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ミズチの恋・6~失われた居場所・かんな~



 今でも夢に見るのは、一緒に暮らしていた家族との思い出。


 私には百姓ひゃくしょうの父が居て、母が居て、

そして歳の離れた幼くて可愛い弟が居た。

貧しい村にある、かやぶき屋根の一つで私達は身を寄せ合いながら暮らしていて、

両親が畑仕事をする中、私は幼い弟の面倒を見ながら機織りをして生計を立てる。


 生活は決して楽じゃなかったけれど、そこには私の幸せがあった。


 でもそんな慎ましく暮らしていた私達の家族は、

ある日を境に、あっけなく奪われていく。



「……どうやら今年は当たり年のようだね」


 父がそう言って、畑の横を通る葬列を見てつぶやいた。

 私の暮らしていた村は、いつからか村に災いが起きるようになり、

当たり年と呼ばれる年、決まってこの村は原因不明の流行病が発生する。

いわゆる風土病と呼ばれるものだ。


 働き手の男達はもちろんのこと、

まだ幼い子どもさえも容赦なくその被害に遭い、

一度その病にかかってしまうと、生き残れるものはほとんどいない。


 次は誰がこの被害に遭うのだろうと思いながら、他に行くあてもなく、

私達はやせたこの土地をたがやして日々のかてを得ていた。



「……昨日、隣の家の息子の大助さんが倒れたそうだよ」


「可哀そうに、まだ若いのにねえ……それも一人息子じゃないか、

 うちの子たちはよく面倒を見てもらってたのにねえ」


「……っ、大助兄さんが?」



 その人は私が幼いころから世話になっていたお兄さんだった。

歳も近くて、弟も懐いていて、家族ぐるみの付き合いがあったのに。

突然の不幸に私は繕い物をしていた手を止めた。


 うちの家はこれまで、幸いにも被害を免れていた事もあり、

自分の所だけはまだ大丈夫だと思っていたのに、

身近な人に起きたことに、いよいよ来たのだと思い知らされて。


 そしてついにその順番が家族にやって来た時、

私には成すすべもなくて……。



「……父さん、母さん?」



 まず父と母が相次いで倒れた。咳き込んで、激しい吐き気と高熱、

熱にうなされて意識がもうろうとしているのを、

私と幼い弟は身を寄せ合って見守ることしかできない。

 

