白蛇編・14
そこへ、違う所から突然声が上がった。
「――ああ、その上、白蛇の若造が封印されたのちも、
呪詛に抗いながら刀の内側から毒を回してくれたようでな。
今までは身代わりを用意して免れようとしていたようじゃが、
おぬしたちの働きもあり、それを上回る神の毒に当てられて、
最後には力尽きて死に絶えたということじゃ」
声の方向を振り返ると、前に最本殿で助けてあげた亀のおじいちゃんが、
小さな木の杖を持って、岩の上にちょこんとよじ登ってこちらを見ていた。
どうやら龍青様達について来たらしく、「おかげで早く着いた」と言い、
龍青様達は驚いた顔をしていた。
「翁様、いらしていたんですか」
龍青様がさっと頭を下げる。
「キュ?」
「ああ、お邪魔するよ。今回の活躍は実に大義であったな。
おぬしの活躍をわしは高く評価するぞ、龍青」
だあれ? と聞くと、龍青様がそっと耳打ちして教えてくれる。
水神の中でも一番長くその座についている、水神の長なんだって。
こんな小さなおじいちゃんが、龍青様よりもえらい……だと?
驚いて固まっている私の目の前で、
ミズチのおじちゃんもハクのお兄ちゃんも膝をついて、
深く深く頭を下げていて、龍青様も私を抱っこしながらしゃがみ込み、
また頭を下げていた。
ぽてぽてと、小さな足取りで近づいてきた亀のおじいちゃんは、
龍青様の腕の中にいる私のことを見上げて、にっこりと笑いかけてくる。
「さて、桃色のお嬢さん。おぬしにも大変世話になったの。
おかげで足の遅いわしでも、無事に逃げることが出来た。
こたびの一件も、幼い身ながら解決のための一助になったと聞く。
そこでじゃ、わしら水神達はおぬしにも助けてもらった恩が出来たので、
礼として何か望みの物を与えたいと思っておるのだ」
「キュ?」
もしかして私に何かくれるってこと?
「水神とて恩のある者には寛大だ。
龍青の嫁となる娘ならば、それ相応に扱わねばな。
だから、なんなりと申すがいい」
んーと考えて、きっと龍青様の桃はどうせだめだって言われるだろうから、
別のものにしようと考えて……あるものを思いついた。
じゃあね。龍青様の“はだぎ”がほしい。
私はキュイっと返事をして、その願いを言ってみた。
「ひ、姫?」
「キュイ」
ほしい。私はもう一度キュイっと言ってみる。
「うむ? “はだぎ”とは着ているもののことか?」
そうだよ。龍青様の“はだぎ”はぜったいにくれないの。
その上に着ている着物もきれいだけれど、
気に入っているからだめだっていうし、
龍青様の匂いが一番付いているものだからね。
今はこの着物があるけど、いずれは着られなくなっちゃうんだよね。
だからほしいなって、それで会えなくて寂しいときとかに包まってね?
龍青様が迎えに来てくれるのを待ちたいんだ。
「は? ちょっと待てちびすけ、
なんてものを翁様におねだりしているんだよ!」
ハクお兄ちゃんが頭を抱えて吠えている。
「キュ?」
なに? 今いい所なんだけど? ハクのお兄ちゃんは黙っていてくれない?
すると亀のおじいちゃんは、持っていた杖をこつんと岩に当ててうなずいた。
「あい分かった! 龍青、聞いての通りだ。
可愛い婚約者のために、今すぐ着ているものを脱いでこの娘に差し出せ。
命と引き換えになったと思えば安いものだろう?」
「なっ!? 何が聞いての通りなんですか!
小さな子どもにそんなものを渡したら、教育上よくないでしょう!?」
やっぱりこれもだめらしい。だめなのかー……。
水神様は年を取ると、守れない約束をしてしまうのだろうか。
龍青様のとと様も「何でもいい」とか言っておいて、
結局はかなえてくれなかったもんな……。
私は目の前で言い争い始めている、
水神のお兄さんとおじいちゃんを交互に見て、
頬をふくらませて龍青様の腕の中から飛び降り、
岩の上で手まりをコロコロして遊び始めた。
やっぱりほしいものは、自分の力で手に入れないとだめみたいだ。
私はまた、ひとつかしこくなった。狩りがんばろう……。
「それにこれは俺の私物ですよ? 所有権は俺にあります。
勝手に俺の私物をやるなんて約束しないでください」
「むう……仕方ないのう、では桃色のお嬢さん。
他に何か、かなえたいものでもあるかの? 願いとか」
「キュ?」
また声をかけられたので、ん―と考えて、私はうなずいた。
あのね? 私、龍青様のことが大すきなの。
だからね。早く大きくなって龍青様のお嫁さんになりたいんだ。
でも、とと様もかか様も私がまだ子どもだから早すぎるって言うし、
龍青様もまだまだって言うんだよ?
