ミズチの恋・9
「――っ! 止めろ、かな!!」
「!?」
俺様がそれを止めたのは間一髪だった。
かながまとう空気が変わったことに気が付き、顔をあげると、
彼女はうつろな目で、自分の喉に箸の先を突き立てようとしていた。
あわててその先端をつかみ、それを後方へと急いで放り投げると、
つい声を荒げてしまう。
「早まるな!」
勢いよく止めたために、先が手のひらに刺さり血が出てしまったが、
このくらいの怪我で済んだのならかまわないだろう。
「あ……ああ……ミズチ様、手が、手が、わた、私のせいで……っ!」
けれどそれを見て目の前の娘はひどく取り乱していた。
顔を青ざめて神の体を傷つけたと、これでもないくらいの怯え方を見せた。
「も、もうしわけ、あり……あり……ませ……っ!
わ、私……なんとお詫びしたらいいか……ああ……」
「落ち着け、かすり傷だ」
目の前で泣きじゃくる娘に大丈夫だとなだめて、
手のひらに水を出し傷跡を清め、手の傷をすぐに治して見せた。
水神は水を操り、生き物の大半が体内の水を占めている。
だからそこをちょこっといじくれば、軽い傷ならすぐに治すことが出来た。
まあ、光属性の奴ならもっと上手くできたりするがな。
「ほら……な? これくらいどうってことはねえよ。
水神は簡単な傷なら治すのは上手いんだ。
だから気にするな……それより……」
目の前で起きたのは、駒で無くなった場合のためだろう。
本人には今まで自覚が無かったようだが、
全身を覆ったまがまがしい神の力とは対極の力が働いていた。
それが、かなの体を裏から操っていたのだろうと分かったのは、
この娘を保護してから直ぐのことだった。
(やはり、失敗したときは自害に追い込むように仕向けていたか)
黒い靄がずっとかなの周りにまとわり付いていて、
今でも勢いを増してきている。
口封じのために自害への衝動を高める呪詛。
ずいぶんと入念にこんなものまで仕込んでいたものだ。
これは人間の中で見られる、心の弱みに付け込んだ術だろう。
あちらの狙いが水神の力を手に入れるためとはいえ、
今のように関係のない者を巻き込んだ罪は重い。
ましてやそれが水神の嫁を利用したとなればなおさらだ。
(かなの素性が俺の嫁だったと、知られていたということはないだろうが……。
この娘が水神の縁者だということは勘づかれていたのかもしれない)
一度だけ、かなの先祖……なずなの妹とは接触したことがある。
村に居る生き残った娘の中に、
縁を結んだものの子孫が居ると思われたのだろう。
かなを騙した相手は、俺様の眷属の蛙と通じていたんだからな。
自分たちの行動をこちらに悟られないための予防策。
あちらに関する情報が流れないよう、神の怒りの矛先が行かぬように、
本人が絶望するか、罪の意識に囚われたときに発動するように。
そこまでのことを考えて、かなの瞳には呪詛がかけられていた。
表向きは、水神を欺くためにと信じ込まされて……。
そう、この娘自身が神殺しのために作り替えられた道具だったのだ。
(霊力の高いあやかしの血の匂いがするな。
桃色の龍のお嬢ちゃんを利用できないと思って、そっちを狙ったのか)
ずいぶんと手が込んでいるので、
力が安定していない龍青では気づかなかっただろう。
けれど、一度半身を得ていた俺様の力は安定していたから、
かなの瞳をのぞき込み、大方のことは分かってきた。
俺様の氏子だった桃色の嬢ちゃんの故郷が襲われたことと、
かなの村が狙われたことは、どうやら首謀者が同じようだ。
この手の術には特性があり、人間の場合は自身の霊力を練り合わせて作り上げる。
霊力は個体を示す大事なもので、双子とかでもないかぎり全く同じものはない。
かなの水色に染められていた瞳の色が赤くなり、
それから黒に戻っては、また水色へと変わっていく。
目を覆うようにして手のひらで隠し、真言を唱える。
浄化は水神の得意分野だ。
今回ばかりはその中でも特別な意味合いがあるが。
「……っ、ミ、ミズチ様!?」
「……いっ、ま、まあ、待ってろ。すぐに楽にしてやるからな」
バチバチと火花が俺の手の甲で上がり、俺様の力に反発しようとする。
俺様の血肉でさえも奪おうかとでもいうかのような鋭い痛みが走った。
なるほど、これを仕組んだ奴は相当な力を溜め込んでやがるな。
親子か一族で何世代も絡んでいると思われるそれは、
