白蛇編・9~姫の決断と新たな契約~
ちりん、ちりんちりん……。
「――……お? 嬢ちゃんこんな所までどうした?」
「……キュ?」
敵が追ってこられないよう、必死に鈴を鳴らして願ったその先……。
真っ白な砂の上に寝転がっていた私は、
よく知っている声に、はっと目を覚まし、起き上がって辺りを見回す。
……あの人間はいない。どうやら無事に逃げられたみたいだ。
鈴の力に助けられて流れ着いた所は、
見知らぬ社が建っている近くの浜辺のようだった。
見える社は、龍青様の社じゃないけれど作りが似ている。
ちがいといえばここは柱の色が青く、貝殻が飾りとして使われていて、
働いている人も雄ばっかりのようだった。
「親分、俺様の社へようこそ……と言いたい所なんだが、
遊びに来てくれたんなら間が悪かったな、
俺様はこれから水神としての大事な仕事があるんだよ。
後で龍青の所に寄るから、それまで待っていてくれるか?
送って行ってやるからよ」
「……!」
ぽんぽんと頭をなでられて、私はぶわっと涙があふれた。
ミ、ミズチのおじちゃん。居た!? 無事だったああああっ!
私は横で気絶しているままのハクお兄ちゃんを、しっぽでたたき起こし、
キュイキュイ泣きながらミズチのおじちゃんにしがみ付いた。
「いたっ!? って……こ、ここはどこだ……ミズチ様!?」
「キュ! キュイ!!」
ミズチのおじちゃん、助けて!!
「あ?」
「み、ミズチ様!? お願いですっ! どうか主様を!!」
ハクお兄ちゃんも鼻をずびずび鳴らしながら、
ミズチのおじちゃんにひしっと抱き着いた。
それを見て、ミズチのおじちゃんは口元を引くつかせながら、
「嬢ちゃんはともかく、雄に抱き付かれるのはちょっと……」
とか、
「鼻水だけは付けねえでくれよ?」
とおじちゃんは言ったが、
もう遅い。私はその前にちーんと鼻をかんだ後だった。
「うおおおおっ!? 嬢ちゃんこれ正装用の着物だぞ!?
これから俺様は、大事な会合に行かなきゃならんのに――」
「キュイ!」
「行っちゃだめです!!」
私達はあわてて止めた。私達が見てしまったっことを教えなきゃ。
このまま、ミズチのおじちゃんまであそこに行ってしまったら、
あの人間に襲われるじゃないか!
私が両手をパタパタさせて「あのねあのね!」と、キュイキュイと話すと。
ハクお兄ちゃんが泣きじゃくりながら、付け足すようにして説明してくれた。
悪い人間が会合の場所に現れ、水神の一柱を殺めて作った刀で、
他の水神に向かって襲い掛かってきたと。
「……なに?」
ミズチのおじちゃんから笑顔が消えたのを見て、
私達はちゃんと話が通じたことにほっとしていた。
「ちょっとまて、それが本当なら……えらい事じゃねえかよ」
「殺められたのはぼくの兄です。ぼくの兄は白蛇の水神でした。
その亡骸を使って相手は神殺しの刀を作ったようで……。
他の水神様の命と力まで狙って襲い掛かっていました!
ほとんどの水神は、ことに気づいて逃げ出したようですが……」
ハクお兄ちゃんがそう言うと、ミズチおじちゃんは私を振り返る。
「……おい、まてよ龍青が居ねえじゃねえか、あいつはどうし……」
「キュイイイ……」
私はミズチのおじちゃんと目が合ったけど、
すんすんと鼻を鳴らしながら着物に顔をうずめた。
「嬢ちゃん……まさか」
私がただ震えて泣いているだけなのを見て、
ミズチのおじちゃんの言葉が途切れた。
「龍青……あいつが……やられたのか?」
放心状態で座り込んだミズチのおじちゃんに、
私はしがみ付いたまま泣きじゃくる。
思い出すだけで涙が止まらない。
(何にもできなかった。あんなに傍に居たのに、守るって決めたのに)
私がもっと早く力を使いこなせていたら、
龍青様も助けられたかもしれないと思うと、
私はくやしくてしかたがなかった。
「嬢ちゃん、落ち着いて話してくれ。嬢ちゃんの口から聞きてえんだ」
そう言われて、顔をあげてすんすんと鼻を鳴らしながら話す。
「キュイ、キュイイ、キュイキュイ……」
龍青様は私をかばって、その男に変な札を使われた後、
目の前から消えて居なくなってしまったの。
その代わりに鏡が現れて、光の玉がどこかへ飛んで行ってしまった。
近くには、抱きかかえて持ってきたあの鏡が落ちていた。
私はそれを拾うと、ミズチのおじちゃんにそれを見せる。
「キュイイイ……」
札をはがしたけど、龍青様は帰ってこなかったの……。
どうしようミズチのおじちゃん。
龍青様どこにいるの? もう会えないの?
