白蛇編・4
……かしこい私にはわかった。
ハクのお兄さんは、どうやら私のように、
龍青様の着物ですんすんとやりたいらしいぞ?
私はためしに、すすっと後ろに下がってみんなから離れると、
着物を体に目いっぱい巻きつけ、
顔だけ出した私は行李の隅に座り込み、
ヤツを見ながら、すんすんといつものように、
龍青様の匂いをたくさん嗅いでみせる。
それだけじゃない、私の額を合わせてすりすりと、こすり付けてみた。
すると、その様子を見て、
「うあああ!」とおたけびを上げているヤツが居る。
「こ、高貴な主様の大事なお召し物に、
な、ななななんてことするんだよ、おまえは!!
そんな風に床にずるずると引きずっていいわけないだろう!?」
「キュ」
いいんだもん!
「しわが出来るし、布が劣化してしまうじゃないか!
しかも、主様の、に、匂いまで直に盛大に嗅ぎやがって!!」
「キュイ! キュイキュイ!」
龍青様の匂いは私の好きな匂いだからいいんだもん!
ついでに私の匂いも、い~っぱい龍青様にすり付けるんだからね!
龍青様は私のものなんだって、えっと……なんだっけ、
そう、しょうめい? するために付けるんだから!
すると近くでそれを聞いていた龍青様が、
両手を顔に覆ってうなっていた。
「そ、そそそうだ……な。俺は姫のもので、だから姫のことも俺のって事で、
はっ!? ということはもう形だけの祝言を上げても、許されるだろうか?
俺だって、出来るのなら姫を嫁として早く迎えてやりたいし、
嫁としてもっと周りに堂々と紹介が……」
「公方様……私どもも出来るなら婚儀を全力であげたい所ですが、
まずは落ち着いてくださいませ……。
お気持ちがもろに吐露されておりますから」
「しっ、だめよ止めちゃったら、
公方様は攻めの姿勢が足りないんですから、
姫様以上に頑張っていただかないと、心を留め置くことは難しいですわ」
「……じゃあ、とりあえず見守ります?」
「そうしましょうか」
「そうですね」
よくわからないけれど、龍青様は私の言葉に、
顔が赤くなってたくさん汗をかいているように見える。
傍で女房のお姉さん達が、ほほほっと笑いながら龍青様を見ている中、
私とハクのお兄さんはにらみ合っていた。
「いいからその着物を渡せよ!」
「キュ!」
やだったら嫌なの! いじわるをするハクのお兄さんなんて嫌い!
私は涙をぽろぽろ流しながら、めっ! なんだからねと叫ぶ。
「俺だって嫌いだ。ばーかばーか」
「キュイイ!」
ばかじゃないもん! 龍青様もとと様も“かしこい”って言ってくれるもん!
私が両手を上下にぶんぶんと振って、キュイキュイと抗議したら、
変化を解いて白蛇の姿に戻ったヤツが、「おまえ、生意気なんだよ!」と、
私に牙をむいて噛みつこうとして来たので、
私は両手で頭をかばって目をつぶった。
「キュイ!?」
すると――……。
べしっ!
近くで何かがぶつかった音がして、噛みつかれていない事に気づく。
あれ? 無事だ……そのまま、そう……っと目を開けてみると、
龍青様のしっぽがハクのお兄さんを畳の上に叩き落としていた。
「ぐほ!?」
「キュ?」
「……ハク、今……俺の婚約者におまえは何をしようとした?
白蛇のおまえが、本気で姫の体に噛みつけば、
どうなるのか、今のおまえには分かっているだろう?