何度も何度も俺の力を跳ね返す。
(これだけ強いんだ。俺様や龍青に気づかれないよう、
暗躍するのは出来ただろうな)
神の力を欺きとおせるほどとは恐れ入るが、このまま嫁を壊されては困る。
(かなの魂を傷つけねえようにしないとな……)
何度か試みて呪いの核を探り当てた俺は、
それをつかむと娘の中からずるりと引きずり出した。
黒い塊、血の匂いに交じって被害を受けた者たちの悲痛な声も聞こえる。
「呪う相手はこの娘じゃない……主のもとへ返れ」
俺の言葉とともに、かなを支配していた呪詛を祓うと、
黒い犬となったそれは、赤い目をぎらっと光らせて去っていく。
これだけのことをした奴だから、きっと返すだけで死にはしないだろうが、
相当な痛手となっているはずだ。何せ呪い殺すほどのものだからな。
「あ……い、今のは……?」
「おまえさんの体の中に仕組まれていた呪詛の種だ。
あいつの神気が込められた座敷牢へ入れられたのは幸いだかったのかもな。
お陰で、あの種が魂まで根を張らずにいたから取り除けたんだからよ」
神気で満ちた座敷牢は呪いとは対極の力が働く。
歪んだ力を徐々にそぎ、無効化することを目的として作られてもいるのだ。
「私が……あそこに入れられたことが?」
「ああ、植えこまれた宿主まで食い殺すものを抑え込んでくれていた。
今は呪については呪い返しをしておいたから、
もうこれで大丈夫だと思うが……かな。よくがんばったな」
きっと龍青は、せめて魂だけは浄化して天に返すことを考えたのだろうと。
無言でうつむいたかなの様子に、まだ具合が悪いのかと顔をのぞき込めば、
再びその瞳からは涙があふれていた。
「どうして……」
「あん?」
「どうして助けてくださるのですか?
私が償う方法はもうこれしかなかったのに。
先ほどミズチ様はとても苦しげでした。きっと祓うために何か犠牲に……」
かなは、信じられないとでもいうような目で俺を見ていた。
まんまと乗せられ、仇の手駒となってしまったことが相当堪えたのだろう。
両腕を抱きかかえるように床へと膝をつく娘に、
俺様も膝をついて、それに応える。
「なあに、ほんの少し神気を食らわせただけだよ。
それに決まっているだろ。女子どもは雄が守ってやらなきゃな。
自分の嫁だったらなおさらだ」
「……」
「かな、死んで償うなんて思うな。それこそ相手の思うつぼだ。
おまえさんの口から不利な情報を漏らされるのが嫌だったんだろうさ。
俺様の嫁になる娘に自害なんて、そんな真似させねえよ」
「……でも、私は取り返しのつかないことをしでかしました。
弟を、両親を助けようとしただけなのに、本当に悪い相手に騙されて、
水神様に手をかけようと、ミズチ様のことだって、
私、私はこの先どうしたら……っ!」
かなの瞳からは、涙がなおも流れていて、床をぽたりぽたり濡らしていく。
家族の仇を打つことが、残された娘の生きる原動力だったのだろう。
目的を予期しないことで奪われ、その目的すらも利用されていたと知って、
かなは後悔とやりきれない怒りに押しつぶされそうになっていた。
「誰かを憎むな……とは言わねえさ。
それでおまえが救われるのなら、俺様はいいと思う。
でもな、おまえの手をそんな奴の血で汚したくはないんだよ。
そんな奴のために泣かれて傷つくのも嫌だ」
俺様はうつむいたままの娘の頭をなで、顔を覗き込んだ。
家族を支え、守るためにずっと働き続けたその手を、
こんなことで汚されるのだって許せない。
「だからな……おまえと家族の無念はこの俺がいつか果たそう。
嫁の大事なものは俺様にとっても大事なものだ。
痛みも背負ってしまった罪も、これから半分に分ければいいんだからよ。
一人ではもう背負い込まねえでくれ、俺様がずっと支えてやるから」
かなの手を両手で包み込む。
震えているかなの手はとても小さかった。
こんな小さな手で、何もかもを背負い込み、苦しんでいたのかと思うと。
責任を感じずにはいられなかった。
「ミズチ様……?」
「だから死んだほうがましだなんて言わねえでくれ、
やっと……やっと会えたのに、そんなことを言われたら、
俺様だって悲しいじゃねえか」
この世に自分だけ残されて、また巡り合うことだけを心の支えに生きてきた。
それなのに、そんなことを言われてしまったら……。
「……」
「おまえさんはご両親に愛されてこの世に生を受けたんだろ?
