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ミズチの恋・2



「なん……で……」


「キュ?」



 どうしたの?


 急に動かなくなったおじちゃんの胸元を、私がぺしぺしと叩く。

けれど、おじちゃんが私の問いかけに答える事はなかった。



「……引き返すぞ、嬢ちゃん」



 そう言って、少し怖いお顔がますます怖くなったミズチのおじちゃんは、

石畳の上を滑るように一気に走りだして、来た道を引き返す。

私は驚いてキュイキュイと鳴き、足元に居た手まりを慌てて呼んだ。


 いったいなんなんだと目をぐるぐるさせた私は、

からたちで出来た囲いを潜り抜け、

ミズチのおじちゃんに抱っこされたまま、屋敷へと戻った。


 向かうのは、龍青様がいつも仕事をしている部屋だ。



※   ※  ※  ※




「――ふむ……こちらの水源はもう少し手を加えるべきか……」


「龍青! おまえが屋敷の外で囲っている女を俺様にくれ!!」



 だだだだっと音を立てて廊下を走り、通り過ぎた際に女房のお姉さんや、

侍従のお姉さんが次々に悲鳴を上げて倒れる中、

目をいつもよりもギラッとさせたミズチのおじちゃんは、

私を抱えたまま、まるでなだれ込むかのように部屋に入り、

龍青様にそう叫んでいた。



「ミズチ……急に慌ただしく戻って来たかと思えば、

 俺がまるで、他所で浮気をしているかのような発言をするな!!」



 そんなミズチのおじちゃんの顔に向かって、

龍青様は腰元の帯に差していた扇をゆっくりと取り出して見せると、

おじちゃんの顔をめがけて、すこーんと投げつけていた。

その間に私はおじちゃんの腕の中から、キュイっと飛び降りて、

両手を伸ばして龍青様の元へ、とててっと駆け寄る。



「キュ~」


 龍青様だ~抱っこ抱っこ。


 そのまま龍青様の足に抱きついて、めいっぱいしっぽを振った。

龍青様にまた会えて私はほっとする。



「いだっ!? 何するんだよ龍青!」


「お、俺は姫一筋だぞ!? せっかく嫁になってくれるって言っているのに、

 なんで俺がその姫を差し置いて、浮気なんてしなきゃいけないんだ!!

 姫にこれ以上、俺への誤解を招くような発言をして、

 もしもそれで姫に逃げられたら、おまえをただじゃ済まさんぞミズチ!」


 龍青様はちょっと半泣きで言っている。



「もう物を投げつけているじゃねえかよ!!」


「うるさい!! おまえの失言のせいで姫に愛想を尽かされてたまるか!

 そんなことになったら末代までたたるからな!!」


「キュイ?」



……ねえ、龍青様、“うわき”ってなあに? 


 私が龍青様の足に抱きついたまま、そうキュイキュイと鳴いて聞いてみたら、

龍青様とミズチのおじちゃんがぴたっ……と凍りつくように動きが固まった。


「……っ、そ、それはだな」


「……」


「キュ?」


 そのまま、じいいっと見上げていると、さっと顔をそらされた。


 なんなんだ。 “うわき”とはそんなにいけないものなのか?

いけないものなのに、ついやってしまうものなのだろうか?

私は龍青様の着物の裾をくいくいっと引っ張る。


「キュ?」


 なあに? 教えてよ龍青様、これから“うわき”をするの?

それとも、もう“うわき”しているの? うわきって楽しいものなの?

龍青様がするのなら、私もおそろいしたいから、まねっこす――……。


「だめだ!」


 言いかけると、龍青様が顔色を悪くしたまま振り返り、

私の両脇に手を添えて持ち上げる。


「ひ、姫はそんなことやっちゃだめだ!

 お、俺はな? 姫を差し置いて浮気は絶対にしないぞ?」


「キュ?」


 そうなんだ?


「あ、ああ、俺は誠実に姫と付き合っているからね。

 姫もそんなのに興味を持ってはだめだよ?」


 私と龍青様のやり取りを見ていた女房のお姉さん達は、

それで私が龍青様に言った言葉をなんとなく理解したようで……。



「ひ、姫様、陸では身分ある殿方が何人も妻を召されるのは、

 決して珍しいものではなくてですね」


「そうですよ。姫様は北の方になるのですから、

 堂々とかまえていらして……」


「キュ?」


 他の女房のお姉さんが何か教えてくれたけれど、

それと“うわき”とは、どうつながるんだろう?

とのがた? つま? よくわからない言葉ばっかりだね。


「お、おまえたちまで姫に何を言っているんだ!?

 ち、ちがうぞ姫、俺はいつも姫に誠実に向き合っているからな。

 俺が他の雌に懸想けそうするなんてことは絶対にない!

 絶対に絶対の絶対だ。お、俺が好いているのは後にも先にも姫だけだから」


「キュ?」


 けそう? それと、“うわき”とはどう関係があるの?



「……ひ、姫は全く知らなくていいんだよ。これからもずっとな。

 俺が姫のことを、す、好きだということだけ覚えていてくれれば、うん」


 なんかごまかされた気がするけど……そうなんだ?