私はキュイキュイと、これまでのことを話す。
ハクのお兄ちゃんなんて、私のことを嫁には認めないって言ってくるし。
前はね? よく私は幼すぎたり、野良龍だから嫁にはふさわしくないって、
家臣のおじちゃん達にも言われていたんだ……。
そう言うと、ハクお兄ちゃんがぴしっと固まった。
「ほほう……そうか、ここまでの働きを見せた娘を嫁に認めぬとは、
龍青の所の家臣はずいぶんと高望みじゃのう……」
じろりと亀のおじいちゃんがハクお兄ちゃんを振り返ってにらむ。
「い、いえ、翁様……ぼ、ぼくは……っ!」
「では龍青、命令じゃ、今すぐその娘と祝言をあげよ!
支度にかかる費用は、このわしが貯めたへそくりで全額出してやるからの。
他の水神一同も祝いの品を用意させて、豪華な宴席を設け、
そろっておぬしの婚儀に出席してやろうぞ」
そこまですれば、だれも反対などしないだろう……と、
亀のおじいちゃんは小さな杖を振り回して言う。
他の水神様、そういえば会ってないや。
「別に婚儀をあげることを渋っているわけじゃないですよ!
姫はまだその……いろいろと世の中の分別が分かっていない年頃ですし、
今の姫の気持ちをうのみにして、姫の未来をがんじがらめにしたくないんです。
後からやっぱり嫌だとか言われたら、俺はきっと立ち直れませんし……」
「……おぬし、まれにみる全力で後ろ向き思考じゃのう。
どうせ振られた際には、娘との思い出の品を見て泣く気じゃろう?
恋愛に不慣れとは聞いておったが、ここまで奥手だと心配になってくるぞ。
ここまで命を張って、黄泉入りまでする娘の気持ちを疑うか」
「疑っているわけではなく、姫には考える時間をですね……。
姫にとっては、途方もない時間を生きることになるわけですから」
「キュ?」
どうやら今の私の気持ちが、
いつか変わってしまうことを気にしているのかな。
私はこんなに好きなのに、子どもだからって思わないでほしいんだけど。
約束したし、ぜったいに嫁になるよって言っても、
龍青様は私がいつか、嫌だと言ってくるかもしれないと思っているようだ。
……たぶん、それは龍青様のとと様と嫁の間に起きたあの話が原因だろう。
でも私は嫁になるつもりだから、他の“せんたくし”とやらは全部つぶすもんね。
龍青様の見ていないところで、私はしっぽをぶんぶんと振って意気込んだ。
「お、俺だってこんなまどろっこしいことをしないで、
すぐにでも出来るものなら、してあげたいですよ!!
こんなに純粋に想われているなんて、きっと生涯にこれっきりでしょうし」
「すればよかろう? わしら他の水神はその娘との婚儀を祝うぞ?
“あの若造に婚約者?”とか言っていた奴らも、今回の活躍で意見を改めてな。
番のために黄泉にまで迎えに来てくれる、一途な娘が居たことに、
“私だってそんなに想われてないのに”と、きいっと歯ぎしりしておった」
「え゛?」
ぴたっと龍青様の動きが止まる。
「……長いこと神を務めておる者達には全てお見通しじゃ。
他の水神達は逃げ出した後、この戦局を水球で見守っておった。
水神の中には、そこまで想ってくれる気概のあるこのお嬢さんを、
せめて自分の息子の嫁に欲しいとまで考えた者もいるようだからの、
おぬしものんびりしていたら、そのうち他の水神にかっさらわれるぞ?」
「な゛っ!?」
「キュ?」
亀のおじいちゃんの話を聞いた龍青様は、
岩の上に降りて手まりを持っていた私ごと、
急に抱き上げてきて、
「ひ、姫は俺の嫁にするんですから、他の水神になんてやりません!」
と叫んでいたので「おまえは本当に不器用な奴だよな……」と、
ミズチのおじちゃんがまた目頭を押さえていた。
※ ※ ※ ※
それから、龍青様と亀のおじいちゃんのやり取りは続いて、
私は手のひらに、ちょこんと乗るくらいの大きさの金色の小づちを渡された。
なんだろうこれ? おもちゃかな?