私がそう言って顔を覆ってキュイキュイ泣いていると、
ミズチのおじちゃんが私の頭をなでてくれた。
「そうか……よくそれで逃げてこられたな、
えらいぞ嬢ちゃん……おまえさんは龍青の名誉を守ったんだな」
「キュイ……?」
めいよ?
「ミズチ様」
鏡を私から受け取ったおじちゃんは、それを見てうなずいた。
「やっぱりな……思った通りだ。
見たところ、龍青は呪具に変えられたわけじゃないようだ。
ほら、光に当てて鏡の中をよく見てみろ」
言われるままに鏡の中をのぞくと、
そこに映し出されたのは、龍青様が横たわっている姿だった。
龍青様、龍青様だと私が鏡に顔を近づけて、中に入ろうとするけれど、
ゴンという音と頭に伝わる痛みだけで終わった……なぜだ。
よくわからないけれど、龍青様が鏡の中に入ってしまったようだ。
「これは……どういうことですかミズチ様」
「あいつは嬢ちゃんの件で、呪いの系統については調べていて詳しいからな。
きっと敵に完全に取り込まれる前に、我が身に起きる事態に気づいて、
神の器を悪用されないよう、自分の体をここへ封じ込めたんだろう。
この鏡は元々、龍青が水神を継承したときに授かった神鏡だよ」
しんきょー?
「代々龍青の一族の長だけが変じることができる。
いわば水神の分身のようなものだ。龍青の場合はその中でも特別なものでな。
創生の神から授かって、長となった者の命と結び付けてそれを守護する。
だからこれは龍青の一部であって、半身でもあるんだ」
よくわからないけれど、じゃあ悪いものじゃないの?
どうやったら龍青様起こしてあげられるの?
おじちゃんの足をゆさゆさしながら、私は顔を見上げた。
「……」
「キュ?」
しゃがみ込んだおじちゃんは、私に向かって静かな声で言う。
「嬢ちゃん、よく聞くんだ。
器……本体となる体はここに残ってはいるが、
龍青の魂はもうここにはない。つまりな……もう生きてはいないんだよ」
「……キュ?」
「そ、そんな!! 助けることは出来ないんですか!?」
言われていることが分からなかった。
生きてないってことは……ここには居ないってことで、死んだってこと?
「そうだ。嬢ちゃんは死ぬってことが分かるか?」
「……」
ミズチのおじちゃんが言うには、
飛んで行ったあの光の玉が龍青様の魂……命そのものだったらしい。
あれが龍青様の体に入っていた中身で、この器を動かすものなので、
それがなくなってしまえば、器があっても助からないと教えてくれた。
「神鏡がうまく働いていたら別だっただろうが、龍青は未熟だからな、
上手く使いこなせず体を封印した時に、魂をはじかれてしまったか、
それともその人間が呪具を作るために、邪魔な魂を抜かれてしまったか……。
どちらにせよ。魂を器の中に戻せないんじゃ死んだも同然だ」
「キュ、キュ……キュ――っ!!」
やだ! 龍青様が死んじゃうのやだ!!
ずっと一緒だって、嫁にしてくれるって約束したもん!!
私は鏡を奪い返すと、ぎゅっと抱きしめてキュイキュイ泣いた。
龍青様、龍青様、お願いだよ帰ってきて、私のこと置いていかないで!
