白蛇編・12~親子の絆~
飛び込んだ黄泉の世界で龍青様のとと様に会い、
力を貸してもらえることになった私は、
暗くて怖かった辺りを明るくしてもらい、
鈴が示す方向へと一目散に駆けていった。
「キュイ、キュイキュイ」
何で気づかなかったんだろう。かくれんぼなら暗い所だって行くものね。
そう考えたら前に進むことは怖くなくなっていた。
それに私の持つこの鈴は、龍青様がくれたものだ。
鈴にある神通力は、龍青様が込めたものだって教えてもらっていたから、
この鈴は龍青様と力がつながっているってことだよね。
ちりんちりんと鳴らして歩けば、行き先を示してくれる。
この力の持ち主を探してと鈴にお願いしたら、行き先は決まる。
鈴の音色が一番ひびく方向、だから私は迷わずそちらへと駆けて行った。
「おお~い、我を忘れんでくれえ……っ!」
龍青様のとと様が、はるか後ろでぜえぜえしながら何か言っているけど、
大丈夫、私気にしない。キュイっと鳴いて私は走りながら振り返る。
どうやら龍青様のとと様は走るのが苦手のようだな。
なら、後からゆっくり私について来てくれれば、それでいいよ。
えっと、そう、「ごろーたい」だもんね。
じじ様や、ばば様みたいな“ごろーたい”は大事にしないといけないの、
龍青様や私のとと様に、そう教えてもらったことがあるんだ。
「ご老体!? わ、我はまだ若いぞ!」
そうなのか、見た目だけだと思っていたよ。
でも私よりたくさん“ごろーたい”だよね? ってキュイっと言ったら、
後ろでおもいっきりこける音が聞こえた。
「う、うちの息子は、自分の嫁におかしな言葉ばかり教えるのう……。
しばらく会わんうちに、走るのもこんなに早くなって。
子どもというのは成長が早くて驚いてしまうの」
両手を前に伸ばしてとてとてと走る私は、
頭の中がもう龍青様のことでいっぱいだった。
また会えたら抱っこしてもらって、おんぶしてもらって、
匂いを思いっきり嗅ぎまくるんだ。そう思うと元気が出てくる。
龍青様を思い出してもう一度鼻をすんすんとやれば、
どんどん龍青様の匂いが近くなっているのに気づく。
はやくはやく。龍青様に会うんだ。
とてとて、キュイキュイ、とてとて、キュイキュイ。
「キュ!」
そうして光の指し示す先に、
きらりと何かが光って誰かが居るのに気づく。
遠くてまだよくわからないけれど、光っているのは私のうろこだ。
それを持つ体の色は青銀色をしているし、龍体だから……。
「キュイ!」
やったぞ私!
やっと私は龍青様を見つけ、みつけ――……。
「キュ?」
……たんだけど、少しずつ近づいて気づいたのは、
成体の龍ではなく、人型でもなくて……小さな青水龍の子どもだ。
きっと私と同じくらいの年ごろだと思う、
その幼い龍の子どもが、私の方をふしぎそうに見ていた。
「キュ」
私の知っている龍青様じゃない……小さすぎる。
でもふしぎなんだけど、それが龍青様だってわかる。わかったんだ。
だって瞳の色だって変わってないし、うろこの色も一緒だし。
いつもお膝の上で嗅いでいたあの匂いだって同じなんだもの。
私の大好きな匂いをするのなら、この子は龍青様なんだって思った。
それに私があげた桃色のうろこを持っているんだもの。
だからきっと間違いない。龍青様だ。
私はようやく会えたのがとっても嬉しくて、
走った勢いのまま、今の龍青様に飛びつい……ううん激突した。
「キュ――!」
「へ……うわあああっ!?」
そしてそのまま、ゴロゴロと仲良く一緒に転がった。
「キュ、キュ、キュイ、キュイイイ!!」
「……っ、て、ちょ、ちょっとやめ、やめろって」
私は龍青様をやっと見つけられて興奮していた。
しっぽを思いっきり振りながら頬ずりしたり、舐めたりして、
最後には顔をうずめて、すんすんと匂いまで嗅がせてもらったぞ。
そうしたら、龍青様が顔を赤くして固まってしまった。
「な、なに……何をして……」
やっと会えた龍青様は、中身も子どもの頃に戻ってしまったらしい。
急に抱き着いてきた私に龍青様は無理やり離れようとする。
いつもだったら私を抱っこしてくれるし、おんぶだってしてくれるのに、
