ミズチの恋・4~ミズチの過去2~
突然引き合わされる形となった俺様達は、
それから夫婦として手探りの関係が続いた。
あんなに細い体では、直ぐに触れる訳にもいかず。
まずはたらふく食べさせてやろうにも、なずなは食が細かった。
出来るだけ滋養のよさそうなものを用意してもらっていたが、
食べなれないせいか、すぐに咳き込んでしまったほどだ。
「も、申し訳ありません。こんなごちそう、見た事が無くて……」
「だ、大丈夫か? 無理しなくていい。食べられそうなものから食えよ」
「は、はい……」
「ん~……もっと消化のいいものじゃないとだめか」
あまりなずなに負担をかけてはと思い、祝言を簡単に済ませた後、
俺は嫁になったなずなが口に出来そうなものを集めたりしていた。
海の幸、山の幸、滋養があるというものは何でも試した。
けれど長年、空腹の中で暮らしてきた娘の胃は小さくなっているのか、
一人前に用意された膳も、ほとんど受け付けず口に出来ないままだった。
「申し訳ありませんミズチ様、
せっかくご用意していただいた食べ物を、無駄にするなど……」
「い、いや、いきなりこれだけのものを食わせようとした俺様が悪い」
なにせ、人間の娘が食う物はおろか、食べる量さえも分からなかった。
龍青が人間の暮らしを真似ていたから、自分もやってみたものの、
あいつのように香やら花やら愛でる感覚は薄く、風流とは縁遠く知識も浅い。
家臣達が詳しくなければ、とうに根を上げていた所だろう。
(今更ながらに思うんだが、俺様の所に来るよりも、
奴の所に嫁がせてやった方が良かったんじゃないか……?)
ちょうど奴も独身で嫁御を必要としていたから、尚更そう思う。
(だが、あいつは“間に合っている”の一点張りだったからな)
既に目ぼしい雌がどこかに居るのかもしれない。
そんな様子はみじんも見せたりしていないが。
きっとあいつは、大切なものほど周りに隠そうとするのだろう。
なずなのことは幸せにしてやりたいとは思うものの、
こんな人間の娘の扱いも知らぬ粗暴な俺では、
本当に幸せにしてやれるのか自信がなかった。
抱きしめただけで壊れそうで、娘に接する時は細心の注意を払った。
(俺様は、なずなのために何がしてやれるだろう……)
何もかもが俺とは違う人間の娘。それだけに興味もわいて、
時折、口元をほころばせて幸せな笑みを向けてくれることが、
俺の楽しみのひとつになっていった。
もっと笑わせて、もっと満たしてやれないかと思う。
(……ああ、そうか、これが……番の嫁を想う雄の気持ちなのか)
そうして言葉を交わし、同じ時を過ごしていくうちに、
心を通わせられていると感じられることが増えていき、
いつの間にか俺様は、心からなずなに惚れていたのだと気づく。
それは、こそばゆくもあり、胸を締め付ける時もあれば、
愛する者が傍に居てくれることが、至上の幸福のように感じていた。
だから、同じくらい幸せな気持ちにしてやりたくて、
誰よりも大切にしてやりたくて、
俺様は今まで以上の努力をしてみようと考えた。
嫁のせいだと誰かに言われぬよう、水神の仕事にも励んで……。
「良いですか若様、若い女子は若様のような事が出来ません。
力仕事となるものはほとんどできませんし、剣術なんてもってのほか、
肌に傷でも残れば、他の心無い者達からいらぬ話をまかれることとなります。
なので若様の体力で奥方を振り回してはいけませんよ?」
「お、おう」
娘はかよわいもの、そう、女房達からことごとく聞かされた俺様は、
目の前の女房を見て「本当にそうなのか……?」とは思ったが、
あえて言うほど命知らずでもなかった。言ったらどんな目に遭うか。
せめて口にしやすい水菓子の瓜を用意するようにし、
食べ物は俺様が知り合いの火の神や女房達に教えてもらって、
台盤所で嫁が口にする粥を作るようになった。
「くそっ、ただ米を煮るだけでこんなに大変なのか!?
