5・予期せぬ来訪者
龍青様に、危ないから水の中に飛び込むのはだめって言われた。
「キュ~……」
私は早く泳げるようになって、龍青様と仲良く一緒に泳いでみたいのに。
しっぽをてしてしと床にたたき、頬をふくらませる私に、
龍青様がまた新しい布を取り出して私の体を拭いてくれる。
そこからほんのりと龍青様の香のいい匂いがして、
私はキュイキュイ抗議するのをぴたりと止める。
「よし、これでいい、おいで桃姫」
そのまま抱っこされて彼の部屋までやって来ると、そこには先客が居た。
見知らぬ一人の男が、部屋の主を無視して既にくつろいでいて、
女房のお姉さん達に囲まれて、赤い盃を傾けていたのだ。
「お? おーす。やっと帰って来たな! 上がっているぞ」
「ん?」
「キュ?」
見知らぬ人間に見えるが……彼もまた何かの化身なのだろうか?
龍青様のように人間のようないでたちをしていて、
複雑な文様が刺しゅうされた碧色の着物を着ており、
短めの水色の髪に金色の瞳をしたその男が、
ぎょろりとした目をこちらへと向けてきたので、
私は龍青様の着物をぎゅっとつかんだ。
「……今日は先約があるから帰れ」
「なんだよ、この俺様がせっかく来てやったのに、つれねえこと言うなよな。
おまえが嫁さんをようやく見つけたって話を聞いたから、
この俺様が祝いに来てやったんだぞ」
ほれと、床にどんっと白い大きな瓶を置く男。
この中には男の従者が作った特殊な酒が入っているらしい。
とと様も大好きな酒、成体の雄は酒が好きな者が多いようだ。
私は桃の方がいいけどね。はっ!? そういえば私の桃はどこだ。
「キュ」
腕の中できょろきょろと桃が用意された皿を探す。
桃、桃の入ったお皿はどこだと思っていると、私の頭をなでる龍青様が。
「……まだ嫁にはなっていない。番に迎えるには幼いからな。
餅は喉に詰まらせたら大変だし、酒も飲ませられん」
「あ? まだってどういうことだよ……って、
おい、そこの子どもどうした。まさかおまえの子か?」
そこの……と言われた男が見ていたのは、龍青様の腕の中に居る私だった。
「キュ?」
何か見られている……? やたらじろじろ見られているぞ。
なんだ? もしかしてこの人も私の桃を狙っているのか?
だめだよ。あれは私のおやつなんだからと、ぶんぶんとしっぽを振る私は、
相手の男を見つめ返してやった。
「桃色の龍か……珍しいな。母親はどこの龍族だ?」
「白龍だ。この娘の両親は陸地に居るよ……縁あって知り合うことになってな。
今日は親御から預かって、この姫と遊ぶ約束をしているんだ」
「かーっ! いい歳した野郎が、嫁取りもしないで嬢ちゃんとままごとかよ。
沼地や池の姫君達が聞いたら卒倒するぞ、おい」
「……キュ?」
……なんかよくわからないけど、龍青様に悪い事を言っているようだ。
私はぷくーっと頬をふくらませると、ぴょんっと腕から飛び降りて、
前の男にとててっと数歩近づき、顔を見上げた。
「キュイ!」
龍青様、いじめちゃだめ!!
私は通せんぼをするように両手を左右に広げる。
それを上下にぱたぱた振って見せた。私が考えた最強の大きく見せる方法だ。
どうだ! 怖いだろう。
「……桃姫?」
「あ? なんだこのちびっこ……いっちょ前に俺様に威嚇してるのか?
面白いねえ、この俺様と張り合うつもりか」
「キュイ!!」
龍青様は私が守ってあげるの!! いじわるなんてさせないぞ!
私はふんっと鼻息荒く、相手を睨みつけ、たんたんっと足で床を蹴った。
野生の獣が立派な成体になって張り合うには、こういう事を出来なきゃだめって、
前にとと様が言ってたからね。そう……これは縄張り争いなんだ!