お願いしても「出来るわけないだろ」って怒られてしまった。
私とは違って、何の備えもしない状態で黄泉へ飛ばされたから、
龍青様は私のことも忘れてしまったらしくて、
おまえはだれだ……なんてことも言われた。
ちょっと薄情だな、泣くぞ? なんて思ったけど大丈夫、わかってる。
私はこれでも物わかりのいいお子様だから許してあげた。
でも、私は嫁になるんだから、それは忘れないでねって教えてあげたよ。
「キュイ!」
それからまあ、私のことを話してお迎えに来た事を教えてあげた。
龍青様の小さな手を取って、さあ一緒に帰ろうと龍青様に言う。
帰り道は分かるから、後は糸をたどるだけだものね。
「……やれやれ、もう息子を見つけおったか。さすがじゃのう」
それからやっとのこと、龍青様のとと様が私達の元に追い付いてきた。
腰をかがめて、ぜえぜえ息を吐く龍青様のとと様の手をぽんぽん叩き、
お兄さんを見つけるの手伝ってくれてありがとうと、
キュイっとお礼を言おうとしたら、傍に居た龍青様がびくりと震えて、
私の手を急に後ろへぐいっと引き、
私の肩を抱きかかえてさらに後ろに下がった。
「……キュ?」
「く、くるなっ!」
龍青様は、目の前でうずくまっている自分のとと様のことをにらんでいる。
「……ん?」
「こ、この娘は、おまえなんかにやらない!!」
龍青様は牙をむき、龍青様のとと様を怖がっているようだ。
私を自分の背中の後ろにやって隠し、両手を広げた。
「キュ?」
目の前の龍青様は、全身がぶるぶると震えて怖がっているように見えた。
するとそれを見た、龍青様のとと様はとても悲しそうな顔をして、
やがて微笑んで体を起こす。
「……記憶が混濁していても、自分の嫁となる娘を守る事だけは忘れぬか、
偉いぞ龍青、それでこそ番になる雄、龍の雄だ」
「なにっ!? ……って父上? まさか俺のことが分かるのか?」
様子のちがうことに気づいた龍青様は、
驚いた声をあげて、伸ばしていた両手を震わせる。
そうだった。龍青様は子どもの状態になっているのなら、
きっと昔のことしか覚えていないんだよね。
禍つ神になっている、自分のとと様のことしか……。
龍青様のとと様はそんな様子の龍青様を見てうなずいた。
「ああ、分かるぞ。おまえは我の息子で、今は当代の水神を務める龍青だ。
少なくともおまえよりは現状がようわかっとる。
その娘から大方の事情を聞いたからな」
「何を言って……」
「前にその娘が我を目覚めさせてくれたから、
こうして娘をおまえの所に連れてくることが出来たことだし、
あの出会いは、無駄ではなかったということかの」
「え……」
それを聞いて、龍青様の小さなしっぽが、たらんと地面に降りる。
敵意はないのだと分かったようだ。
「前も言った事があるがの、その娘はもう我の嫁には狙っておらんから、
それについてはもう安心するといい……さっきも図体の大きい妖を追い回し、
泣かせていたようだしの、我、嫁にしなくて本当に良かったとつくづく思う。
しばらく会わんうちに、更にたくましく成長しておるようだの。
まあ……こんな所まで迎えに来てくれるのは、うらやましいとは思うがな」
「キュ、キュイ」
だって、私と龍青様は一番の仲良しだもんと、
私がキュイキュイと言って龍青様に後ろから抱き着くと、
龍青様のとと様は私を見て笑った。
「ずいぶんとこの娘はお転婆のようだから、
おまえが怪我をさせぬよう、これからも気を付けてあげなさい。
まあ、色恋には奥手そうなおぬしのことだから、
このくらい積極的な娘の方が似合いかの」
「……」
呆然と固まる小さな龍体の龍青様の両脇を、
しゃがみこんだ龍青様のとと様が手を添えて抱き上げて、
懐かしそうな、それでいてうれしそうな顔をした。
「しかしまさか、このような形で幼いおまえに会えるとは思わなかったぞ」
「な、なにを……っ!」
叫ぼうとした小さな龍青様をぎゅっと抱きしめる、龍青様のとと様に、
龍青様は開いた口のまま、固まっていた。
「すまなかったな龍青……。
きっとおまえがこの姿になったのは我のせいだろう。