だからどうか最後まで精いっぱい生きてくれよ……。
誰かに非難されても俺様が傍で守ってやるからさ」
「……っ」
「だからな、すぐでなくてもいい。
またいつか笑ってほしいんだ。そうなれるように俺様も努力するから」
かなの頬を伝っていく涙をぬぐい、俺様はにかっと笑いかける。
そんな俺様を見て、かなは首を振ってだめだと言い始めた。
「わた、私は、あなたの嫁の生まれ変わりだとおっしゃいましたが、
きっと何かの間違いです! 水神様の嫁に選ばれた娘はこんなことをしません」
「誰だって間違えることはあるさ、大なり小なり、
人間なり神なりな、俺様はそれをよく知っている」
「そ、それに私はミズチ様の嫁だったころの記憶なんてありませんし、
あなたのことを何も知らない、私のことだって何も、
何も知らないじゃないですか」
昔と今とは違う、違う人格、
違う生き方をしてきた別の存在だと言いたいのだろう。
だが、俺様はそんなことであきらめるような性格じゃあなかった。
本気で惚れているから、そんなことはささいなことにしか思えなくて、
予感があったんだ。生まれ変わってもまた同じ相手に惚れるだろうと。
“やくそく……ですよ……”
そう言って最後に交わした約束を叶えるために。
どんなに変わっても見つけてやるって約束したのだから。
俺様は長い間をずっと一匹で生きてきた。
その中でたくさんの雌……女にも会った。
けれど探すのはいつだって約束した嫁の生まれ変わりで。
今度はどんな姿で俺様の前に現れてくれるのかと、わくわくするほどだった。
もちろん、生まれ変わった彼女が別の人生を歩み、
ちがう男と夫婦になるという可能性は高いと思った。
自分が探している間に、他の奴にかっさらわれるんじゃないかとも。
それでも……もう一度会えるのなら、
何を引き換えにしてもいいくらいには惚れていたんだ。
「ああ、そうだな……今は何も知らねえな。
おまえさんがここで聞かせてくれたことぐらいしか。
だからな、時間はかかると思うが、もう一度番……いや、夫婦としてな?
始められたらと思うんだ。俺様は今のおまえさんのことを知りたい」
「……え?」
「かな……おまえさんのことを教えてほしい。これまで生きてきたことを、
好きなもの、きらいなもの、家族や村での思い出、何でもいい、
俺様も今のおまえさんのことを少しずつ知って、覚えて……。
俺様のことも知ってもらって、いつか俺様のことを惚れさせてみせるからよ。
そしていつか、俺様のことを少しでいいから好きになってくれねえかな」
「……」
別人だと思っても、同じだなって思うことがある。
瞳の中をのぞいてみて分かった。かなは家族を本当に大事にして生きてきた。
両親はもちろん、前世では妹、そして今世では弟を気遣う優しさのある娘だった。
その家族を人質にされて、黙っていられるわけがなかったのだろうと。
本当にそこは変わってない。何百年も経っている今でさえ。
家族のために自分を犠牲にすることもいとわない所なんかが。
俺様はそんな娘の家族になりたいと思っていたんだ。
そう思われるだけの存在に、俺様も本気でなりたいと。
それと同時に、そんな娘のことを守ってやりたいと。
「だから、だからな、俺様と一緒に生きてくれねえか?