すると、それまでからからと笑っていた目の前の男が、
「あくまで盾突くか……ちびっこ……俺様と張り合おうとはいい度胸だ」
と言いだして、持っていた盃の器を漆塗りの台の上に乗せると、
んん~っ? と、私に視線を合わせて睨みかえしてきたではないか。
上から見下ろす形で見てくる男の眼光はとても恐ろしく、
私の顔に近づけられた顔はとっても怖かった。
ビリビリと空気が張り詰めていくのを肌で感じる。
これは龍が持つ龍気というものだ。それを私へと向けている。
私の肩がびくっと震えて、ぺたりと尻もちをついた。
こ、こいつ……つ、強い……。
「キュ……キュイイ……」
ぷるぷる……ぷるぷる……。
足ががくがくしてきて、体の震えが止まらなくなってきた。
やがて、私の目にじわあ……と涙が浮かぶ。
こ、こわくない……こわくないも……こわくなん……か……。
「キュイイ……ッ!」
やっぱりこわいい~……っ!
「も、桃姫、良い子だからこっちへおいで?」
龍青様!
「キュイイ!」
私はかなわないと知り、くるっと背を向けて龍青様へ両手を伸ばしたまま、
すたたたーっと走り去ると彼の足元にがしっとしがみ付く。
ま……負けた! この私が!!
ここのお屋敷のみんなとの、にらめっこ大会にも勝った私が!!
龍青様の着物に顔を埋めて、私はすんすんと鳴いた。
「お? なんだ。ちびっこ……もう終わりか?
幼い嬢ちゃんの割に良い度胸していると思ったんだがな」
すると、かかかっと笑った目の前の男。
置いていた杯を手に取り、ぐいっと傾けて酒を豪快に飲む。
に、逃げたんじゃない! 龍青様が呼んでくれたから止めたんだからな!!
「桃姫、よしよし、落ち着け」
「キュイイ!」
龍青様、私、こいつ嫌い!! キュイキュイ泣きながら龍青様に訴えると、
あーよしよしと言いながら頭をなでてなぐさめてくれる。
私は龍青様の着物に再び顔をぽすっと埋めた。
もういい……龍青様の匂いを嗅いで落ち着くから。すんすん。
「おい、おまえな……小さな子どもと張り合ってどうするんだ。
ほら、大丈夫だよ? 姫、この男はミズチといって俺の古い友神だ。
口と態度と女癖と酒癖は悪いが、たぶん嫌な奴じゃないから安心していい」
「キュイ……?」
お友達なの……? 私は見上げて龍青様と目を合わせた。
「ああ、だから大丈夫だよ。
よくわからないが俺を守ろうとしてくれたんだろう?」
私がうなずくと、龍青様は嬉しそうに私の頭をなでてくれる。
「水神の俺が幼子に守られるとはな。ありがとう姫」
また頭をよしよしとなでられ、抱き上げられると。
ちょっと落ち着いてきたので、ちらっと背後にいる男を改めて見る。
「キュ……」
人間の容姿の良し悪しは私にはよく分からないけれど、
私でも龍青様は細身で綺麗な顔立ちだと思う。
そんな龍青様に比べ、この男はずいぶんと図体と態度がでかいな。
この部屋の主は龍青様なのに、まるでこっちの方が主だと言わんばかりだし、
怖そうな獣のような金色の瞳が、こちらをじろっと見ていて、
びくっと体が震えた私は、キュウウ……となさけない声を出して、
再び顔を着物に埋めた。
龍青様……お友達は選んだ方がいいと思うよ。
「ずいぶんとまあ……。
そのちっちゃい嬢ちゃんに懐かれているじゃねえの、龍青。
どうやってそんなに手懐けたんだよ。見た所まだ親離れもまだだろうに」
「……姫とは知り合った縁でいろいろあったからな。
それにしても、お前の人相の悪さは最悪だな。
どう見ても悪人面だから、姫が怯えているじゃないか」
「強面って言えよ。それに生まれつきだ諦めな」
はっ、そうだ。相手のしっぽに噛みつけばいいじゃないかと思いついた私は、
再び勝負を挑むべく、するすると龍青様の腕からすべり降りると、
龍青様と話している隙を狙って、じりじりとミズチとか言う男に近づく。
「キュ!」
よし今だ! とすたたーっと駆け寄り、背後を取った私は、
勢いよく男に襲い掛かろうとしたのだ……が。
人型になった者に見られる特徴のあのしっぽ、
それを着物の隙間から、噛みつこうとしたけれど……。
「キュ!?」
しっぽが……しっぽがない……だと!?