 こんな貧しい村に、薬師様を呼ぶ事なんてできず、そんなお金もない。

せめてできるのは、熱さましに良いとわれている先祖伝来の薬草を使う位だ。

けれど、それに使う水自体が汚染されていたと知るのは、

全てが終わってからだった。



「父さん、母さん、しっかりして」


「……う、ううう」


「“かな”、ごめんなさい……いつきをあの子の事をお願いね……」



 不眠不休の日々が続き、看病の傍らで畑仕事と幼い弟の面倒を見てきたが、

その甲斐もなく、最初に父が、その後に母が後を追うように相次いで亡くなった。

息を引き取った時は本当にあっけなくて、私はその姿を呆然と見下ろす。


「あ……」


「おとうさん、おかあさん、お花つんできた」



 呆然とそれを見守る横で、まだ幼い弟は自分の両親が死んだとは理解できずに、

今日も花を摘んだと言っては、嬉しそうに息を引き取った両親の枕元に花を飾る。

その無邪気な姿を見て、私は顔を覆って泣いた。



「どうしてこんなことに、どうして、どうしたら良かったの」


 助ける術が他になかったのだろうか、

どうして両親が犠牲にならなければいけないのか、

まだ弟は幼く、両親の顔など忘れてしまうだろうに。


 けれどこの悪夢はまだ終わってなかった。その矛先は弟へと移った。

両親の死から二日後、私の弟は同じ病で倒れたのだ。



「……けほっ、けほっ! ねえね、くるし、くるしいよう……」


 高い熱にうなされ、私に助けを求める弟の顔を、

私は水を飲ませ、濡らした布で何度もぬぐってやる。



「がんばって、ああ、誰か、誰か、誰でもいい、

 弟だけは助けて、やめて、この子だけは連れて行かないで」


 まだ両親の死にも立ち直れていない私は、泣きながら看病を続けた。


 弟のことを両親に託されたのに、こんな事になるなんて、

やせていくほおに、体の震えも熱も下がらない。

この時程、私は神様に願ったことはない。弟の命だけは助けてほしいと。

私が身代わりになってでも助けてほしいと。


 けれど運命は残酷だった。何の救いの手も差し伸べてはくれなくて。

みるみるうちに弱っていく弟の手を、両手で包み込むしかできなかった。



「ねえね……」



 いつも傍で笑っていたはずの弟が、それを最後に静まり返る。

はっと顔を上げたら、握っていた手がずっしりと重くなった気がした。



「うそ……うそ、やだ」



 呼びかけても、体を揺さぶっても可愛い弟は二度と私を見てくれない。

誰も私を必要とはしてくれなかった。



「うそ……や、やだ……いやあああああっ!!」


 その年、病は私の家族を次々に襲い、私から大切なものをみんな奪って行った。


 そうして私は一人取り残され、同じように村の人が何人も亡くなっていき、

残された者達で合同の墓を作ることになった。

それはまるで、嵐が通り過ぎたかのような静寂に包まれていた。



「私達だけになっちゃったね。かな」


「……ええ」


「これからどうするの? 私は親戚の家があるから頼ろうと思うの」


「そう、私は……分からない」


 身寄りなんてもういなかったし、これからどうすることも考えられず、

盛り上がった土の上に乗せられた粗末な木の板。

それが私の家族が眠る、小さな墓を見つめた。



「……ごめんね。ねえね……なのに、守ってあげられなかった」


 生き残った私や同じ年頃の娘達は、この流行病に憤りを感じていた。

なぜ、こんな思いをなくちゃいけないんだろう。弟はまだ三つだった。

私の後をついて来ては甘えてくる、とても可愛い子だったのに。


 小さな家には私だけが残る。帰って来ても誰の声も聞こえない家の中。



「これから……私はどうしたらいいんだろう」


 いつもなら他愛無い話を家族として笑っているはずだった。

ほんの数日前まで、数週間前まで家族はみんな元気だったのにと思いながら、

私は一人残されて、部屋の片隅で膝を抱えてすすり泣く。


 こんなとき、傍に頼れる誰かが居たら違ったのかもしれない。

けれど私は心から愛する男性を見つけることは出来なかった。

両親が勧めていた。隣の大助お兄さんとの縁談の話もあったが、

今はその彼も、土の中で私の両親とともに眠っている。


 幼い弟を無事に育て上げる事が、何より大事だったから恋なんて後回しで。

でもそれも……もう叶わないのだ。私の手からみんな零れ落ちて、

もう何も残ってはいなかった。



※  ※ ※ ※



「――もう、夕暮れか……」


 季節はめぐり、家族のいない生活を少しずつ受け入れ始めた。

あれから流行病はようやく沈静化したらしい。

私はまだ悲しみが癒えなかったけれど、

生きていくためには働かなくてはいけない。


 実りの少ない畑ではあるが、両親が残してくれた大切なもの。

涙をこらえて畑を耕し種をまき、水をまく。


 過ぎていく日々を、ただ静かに……何の喜びもなく過ごすと思っていた。

あの時まではそう思っていたのだ。



「――やあ、ちょいと尋ねるが君はここの村人かな?」



 ある日のこと、若い旅の呪術師が私の前に現れ、

恰幅かっぷくのいいお供を連れて村にたずねてきた。

男の体は細身ながら大柄で、着物は黒と白の修行をしている法師様に近い姿。

髪は剃髪ていはつして首から大きな赤黒い数珠を下げていた。


 その後ろに立っていた供の男は、亀の甲羅のような文様をした着物をまとい、

眼鏡をかけて、黒い烏帽子えぼしをかぶり、やたらげこげこ言って笑っている。


 こんな所まで旅人が来るとは珍しい、

私はくわを持っていた手を下ろしてうなずいた。



「ええ、そうです」


「ちょうど良かった、この辺で宿を求めたかったのだが、

 村長の所まで案内を頼めるだろうか?」



 呪術者はこの村で、流行病により沢山の村人が死んでしまうことを知ると、

哀れに思ったのか、ぜひ供養をとこの村に立ち寄ってくれたそうだ。



(こんな辺境の場所にまで、来て下さるなんて……)