うわっ! 灰が入っちまったじゃねえかよ」
「若様、火加減は大切ですわ。焦がさないように気を付けて、
中をかき混ぜて米を潰してしまうのもいけません」
「焦げるじゃねえかよ」
「焦がさぬよう、上手に炊くんですわ」
「……難しいな」
ことことと細い火を作り続けるのには、かなりの技術が必要らしい。
簡単そうに見えて、実はこんなにも奥深いものだったとはな。
台盤所は俺様達の食事や、
沐浴する際に使う、湯を沸かすところだ。
だがここは水の気と、火の気が混ざり合う異質な場所であり、
水神である俺様にとって火を使うことは鬼門になる。
ましてや相性の悪い火の神に頭を下げるなんてもってのほか。
だが、自分の嫁のためとならば仕方ない、
俺は深々と頭を下げて、知り合いの火の神に助力を願い出ると、
何とか口にできる物を用意することが出来るようになった。
「……これをミズチ様がですか?」
「あ、ああ。おまえのために作ってみたんだが、ど、どうだ? 美味いか?」
「は、はい……白米だけの粥なんて贅沢ですね」
陸地でなずなが口にしていたのは、野菜くずとわずかな米を使い、
鍋でどろどろに煮溶かされた重湯に近いものを、
口にするのが多かったらしい。
下働きとして住み込みで暮らしていたこの娘には、
満足に食べ物を口にするのも大変だったのだろう。
「とても……とてもとても優しい味で美味しいです。ミズチ様」
一口一口をさじに取り、口にして微笑む娘を見て、
俺は鼻先をすんっと鳴らして、口角をあげて笑う。
なんだ……俺様でもやれば出来るじゃねえか。
「へへ……っ、そうか、それは良かった」
それは女房の特訓で、何度目かの挑戦でようやく出来たものだった。
料理など生まれてからこれまで、まともにしたことが無かったが、
慣れぬことでも、この笑顔が見られたなら俺様の努力は報われた。
たまには真面目にやるのも悪くない。
侍従や女房達には「ご乱心ですか?」とまで言われたが、
やってみて、本当に良かったと思う。
番となった嫁が幸せそうに笑ってくれる。
それが俺様にとって何よりの幸せになっているのだと知った。
胸の奥がこそばゆく、気恥ずかしくもなるが悪い気はしない。
「本当に、美味しいですミズチ様」
「お、おう、その位でいいのならどんどん言え。
いくらでも作ってやるからよ」
「はい……妹にも食べさせてあげたいくらいです」
ぽつりと言ったその言葉に、俺は言葉に詰まった。
「……やっぱり、会いてえか」
残してきてしまった妹に。
「はい……きっと心細い思いをさせていますよね。
だからこうして生きていることだけは教えてあげたい。
そしてできれば抱きしめてあげたいと、でも……私があそこに戻れば、
私だけじゃなく、妹が何をされるかわかりませんよね……」
今でも、なずなは残してきた妹を気づかい、涙することがある。
だからせめて故郷の村が飢えたりしないよう、気にかけることにした。
実を言うと、あそこは俺様の管轄外の場所だから、
あまり力は貸してやれない……。
(まあ、なずなが間違えてこっちに沈まされたのは幸運だったな。
あっちの水神は、女子供だとしても容赦がないからな)
下手に刺激して、あちらの水神や土地神を怒らせたりしないよう、
隠れてこっそりとやろうとは思うが。
なずなの体が弱かったと気づいたのは、それからすぐだった。
俺様の力は水からくる病の穢れを祓うものだが、
よりによって、俺様の神としての力の方が強すぎて、
なずなの体にうまく馴染めなかったらしい。
だから、本当ならば番の相手と魂同士をつなぐ「たまむすび」までは、
どうしてもすることが出来なかったんだ。
そのせいで、人間が勝手に決めたこの婚姻に反対する者たちが現れ、
家臣や同じ水域の民にも言われるようになっていた。
「あの娘は水神の嫁にはふさわしくない」
離縁して、住んでいた村に帰せと言いだす親族や従者達をだまらせ、
陸地へと上がっては、人間の作った都に立ち寄っては薬を手に入れる日々。
水の底の者が使う薬草では効果が無く、俺様の神気は娘には強すぎる。
では人間が作った物ならば、体に合うだろうと思ったのが始まりだった。
それは人外である俺様が立ち寄るには危険な領域。
都には名のある陰陽師や法師が人外に目を光らせている。
話の分かる奴もいれば、悪さをするあやかしだと決めつけて、
折伏……力で屈服をさせて式神として従えようとする、
実に物騒な輩も居るので、あそこに近づくのは神の俺としても、
命の綱渡りをしているようなものだった。
俺はそれでも大事な嫁のためだから、ためらいもしなかったが。
「守ると約束した。幸せにしてやると約束したんだからな」
きっとどれか一つでも体に合う物があると思う、
それがあるのなら、俺様はどんな危険な真似でもするつもりだった。
けれどそんなことを俺様にさせていることに、
なずなは心苦しく思っていたのか、
ある日、俺様の前で頭を下げ、離縁して村に帰ると言いだした。
「……なんだって?」
「これまで、ミズチ様には余りある愛情をいただき、
返せないほどの幸せな思い出を下さいまして、
とても感謝しております」
「なずな……だったら」
「ですが私はその想いに応えることができませんでした。
跡継ぎとなる若様を産むことも、水神様の嫁としても、何一つ……」
大粒の涙が娘の瞳からこぼれ、
俺様は最後まで言葉を聞く前に口を自分の口で塞いだ。
なずなが俺の所に嫁いで来てから、人の暦で3年が経った。
だが、子どもには恵まれなかった。それが余計に辛かったのだろう。
こんなに思いつめるほどに辛い思いをさせてしまったようだ。
それは番である俺からすれば、何より不甲斐ない気持ちにさせた。
守ると言っておきながら、
何一つ娘に人並みの幸せをくれてやれないのだから。
(過剰な期待を背負わせないために、
水神の嫁としての仕事も遠ざけていたが……)
それも嫁として歓迎されていない証拠なのだと、
陰で囁かれていたのを知った時は、心無いことを吐き捨てた従者たちを、
いっそのこと、自分の手でどうにかしてやろうかとまで思ったが、
今はそれどころじゃない、俺様の花嫁がこんなに泣いて悲しんでいる。
「……すまなかった。なずな。嫁としての仕事をさせてねえのは、
おまえさんに無理をさせたくなかったからだ」
「ミズチ様……」
「辛いならここから離れで暮らすか?
