけど、
一番は龍青様と一緒に飛びたいんだ。
桃の木から龍の郷に帰って来たときに見た。あの空の色を私は覚えている。
いつかあんな空を龍青様と飛びたくて、私は練習するんだからな。
キュイキュイと鳴いては、私は鼻息荒く「さあ、また寝転がるのだ」と、
床をぺちぺちしてハクお兄ちゃんを寝かしつけてから、
鼻息を荒くして彼によじ登っていると、女房のお姉さん達がそれを見て、
「姫様、遊び相手が出来てよかったですわね」と応援してくれた。
どうやら、ハクお兄ちゃんは私の遊び相手と思われたようだ。
遊んではいないぞ? とっくんなんだぞ?
「……本当に、おまえは変なところで根性あるよな。年上のぼくよりもさ」
「キュ?」
ハクのお兄ちゃんの手が、私の頭の上に乗った。
「黄泉の世界にまで行って、主様を本当に連れ帰ってくるんだからな。
ぼくにはそんなこと出来なかったよ……。
あんなに主様には世話になってご恩もあるのに、
危険だと分かっていて、行くことができなかったんだ」
「キュ……」
すると、私のことをじいっと見つめてくる。
「なあ、人間が本殿を襲った時もさ……もしかして先見の力があったから、
おまえは主様のあとを無理に付いて行こうとしたのか?
それで逃走用の罠も事前にしかけていたんだろ?
小さいのにたいした奴だよ」
「キュイ?」
「これから起きることを、分かっていたのかってことだよ」
私は首を振った。ちがうよ。あれはただ付いて行って遊んだだけ。
野生ではおもちゃがないから、自分で遊びを考えるしかない。
たまに落とし穴を作ると、獣が引っかかってかか様が喜んだりするけど、
そういうのを狙って作ったわけじゃないんだ。
「そうなのか……? やっぱり子どもなんだなおまえ。
まあでも、さ……それで助かったんだよな。ぼく達は……。
ぼくや主様を助けてくれてありがとうな?」
照れくさそうに赤くなった顔をしたハクのお兄ちゃんは、
お腹の上から見下ろしている私の頭を、
わしわしとなでてきたので私は目を細めた。
急にしおらしくなったな……なんなんだ。
まあ、悪い気はしないからいいけど。
私はキュイっと鳴いてうなずいた。
「まあまあ、あのハク様が……では私どもからも再度お礼を、
公方様を助けていただき、ありがとうございました姫様」
「神々さえも恐れる領域に、公方様を助けに行かれるなんて、
さすがは姫様ですわよね。姫様の愛の力は黄泉の番人すらも退ける、
とても偉大なことをされました!」
女房のお姉さん達からもお礼を言われた。
番人? そんなのは黄泉には居なかったと……。
あ、龍青様のとと様が、もしかしてそうだったのかな。
退けたんじゃなくて、泣きついて手伝ってもらったんだけどな。
そう言ったら、ハクお兄ちゃんが驚いた顔をしてきた。
「は? 先代様が黄泉の番人をやっていた?
しかも手伝ってもらったっていうのか? そういえば前にそんなこと……。
お、おまえ、あの方に狙われていたんだろ!?」
「キュイ」
そうだよ。でも仲直りしたんだ。
龍青様の嫁になるから、自分の娘にもなるって言ってくれてね?
大きくなって子どもが出来たら、見にきてくれるんだって。
「……見に来てくれるって……そこで危ないとは思わないのか」
「キュ」
龍青様のとと様は、子どもの味方になってくれているから、へいき。
私はそうキュイっと鳴いてうなずいた。
「姫様はまだこんなにお小さいのに、なんて勇敢なのでしょう。
ですがこれで、姫様の嫁としての立場は不動のものとなるでしょうね。
聞けば、水神の翁様が姫様をお認めになったとか」
「ええ、これでもう姫様との婚姻を、誰も反対などしませんわ!」
「キュ?」
よくわからないけれど、それは良いことだよね?
どうやら私が龍青様を助けに黄泉入りして、
そのまま連れ帰ってきたことは、お屋敷の中でも有名らしい。
どうりで廊下ですれ違う侍従のお兄さんとか、おじさんとかが、
前よりもかしこまって頭を下げてくるんだな。やっとわかったぞ。
「キュイ」
ハクお兄ちゃんのことは、私の龍青様を取ろうとする、
とても嫌なヤツだなと思っていたけれど……。
あの出来事がきっかけで、今は私達の中で仲間意識が出来た。
今日みたいに龍青様が忙しい時には、私に何かと文句を言いつつも、
こうして勉強とか、とっくんの相手にもなってくれているから、
あの時ほど嫌いじゃなくなっている。
でもね? 龍青様の一番の仲良しさんは私なんだからねって、
キュイっと鳴いたら、ハクのお兄ちゃんは「はいはい」と笑っていたよ。
みんなに同じことを言っているのに、
なんで真面目に聞いてくれないんだ。泣くぞ?
「姫~そろそろ休憩にして、おやつにしないかい?」
「……キュ?」
隣の部屋で私を呼ぶ龍青様の声がして、ぴんとしっぽが反応する。
「ほら、主様が呼んでいるぞ? 行ってこい。おやつだってさ」
「キュ!」
私はその言葉にハクお兄ちゃんから飛び降りると、両手を前に伸ばした。
急げ急げと部屋を飛び出て、とてとてと廊下を走る。
そのまま声のしたとなりの部屋に行けば、
大好きな龍青様が、両腕を広げて待っていてくれた。
「ふふ、さあおいで、桃姫」
「キュ!」
両手を伸ばして抱き上げられる。
もうお仕事はいいの? と、キュイっと聞いてみれば、
龍青様は私のことをぎゅっと抱きしめてくれた。
「キュ?」
「ああ、事後処理で忙しくなっていたけれど、
だいぶ落ち着いたし、今日の仕事はこれで早めに切り上げるよ。
ありがとう姫……俺やみんながこうしていられるのは姫のおかげだ」
「キュ……」
こくりとうなずいた私は、すんと鼻を鳴らし、
目を閉じて頬ずりをすると、胸がぽかぽかする。
私のことを呼んでくれる、この優しい声も好きだし、
あたたかい温もり、優しい手が私に触れていい匂いがする。
私が一番安心していられる場所。だから、守れて良かった。
怖い人間と戦うのはお任せしてしまったけれど、
龍青様、私、少しは龍青様の役に立てたよね?
「ああ、十分すぎるほどに助けてもらったよ」
龍青様が私を見て笑ってくれる。私が欲しかったのはこういうのだ。
ようやく、龍青様と過ごせる時間を取り戻せたんだなっていうのが分かって、
私はキュイっと鳴きながら龍青様にしがみつく。
お兄さんの嫁になりたいって願いは、今でも一番にあるけれど、
あんなことがあってから、私はもう一つ願いが出来たよ。
「キュイキュイ、キュイ?」
これからもずっと私と一緒に居てね?
居てくれなくちゃやだよ龍青様。
「ああ……ずっと、ずっと一緒だよ姫。
こんなに好いてくれる姫を残して、俺は逝けないからね」
「キュ」
そうだね。また追いかけちゃうもんね。
私が人間の世界に溶け込めるようになるには、
まだまだ先になると思うけれど……。
大好きなお兄さんとすごせる、
こんな幸せな日が、どうかずっとこのまま続きますようにと、
小さなしっぽを揺らしながら、私は龍青様にキュイっと甘えたのだった。
~白蛇編・終~