幼いおまえの前で育ての親や同胞を殺し、親殺しまでさせてしまった。
おまえは無力で救えなかった頃を心残りに思って、
その姿になったのだろうな」
そのまま龍青様のとと様は、小さな龍青様の頭をなでた。
「……っ」
「だが、もういい、もういいのだ息子よ。おまえの業は我が背負おう。
しかし……しかしな? 不謹慎かもしれぬが、
我は今、少し嬉しくもあるのだ。我は幼い頃のおぬしを可愛がったり、
抱き上げてやる事もしてやれなかったからな、
前にそこの娘に言われて、それだけが心残りだったのだ」
「父、上……?」
すん……と、龍青様の鼻が鳴った。
「ああ、おぬしの父親らしいことがこれで少しは出来るかな。
前も言ったのだが、おまえは我の分まで幸せになれ。
それが今の我の願い、おまえの父となった者の願いだからな」
ぎゅっと自分のとと様の腕に抱きしめられる龍青様、
そのとき、龍青様の瞳から涙があふれた。
「お、俺は……幸せになっても良いのですか?」
「ああ、もちろんだ。良いに決まっている。
おまえを残して死んでいったものも、皆そう思っていた」
前に子どもの頃の龍青様は、
自分のとと様に抱っこもされなかったと聞いていたから、
龍青様のとと様は今、子どもの姿の龍青様に会えて嬉しいのだろう。
それでたぶん龍青様も、こんな思い出が無かったと思うから、
私は親子の姿を下から眺めて、目を細めてゴロゴロと喉を鳴らす。
こんな形でも、また会えたのはよかったんだね。
なら、ここに来たことはきっと無駄じゃないと私は思った。
「小さいな」と言って龍青様の頭をなで、抱きしめたその姿は、
私のことをいつも抱きしめてくれる、私のとと様によく似ていたから。
本当はもう少しこうしていて、あげたかったけれど……。
「キュ……」
「おお、すまんすまん。待たせてしまったな童よ。
さあ、おまえも我の腕へおいで、出口まで連れて行ってやろう」
私は龍青様のとと様に両手を伸ばそうとして、
はっと自分の袖を見て、ある事を思いだした。
目に映る私の着物……今だったら「あれ」が出来るじゃないか。
私は龍青様のとと様に頼んで、小さな龍青様をその場に降ろしてもらい、
着ていた萌黄色の着物をいそいそと脱ぐ。
驚いた顔で私の方を見る龍青様に、私は脱いだ着物を差し出した。
「キュイ、キュイイ」
龍青様、これを着てみて。
「え?」
この着物を着てあげてほしいの、龍青様。
龍青様のかか様が、龍青様のために作ってくれた着物だよ。
私はこの着物が、龍青様のかか様が作った形見というものだと思いだした。
成体の龍青様に戻ったらもう出来ない事、それは子どもの姿の今なら、
自分のかか様の残してくれた着物を着られるよと、龍青様に教えてあげる。
龍青様のかか様が、幼い龍青様の成長を願って縫い上げた大切なものだから、
着てあげて欲しいと思ったんだ。
「おお、そうか、どこかで見た着物だと思っていたが、
それは元々、あいつが息子に縫いあげた物だったか」
「キュ」
そうだよ。もう龍青様は小さくて着られないからって、私がもらったの。
しっぽをぶんぶんと振って、そう教えてあげる。
「……母、上の」
子どもの頃、着てあげることが出来ずにいたという着物を私は着ていた。
今なら着てあげられるよと言いながら、袖を通してあげて、
着物の前を合わせて、紐を結ぼうとしたけれど……。
「キュ……?」
「……」
そう言えば私、自分だけで着物を上手に着られたことがない。
脱ぐことは出来るんだけどね。
だから上手く着せられなくて、私はあわてた。
すると横からすっと手が伸びてきて、
龍青様のとと様が器用な手つきで、さっさっと合わせてくれて、
きゅっと着物の紐を結んでくれたのだ。
「……父上」
「なるほど、確かに今の息子にぴったりの着物だ。よう似合っておるな」
子供の成長を傍で見守れなかった龍青様のとと様は、
龍青様の頭をわしわしとなでて、とても嬉しそうで、
龍青様の方も自分のかか様の形見の着物が着られて、
少し恥ずかしげな顔をしたけど、とても嬉しそうに見えた。
私はキュイっと鳴いて満足し、今度こそ抱っこをお願いする。
さあ、今度こそ帰ろう?