泣きながら頬ずりをして龍青様を呼ぶ、キュイキュイ、キュイキュイと。
やだ、やだよ……だって、だって龍青様は私の……たった一匹の番なのに。
ずっとずっと仲良しだよって言ってたのにっ!!
「嬢ちゃん……」
「……っ!」
「キュイイ!! キュイイイイ!!」
でも、鏡の中で眠ったように横たわる龍青様は、
私には何も応えてはくれなかった。
いつもだったら、すぐに龍青様からお返事が来るのに、
笑って「なんだい?」って聞いてくれるのに。
「キュ……」
龍青様に、もう二度と会えないの……?
私は目をぎゅっと閉じて、キュイキュイと泣き続けた。
「これはあいつが悪用されないようにした……最善の方法だったんだろうよ。
残った器が敵に渡れば、その水神の力を簡単に悪用できてしまうから。
龍青はそうならないように、神鏡の中へと封じ込めたんだろう」
「……キュ」
「主様……」
鏡の周りを黒いもやが覆っていたのは、
鏡の中にまで入ってこれなかったせいらしい。
「この鏡は言わばあいつの一部、
あいつのもう一つの姿で化身とも言えるからな。
たとえ神を傷つけられる呪具を作れるとしても、これは持ち主を選ぶだろう」
「キュイ……」
もしもあの時、龍青様の体を奪われていたら、
龍青様の加護で守られている私の郷も危なかったという。
あれは特別な呪いで作られた結界だから、
他の水神の力をもってしても、そう簡単には壊せないらしいけれど、
それを掛けた龍青様の体を使われて解かれてしまうと、
あの結界は、簡単に消すことが出来てしまうと教えてもらった。
「ここにあるのは、いわば龍青の亡骸だ。
それを術を使って操って、嬢ちゃんの前に現れでもしたら……。
嬢ちゃんは見た目が龍青のままのそれに、抵抗は出来ないだろう?
龍青の抜け殻の器で殺されていたかもしれねえんだ」
私のことも狙っていたのを思い出し、体が震えた。
もし、龍青様が自分の体を封じなければ、
私がこの鏡を持ち帰らなかったら、
もっと怖いことが起きていたんだ……。
「キュイ」
――龍青様が……また守ってくれたんだ。でも、だからって……。
すんすんと泣きじゃくる私に、ミズチのおじちゃんは頭をなでてくる。
「――まあ、何も方法がないわけじゃないんだが」
「キュ?」
……なんだと?
私は顔を上げた。今、なんて言ったの?
「そのな、魂と分断されたばっかりなら、方法がないわけじゃねえんだ。
見た限りじゃ、切り付けられた傷も鏡の中で治癒されているようだし。
俺がこの神鏡と同調して、龍青の器を仮死の状態にしてさ、
誰かがその間に魂を連れ戻してくれば、自然と器の中には戻るだろう」
そんな方法ができるの? やって、今すぐやって!
私は鏡を置いて、ぽかぽかとミズチのおじちゃんを叩いて、訴えた。
するとハクお兄ちゃんもまだ鼻をずびずびさせながら、お願いしている。
「どうするかなあ……」
と言っているおじちゃんに、
また鼻をこすりつけるぞと、キュイっと言ったら、
口元をひくひくさせて、分かったよと受け入れてくれた。
「本来、水神と人間の間に起きたもめごとは、
他の水神は不介入なことが多いんだ」
「……はい、ぼくも、それは知っています」
「キュ?」
「人間の寿命はせいぜい数十年が限度、数千年も生きられる俺様達にとって、
もし人間に厄介な輩が居たとしても、そいつは老いには勝てねえからな。
弱るか、どこかでくたばるまで安全な水の底で過ごして、
静観していればいいわけだし」
「キュイ!」
私はミズチのおじちゃんの着物を引っ張った。
それでも、助けてくれるでしょう?
おじちゃんは龍青様の友神だもの……そうでなかったら泣くぞ。
「ああ、わかっているって。今回の一件は俺様だって見過ごせないからな。
嬢ちゃんの見たものを視せてもらったんだが、
どうやらそいつは、俺の嫁のスイレンまで巻き込んだ奴のようだ」
「キュ?」
「これも何かの因果なのかねえ」
ミズチのおじちゃんが言うには、
前にスイレンのお姉さんが「かんな」という名前で、
龍青様の管理していた水源に沈められて来た際に、
持たされていた懐刀も、その男のしわざらしい。
じゃあ、もしかしてあの時にはもう、
ハクお兄ちゃんの兄弟は殺されていて……?