 これで私の家族も、少しは浮かばれるかもしれない。


 粗末な墓の前で経を唱えてくれることに、

私はもちろん他の村人達も温かく迎えた。

この村には、そんなたいそうなことが出来る者が居なかったから、

私も他の村人も、とむらいをしてくれたその呪術者に心から感謝した。


 呪術師は旅をしながら、人間に悪さをする妖などを退治しているらしく、

都のある権力者に召し抱えられている者だという。


 身寄りを失くした私を含む若い娘達は、

呪術師から『せめてもの慰みになるなら』と。

旅で見聞きした不思議な話をいろいろと聞かせてもらい、

心を和ませ、久しぶりの笑顔を取り戻した。



 けれどそこで、こんな話も耳にした。



「……ところで君達は、水神について何か知っているかい?」


「水神様ですか?」



 水神、つまりは水をつかさどる神様だ。

この世界のあらゆる所につながるその神様の話は、

幼い頃、母に寝物語で聞かされていたことがある。

天候を操り、田畑をうるおし嵐を鎮めてくれる、

百姓にとっては恵みの雨を分けて下さる、ありがたい神様なのだと。


「ああ、神は恩恵も与えるが、一旦怒らさせたらとても怖い存在になる。

 中でも水神は特にひどい、自分を怒らせた相手を子々孫々まで呪い、

 死に至らしめることがある、昔にもそうして水神が怒り狂った事があってね。

 どっかの誰かが悪さをしたことで、一族と近隣の土地を呪ったそうだ」


「……っ!」


「この地を巡って気づいたが、ここも水神と縁のある土地のようだね。

 数年ごとに起きる流行病はきっとそれが原因だな。

 君達の先祖で泉を埋めたり、川を汚したことは聞いた事はないかな?」



 そういえば使えなくなった泉があるのは知っている。

そこの水を使うと作物も弱り、飲めば人も死んでしまうとか……。

でも最近は他の水源でも、同じようなことが起きていて。


 家族の死の原因が水神の方にあると教えてもらった私は、

これまでの苦しみの原因が水神のせいだった事に驚き、怒り、

そして憎しみを募らせた。


 なんだ。ではその水神様のせいで、

私の大事な家族は奪われたと言うのか?


(どうして、どうして私の家族をあんな目に……っ!!)



 それほど信心深くはなかったが、

神様を侮辱ぶじょくするようなことはしなかった。

ただ日々をつつましく暮らしていただけなのに……。


 目の前が怒りで真っ赤に染まる。

くり返される悪夢、救う術もなかった自分の無力さ。

あの時に、もしこの原因を知っていたのならば、

助ける事が出来たかもしれないのに。



『ねえね』


(……あの子は、両親は、水神様のせいで奪われた)



「――じゃあ、じゃあその水神が居なくなれば、もう二度とこんなことは」


 もう二度と、両親や弟のような犠牲者は出ないんじゃないか。

だったらそんな神様なんていらない、そんな神様なら居ない方がいい。

ただ理不尽に人を苦しめる神様なんて……っ!!



「いや、神の呪いはそう簡単には解けやしない、私でさえ手に余る。

 それを解くには相応の代償……何らかの犠牲が必要だ。

 私の溜め込んだ霊力でも呪詛を完全に跳ね返すのは出来ない。

 神の力に人が抗うのはそれだけ危険なんだよ」


「……っ! でも、だったら私のやり場のない怒りは何処へ向ければいいの!

 私の弟はまだ三つだった。これから成長を楽しみにしていたのに、

 何であんなに小さい子まで苦しんで死ななくちゃいけないの!」


「そ、そうよ私の両親も」


「私の姉様も!」



 呪術師が言うには、昔、別の所で暴れた水神の中のある一柱ひとはしらは、

嫁取りに失敗して、その嫁とその周りに息づく者達を呪ったと聞いた。

どうしてそんなことをこの男が詳しく知っているのか……とは思ったものの、

頭が先程からぼうっとしてきて、上手く考えがまとまらなくなっている。


(あれ……なんだろうこの匂い……)