「ああ、おいで我の子ども達よ。我が黄泉の出口まで案内しよう」
最初に着物を着た龍青様が抱き上げられて、次に私が抱っこされる。
命づなの糸は、いつの間にか金色に変わっていて、
それをたどる私達に、龍青様はふと後ろを振り返ろうとして、
龍青様のとと様に止められた。
「ここより先は振り返ってはいかんぞ、龍青。童もだ。
現世に二度と戻れなくなるからの」
「……母上達も、ここのどこかに居るのですか?」
「いや、もうここには居ないな。
居たらすぐにでも、おまえのことを迎えに来ただろうが」
「……」
その言葉に、龍青様はがっかりしたようでうつむいた。
ほんの少し前まで、龍青様のかか様や他のみんなは、
龍青様の事が心配で、強い気持ちでここに残っていたらしい。
でも、神通力も持ち合わせない者にすると、
それはとても大変なことなんだそう。
「我が黄泉入りした時に、ここに留まっていたから我は皆に謝罪をしての、
そなたのりっぱに育った姿を水球に映して見せてやったのだ。
そしたらな、皆はとても安心した顔をしてさらに上の階層へと旅立った。
幼くして残してしまったおまえのことが、皆は心残りだったようでな」
この場所は、心残りを残す者がまず立ち寄る場所らしい。
ということは、龍青様のかか様達にはもう会えないのか。
私はきっと会いたいのだろうな……と思った。
だって私だって、とと様とかか様とはぐれた時を思えば、
どんな形でだって、また会えるのなら会いたかったもの。
「童の先祖の魂も今は解放したから、同じ場所に旅立って行ったよ。
近しい親族……祖父母殿は、呪いを解いたと言っても、
ずいぶんと幼いおぬしの心配をしておったようだがな」
「キュ」
そうなんだ。会ったこともない、私のじじ様とばば様。
私が生まれた時にはとっくに亡くなっていたから、実感がないけど。
解放されたのなら、きっと良いことだよね。
「じゃあ……もう会えないのか」
私の横でそうつぶやく龍青様を見て、私は龍青様の手をにぎった。
今は小さなお兄さんの手を。
「……あ」
「キュイ」
私が居るよ。龍青様。ずっとずっと一緒。
私がそう言うと、龍青様はうれしそうにうなずいてくれた。
「そう……だね。俺にはおまえが居てくれる」
「キュ」
そんな私達を見て、龍青様のとと様もうれしそうに笑った。
「ああ、だからだよ。おぬしにはもう傍で笑っていてくれる娘が居る。
大事なものが傍に居てくれるのだから、皆は無事に旅立てたのだ」
そうなんだ。
ところで、なんで龍青様のとと様だけここに残っていたの?
