白蛇編・6~神使ハクの過去~
いつもは物音に気付く私でも、波の音にかき消されたようだ。
突然現れたハクのお兄さんは、陶器で出来た小瓶と、
何かが乗った皿を持って、私を見下ろす形で前に立っている。
私は「や、やるのか!?」とキュイキュイ鳴いて、
涙目で頭をさっと庇った。
「……もうしないよ」
「キュ?」
「……主様にあれからいろいろと言われたからな。
またおまえをいじめたら、今度は謹慎して反省文を書かせるってな。
それで改善されないのなら、暇をやるとも言われたんだぞ」
「キュ?」
きんしん? ひまってなに?
「謹慎は行動を制限……閉じこもってあまり動けなくなるってことで、
暇は、神使の任を解かれ、ここを追い出されるって事だよ。
ぼくにとっておまえは、妹分のようなものなのにってさ。
後から来た新参者のくせに、ずいぶんと主様は……。
おまえのことを気に入っているんだな」
いもうとぶん……って、妹のことだよね?
それって、私が龍青様に保護されたからだろうか。
このハクのお兄さんも、小さい時に保護されたって言っていたよね。
だから私が妹になるってことなのか。
そうか、じゃあこのお兄さんは、
えっと龍青様よりは小さいし、まだ子どもだから――……。
「キュ」
私の、お兄ちゃんになるの?
「……っ! お、おに……」
私がキュイっとお兄ちゃん呼ばわりしたら、
ハクのお兄さんが、顔を赤くして私の方を見ていた。
この様子、なんだか龍青様に似ているな。
「そ、そうか、このぼくがおまえの兄……か、
し、しかたない……な、おまえがどうしてもって言うんなら、
おまえの兄者になってやってもいいぞ? うん」
「キュ?」
え、別にいいやとキュイっと断った。
「なんでだよ!」
「キュ?」
だって、私、優しいお兄さんがいいんだもん。
抱っこしてくれたりするお兄さんなら、龍青様がもう居るから必要ないし。
遊んでくれたりもするから困っていないもの。
でも、せっかくだし、お兄さんのことを、
これからはハクお兄ちゃんって呼ぶねって言ったら、
少し照れくさそうなお顔をして、そっぽを向いた。
「べ、べつにいいけど……さ」
ハクお兄ちゃんは廊下の端に足を投げ出す形で座って、
持ってきた物を横の床に並べたので、私はそれをのぞきこむ。
小瓶はお酒が入っていたらしく、皿には干した小魚が乗せてあった。
でもあれ? 子どもなのにお酒飲んで……。
「どうした?」
「キュ?」
いいの? お酒を飲んだりして。
あとで、龍青様に“めっ!”ってされるよ?
「ん? ああ、ぼくは本当なら成体になっている年齢なんだよ。
故郷を追い出された時に、成体になれないよう呪をかけられてさ、
自分じゃ解くことも出来ないから、死ぬまできっとこのままだろうな」
だからいいんだと、小瓶の口をつけて酒を飲んでいた。
……いいのか? と思ったが、よく分からないのでうなずいておいた。
でも呪? それってまさか私の一族に掛けられたものと、
似たようなものなのかな……。でも、追い出された?
悪さをしないと約束してくれたので、私はとなりにぺたりと座り込んだ。
ハクお兄ちゃんはそれを何も言ってこないので、
ここに居てもいいという事だろう。
初めて見る夜の海の景色を、私はもう少し見ていたかった。
波の音が聞きなれなくて気になるけど、ここはいい所だよね。
龍青様が私に見せたがっていたの、分かる気がする。
……これで人間がいなければな。
明るいうちは怖くて社の中を探検できなかったし。
でも、これからは慣れていかなくちゃいけないんだよね。
「なあ、おまえさ……両親はちゃんといるのか? 」
急に私のことを聞かれて、横を振り向く。
「キュ?」
「その色で迫害を受けていないのか? 可愛がってもらえているか?」
いるよ? でも、”はくがい”ってなに?
私が言葉の意味が分からずに首をかしげていると、
仲間はずれとか、いじめられることだって分かりやすく教えてくれた。
だから私は、「されてないよ」とキュイキュイと鳴いた。
みんな私を仲間として認めてくれているし、やさしくしてくれる。
とと様もかか様も、自分の子として可愛がってくれるよ。
「……この世界で生きていく上で、一族の血を守るために必要なのは、
同じ色を持つ者同士が結ばれるのが一番いいからな。
群れで暮らす者は、自分と違う者を仲間とは認めない事が多いんだ。
その点で言えば、おまえはずいぶんと恵まれているよ」
言っている事が難しいな、もう眠ってもいい?