ここよりはかなり狭いし不便だが、預かっている川の近くにな?
俺様が昔、隠れ家として作った庵があるんだ。
陸に上がって、人としてそこで一緒に暮らそう。
そこなら口やかましい声も聞こえないだろうからさ」
陸地にある、かやぶきで出来た質素な家、
いろいろなしがらみから逃げたいときに、俺様が使う場所だ。
なずなが居るのなら、そこで人間同然に暮らしてみるのも悪くない。
「ですが……それではミズチ様は」
水神達はその名の通り、水との相性が一番いい。
だから水の中に居を構えていることで、神通力を高めていくことができるのだが、
陸へあがってしまうと、それが出来なくなってしまう。
うつむいたなずなの手を両手で包み込み、額をこつんと合わせる。
「いいんだ。もともと俺様は型破りな水神だと言われているからな。
おまえが傍で笑っていてくれるだけで俺様は幸せになれたから、
それ以上は何も望まねえよ。だから共に生きよう、
生きてくれ……俺様と。なあ、なずな」
「……っ、ミズチ様」
「俺様達は夫婦、困ったときは二人で解決する。
だから何があってもずっと一緒だ」
「はい……ありがとうございます。ミズチ様」
腕の中で泣きじゃくる娘の背中をなで、俺たちは一つの選択をした。
とても小さな住処だから、俺様にはとてもきゅうくつなものだが、
陸地で暮らしてきた娘には馴染み深くていいかもしれない。
「だ、旦那様! この屋敷を出ていくとはどういうことですか!?」
この屋敷を出ていくと言いだしたら、家臣たちが当然大騒ぎになった。
水神が自分の領域から出ていくなど、前代未聞の出来事になるだろう。
お考え直しをと言いながら、古参の侍従や女房達があとを付いてきて困った。
まあ無理もないか、代々水神一族に仕えているのを誇りにしているものも多い。
その俺様が居なくなるのだから、焦っているのだろう。
「どういうことも何もねえよ。嫁いじめをする奴がいるのなら、
俺様達はここを出て行って、陸で人間として暮らすことにする。
誰にも俺様の嫁を悪くなんて言わせねえ」
「……っ!」
「おまえたちにとって、嫁は気に食わねえかもしれねえが、
俺様にとっては最高の女なわけよ。それを悪く言われたら、
流石にこの俺様も黙っていられねえわ」
俺様みたいな奴に嫁いできてくれたんだ。大事にしてやりたい。
だから実行に移す。
水神が屋敷を離れれば、いずれはここも力を失い朽ち果てて、
眷属たちも、ただの物言わぬ存在になってしまうことに怯えたようだが、
長い間、俺様達一族に仕えてきてくれた恩もある、
だからそこまで非情になることはなかった。
「心配するな、水神としての仕事はやってやるよ」
質素な着物を着て、必要最低限の荷物をまとめて背負い、
なずなを腕に抱いて歩き出す。なおも引き留めようとする家臣達をすり抜けて、
屋敷の管理を女房頭に任せ、住み慣れた屋敷を後にした。
「さあ……行こうか、なずな」
「はい……ミズチ様」
新たな俺様達の門出。新しい生活が俺様達を待っている。
――けれど既に病を受けた者が放つ匂いが、なずなの体からしていた。
忍び寄ってくる死の気配に怯えながら……。
俺様はなずなに触れる手をぎゅっと強めた。