一族のみんなと一緒に行っちゃえば、もう寂しくないと思うんだけど。
このおじさん、寂しがり屋さんだって私は知っているぞ。
「うむ、我は生前やさぐれて、ずいぶんと悪さをしまくったからな。
結果、我の先代とそのまた先代、つまり我の父と祖父にしこたま怒られた。
“自分の子どもと好いた娘を不幸にしてどうする。他所に迷惑もかけて。
おぬしはここでしばらく反省し、修業せい”と、言われての。
ここに置いていかれてしまったのだ」
「キュ……」
龍青様のとと様、それ、ふんぞり返るところじゃないよ。
「それで償いにの、しばらく水先案内人をやることになったのだ。
道に迷った嬰児の魂を、母の元へ連れてやったりしてな。
前におぬしを抱き上げさせてもらった時に思ったのだ。
やはり子どもというのは可愛いと……だから子を導く道を選んだ」
私が言っていることが難しいと首をかしげたら、
悪いことをしたから、子どもの魂を助けてあげる事を始めたんだって。
それでごめんなさいって意味で、罪を洗い流し、徳というのを積んで、
次に生まれ変わるために準備しているんだよと。
だから私の声を聞いて、助けに来てくれたんだね。
黄泉の境目までくると、私達の過ごしていた世界が見えてくる。
ほんの少し前まで居たのに、とっても懐かしい光の世界。
向こうではこちらの様子が見えていなくて、鏡のままの龍青様と、
私達の帰りを待ちながら、鏡に触れているミズチのおじちゃん、
ハクお兄ちゃんもそわそわしながら、鏡に力を送ってくれているのが見え、
いつの間にか、ミズチのおじちゃんの嫁のスイレンのお姉さんも一緒になって、
おじちゃんと手を重ねているのが遠目に見えた。
「さて……どうやら、ここまでのようじゃな」
そこで龍青様のとと様は立ち止まり、私達は降ろされると、
龍青様は自分が着ていた着物を脱いで、私の体に着せてくれた。
「キュ?」
「この先は……もう俺には着られないからな。おまえが持っていてくれ」
「キュイ」
着物を龍青様に着せてもらうと、私は龍青様に抱き着いた。
「帰ろう……姫、俺はそうおまえを呼んでいたんだよな?」
私はうなずいた。そうだよ、私のことをそう呼んでくれたの。
返された着物は、龍青様の匂いがいつもよりも強く感じ取れて、
私はしっぽを振る。これで本当に龍青様が着た着物になるんだ。
「さあ、ここでお別れじゃ。元気での、我の子ども達よ……。
ひとときではあったが、また会えて嬉しかったぞ」
目の前に回り込まれ、わしわしと、龍青様と私は頭をなでられた。
その目は、いろいろとふっ切れたおかげか、前に見たときよりも、
ずっとずっと優しく見えて……私は龍青様の方を見て、
龍青様のとと様に話しかける。
「キュイ」
……また会える?
龍青様のことを思ったら、また会える方が龍青様にはいいんじゃないかな。
今なら、ちゃんとした親子になれるんじゃないかなって思うの。
でもそういう私に、龍青様のとと様は寂しそうに笑う声が聞こえた。
「なんじゃ、我が居なくなるのが寂しくなったのか?
