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4・水神様の住処




――あれから、私と水神、龍青様の「おうせ?」とやらは続いている。



「姫、水の中に入るのは待ちなさい。足を取られたら大変だ」


「キュ?」



 龍青様に言われて、私は足元を見た。

私の短い足の所まで滝から流れる水に触れている。


(そうだ。まだ私、泳げなかったんだ)


 湖の底にある龍青様のお屋敷で保護されて、暮らしていたこともある私だから、

陸に戻って来た時は、さぞ泳げるようになっているだろうと思っていたけど、

その後に試してみたら……うん、そんなことは全然なかったんだな。


 たまには泳いで、自分から龍青様の所へ、

遊びに行こうとしたことがあったんだけど、

ぱちゃぱちゃしていたのが、ぶくぶく、ごぼごぼして、

気づけば私は溺れてしまったんだ。


 あの時はどっちが上か下かも分からなくなったし、

とと様もかか様も傍に居なかったし、

たくさん水も飲んでしまって、あれは本当にあせったあせった。


「キュ!」


 でも私には龍青様からもらった不思議な鈴がある。

これを身に付けていると、人間や獣から身を守るだけでなく、

あらゆる水を味方に付けることが出来るんだ。どうだすごいだろう。


 少しむせたけど、その時私は鈴に守られて体が押し上げられて、

水面にぷかっと浮かんだし、鈴の音色が水の中に響いて、

私の危険を知らせてくれたので、すぐに龍青様が助けに来てくれた。


……というわけで、私が溺れそうな時は、

「慌てた龍青様が必ず助けに来てくれる」ことが確認できている。

だから私が本格的に溺れる事はきっとないはずだ。



「キュイ、キュイ」


 だから大丈夫だと私がそう言ったら、龍青様は困った顔をする。


「いや……それでも万一という事もあるから、そう考えるのは止めなさい。

 頼むから、この俺が迎えに来るまで絶対に水には近づいてはいけないよ?

 無茶をして怪我をしたり、命を落としたらどうするんだ」


 なんでー? 


「いいから、お兄さんの言う事を聞きなさい」


「キュ……」


 

 龍青様はそんな事があってから、

少ない水でも私が溺れてしまうと心配しているらしく、

泳ぎを教えてあげるから、彼が来るまでよい子に待っている事を約束させられた。

守れるか分からないけど、とりあえず……。


「キュイ」


 片手をちょいっと挙げて、うなずいておいてあげた。


 水神のお兄さんが泳ぎを教えてくれるんなら、

私はそのうち、きっとすごい泳ぎができるようになるはずだよね。

……すごい泳ぎってどんなのだろう? 自分で言っておいて首をかしげた。



「――さて、姫からもらった供物くもつはありがたくいただこう」


「キュ」



 龍青様は私があげた贈り物を懐から出した浅黄色の布で包み、

袖の中に大事にしまいこむと、再度小さな私の両脇に手を添えて抱き上げ、

とぷんと水音を立てて中へと潜った。



「じゃあ、今度こそ行こうか……。

 ご両親にはちゃんと行き先を伝えておいたか?」


「キュ」


 大丈夫だよ。今日も神隠しに遭ってくるって言ってきてあるもん。

かか様だけにしか言ってないけど……ね。うん。


 だって、とと様に言うと必ず邪魔されるから黙っているんだ。



「キュ……?」



 ゆっくりと水の底へと沈んでいくけれども、息も出来るし苦しくない。

体も水で濡れることもなく、龍青様に抱っこされているお陰で怖くもないから、

楽しくて喉がゴロゴロ鳴るんだ。屋敷についたら手まりで一緒にあそぼうね。



「直ぐに着くから、良い子にしていてくれ桃姫」


「キュイ」



 水の中の世界は私の知らない事も多くて、

こぽこぽと水の流れる音が聞こえてくる以外はとても静かだ。

水面がお日様の光を受けて水底を照らしている。

ここは龍青様が住んでいるせいか、特に水が澄んでいてきれいだ。


 初めて連れてこられた時は、ガマ蛙のおじさんに売られる最中だったから、

この景色をのんきに見ている余裕なんてなかったけれどね。


(龍青様に助けてもらって良かったな)


「……キュイ」



 今でも思い出すとぷるぷると体が震えてしまう。

あのガマ蛙のおじさん、やたらゲッコゲッコ鳴いて怖かったしな。

また会うかもしれないと、最初は龍青様のお屋敷でびくびくしていたんだけど、

龍青様は、あの蛙のおじさんが私に近づかないようにしてくれたので、

私もこうして安心して遊びに行けるようになった。


 保護してくれたばかりの頃に、龍青様はこう教えてくれたんだ。


『おまえが俺の元に連れて来られたのは幸運だったんだよ。

 俺は同胞のよしみでおまえを保護する名目があるからね。

 もしも先に呪術師の元へでも連れて行かれてしまったら、

 おまえの両親に行方を探すように頼まれても、

 存在を隠されて、居場所を見つけるのは難しかっただろう』


『キュイ……?』



 龍青様は子どもの私より長く生きているので、

難しい言葉や、物事をいっぱい知っている。

なのでいろいろ教えてくれるけれど、言っている事のほとんどが分からない。

でもとにかく、私よかったねって事でいいのかなって思って、

キュイキュイ言ってお返事しておいた。私、がんばった。


(このお兄さんとも仲良しさんになれたし、悪いことばっかりじゃないし)