俺は先ほどおまえに言ったはずだが……まさか覚えていないのか?」
その時、屋敷が大きく揺れた。
「う……あ……」
がたがたと震えて頭を下げるハクのお兄さん(と思われる蛇)が居る。
「姫への狼藉はこの俺が許さぬと、
もし傷を付ける気ならば、俺は姫の婚約者として容赦しない」
そのまま、龍青様の足元から水の蛇が出てきて、
ハクのお兄さんをとらえたかと思えば、
真っ白だったほっぺたを、しっぽでぺしぺしって勢いよく叩き始めた。
「ぐっ!? いたっ! 痛いです主様あああっ!?」
「仕置きなのだから、痛くして当然だ。
おまえの牙に噛まれたら、幼い姫では死んでしまうだろうが!」
よし今だ! 私は龍青様がハクのお兄さんをとらえている間に、
一緒に飛び掛かって白い蛇を床に押さえつけた。
「ぐお!?」
「姫?」
私はうなぎを捕まえた事もあるんだからねと、キュイキュイと話したら、
思わず、私の口の端からじゅるっとよだれが出てきて、
ぽっこりとした私のお腹がぐう~っと鳴り始める。
「……キュ」
私のお腹が反応している。見ている先は手の中の白蛇。
「お……おいまさか……」
白蛇の姿になったお兄さんの顔から、だらだらと汗が流れ始めた。
「キュ~……」
そういえばもうすぐ昼餉の時間だよね……。
私は、おいしかったあの時の幸せな味を思い出した。
うっとりと、ハクのお兄さんがあのうなぎの姿に重なっていく。
「姫?」
ねえ、龍青様。白蛇っておいしい? うなぎ……おいしかったよね。
私はよだれを垂らしながらハクのお兄さんを見下ろしたまま、
そうつぶやいた。
あのときは、ご飯と一緒に炊いて龍青様と食べたの、
とってもふかふかしていて、臭みもなく柔らかくておいしかった。
それを……ハクのお兄さんの頭を両手でつかみながら、
じいいっと考える。
うなぎって、この蛇にかっこうが似ていたよね?
ということは、ハクのお兄さん……蛇も同じくらいにおいしいんじゃ?
それも、なんか目の前のはめずらしい蛇だろうし。
女房のお姉さんに顔を向けると、
「もしかして……ハク様を召し上がりたいんですか?」
と聞かれたので、私はキュイっとうなずいて、
手の先にぽわっと小さな火を作ってみる。
よし、あぶって私と龍青様の、
今日の昼餉のおかずにしよう。
「う、うわああああっ!? 止めて、やめてください!!
くっ、喰われる!! 食われちゃうううっ!」
ハクのお兄さんが泣きながら私の手の中で必死に暴れている。
うるさいぞ、うなぎ、うなぎは大人しく私のお腹に収まれ。
「う、うなぎ!? ぼくはうなぎじゃな……っ!」
うるさい、私が「うなぎ」と言ったら、おまえは「うなぎ」なんだ。
「離せええっと」やたら叫んでいる彼の言葉で、目をぱちぱちとした私は、
よく考えたら、「真っ白だし、食べたらまずいかもしれない……」と、
食べる気がなくなってしまい、開いていた行李の中めがけて、
ぶんぶんと振りまわすと、ぽいしてやった。
子どもの私は飽きやすいのだ。
やっぱり食べるのなら桃がいいな。お腹が空いた時は桃だ。
「蛇は食べられないこともないが、ハクの方が嫌がるだろうしな。
それにしても……おまえたち、もう少し仲良くできないものか」
「キュ!」
やだ!
私はぶんぶんと首を振って断る。
いじめっ子だし、龍青様との、えっと……こいじ? を邪魔する悪者なの。
私は知っている。そういう悪いのが絵巻物に出てくるのを見た事あるから。
前に女房のお姉さんが見せてくれたもんね。
だから私は女房のお姉さん達にこう教えてもらっている。
そんなのが現れたら、迷わずその相手と戦えと。
「……うう、ぼ、ぼくだって嫌ですよ。
こんな凶暴な娘の供物になるなんて!
それに主様の番にはふさわしくない!!」
なんだと!?
シャーシャー言って、行李から顔を出したハクのお兄さんに対し、
私はキュイキュイ鳴きながら龍青様のしっぽに抱き付いて、頬ずりをした。
ではこれでどうだ。私はこんなことも出来るんだからねーだ!
「~うぐっ!? ひ、姫、良い子だからみんなの居る所でそれは……ぐっ」
「キュイイ……」
私、龍青様と仲良しだよね……?
うるっとした目で龍青様を見ると、龍青様の動きが止まった。
「わ、わかったから、ちょ、ちょっとだけだからな姫?