龍青様の所に戻って、スピスピと眠ろうかなと思っていると、
「兄弟はいるのか」とまた聞かれて、振り返り、首を振る。
私にお兄さんとか、お姉さんとか……。
兄弟が居たらすてきだなって思うけど、私には兄弟が居ない。
龍の子を産むのは命がけで、食べものを余分にみつけたり、
子どもの鳴き声で、人間に狙われやすくなるとかで危険が伴うから、
なかなか出来なかったと、かか様に教えてもらったんだ。
……だから今は私が、龍の中でやっと出来た子どもになる。
今は郷に子どもが私しかいないけれど。
でもね? これから郷がもっと豊かになって、
日々の暮らしに困らなくなれば、私の郷にも子どもが増えるんだって。
そうしたら、私が龍青様に教えてもらった遊びをみんなに教えてあげるの。
「キュ」
とと様やかか様、郷のみんなの事を思いだしてしっぽを振る。
私がみんなに可愛がってもらった分、私も可愛がってあげるんだ。
「じゃあ、両親や仲間のことが好きなのか?」
「キュイ」
私はうなずいた。大好きだよとうなずいた。
とと様もかか様も、みんなのことも大好きだ。
私が生まれた時、私の肌と目の色を見て、とと様もかか様もみんなも……。
驚いたり悲しんだ顔を見せたけど、その後はね? 私が不安がっていると知って、
ずーっと笑いかけてくれて、可愛がってくれたんだよ。
あのときの意味を、もう私は分かっている。
仲間とは違う色を嫌がったのではなくて、水神の生贄にされるかもしれないと、
私のことをすごく心配してくれていたんだなって。
……でも正直に話すとね?
紅炎龍でも白龍でもない、ちがう色のうろこと目の色は最初は嫌だった。
私だけ、なんでこの色なんだろうなって思ったこともあったよ。
「キュイ」
でも、この色が好きになったのは龍青様のおかげなの。
この色を「きれいだね」ってよくほめてくれて、なでてくれて、
桃色だからって、おいしい桃を食べさせてくれて、
名前だって付けてくれた。
私にたくさんのすてきなものを教えてくれた。
とても可愛がってくれたからね。私、この色が大好きになれたの。
そう笑う私に、ハクお兄ちゃんはさびしそうな目で私を見つめる。
「……一族とは違う色を持っているのに、ぼくとは正反対なんだな。
先代様に狙われていたから、てっきり周りに煙たがられていると思ったのに。
その上、主様にまで……おまえがうらやましいよ」
「キュ?」
私は、ハクお兄ちゃんのことも、うらやましいと思うけどな。
「は?」
私の方を振り返るハクお兄ちゃんに、
両手をぱたぱたと動かしてキュイキュイと話す。
「キュ」
だってね? 私より龍青様といっぱい一緒だったんでしょ?
私は出会ってそんなに時間がたっていないから、
龍青様と過ごせた思い出は少ないと思うんだ。
それに、ハクのお兄ちゃんは、かか様と同じようにうろこの色も白い。
今の色が嫌いなわけじゃないけれど、むしろ好きだけれど、
かか様やとと様みたいになりたかったな……とも、
今でも思っていたころもあるから。
「……そうか、おまえでもそう思うんだな」
静かに二匹で夜の海を見て、黙り込む。
ハクお兄ちゃんは持ってきた酒をこくりとまた飲んだ。
そういえば……龍青様にこのお兄ちゃんの事を聞いたな。
子どもの頃に親に捨てられて、龍青様が拾ってあげたんだって。
「キュ……」
きれいなお月さまを見ながら思う。
もしも私が、とと様とかか様にそんなことをされたら、
きっと私は悲しくて寂しくて仕方が無かっただろうな。
……自分だけじゃ、生きられなかったと思うんだ。
私はとと様とかか様に、生き延びさせるために人間から逃がしてもらった。
異端の色と言われていても、とと様とかか様は命がけで大事にしてくれる。
だからハクお兄ちゃんはふしぎに思うんだろうな。
どうして私みたいなのが捨てられていないのかって。
「前に少し話したけど、ぼくの父は白蛇の水神でさ、
ただ、ここの主様のように、子どもを可愛がってくれたりはしなくて、
実の子でも子どもを道具としか思っていない、とても恐ろしい方だったよ」
「キュ?」
……怖い水神様なの? 私は横を見上げた。
ハクお兄ちゃんは月をながめながら、こくりとうなずく。
ぱしゃんと近くで海の水がはねた。
「ぼくの一族……白蛇は子だくさんでさ、
他にも後継ぎとなる候補の兄弟はたくさん居たんだ。
でも、父も兄弟も目が青いのに、ぼくだけは生まれつきこの色、
目の色がこんな風に一族とは違う赤い色をしていたからね」
「……」
ハクお兄ちゃんはそう言って、月明かりの下、
赤い目を光らせて私のことを見つめる。
見たことない色だなって思っていたけど、
やっぱりめずらしい色だったんだね。
「この、血のように赤い色をしていたことで、
最終的に後継ぎ候補とは認められず、ある日いきなり一族から追放された。
親子や兄弟の縁も切られたってわけだ。兄弟もそんな父を見て、
俺のことが異常なんだと分かって、右にならえだったよ」
「キュ……」
水神様でもそんなことするのか。自分の子どもなのに?