「そういうことに……なるんだろうな。
ずいぶんとまあ、計画的にやらかしてくれたもんだ」
ミズチのおじちゃんがうなずけば、ハクお兄ちゃんはさらにうつむいた。
「なぜ、あいつがまだ生きているんですか?
あいつは前にミズチ様が船を沈めて始末したはずです」
ハクお兄ちゃんがそう話すと、
「式神というのを使って身代わりを作り、逃げたんだろう。
それにそいつは、既に水神の一柱の力を手に入れているしな」
とミズチのおじちゃんは言う。しきがみって何?
すると、ふしぎな力を使ってみんなをだましたと教えてもらった。
そんなことまで出来るんだ……。じゃあ、どうすればいいんだろう。
「水神にまで手にかけられる奴なんだから、その位のことは出来るだろう。
都の陰陽師だって、その気になればいろいろと出来るんだからな。
もちろん、それだけの大技は何らかの犠牲で成り立っているんだろうが。
神が本気で怒れば祟りを起こすが……そういう呪術師とかは、
身代わりの者を立てて難を逃れることが出来るんだ」
そういうことを平気でやれるのも、人間にもあやかしにもいるらしい。
ちらっとミズチのおじちゃんが、私のことを見つめている。
言いたいことは何となくわかった。
「キュイ……」
「……話を戻そうか、器に戻れない魂が行き着く先は黄泉だ。
魂の抜けた器は放っておくとすぐに劣化していくから、
俺様がここで龍青の器に力を注いでいたら、俺様は無防備になって動けない。
そっちに鏡ごと持って行くのもだめだ。
死の穢れで鏡が壊れてしまうかもしれないからな」
よみ? よみって……あの黄泉?
前に私が連れて行かれそうになったあの場所だよね。
龍青様を助けたいのなら、一度そっちに誰かが行かないといけないらしい。
では誰が行くという話になって、私はハクお兄ちゃんと目が合った。
するとハクお兄ちゃんはぶるぶると震えて、
「ぼ、ぼくには出来ない……」とつぶやいた。
「そんなことをしたら、ぼくはすぐに侵食されてしまう」
「キュ?」
そうなの? ところで”しんしょく”って何?
「ああ……そうだな。おまえは水神の血を引いている上に、
未熟な子どもの姿のままだからな。
闇の深い黄泉に行けば影響は免れねえだろう」
「そんなことになったら、ぼくはもう二度と神使ではいられなくなる。
自分にかかった呪いすら祓えない子どものぼくじゃ……。
死の穢れなんてとても耐えられない。
主様が大変な時なのに……っ!」
……なんとなく、話を聞いて理解する。
黄泉の世界は確かに暗かったよね。
ハクお兄ちゃんは泣きながら頭を抱えた。
水属性は力が弱いと、他の属性の力に押されて染まってしまい、
そうなっては逆効果になって、余計に危険だとミズチのおじちゃんは言う。
それは私も前にかか様に聞いたことがある。
じゃあ私が行くとキュイっと鳴いた。
私はかか様からもらった光属性があるんだもん。
黄泉は暗いから、きっと闇属性だよね?
かか様からもらった光は、闇を照らす力があると教えてもらったんだ。
それに、とと様は火属性、これも光るから光属性と似た力、
次に効果があるって聞いたもの。
「嬢ちゃん……」
龍青様がそっちに居るのなら、私がお迎えに行くよ。
だっていつも龍青様は、私のことを迎えに来てくれたもん。
今度は私が迎えに行ってあげるの、キュイキュイと鳴きながら手をあげた。
「確かに嬢ちゃんは白龍の血も引いてはいるが……だが嬢ちゃん、
あっちは広いし、暗くて寒くてとってもさびしい所なんだ。
迷っても、いつもみたいに龍青が助けに来てくれるわけじゃない」
「キュ」
私はこくりとうなずいた。
「嬢ちゃんだって、そのまま巻き込まれて死ぬかもしれねえんだぞ?