おまえさんのことを他の奴が悪く言っても、俺様だけは味方でいるし、
生涯、ずっと傍で守っていてやるから」
昔も今も変わらずに、ずっと傍にいるから……。
腕の中に抱き寄せると、すんなりと腕の中に娘は収まった。
震えながら嗚咽を漏らし、俺様の着物に縋りつくのを黙って受け入れて。
「私は……私は……ここに居ても良いのですか?」
「ああ、居てくれねえと困るな。失ってしまったものは取り戻してやれねえが、
これから少しずつ、おまえさんの大切なものが増えていくように、
ここで、俺様と家族になろう」
「家族……」
「ああ、ここで一緒にな、かな。
おまえさんは子ども好きのようだから、きっと良い母親にもなれるさ」
前は体が弱くて出来なかったこと、やりたかったことも含めて。
「……はい……っ、はい……ミズチ様」
番になった者が半身を失えば、幸せになどなれない。
一度、抗えない死によって俺様達は引き裂かれた結果、
長くつらい旅をしたのは、この娘も同じだったのだろう。
かなが婚姻の承諾をしてくれてから、俺様はまた忙しくなった。
挨拶周りの準備に、婚儀の準備も仕事の合間にやっていかなくてはいけない。
三日前……弱っている彼女が床の上で養生している間、
以前の教訓をもとに俺様の口から屋敷の者たちを集め、
この件は全て話しておいて正解だったな。
※ ※ ※ ※
彼女が嫁のなずなの生まれ変わりだということ、
暮らしていた故郷を、悪い人間によって狙われ、
家族の魂を盾に従わされていたこと。
それにより、友神の龍青を手にかけようとして、捕らえられていたことを、
この娘と接する前に話しておく必要があると踏んだ俺様は、
みんなを集めて理解してもらえるようにと努めた。
『あの方が、なずな様の生まれ変わり……?』
侍女頭の言葉を合図に、目の前でざわざわと戸惑いの声が上がる。
ただでさえよそ者の人間だというのに、それがなずなの転生した姿で、
他の水神に危害をくわえようとしたと聞けば、戸惑うのも無理はなかった。
『だ、旦那様、いくらなずな様の生まれ変わりだったとしても、
水神様に危害を加えるような娘を迎え入れては、
いずれ、争いの種を生んでしまうのでは……』
『まあ……おまえたちが戸惑わないよう、黙っておくことも出来たんだがな。
最後には、なずなに心を砕いてくれたことを思い、
きちんと話した方がいいと思った』
他の口さがない者たちから知らされるよりも、
主人の俺様の口から直接話すほうがいい。
あの娘の足にはかせが付けられているから、
隠したところで変な憶測が生まれるだろうし、
ここは正直に皆には伝えておいて、理解と協力を求めようと判断した。
『幸いにも、問題を起こした相手は俺の友神の龍青だ。
俺様が見守るってことで、厳罰はなんとか許してもらえてな。
あいつは口が堅いから、この話を広めるような真似はしないだろう』
俺様は深くみんなの前で頭を下げる。
彼女を嫁として迎えることに、また不服の声が上がるのを覚悟の上で話した。
それも以前よりも状況は悪い、水の眷属にとって水神に手をかけることは、
死罪を意味する。
そんな者を敬えと言っているのだから、無理を承知の上で頼んだ。
「この件は、俺様の力が及ばないせいで、彼女を追い詰めてしまったんだ。
見つけてやれねえうちに、悪い人間に騙され罪を犯してしまった……。
事情はどうあれ、責任の一端はこの俺様にもあるだろう」
「旦那様……」
「……ずっと、旦那様が、誰かをお探しになっていたことは存じておりました。
まさか、なずな様の生まれ変わりだったとは……」
侍女頭に言われて俺様は何度もうなずいた。
俺がどんなに外を出歩いても、これまで何も言わずに、
ここの留守を預かってくれていた。
そのことに感謝しつつ、これからのことを思う。
「もっと早く見つけてやれば、
迎えに行ってやればこんなことにはならなかった。
だから、これ以上彼女を責めないでやってくれないか……頼む。
きっともう十分なほどに反省すると思うし、自分を責めてしまうと思うから」
一度夫婦になった仲だからと、二人で罪を償っていくと告げ、
自分の手にはめられた手かせを付けることで、この件は龍青から許してもらえた。
あとは時間をかけて娘が受けた心の傷を癒して、居場所を作っていってやりたい。
それが今、俺様が一番やりたいことなのだと。
「……旦那様」
「そこまで……あの方を……」
「では本当に……あの方はなずな様の生まれ変わりなのですね……」
侍従と女房達の言葉に俺はうなずく、何度もうなずいて頭を下げる。
「それでもしも、この娘を嫁に迎えることに反対するものが居るのならば、
あの娘と陸地でまた暮らして、生涯添い遂げる……もう一度夫婦としてな」
理解されなくても俺様は嫁に迎える気持ちは変わらない。
身寄りがないというのなら、こちらで面倒を見てやりたかったし、
頼るものが居ないというのなら、自分がなってやるつもりだった。