私は龍青様とミズチのおじちゃんを思い出して、
そんなことをする者と同じとはとても思えなかった。
龍青様のとと様みたいに禍つ神になって、
狂っているわけでもないのに、なんでそんなことが出来るんだろう。
「ぼくも主様に拾われなければ分からなかった。
水神にもいろいろ居るんだって……。
父は身内にも冷たい水神で、より強く、より高い神通力を持ち、
丈夫な体を持つ者を跡継ぎに欲しかったらしくてさ、
ぼくが捨てられた次の日、親恋しさに屋敷に戻ろうとしたぼくは、
父が他の兄弟達にしたことを見てしまったんだ」
まだ人型も取れず、蛇の姿だったハクお兄ちゃんが屋敷の隅から見たのは、
同じように蛇の姿のままの兄弟達を、ひとつの壺の中に閉じ込め、
食事を与えず、その代わりに兄弟で殺し合わせて……。
生き残った者を次の水神にするというものだったと。
「キュ?」
「共食い……兄弟同士を食らわせるってやつだよ。
子どもでも神の子ならば、神通力を少なからず持って生まれているから、
古より伝わる呪術と同じ事をしたんだ……神様がそんなことをしたら、
子どものぼく達じゃどうしようもないよ」
そしてハクお兄ちゃんの兄の中の一匹が、
他の兄弟の力を取り込んで生き残り、今の水神にしたらしい。
次代の白蛇の水神を決める儀式というのは、
水神以外の者を全て葬るものだったのだと。
「父にとっては、子どもは跡継ぎを用意する為の生贄だったんだ。
ぼくの母は、ぼくを捨てる時も止めようとしてくれたらしいけれど……。
結局、その時に母もそれで亡くなったらしい」
「キュ……」
「……っ、ああ、ごめん。おまえにはまだ早いかなこういう話は」
急に怖い話をされて、涙目になった私は両手で目をおおった。
怖いけど、でも……これは同じ水神様の話。この世界のどこかで起きたこと。
龍青様がよく言っている「怖い水神もいるんだぞ」という言葉は、
きっとこういう事を言っていたんだ。
ということは、これから会うかもしれない水神の中には、
ハクお兄ちゃんの兄弟が居るんだよね?
自分の兄弟を殺してしまった水神が……。
ただ遊びに来ていた私はともかく、
龍青様の従者なら、どこかで会わないわけにもいかないだろうし、と。
そう思っていると、ハクお兄ちゃんはそれ以上何も言わずにうつむいていた。
「そう……だろうね。今までは主様の取り計らいで、
まだ幸い会ってはいなかったけれど、いつまでもそうしてはいられない。
そんな時もあるかもしれない。何かの使いで出向くとか」
「キュ?」
……だいじょうぶ?
ぽんぽんとハクお兄ちゃんの手を叩く。
「なんだおまえ、ぼくのことを心配してくれるのか?
大丈夫だよ。さすがにもう何年も経っているし、
ぼくは兄者のように水神にはなれなかったけれど、
今はなれなくて良かったと思っているよ」
「キュ……」
「兄者のように、ぼくは追い詰められてもそこまで非情になれないだろう。
もし同じように扱われていたら、ぼくは食われるのを待つだけだった。
見捨てられていたから、こうして生き延びられたんだからね。
違う世界で生きることを教えてくれたのは、主様なんだ」
見逃す代わりに――ハクお兄ちゃんは成体になれない呪いを受けて、
野に放逐されて、行くあてもなくさまよっていた所を龍青様に拾われたそうだ。
『おや、こんな所に白蛇の子どもか……珍しいな。
なに、親に捨てられた? では他に行くあてがないのかい?