本当にちょっとだけ、ひ、姫、姫聞いているか?
そんな無防備な事をしていると、俺だってそのうち本気で勘違いして……」
「キュ?」
「お、大きくなったら絶対に責任とってもらうんだからな?
いいな? な!? 後で嫌だって言っても聞いてあげないぞ?」
私が目でうったえると、
龍青様は頬を染めた顔でそっぽを向いて許してくれた。
だから私は「いいよ」とキュイっと鳴いて、しっぽを振った。
龍青様はいつも優しい。
だから、「龍青様、だいすき」とキュイっと鳴いて、
私はそのまま龍青様のしっぽをよじ登って遊び始めると、
龍青様が床に倒れ込み、もだえるような声を上げ始めた。
「うおああああああ、ひ、ひ姫?、姫ええええ、ま、待ちなさ……っ!!」
「キュ、キュ、キュ~」
「あああああっ!? 主様!
おまえ、自分が何をしているか分かっているのか!?」
大好きな龍青様にじゃれていると、
ハクのお兄さんがまた吠えている。
うるさいよ。夫婦になっていないと、こういうのはだめなんでしょ?
わかってるもん。龍青様が前に教えてくれたんだから。
でも私はもう嫁になるつもりだから、いいのだ。
私と龍青様は、いつだって仲良しなんだからね。
「――お? ずいぶんと今日はにぎやかだな~邪魔するぜ。
……って、お嬢ちゃんそれ何やっているんだ? 龍青のまねっこか?
おそろいするのが好きだなあ、でもそれ雄用の着物だぞ?」
「キュ?」
そんな、うるさいハクのお兄さんの後ろから、
酒瓶を持った龍青様の友神、ミズチのおじちゃんがやって来て、
龍青様の着物でぐるぐる巻きになっている私を見て、おじちゃんが笑う。
いつもの少し着崩した感じの碧色の着物姿とは違い、
藍色に文様入りの着物を、きちっと着たミズチのおじちゃんは、
水色の髪も後ろにきれいにまとめてあって、
しゃがみ込み私に向けて、にかっと笑う。
「元気にしていたか嬢ちゃん、いや親分かな?
子分のミズチ、ただいま参上いたしました……ってな」
「キュイ!」
ミズチのおじちゃん、いらっしゃい!
龍青様のしっぽから飛び降り、両手を伸ばして抱っこをおねだりすると、
ミズチのおじちゃんは、持っていた酒瓶を畳の上に置いて、
私を肩の上にひょいっと乗せてくれた。
「よしよし、来い嬢ちゃん……お?
しばらく会わないうちにちっとは大きくなったか?」
「キュイ」
ほんと? 大きくなっている?
「ああ、少しだけだけどな。そっか、嬢ちゃんも成長しているんだな」
「ミ、ミズチ様!?」
にかっと、うれしそうに笑うミズチのおじちゃんを見て、
ハクのお兄さんが侍従のお兄さん達と一緒に数歩下がると、
畳の上にそろって手と膝を着いて深く頭を下げた。
「ミズチ……来たのか」
龍青様が着替えの続きを行いながら、ミズチのおじちゃんを振り返る。
「おうよ。ついでだから一緒に俺様の船に乗せてやろうと思ってよ」
「そうか、それはありがたいな。
今回は姫も一緒に連れて行くことにしたから、
輿に乗って行こうかと思ったんだが」
「あん? 嬢ちゃんもついて行くのか?」
「キュ」
そうだよ。こんぜんりょこーなの、
お供をして、龍青様のことを守ってあげるの。
怖い人間が居る所に行くんだから、何があるか分からないもんね。
私は強い龍の子、とと様とかか様の子どもなんだから。
すると、それを聞いたミズチのおじちゃんは、わしわしと私の頭をなでた。
「嬢ちゃんも成長しているんだな」って、かかかって笑って。
「そうかそうか、嬢ちゃんが道中の護衛とは、
そいつは頼もしい限りだな。良かったな~龍青。
嬢ちゃんが守ってくれるんだとさ」
「……婚約者の立場として、それは喜んではいけない気がするが」
「キュ?」
番になるんだから、別にいいでしょ? と私が首をかしげて言ったら、
龍青様は「そ、そうだな夫婦になるんだし、助け合いだな」と、
頬を赤くして言うので、ミズチのおじちゃんがそれを見て。
「おまえ、嬢ちゃんのことになると、本当に単純になるよな……」
……と、ぽつりと呟いていた。
「お、お言葉ですが、ぼくはこのちび……小娘を連れて行くのは反対です!