私は顔から汗をだらだら流している龍青様の顔を見ながら、

まあいいや、じゃあ抱っこしてとねだると、すぐに叶えてもらった。


「あ、ああ、抱っこ、抱っこだな? よしよし……おいで?」


「キュイ!」


 抱っこ抱っこ~と、私はご機嫌で喉をゴロゴロと鳴らす。

それだけで後のことはどうでもよくなった私だった。

むずかしい話は、お兄さんの龍青様にお任せしないとね。


 キュイキュイ、ゴロゴロ、キュイキュイ、ゴロゴロ。



「……姫がまだ幼い娘で良かったと、今日ほど思ったことはないな。

 修羅場になってしまうかと思ったぞ」


「あー……と、悪いが話を戻していいか?

 俺様が言ったのは、おまえが罪人として捕えている人間の娘のことだよ」


「……娘?」


 誰だ? と言いたげに龍青様は首をかしげる。



「忘れんなよ。座敷牢に居る娘だ」


「あいにく、俺の興味は仕事と姫に全振りしているからな。

 ああ、あれか、それがどうした」


「あの娘を俺様にゆずってくれ、身受けしたい」


「は?」


 ミズチのおじちゃんはそこで両手と膝を床に付けると、

頭を勢いよく深々と下げて龍青様にお願いしていた。



「頼む……っ! あいつは俺の死んだ嫁の生まれ変わりなんだ!!」


「は? 嫁だと?」


「キュ?」



  龍青様はもちろん、その話を近くの部屋から聞いたみんなが、

一斉に驚きの声をあげて固まっていた。

もちろん、私も含めてだ。嫁って……あの嫁だよね?


 私は龍青様のひざの上に座り込んで考える。


 確か……ミズチのおじちゃんは陸から生贄として沈められた人間の娘を、

嫁にしたことがあると、前に私に話してくれたけれど。

でも、その嫁は体が弱くて、水神様の加護を得ても、

長くは生きられなかったと聞いていたよ。


 番を短い間に失ってしまったミズチのおじちゃんは、

それからはずっと死んだ嫁の生まれ変わりを探すために、

いろんな所を出歩いて、女の人と出会っているとか教えてもらった。


 その嫁が、まさかあの、

龍青様を襲おうとした人間の娘だったなんて……!