亀のおじいちゃんにはちょうど良い大きさのそれは、
私が持ったら少しばかり小さい気がするけど。
「キュイ?」
なあに、これ?
「命の恩人、いや龍に何もせぬわけにはいかんからの、
わしの家宝の一つじゃが、それを礼としてやることにしよう。
桃色のお嬢さん、わしはおぬしが気に入ったぞ。
おぬしが龍青の嫁になりたいと言うのなら、わしが後見となろう」
「キュ?」
こうけん?
首をかしげた私に「親代わりのようなものじゃな」というので、
親ならとと様とかか様がいるから、別にいらないよ? と言い、
それに龍青様のとと様も親になってくれたし、
龍青様にも育ててもらっているから、困ってもいないのだ。
「今のお嬢さんに言っても、まだよくわからないかの。
ではわしの力が必要になった時はすぐに言うがよい。
わしの名を出すのもいい、おぬしを認めぬ輩はそれで黙るだろうて」
べつにいらないと思うけど……と、キュイっと鳴く。
「お、おまえ、翁様の誘いをなんで断って……。
お、恐れ多いにもほどがあるぞ?」
ハクお兄ちゃんが青ざめているけど、そうなの? よくわかんない。
そうだ。この小づちは振って遊ぶのかなって思って振り出すと、
それを見ていた龍青様が、あわてて私を止めようとする。
「うわあああっ! 待て姫!! それを今使ってはだめだ!!」
「キュ?」
なんで? と思った時にはすでにおそかった。
持っていた小づちがシャランという音とともに光りだし、
私がキュっと驚いて小づちを離すと、私の体に異変が起きた。
ぎゅっと目をつぶってはみるが、別に痛くも何ともない。
でも、目の前や私の周りで息をのむ声が聞こえてゆっくりと目を開くと、
どうしたことだろう。目線が高くなって龍青様と顔が近くなっている気がする。
ううん、近いというか……見下ろしている?
「キュ?」
「ひ、姫えええっ?」
「じょ、嬢ちゃん……?」
ゆっくりと体を見下ろせば、
ぽっこりおなかと、うろこはそのままだけれど、
視線の高さがいつもよりもずっとずっと高くなっていて……。
私のことを見上げているみんなの姿がある。
水面には龍青様のそばに、ででーんんと大きな姿の私が映っている。
もしかして成体になれたのかな、なんて思ったけれど、ちがった。
どう見てもかか様にのような、すらっとした体つきじゃなく、やけに丸っこい。
ちがう、私がなりたかったのはこれじゃないんだ。
ただ大きくなれば良いってものじゃない。
龍青様は空を見上げて、「手遅れだった……」とつぶやいている。
「キュ」
もう一度、ゆっくりと確認するように見てみる。
この大きさだと龍青様達を見下ろせて、
ちょっと楽しかったけれど、やっぱりちがう。
龍ってこんなに早く成長できるものだったか、いやそれよりも、
子どもの体のまま巨大化しているんじゃないか、これ。
「キュー!?」
だから私は号泣した。おっきい、変な風におっきくなっているよ!
どうして、なんで!? 戻して、誰か元に戻してよ――っ!!
私がなりたかった成体の姿じゃないよ!
キュイキュイと両手で顔を覆うとして、
大粒の涙が龍青様達にバシャバシャと当たる。
そして滝つぼが一気に私の涙であふれたが、
私はそれをさらに大きくなったしっぽで荒らした。
すると水面に立っていた龍青様や、
ミズチのおじちゃん達の体が思いっきり揺れてよろける。
「ぶわああっ!? ひ、姫落ち着くんだ!!」
「キュイ、キュイイ!」
自分の変わってしまった姿におびえ、
こんなに大きいと、龍青様にもう抱っこもしてもらえないんだと分かると、
涙があとからあとから流れてくる、私、もう戻れないの? なんで?
龍青様は私をなだめようと私に叫んでいる。
「ひ、ひひひひ姫!? 今暴れるとまずいから!!」
龍青様があわてて私をなだめようとしているけれど、
私はそれどころじゃない、私の願いはすらっとした体のかか様みたいな龍なんだ。
こんな、ぽってりお腹の龍じゃないよ。龍青様の成体の姿とも全然違うし。
「キュー!! キュイイイ!!」
これじゃあ私、龍青様の嫁になれないよおおっ!