「旦那様がそうおっしゃるのなら、止めることはできませんよね……。
皆も旦那様に仕える眷属として、よろしいですか?」
侍女頭がそう告げれば、背後に控えていた者たちは一斉に頭を下げた。
「ああ、悪いな」
「そんなことを言うのは、きっと旦那様くらいですわ。
家臣に命令をするのではなく、頭を下げてお願いするなんて」
「しかたねえさ、性分だからな」
それを聞くと誰もが口元を緩め、この件を受け入れてくれた。
なずなの時に、俺様が駆け落ち同然に出て行ったことが堪えたらしい。
主神である者に一度見切りを付けられたことは、
従者にとっては屈辱だっただろう。
神に仕えることに誇りを持つ者たちが多いのだから。
「……私どももずっと、あの頃のことをいたく反省しておりました。
あの時、奥方様を追い出すようなことになってしまって、
もしもここに留まっていただけたなら、きっと今頃は……。
病に効く薬も見つかったでしょうに……罪があるのなら、私どもにもあります」
「……」
神の領域と陸で流れる時間は違う。
意図的に陸との時間を合わせることも出来るが、基本は水の底はゆっくりだ。
ここで過ごしていれば確かに、陸での時間が早くなり、
彼女を助けるための医学の進歩もあったのかもしれない……。
けれどあの時、なずなは精神的に参っていた。
無理にここに留めておくのは、可哀そうだと思いあのような判断をしたのだ。
それはなずなと相談し、一緒に決めたことだった。
「……まあ、過ぎたことを今頃悔やんでもどうしようもねえからな」
「……そう、ですね」
なずなは屋敷の者たちを恨んではいなかった。
何もしてやれなかった俺様のことも……。
だからこそ、それを知った者達は、なずなが亡くなった時に、
後悔の念ですすり泣く者が絶えなかったのだ。
あの時の事をやり直すことは出来ないが、これからのことを考えれば、
みんなが受け入れてくれたことは大きな進展だろう。
※ ※ ※ ※
そうして少しずつ、屋敷の中がまたにぎわっていく。
まるであの頃に戻ったかのように、止まっていた時間が動いていく。
「さて、まずは身の回りの品もそろえねえとな」
「あ……」
かなの普段使う着物はもちろん、
祝言に使う着物も大急ぎで新調してもらった。
昔の頃の着物もあるが、前世の頃の記憶が無い娘からしてみたら、
前の嫁の着物を使うなど嫌かもしれないと思って、
少しずつ替えの着物が仕上がっていくと、
なずなの頃の着物を蔵の中にしまいこんで、
部屋もかなの好みに合わせていくようにした。
(もちろん、なずなだった時のことを忘れたわけじゃねえよ)
なずなが気に入っていた着物の上に手を添えて、
箱の中に思い出の品を詰め込む。
楽しかったこと、辛かったこと、いろいろな思いをなずなと共に過ごした。
その礼をしながら、名残惜し気に蓋をして鍵をかけていく。
自分が抱いていたあの頃の悲しみと共に。
ようやく自分は前に進めているのだと、実感できる出来事だった。
「あの、私にはここまでしていただかなくても……」
罪人だったということに気が引けているのか、
かなは余り強く主張することがなかった。
だからそのたびに頭をなでては、上を向かせて口に干した杏をくわえさせた。
すると、甘いものが好きだったようで、目を輝かせて食べている様子を見て、
俺様は食欲が出てきてよかったと、ほっと胸をなでおろす。
前世の頃と比べてはいけないとは思いつつも、
食が細く、あまり口に出来なかったあの頃を思うと、
目頭が熱くなり、つんと鼻の奥が痛くなって、
今の体は、この娘を苦しめるものではないと分かって嬉しかった。
「どうだ? うまいか?」
「……っ、は、はい……甘くて、おいしい……です」
食べながら涙を流すかなの姿。
ここへ連れてきてから、これまで一人きりで耐えてきた影響からか、
時折こうして急に泣き出すことがあったが、そのたびに頭をなでては、
かなが落ち着くまで、腕の中で抱き留めるやり取りをしていた。
あれから憑き物が落ちたかなは、
少しずつだがここでの生活を受け入れてくれているように見えた。
「落ち着いたら、おまえさんの両親に挨拶に行きてえから、
一度墓参りに行こうか、弟さんの好きそうなおもちゃや甘味を用意してな」
「あ……よ、よろしいのですか?」
「ああ、陸の空気を吸いたいだろうし、時々外には連れ出してやるから。
おまえさんの好きなものを、ここでもあっちでも、たくさん作っていこうな?」
「……はい、ありがとう……ございます」
それから少しずつ、俺様達はぎこちなく夫婦としてやっていくことになった。
初めは慣れない暮らしで戸惑うように俺を見つめてきたかなも、
ためらいながらその手を伸ばして、手をつないできてくれるようになって……。
ああ、少しずつだが、これなら夫婦としてやっていけるんじゃないかと、
俺様の中でぽっかりと空いていたそこに、あたたかい気持ちが芽生え始めていた。