だが……生ける者が死者と会うような事はあまりせぬ方がいいだろう。
こちらの世界に、魂が引きずられてしまったら大変だからの」
あんなことをした我が言うような資格はないが……と、
龍青様のとと様が言う。
「キュイ……」
「だが、そうだな……娘、おぬしが無事に成体となり息子の嫁になって、
おぬしたちの間に子を授かったら……一度だけ里帰りでもして、
孫の顔でも見に行かせてもらうかの。それ位なら我でも許されるだろう。
先祖ならば年に1、2度だけ、子孫に会いに行く事が出来るからの」
「キュイ」
じゃあ、いつかまた会えるんだね。
「うーん……いや、きっとその頃にはな、
おぬしは我のことは見えなくなっているかもしれん。
幼子は神の眷属というし、子どもの頃は勘が鋭いからのう。
呪いが消えても我のことを感じ取れたのは、おぬしがまだ子どもだからだ。
だからミズチのせがれも、おぬしをここへ送り出したんだろう」
夢の中ぐらいなら会えるかもしれないけれど、
それは記憶の中のものが現れるからで、本物じゃないかもしれないって。
「だが、我はおぬし達のことをこれからも見守っておるよ。
何か困ったことがあれば手を貸してやりたいが、
そうならぬように努力はきちんとしなさい、それが自立だからの」
そうなんだ……ざんねん。
私はしかたないんだねと、片手を上にあげて見せた。
「うん?」
「キュイ」
お別れのあいさつだよと、龍青様のとと様に向けて、
ぽんっと手を重ねた。元気でね。もう一匹のとと様。
助けてくれて、本当にありがとう。
その時にぽわっと重ねた手が光って、
龍青様のとと様の目の傷跡が消えていった。
「おお? おぬし、しばらく会わないうちに、
そこまで使いこなせるようになったのか?」
「キュイ」
私はうなずく、少しだけどね練習して出来るようになったんだ。
得意げにキュイっと鳴いたら、えらいのうと目を細めて、
頭をわしわしとされた。
「父、上……」
「龍青も達者でな、その娘の手をもう離すのではないぞ?
こんな所まで追いかけてくれるほどの気概ある娘御なんぞ、
そうそう居ないだろうからな」
「そう……ですね」
「それにまた我に泣きつかれてはかなわんからの、
子どもに泣かれるのは我も堪える。かいしょうなしとまた言われそうで」
「はい……世話になりました」
「今度は助けてやれたのだから、気にするな。
それが子を思う本当の親というものだ。
おまえにはそれを……今まで教えてやれなかったがな。
良い夫となり、良い父となれよ龍青……我が息子よ」
龍青様の手を握り、彼のとと様は何かをつぶやく。
「おまえの母と違い、我はおまえに辛い思い出しか残せなかった。
我と同じような思いをして、苦しむことになったらと思ったのでな。
だが、今はそれを後悔している。母子の縁を我が切ってしまった。
だからせめてもの償いに、我の神力をおまえに渡そう。
おまえの母にも、ここを旅立つ前に請われたからの」
「……え?」
そう言って、龍青様のとと様は手元に水の球を作り、
龍青様に差し出す。その中には青銀髪の髪をした若いお姉さんの姿があった。
龍青様のとと様のように人型をしていて、紫苑色の着物を着ていて。
とても……とても優しそうな人に見えた。
「おまえの実の母だ。名を紫という。我の……乳兄妹だった。
ここを立ち去る前に姿を映しておいてもらってな。
いつかおまえがここへ来た時に、餞別に渡すつもりでの、
だが、まさかこんなに早く渡す事になるとは思わなかったが」
「!?」
「それにはな、おまえの育ての母の姿も映しておる」
「キュ?」
「その者達の遺言でな、去る時までおまえを案じていた。
もし、おまえにまた何かあれば助けてやって欲しいと。
今、未熟な水神の姿のままで戻ったところで、その人間には勝てぬだろう。
だから我の溜めに溜めた神通力を、おぬしに半分渡しておこう。
我の全盛期の頃の力だ。それでその娘を守って見せよ」
本当は全て渡してやりたい所だが、
ここでの仕事もあるからの……と言いつつ、
龍青様のとと様は、さっき見せてくれた金の鈴を鳴らして、
小さな龍青様を元の姿に戻した。私の知る人型をした龍青様だ。
私はキュイっと鳴いて、龍青様の足元にしがみ付く。
「……父上」
「形見にこの水球はそなたにやろう。
……さあ、もう行くと良い。我が息子よ」
「はい」
“さようなら”はもう言わなかった。
前は私達が見送ったけれど、今度は私達が見送られる。
龍青様は振り返ることもなく深く頭を下げ、
そっと自分のとと様に背中を押されてゆっくりと前に歩き出す。
私もそんな龍青様にキュイっと鳴くと、
龍青様が抱っこしてくれて……。
一緒にみんなが待っている世界へと帰っていく。
ぎゅっと私のことを抱きしめる龍青様に、
私は手でぽんぽんと優しくたたいた。