「ひっ、姫、落ち着いて。
俺は姫がそのままでも、ちゃんと嫁にしてやるから!!」
龍青様の言葉に、私はぴたりと泣き止んだ……ほんと?
「あ、ああ。姫のことをいとおしく思う気持ちは変わらないよ。
たとえ姫がこの姿のままでも、嫁に迎えるから、
だから、もう泣かなくていいよ……って」
「キュ――!」
「うぐおおおっ!?」
その言葉を聞いた私は、水しぶきを上げて龍青様に抱き着いた。
龍青様、すき!
すると龍青様は水の中に沈み込んで、ぶくぶくやっているので、
あわてて抱き上げて助け出した。あ、あぶないあぶない。
龍青様をこんな所でおぼれさせるところだったよ。水神様なのに。
「なるほど、大きくなるってえのは、
ちゃんとした成体になれるわけじゃねえのか」
ミズチのおじちゃんが、私の変わり果てたその姿を見て、
なぜかわからないが、かかかと笑っていた。
この私の一大事なのに、何をそんなに笑っているんだ。しっけいな!
状況を分かっているのなら、早くなんとかしてよ!
「ほっほっほっ……早く嫁になりたいというから譲ったんじゃがの。
やはり中身が幼子では、さすがに無理があるようじゃな。
上手く使いこせれば成体にも人型にもなれるのじゃが……早かったかの?」
そう言って、泣いている私のもとに近づいた亀のおじいちゃんは、
岩の上に落とした小づちを拾い上げ、それを振り下ろした。
シャランと音があたりに鳴り響く。
「元の姿に戻れ~」
「キュ!?」
すると今度は銀色の光に包まれて、私の体はみるみるうちに縮んでいき。
気づけば元の姿になっていた。私の小さなしっぽも戻っている!
私はすんすんと鼻を鳴らしながら、龍青様に抱っこをせがみ、震えていた。
び、びっくりした。あのまま元に戻れなかったらどうしようかと思った。
あんな姿を見せたら、とと様がひっくり返ってしまうよ。
「この小づちはものを大きくしたり、小さくしたり、
珍しい金銀財宝を取り出すことができる代物でな。
今はともかく、いずれ必要となる日が来るかもしれぬから、
遠慮なくもらっておくといい」
「キュ……」
いらない。と言ったけれど、亀のおじいちゃんには無視された。
「さて、それじゃあもう一つの要件じゃな」
私に言いたいことだけ言うと、
亀のおじいちゃんは水の中に飛び込んで泳ぎだし、
水面から顔を出していた、ハクのお兄ちゃんの元へと近づいてきた。
まさか自分の方へ話が来るとは思っていなかったのか、
ハクのお兄ちゃんは「ぼ、ぼくにですか?」と驚いた顔を見せた。
「そうじゃ、白蛇の血を引く若者よ。
聞けばおぬしは一族の長、先々代の水神に追放されたと聞くが、
それはまことか?」
「……はい」
ハクのお兄ちゃんがうつむきながら答えた。
「実はこたびの一件により、白蛇の水神の席が空いてしもうてな。
先々代の血を引き、生き残った者はおぬしだけだ。
それでこの空席を埋めてもらえんかと思っての」
「キュ?」
「なっ、なんでぼくが!? だって、ぼくは……」
排除された子どもなのにと言いかけたハクお兄ちゃんに、
亀のおじいちゃんはうなずきながら話す。
「実は先々代は、かなり前から病で床に伏しておっての、
再び水神を務めるのは無理のようなのだ。
そうしたら先々代にの、水神仲間の龍青の元に、
保護してもらったおぬしが居ると教えてもろうての」
「ち、父上がですか? あの、病って……」
「以前から病を患い、先がなかったようでな。
それで一族の行く末を占ったところ、
このままだと自分の子孫がみな絶えてしまうと出たそうじゃ」
白蛇の一族は水に札を浮かべて、未来を占うことが得意なのだそうで、
もしかしたら今回の件も予知していたのかもしれないと、
亀のおじいさんは言う。
神様でも病にかかるんだね……知らなかった。体が弱いのかな。
「もし、このまま子が成体になる前に自分が死んでしまえば、
外敵に真っ先に狙われて、一族が一匹も残らず滅びてしまうと思うてな?