生きているものを恨んで、死に引きずり込もうとするのもいるんだし、
見つからねえ可能性の方がきっと……」
「キュ!」
いく! いくの! だって私は龍青様の嫁になるんだもん。
自分の番が大変なら、同じ番の私が助けに行かないと!
ぴょこぴょこと飛んで訴える。
いつも龍青様は、私が危ない時に助けに来てくれた。
いつだって私のことを守ってくれた。だから今度は私が助けてあげるんだ!
それにこれはおつかいのようなものだ。
だってその先に龍青様が待っているんだもんね。
私の大好きなあのお兄さんが黄泉の先に居るなら、会いに行きたい。
すんと鼻をかぐと、今でも龍青様からもらった香の匂いが残っている。
ずっとこの匂いを嗅いでいられる場所に、私は居たいんだから。
私はだからねと、足元に落ちていた白い貝殻を拾い、
ミズチのおじちゃんの手に乗せた。新しい契約だ。
「キュイ」
これあげるから、龍青様の所まで行けるように黄泉に連れて行ってよ。
「いや、えっとな嬢ちゃん?
……ここは一応俺様の縄張りで、俺様の社なんだがな?」
ちがうよ? ここは親分の私が居るから、
子分のおじちゃんのものは、私のものなのだ。
ナワバリの一つになったんだからね。
そう言ったら、ミズチのおじちゃんは「お、おう……そう来たか」と言い、
「子分になるって言ったのはまずかったかな。
嬢ちゃんがここまで知恵の働く子どもだったとは……」とも言っていた。
”チエノハタラク”とは何なのか分からないけれど、
まずいとか言っているから、何か変なものでも食べたのだろうか?
よくわからないけれど後で薬草食べる? と聞いた。
「おまえな、主様の魂探しを子どものおつかいにするなよ。
そんな生易しいものじゃないんだぞ?」
ハクお兄ちゃんが、呆れた顔でそんな私の方を見ているけれど、
他に何か言い方あるって聞いたら、私と同じような顔で首を傾げた。
というわけで、おつかいということに決まった。
「大丈夫かねえ……何かあったら俺様は龍青の奴に顔向けできねえぞ。
それにちびっこの初めてのおつかいが、黄泉の世界って……。
嬢ちゃんはどんだけ波乱万丈なんだよ」
「キュイ!」
入口までなら見たことあるし! きっと大丈夫!
目頭を押さえているおじちゃんに、私は両手をパタパタして話す。
それに前に契約したでしょ、おじちゃん。
私を「龍青様の所まで無事に届ける」って。
ふんっと鼻息荒くして小さな私の片手をあげる。
だからこれも、その一つでしょって。
「それを言われるとな……確かに神と交わした契約は絶対だ。
嬢ちゃんの黄泉行きもそれと同じものにするなら、
今回のことも、俺様は果たさなければならねえか」
「キュ」
私がうなずくと、ミズチのおじちゃんは、「うーあー」とうなり、
「後で親御さんと龍青に謝らねえと」
……と言いながら私の頭をわしわしとなで、
指先から銀色の糸を作り出し、龍青様がくれた白銀色の鈴に糸を結ぶ。
それは明るく光っていて、その糸の端をミズチのおじちゃんは、
自分の足にも結び付ける。
これ、知っている。
龍青様が、私のうろこを首から下げたときに使っていたものだ。
「よし、じゃあ嬢ちゃん。俺様も腹をくくってやるわ」
「キュ!」
「だから今から、俺様の言うことをよく覚えておくんだぞ?
この糸は神通力を糸にしたもので、こちらの世界に戻るための命づなだ。
例え何があっても絶対にこれは切ってはだめだぞ。
帰る時にはこの糸をたどってくるといい。その時には黄泉の世界、
つまり後ろを振り返らずに、まっすぐに出口に目をむけて戻ってくること」
「キュ」
お約束する。私はこくりとうなずいた。
「黄泉にあるものを見つけたり、誰かにすすめられても絶対に口にしない。
食べたらあっちの世界の住民になっちまうからな。
黄泉の世界は確か、いくつかの階層に分かれているらしいんだが、
たぶん龍青はまだ低い所に引っかかっているだろ。未練たらたらだろうしな」
「キュ?」
「嫁にしようとした嬢ちゃんを現世……こっちの世界に残しているからな、
時間が経つとこっちでの記憶が混濁していって消えていくから、
見つけたらすぐに戻ること。準備もなく、突然切り離された形だから、
龍青も自分のことが分からなくっているかもしれねえ」
「キュ? キュ~」
いっぱい言われて、覚えていられるかな……?