そうか、それは難儀だったな……だったら落ち着くまで俺の社においで、
ちょうど神使になってくれる者を探していたんだ』
他に頼れる身寄りもなく、傷つき、弱っていた幼いハクお兄ちゃんを、
龍青様はためらいもせず連れ帰り、怪我の手当てと、
あたたかい寝床、食べ物を与えてくれたんだそう。
まだ名前もなかったので、龍青様に「ハク」という名前までもらって。
新しい生き方、新しい役割を与えてもらった。
それから龍青様に恩返しをするために社で働き始めたそうだ。
「主様は子ども好きでさ、親に捨てられたり、死に別れたりして、
身寄りがなくて困っている子どもをどこからか見つけては、
連れ帰って社に住まわせて、食べ物と居場所を用意してくれたんだ。
だからここで働いている者達はみんな、人間も獣も主様を慕っているんだよ
ここは、あやかしも人も……神族も共存できる所なんだ」
「……キュ」
共存が出来る……それは龍青様が目指しているものだ。
「でも主様が、自分の暮らす神域で直接子育てしているのは、
おまえがきっと初めてだよ。だからぼくは驚いた」
……ということは、社で会った人間の巫女とか宮司もみんな家族が居ないのか。
そう思うと自分のことのように胸のあたりが痛む。
だって私も、とと様とかか様と別れて自分だけになったとき、
もう私だけで生きていかなきゃいけないんだとか思ったから……。
さびしい……よね。
うつむいた私の頭を、ハクお兄ちゃんがわしわしとなでる。
「おまえはさ、まだ小さいかもしれないが主様の婚約者だ。
主様やミズチ様みたいな、優しい水神ばかりじゃないって事も、
今のうちにちゃんと覚えておけよ? 怖い思いをしてからじゃ遅いし、
子どもだからって、他の水神様は容赦なんてしてくれない。
みんながみんな、子ども好きとは限らないからさ……」
少しだけ、水神様のことが分かった気がする。
私はこくりとうなずいて、そろそろ寝るねって手を振った。
ハクお兄ちゃんは、ああ……と返事した後、私が進む方向をじっと見て、
慌てて駆け寄ってきたかと思えば、私の頭をがしりとつかんでくる。
「ま、まて! 今、おまえはどこへ行こうとした!?」
「キュ?」
どこって……龍青様のお部屋だけど?
どうかしたの? と、私はキュイっと鳴いた。
「婚姻前の娘が、未婚の雄の寝床に潜り込むんじゃない!!」
「キュ?」
ハクお兄ちゃんがあわあわと、慌てて私のことを止めようとする。
なんで? 私いつもお泊りする時は龍青様の懐の中って決めているんだけど。
龍青様のとくんとくんって胸の音を聞いて眠るのが好きなんだ。
そうキュイキュイと言ったら、今度は顔を真っ赤にしてだめだと言われた。
「ふっ、懐の中って……しょ、正気か? 主様の懐に潜り込む!?
だめだ! 部屋ならこれからぼくがちゃんと用意してやるから、
おまえは一匹で寝ろ、若い娘がなんてふしだらなことをしているんだ。
あと、それよく見たら主様の着物だろ、こっちに渡せ」
「キュ!」
やだ! 龍青様と一緒に寝るの! これも私の!
私はハクお兄ちゃんの手を振り切って逃げだした。
両手を伸ばして龍青様の部屋に飛び込むも、ハクお兄ちゃんまでやって来て、
やめろ! やだ! と言い合って私達は暴れた。
「うう……うるさいな」
龍青様が寝床でそうつぶやく中、私とハクお兄ちゃんは明け方まで暴れた。
キュイキュイ、どたばたと騒いで……やがて一緒に力尽きてその場で眠った。
そうして夜が明けた次の日の朝。
部屋は龍青様の寝ていた所を除き、周りは荒れ果てていて……。
「スー……ピー」
「くか――……」
「なぜ、そんな所に転がって寝ているんだ。おまえ達は……」
着物の端と端を、お互いに両手で持ち合いながら、
うつぶせになってスピスピと眠っている私と、
疲れ切った顔であおむけに眠る、ハクお兄ちゃんの姿を、
早朝に起きてきた龍青様が、呆れた顔で見つけたのだった。