だから、追放した我が子と、手元へ残しておいた子ども、
せめてどちらかが一族の血を残し、自分よりも強くなり、
生き伸びてくれればと思ったようだ」
全滅になって死に絶えるよりも、
誰か一匹でも、この困難に立ち向かうことができるようにと、
心を凍らせて、この判断をしたとかなんとか亀のおじいさんは言っている。
「……っ、そんなことが」
「ああ」
亀のお爺さんが言うには、
白蛇は自らの持つ毒を使いこなせないといけないという。
守れる者がいなくならないうちに、
生き延びられる子どもを一匹でも残そうと。
ハクお兄ちゃんの場合は、
自分にかけられた術を解くために強くなってくれるよう、
あんな形で追い出されたのだと言われ、何とも言えないような顔で、
ハクお兄ちゃんはさらに頭を下げた。
「別におぬしのことが憎かったわけじゃないのだろう。思い悩むことはないぞ。
あやつが追い詰められた結果とはいえ、やってしまったことは、
あまりわしには賛同できんがな」
「ですが、ぼくには……できません。父上や兄者のような強さはない。
非情にもなり切れない。自分の身内を殺すなんて……。
そこまでして水神を継ごうとは思えません」
だから――……と、ハクのお兄ちゃんは顔をあげて、龍青様の方を見た。
「ぼくが白蛇一族の後継者だというのなら、
その権利を、所有していた水源を、ここの主様……龍青様に献上します。
主様ならきっと、ぼくや父上とは違う方向に導いてくれると思うから」
「ほ?」
「キュ?」
「なんだって!?」
「……ハク?」
亀のおじいちゃん、私、ミズチのおじちゃん、龍青様がそれぞれ声をあげる。
水面からざばっと飛び出てきたハクお兄ちゃんは、
岩の上に飛び乗ると、膝と両手をついて深々と頭を下げた。
それは岩の上に頭をこすりつけるような勢いだ。
そんな姿を驚いた顔で龍青様は見つめて、
私はハクお兄ちゃんと龍青様を交互に見つめる。
「ぼくには水神を背負うだけの器も実力もありません。
弱者に手を差し伸べられるような、主様のような懐の広さも。
それに、主様が僕を拾ってくださらなかったら、今のぼくは生きられなかった。
自分の力で生き抜いてきたわけじゃないんです」
だからと、ハクのお兄ちゃんは顔をあげる。
「水神の力は、所有する水域の多さで力のありようも決まる。
でもその逆で、未熟な神でも水域を多く所有すれば、
器の大きさは周りに証明することができる」
「キュ……」
「主様はいつも先代様の一件で肩身を狭くしていたから、
他の水神様にも不当に扱われることがありました。
こんなに周りの種族にも手を伸ばす優しい方なのに……。
周りには見下されて……ぼくはそれが許せなかった」
膝の上でぎゅっと握りこぶしをしたハクお兄ちゃん。
「……」
無言で、龍青様はそんなハクお兄ちゃんを見下ろしている。
「けれど、白蛇の水源も主様……龍青様が管理するようになれば、
そんなことを言う者は、きっと居なくなるはず」
水神の持つものをあげるってことなのかな?
私は龍青様の方を振り返ると、龍青様は私のことを肩の上に乗せ、
じっとハクお兄ちゃんを見下ろしたままだ。
「……ハク、おまえが俺のことでを気に病むことはない。
おまえは俺の社に来てから、いつだって自由だ。
俺に恩義を感じて縛られるのではなく、自分の行きたい道を歩め」
「はい、ですからぼくは神使として、これからも主様にお仕えします!
ぼくはすでに、主様の家臣なのですから」
少しの間、みんなの中から言葉が止まって静かになる。
やがて、龍青様は深く息を吐くと、ハクのお兄ちゃんに笑いかける。
「……ではハク、おまえに新たな仕事を言い渡す。
白蛇の水源の管理はおまえに任せよう。
そしていつかその呪を解く覚悟が決まったら、この俺に言うといい。
先々代が許したとあれば、俺も干渉して解くことができる」
「……主、さま?」
「この件は保留ということだ。すぐに決断は出来ないだろう。
それまでこの俺が預かり、見守ることにしよう。
おまえは自分が守る水域を見て、よく考える機会を与える」
その言葉に、ハクのお兄ちゃんは静かにうなずいた。
亀のおじいちゃんが「では、またの」と言って水の中に飛び込んだので、
私はキュイっと鳴いて手を振る。
こうして私達に、元の平和ないつもの日々が戻ってきて、
私はまた、めいっぱい龍青様に甘えることができるようになったのだった。