「キュ……!」


 私はぶるぶると震えながら、龍青様の懐の中に頭から潜り込んだ。



「どういうことだそれは」


「言った通りだ。あの幽閉されている罪人の女は、

 俺様の嫁だった娘の転生したものだ……見目は違うが魂は同じ。

 ずっと長い間、生まれ変わりを探し歩いてきたが、まさかこんな近くで、

 それも水神仲間のおまえが捕えていたとは思わなかった」


「……なるほど、では水神であるおまえとの縁が出来ていたから、

 故郷での流行り病にも守られていたということか、

 この領域にただ人の娘が、こう何度も生きてたどり着くのは、

 さすがにおかしいとは思っていたが……」


「キュイ?」



 どういうこと? 龍青様。



「既に生前、ミズチからの力の影響を得ていたから、

 その残滓ざんしが魂にわずかに残り、あの娘を守ったのだろう。

 ミズチは水のけがれからくる病を防ぐ力がある。

 だから娘は生き延びることが出来たらしい。

 それで救われたのにも関わらず、水神を恨んでいたとはな」



 そう言うと、部屋が静まり返った。

さてどうするか……と、文机ふみづくえをコツコツと指先で叩き、龍青様は考え込む。

その間、私は心置きなく龍青様の匂いを嗅いでおいた。すんすん。



「頼む! 俺様に出来る事ならなんでもする。

 俺様の体の一部でも、おまえの配下に加わっても構わない。

 だからどうか、あの娘の命だけは助けてやってくれ」


「ミズチ、あの女が例え転生した嫁の生まれ変わりだったとしても、

 今は神である俺と姫の存在をおびやかそうとした罪人だ。

 それに前世の記憶を持ったまま、生まれ変わるなんてそうできる事じゃない。

 あの女はもうおまえの知っている嫁じゃないぞ、それでもいいのか?」


 たましいのほんしつ? とやらが同じでも、

もうその嫁は違う意思と性格を持った存在になっている。

生まれ育った器や環境が違えば、人間は簡単に歪んでしまうと、

龍青様は言う。


 言っている事はよく分からないけれど、

私はふんふんとうなずいて聞くふりをする。

すると桃を干した欠片がお兄さんから差し出されて、

私は懐から出て食べる事に夢中になっていった。



「ああ、話はそこの嬢ちゃんからここへ来る前に少し聞いた。

 おまえや嬢ちゃんに危害を加えるかもしれなかったと。

 罪人としておまえが捕えた以上、おまえにあの娘を処分する権利がある。

 だが、それでも俺様はあいつを引き受けたい」




 龍青様はこれまでの経緯を、そこで詳しく話してあげていた。

それでもミズチのおじちゃんは気持ちを変えず、身請けをしたいと願うので、

根負けした龍青様は大きなため息を吐いた。



「……存外に、おまえは俺以上のうつけだな」



 ぱちんと龍青様が指を鳴らせば、

ミズチのおじちゃんの両手に光の輪が出来て、

それがどんどんと縮み、かしゃんと音を立てて銀色の手かせになった。

手かせは細かい透かし彫りのような作りになっていて、青白く光っている。

瑠璃るり色のきれいな青い石が、いくつかそれに埋め込まれていた。



「水神であるお前がそれを身に付けるのは、屈辱でしかないだろうに」


「受け入れなければ、交渉にもならねえだろう?」


「……いいだろう。どうせあの女はここで朽ちるだけの存在だった。

 俺や姫に二度と迷惑をかけないというのなら、特別に下げ渡そう」


「本当か!? 感謝する!!」


「あの娘を嫁に迎えると言うのなら、おまえもその罪を背負うという事だ。

 水神である俺と、その婚約者の姫を殺めようとしたその報い、

 そして今後過ちを犯さぬために、その手かせの呪具は外れない。

 そうしないと姫が心配だからな」


「キュ?」


「もし俺や姫に、危害を加えるような真似を再びすることがあれば、

 おまえの手で始末を付けろ。その為の手かせだ」


 龍の花嫁となるものを、番となる雄はかいがいしくも世話をする。

そしてどんな願いでも叶えてしまうほど、愚かになってしまう可能性も。

先代の水神、龍青様のとと様がそうだったように、ミズチのおじちゃんもまた、

嫁可愛さに過ちを犯してしまうかもしれないと、龍青様は言う。



「手かせはあの娘にも付けておけ」


「手は目立つし可哀そうだ。足でいいか? 

 着物のすそで隠してやるのは……」


「好きにしろ」


「キュイ……」



 ミズチのおじちゃん……大丈夫?

桃を食べ終わった私は、おじちゃんに近づいた。



「ああ、分かっている。だが大丈夫だ。

 俺様はもう嬢ちゃんの子分になっているからよ」


 私の頭をミズチのおじちゃんがそう言って、わしわしとなでる。



「は? おまえが姫の子分ってどういうことだ」


「まあ、元からおまえ達を傷つけたり、逆らう事はする気はねえよ。

 あの娘にもそんな事はもう二度とさせねえから。

 それじゃあな、ありがとよ龍青」


「ちょ、ちょっと待て! 話はまだ終わってないぞ!?」



 ミズチのおじちゃんは座敷牢を開ける、

古ぼけたかぎというのを龍青様から受け取ると、

急いで部屋を出て行き、庭を飛び出して、座敷牢のある方へと走り出した。


 その後、中から連れ出されていく一人の人間の娘。

薄汚れて動く気力もないその人間を、自分の着ていた羽織で包み、

両腕に大事に抱きかかえて去って行こうとする、

ミズチのおじちゃんの後ろ姿を見かけた。



「キュイ……」


「……姫?」


 私は手まりを持って、結界の境までミズチのおじちゃんを追いかける。

すると龍青様も私の後に続いて、一緒について来てくれた。


 結界の出入り口の近くで、ミズチのおじちゃんの足が止まり、

追いかけて来た私たちの方をゆっくりと振り返る。


「キュ……」


「悪いな嬢ちゃん。俺様の嫁が迷惑かけたようでよ」


 でも私の心配をよそに、私の方に振り返ったおじちゃんは、

にかっと笑いかけて、とても嬉しそうだった。



「龍青、この娘を殺さないでいてくれた恩は忘れない。

 それと嬢ちゃんにも、これで返せねえほどの恩が出来たな」


「いや、なりゆきだったし別にいい。

 俺も父のことで、おまえには迷惑をかけたからな」


「……キュイ」



 ……本当に、大丈夫?

私は心配だった。だって龍青様にあんなことしたヤツだもん。

ミズチのおじちゃんのことも何かしてきたらどうするんだ。

人間に狙われたことがある私は、本当に心配だった。



「その時はその時よ。今度は一緒に黄泉路よみじでも歩いてやりてえからな。

 前は一人で寂しくかせちまって、後悔ばかりだった……」



 そう言って、かかかと笑うミズチのおじちゃんは、

とてもいい笑顔をしていた。


 幸せそうで、それでいて少し泣きそうな顔をしていて。

「これで、ようやく幸せにしてやれるな」とつぶやいていた。

それがとても幸せそうに見えたから……。


「キュ……」



 だから私は、それ以上何も言えなかった。


 だって私だって、もし故郷の郷で生き別れた仲間に会えるのなら、

またどこかで会いたいって思っていたし。とと様とかか様と別れた時も、

私は会いたくて会いたくて、しかたがなかったもの。

それと同じ気持ちなのかなって思ったから……もう何にも言えなかった。



 そんなに思うほど、ミズチのおじちゃんの中では大切な存在で、

嫁ってやっぱりすごい存在なんだなって思ったから、

私はキュイっと鳴いて、おじちゃんに「またね」とぽつりと言ったのだった。





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