 呪術師の背後に立っていた恰幅のいい男が、

私達に気持ちが落ち着くからと、手持ちの香をいてくれているらしい。

部屋の中はいつの間にか、不思議な匂いが立ち込めていた。



「まあまあ、お嬢さん方、まずは落ち着いて」



 げこっと嫌な笑い方をしてこちらを見ているその男の笑いが、

うす気味悪く見えたが、私は憎しみに囚われるように、

この事態をどうにかしたいと言う気持ちに駆られていた。

だって、そうでもしないと私の家族は浮かばれないじゃないかと。



「ああ、そうだね。それにこの話は死んで終わりじゃない。

 神に呪われた形で亡くなった者は、生まれ変われず魂を縛り付けられてしまう。

 この世とあの世の狭間はざまに閉じ込められ。永遠にさまよい苦しめられるんだ」


「え……?」


 死んで終わりじゃない……?



「この世で受けた苦しみを引きずったまま、狭間の中でさまよい続ける。

 今でも君達の家族は、あの世の境目で助けを求めているだろうね。

 呪った相手が開放してくれるのならば別だが、それは難しいだろう」


「そんな……!」


「ど、どうしたらいいの」


「ああっ、父さん!」


「……」



 事態の重さを知って私達は青ざめた。

これは終わりなんかじゃない。始まりなのだと。

このまま誰かが何も手を打たなければ、

次は私達が死の苦しみに囚われ、永遠に救われなくなるのか。


 ぎゅっとひざの上で握り締めていた手をさらに強める。

なんだそれは……今でもあの子は、両親は苦しめられているというのか。

なら、なら私は、救うために何をすればいいのだろう?