「お? どうした嬢ちゃん」
「キュ……」
「桃姫?」
そんなはずはないと、ちらっと男の顔を見上げ、
そのまま男の着ていた着物の裾をつかんで、ちょこっとだけめくって見る。
するとやはりしっぽが見つからなくて、私は着物の裾をつかんだまま、
ばっさばっさと上下左右に振って見た。ない、ない。何度見てもない。
「キュ?」
なんで?
そうしたら、男の悲鳴の代わりに背後で龍青様とお付きの女房のお姉さんや、
従者のお兄さん達が悲鳴を上げていた。
「ひっ、姫! いきなり何をやっているんだ!?
止めなさい、勝手に相手の着物をめくるんじゃない!!」
「姫様! 殿方の着物をめくるなんて、なんて大胆な」
「はしたないですよ。おやめ下さいまし!」
「姫様!」
「姫様!?」
それどころじゃないんだよ、みんな。あのしっぽがないんだ。
そんな……なんてことだ私は相手の弱点がないことに驚き、
あわてて龍青様の元にすたたーと戻って、ひしっと彼の足にしがみ付く。
がたがたと震え、さっきより怯えている私を見て、龍青様に抱き上げられた。
「だ、大丈夫か姫、どうしたんだ? そんなに怯えて……」
「キュ、キュイイイ、キュイ、キュ!?」
龍青様、こいつしっぽない、しっぽがないよ。人間だよ!?
人間と言えば龍族を獲物として付け狙う天敵だ。
私にとっては大嫌いな相手。だって私やとと様達をいじめるんだもの。
その人間がここにいる。ここに、あのにっくき人間がっ!
どうやって来たのか知らないけど、私は敵が屋敷を攻めて来たのだと思った。
どうしよう……。
龍青様なんてきっと、龍体になったらとっても大きいだろうから、
食べごたえがあって頭からばりばり食べられてしまうよ。
(龍青様も私も、食べられちゃう……)
龍青様の着物をぎゅっと握りしめ、私はキュイキュイ泣いた。
「ああ、そういうことか……こいつは俺より人型になるのが上手いからな。
尾もちゃんと隠せるから、人間そっくりに見えるんだよ」
だから私が怖がる人間じゃないから大丈夫だよと、
ぽんぽんっと背中を軽く叩いてなぐさめてくれた。
「キュ……?」
に、人間じゃないの? 本当に?
前から不思議に思っていたけど、龍青様達は人間の生活を真似て暮らしている。
それは人間の真似事をすることで、相手の考え方や好みなどを知り、
時にはそれを上手く利用して、対抗する手段を手に入れる為なんだって。
水神の龍青様には、人間にも信仰を受けているから、
そういう者達を時折助けたりしては、龍族との橋渡しの役割もあるそうだ。
「桃姫もいずれは人型になる練習をしなくちゃな」
「キュ」
龍青様に言われて、私はそれだけは嫌だと答えた。
勉強は元から嫌いだけど、人間の姿になるなんて私には怖くてできそうもない。
でもね? そうすると私はいつか龍青様のお屋敷で過ごせなくなっちゃうし、
彼のお膝の上で桃を食べられなくなるんだって。
成長したら、彼のお膝の上に収まらなくなるから。
それって龍青様と一緒に過ごせなくなるって事だよね?
それを聞いた私は、じゃあ頑張ると両手を振って応えた。
大きくなるのは良い事ばかりじゃないんだなって、その時に知った。