ちょっと自信がなくなってきたぞ。
とにかく寄り道するなってことでいいんだよね?
「あとは……そうだな。生きている奴を妬んで襲ってくるのも居るだろうから、
できるだけ近づかねえで、変なのを見かけたらすぐ逃げること。
嬢ちゃんの身に着けているお香の匂いも魔除けにはなるが、
そうだな……ついでにこれも持っていけ」
「キュ?」
「生身で送り込んでやるからよ。これも持っていれば助けてくれるから」
そう言っておじちゃんが指先を鳴らして取り出したのは、
唐草模様が入っている風呂敷の包みだった。
私が社に来るとき用に龍青様が用意してくれたもの。
中には私の好きな干した桃の包みが入っている。なぜここで桃?
それを背負い込んだ私はキュイっと鳴くと、目の前に水たまりができた。
「実はな、水の底には黄泉への入り口とつながっている場所がある。
俺様はその一つを管理していてな、嬢ちゃんは泳げねえようだから、
すぐにあっちへ行けるよう、道をつないでやるからな」
「キュ」
前に龍青様がミズチのおじちゃんを連れて、
助けに来たことがあるのは、そういう理由だったんだね。
ありがとう。じゃあ行ってくるね。
私は龍青様の眠る鏡に「行ってきます」となでなでしてから、
ミズチのおじちゃんに渡し、キュイっと鳴いて、
近くに用意された水たまりに足を入れる。
「……っ、お、おい」
「キュ?」
ハクのお兄ちゃんが、いざ行こうとした私のことを呼び止め、
心配そうに見つめている。
「ほ、本当におまえだけで行く気なのか?
す、すごく危険な場所なんだぞ」
「キュイ」
私はうなずく。行くよ。だってまた会いたいもの。
会ってまた、私の名前を呼んで、抱っこしてもらいたいもの。
「じ、神通力の高い神様だって行くのを恐れるくらいに、
死の穢れが濃くて、とても怖い所なんだぞ?
これまでだって誰かを生き返らせようと足を踏み入れて、
失敗した者だってたくさん……」
「キュ」
それでも行くよ。だって、私ね? 龍青様のことが大すきなんだもの。
ずっとずっと一緒に居たいから、このままなんて嫌だもん。
だから私はお迎えに行くんだよ。
お兄さんの嫁になるって、何度も約束したから。
それに番は、困ったときには助け合うものなんでしょ?
なら、私が行かなくちゃ。
「……っ!」
「キュ」
だからね? ハクお兄ちゃんはここで龍青様の体を守ってあげてね。
あれが追って来ないように、今のうちにつながる出入り口を閉じたり、
社のみんなに危険がないように、教えてあげて。
人間はやっぱり怖いけれど、あそこは龍青様が大切にしていた場所だものね。
なら、私も守ってあげたいし。
「わ、分かった……ぬ、主様のこと、どうか頼む……。
ぼくも少しは神通力が使えるから、その用件が済んだら、
こちらでミズチ様みたいに協力しているよ。少しは足しになるだろ。
おまえを信じて待っているから、ぜったいに主様を連れて帰ってきてくれ」
「キュ」
頭を深く私に下げたハクお兄ちゃんは、そう言って駆け出して行った。
私はその後姿を見送りながらうなずき、
キュイっと鳴いて水たまりにぴょんっと飛び込んだ。
ぷくぷく、こぽこぽと泡が私の体を包み込んで、
どこかへ運んでくれているのを感じる。
まぶたをぎゅっと閉じた私は、
龍青様の名を心の中でキュイっと呼んだ。
待っていてね。龍青様、すぐに……会いに行くからね。