大事な水神大祭に、こんな教養もなっていない娘を連れて行くなど、
仕事にならないに決まっているじゃないですか!」
それまでずっと私達を黙って見ていた。
ハクのお兄さんが、くわっと顔を上げてわめく。
きょーよー? と私が首をかしげていると、
龍青様がお勉強のことだよと教えてくれた。
所作や楽を奏でたり、字を書いて歌をよむのとか、
いろいろあるんだって。
「キュ!」
しっけいな! いつも私はおりこうなんだぞ、
龍青様がお仕事で大変な時は、邪魔しないようにしているもん。
それに私だって成長しているのだ。読み書きだって覚えて来たし、
琴だって上に飛び乗ってむちゃくちゃに飛び回ったら、
おもしろい音を出せるんだってことも知っているよ!
(女房のお姉さんが困っていたけど……まあいいか)
それに私は龍の子どもだから、戦うことだってもう出来るんだ。
今はとっておきの技が出来るようになったんだぞ。
「見てて!」とキュイっと言って、
みんなの前で体を丸めて前に転がって見せた。
両手を床に付けて、頭も前に丸めて……みよ! 私の新たな技を!
ころころころ~。
「……姫?」
「嬢ちゃん?」
「キュ!」
どうだ! と私は転がった後、
両手を前にしたまま、すくっと立ち上がり顔を上げた。
私はもう、「でんぐり返し」だって出来るようになったんだぞ。
前に龍青様のとと様が、私のことを追いかけていた時に、
ごろごろと転がってやっていた。あの技だ!!
木や岩をたくさん倒したりしていたから、
私のとっておきの技として、いつか使ってみようと思ったんだ。
それで私のとと様や手まりに教えてもらって、
えっと、そう「とっくん」をしたのだ。
もし、怖いヤツが来たら、これで龍青様を守ってあげるの。
ふんっと鼻息を荒くして、そこに居たみんなに教えてあげたら、
龍青様は、そうかそうかと頭をなでてきて、
ミズチのおじちゃんもなでてくる。
「平和だな~龍青?」
「そうだな。平和だな……」
ミズチのおじちゃんが目を細めて言うと、龍青様も同じ顔になって言う。
女房のお姉さんと侍従のお兄さん達には、ぱちぱちと拍手もしてもらった。
……なんでか分からないけど、驚かれていない、だと?
むしろ、みんながにこにこ笑っているではないか。
「キュ?」
なぜだ。私がこんなにがんばったのに。
ちがう、私の求めている反応じゃない。
私の求めているのは、「おおおっ!?」という、
驚きの声とかがほしいんだけど?
「……おまえな、そんなので主様を守れるわけないだろ」
ハクのお兄さんにすごく馬鹿にされたぞ。私は頬をふくらませる。
なんでだ。すっごく良い考えだと思って「とっくん」したのに。
周りの女房のお姉さん達に「姫様は今日もお元気そうで」と、
くすくすと笑われてしまったよ。
「……キュ」
「その攻撃は、小さな姫にはすぐに敵に捕まりそうだから、
まだやるのは早いかな姫」
そうなんだ……せっかくとっくんしたのにな。
私は起き上がって龍青様の足元にぎゅっと抱きついた。
良い考えだと思ったのに、私はすんと鼻を鳴らす。
「いいんだよ。姫は俺に守られている方でいればいいから」
私はキュイっと鳴く。
でもね? 龍青様、私も龍青様のことを守りたいんだよ?
龍青様のことを悪く言ったり、いじめてくるヤツをやっつけるんだ。
そう言うと、龍青様が「わかっているよ」とうれしそうに笑ってくれた。