「君たちに、神にあらがう覚悟があるのなら、私も手伝いたいが……」


「教えてください……どうすれば家族の魂を助けられるのですか?」



 そう私が震える声で聞くと、目の前の呪術師の口角がわずかに上がる。

けれどさっと元に戻ったので、私はその一瞬の変化を不審に思いつつ、

その話に耳を傾けることにした。



「家族の魂を水神から開放してあげたければ、

 呪を掛けた水神を見つけ出して殺すしかないね。

 ただし君達を呪っている水神がどこに住んでいるかは、私にも分からないが、

 水神が住みついているという噂のある場所は、私もいくつか知っているよ」


「じゃあ……」


「もちろん、それを行うにはとても危険なものだ。

 水神は若い女子供には弱く、人間の娘を嫁に欲しがるのも居るから、

 そのすきを突いて近づけば、もしかしたら……ね」



 誰かが立ち上がって、この呪いに立ち向かわなくてはいけないと、

私達はそう思い知らされた。

そうしないとこの悪夢は永遠に終わらないのだから。


 その場に居た私達は顔を見合わせてうなずいた。

このままじゃ家族が縛り付けられ、苦しんだままだというのなら、

どうにかしてでも助けてあげたくて、私達はその話に乗るしかなかった。


……けれど、何の力もないただの村娘が神様を殺すなんて大それた話。

だから最初はこの呪術師に、なけなしの金子きんすで依頼しようとしたが、

神殺しを引き受けるには、自分には荷が重すぎると言って、

引き受けてくれなかった。


「なら……私たちはどうすれば……?」


「代わりと言っては何だけど、私の呪具を貸そう。

 これは普段、人間を脅かすあやかし退治に使っているものだが、

 神の体であっても傷をつける事ができるからね」



 不気味な文字や模様が墨字で書かれた札が、べたべたと貼られた長い懐刀。

一度だけ抜いて見せてくれた時、とても薄気味悪く冷たい雰囲気をしていた。



「もちろん人も切れるが、切られた者は確実に死に至るから気を付けて。

 相手が君たちを呪った水神じゃなくても、同じ水神なら利用価値はある。

 体の一部を手に入れられれば、今よりも強い武器が用意できるだろう」


「……っ!」



 手に取ったそれはずしりと重くて、命を奪うためだけに作られたもので。


 これまで村に来る獣でさえ手に掛けた事のない私達は、

これを使って本当に神を……と思うと、怖気づいてしまう。



「――君達がしなければ、家族は助からないねえ……」



と呪術師に低い声で言われて、肩がびくりと震える。



「命だけでなく、このまま魂までも縛り付けられて良いのかな?」


「や、やる……やります! やらせてください!!」



 私が立ち上がると、他のみんなもうなずいてくれた。



「わ、私も」


「私も!!」


「あたしだって!!」



 やれるのは私達しか居ない。

やらなければ、いつか自分達も殺されると、

その言葉は、私達の言葉を深くえぐり、私達は手渡された懐刀に手を重ねた。



「では覚悟が決まったようなので、それではあなた方には

 水神の好みそうな娘になってもらわないとねえ……げこ」



 水神の好みそうな女の特徴を、

呪術師の供の男はくわしく教えてくれた。



「水神は長く孤独な存在なので、添い遂げてくれるような従順な娘が好みだ。

 自分に歯向かいそうな気の強さのある娘は好まれない。

 言葉づかいも品よく丁寧に話せるようにしなくてはいけませんね……げこ」



 供の男も、どうやらどこかのお屋敷で仕えていた従者らしく、

一緒に来た呪術師と協力関係にあるそうだ。


 短い期間で身に着けられるだけの教養を叩きこまれ、

私達は慣れないことばかりでも必死に食いついた。


 その間に、相手を仕留める為の刃物の使い方や体術も呪術師に教え込まれ、

水神の興味が行きそうな「番の花嫁」の話題についても学んだ。

神の住まう領域までたどり着ければしめたもの、

人間の言葉を理解しているから、意思の疎通はできるらしく、

嫁の話題を出し、こちらが乗り気でやって来たとなれば相手も無下にはしないと。



 そうして私達は、水神が住むと言う噂のある場所を探し、

一人ずつ交代で川や泉の底に沈んでいくことになった。


……けれど、気づけば沈んだはずの娘達は陸地へ打ち上げられていて、

生きて戻ってきた娘達は、誰も水神には会えなかったと言い、口を閉ざす。

死ぬ思いで沈んだその恐怖と苦しみに耐えきれず、二度、三度と繰り返すうち、

だんだんとその意思にくじける者が出てきて、逃げ出す者も出始めた。



「も、もうだめ……これで本当に私の両親は助かるの?」


「……分からない、分からないけれど……」


「私、もうこんな苦しいの嫌よ」



 一人が抜けると、続けるように他の者も抜け、そしてついに私だけが残った。

これまで水神の領域までたどり着けたものは一人もいなかったが、

ただ、生きて陸まで押し戻されている事が多い事から、

この水域に何らかの力が働いている事が分かった位だ。


 残った私に、まだやる気があるかと呪術師の男に聞かれ、私はうなずく。

どんなに苦しくてもその先に助けられる魂があるのなら、私は鬼にでもなる。

そこに家族の知る私ではなくなって、神の天罰を受けたとしても……。



(私は、あの子のお姉ちゃんだから……)



 両親に託された。私のたった一人の大事な弟。

だから今度こそ……弟の存在だけでも、この私が守ってあげたかった。



「おまえは随分と度胸があるようだ。

 気丈な娘は嫌いじゃない……それにおまえは娘の中では一番の器量良しだ。

 いいだろう私も本気になろう」


「……っ!」



 その時、私の本当の名前は奪われ、かんなと名乗ることになった。

言葉には力がある。名前から生まれ変わるようにと言われて、

私は両親からもらった名前を使うことまで禁じられた。


そして瞳が異形の証である水色へと変えられていく。



「少しきついだろうが、耐えろよ」


「なにを……っ、うあああっ!?」


 頭をつかまれ、触れているところから痛みが走る。

自分が自分でなくなっていく恐怖も感じたけれど、

けれど……それよりも、私には大事な――……。



(待っていて、絶対に……お姉ちゃんが助ける……から……!)



 口をぎりっと噛みしめると、血の味が口の中で広がる。

そうして私は痛みに耐えた末に、水の底に沈められた。

この苦しみの果てに、開放できるものが居るのだからと信じて。


……今にして思えば、なんて愚かな真似をしたのだと思う。


 でもその時の私は、他に選択肢がなかった。

何かの衝動に駆りたてられるようにして、頭をつかまれ、背中を押されていて。

手渡された懐刀を手放すことも出来ず、自分の意志を封じ込め、

抗えない道に進んでいく気がした。


 そうして……私の運命は大きく変わっていく。



――既にこの時、真のかたきが私の目の前にいたという事も知らずに。



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