 でもね? なぜか郷のみんなに龍青様との出会いを話すと、


『おまえ……水神様に気に入られるって、とことん運が悪いな』


……って事を言われるんだけど、なんでだろうな。


 とにかくそれで私と龍青様は縁が出来て、婚約者とやらになったんだ。



※  ※  ※  ※



「……どうした桃姫、寒いのか?」


 少し震えている私に気づいた龍青様が私の頭をなでてくれる。

そして着ていた着物の袖で私を包みこんでくれた。


「キュ?」


「幼いおまえには湖の水はまだ寒いかもしれないな。

 もう少しだから我慢してくれるか?

 屋敷に着いたら温かい飲み物でも用意させよう」


「キュイ」



 郷を襲った人間の一件もあり、人間のことは今でも苦手だけれど、

人型になっている龍青様が触れてくるこの手は不思議と怖くない。


 大きい手で温かく包み込んでくれて、私を大事にしてくれるのが分かるから、

私は龍青様と一緒に居ると、とても安心できて、ついつい目が細まる。

出会った頃と変わらない、私を守ってくれる優しい手。


 私はとと様の手も、かか様の手も好きだけど、

このお兄さんに抱っこされている時が一番幸せだった。


 ちょっと胸がとくとくっとしたり、頬が温かくなったりと忙しいけど。

でも嫌な気がしないんだ。



「キュ」


 触れるような距離で、すれ違いざまに銀色の魚の群れを見送る。

魚はキラキラと陽の光を受けて輝いていて、

とてもきれいなんだけれど、私はその泳いでいるお魚を見て、

お腹をぐうぐうと鳴らし続けていた。


「キュイイイ……」


 ああ、あんなにお魚の群れがいる。なんて美味しそうなんだろ~……と、

ついよだれを垂らすものだから、それに気づいた龍青様が私を見て、

ぎょっとした顔をしていた。


 慌てて懐から白い手拭いを取り出し、私の口元を拭いてくれたよ。



「な、なんでこんな所で……お、俺の着物、俺の着物がああっ!?

 桃姫ぇ!! ま、まさかおまえ、腹を空かせているのか!?」


「キュ!」



 だって、あんなに美味しそうな魚がいっぱいなんだよ。

私はちらちらと視線をお魚の群れに向けて、目をかがやかせた。

龍青様! ほらお魚があんなに、あんなに!!



「キュイ! キュイキュイ!!」


「ま、待て落ち着け桃! 今は暴れないでくれ、はぐれるぞ!?

 そ、育ち盛りとはいえ仕方ないのかこれは?」



 なんだか龍青様が慌てている。

後で何かあげるからここでは我慢してくれと言われて、

えーっと思いつつ私はうなずく。仕方ないな。



「……屋敷に戻ったら、桃姫がその辺の物を口にしないように注意しないと」



 龍青様の中では、私がなんでもかんでも口の中に入れるのではと心配のようだ。

しっけいな! ちゃんと匂いを確かめてから食べるよ。

そう言ったら大きな溜息を吐く龍青様だった。


 キュイキュイと抗議しているうちに、龍青様の屋敷についた。

最近、私のお気に入りの遊び場だ。



「ほら、着いたぞ、姫」


「キュイ!」


 湖の主様の龍青様は、人間の暮らしを真似して暮らしているから、

住んでいる巣はやっぱり人間の住処と同じようなつくりで、

木や石とかを切って使っているらしく。

これを「屋敷」と呼ぶことを教えてもらったのも、ここへ来てからだ。


鼻をすんっと嗅ぐと、水の匂いと、草の匂い、木の匂いがする。


「キュ」


 私がとと様とかか様と一緒に暮らしている巣穴とは大違いだ。

ここでは落葉の匂いも、ごつごつした岩肌もない。


 同じように人型で過ごす女房のお姉さん達も、

人間と同じ格好を好むのか、私達が屋敷に着くと、

いろんな色をした長い着物を着た姿で、わらわらと出迎えてくれる。

このお屋敷の者達は龍青様に仕えている水の眷属の従者、

正体は魚とか亀とかだったりするらしいよ。


 最初は人間の姿をしていたから、とても怖かったけれど今はへいきだ。

よくかまってもらっているからね。


「キュイ」


 龍青様の腕の中、手まりを持ったままの私はあいさつをした。



「まあまあ桃姫様、いらっしゃいませ」


「また本日も遊びに来て下さったんですね。

 うふふ、良かったですね。公方くぼう様」


「……なぜ俺が、かまってもらって良かったなという雰囲気になるんだ」


「それは……ねえ?」


「ふふ……つがいになる方と睦まじいのは良い事ですもの。

 いらっしゃいませ、姫様、甘いものでも召し上がりますか?

 姫様のお好きな水菓子の桃、冷やしてありますよ」


「キュ!」


 桃! 私の大好きな桃!!


「キュイ!!」


 食べる! と、しっぽをぶんぶんと振れば、床の上に私は降ろされた。



「はあ、本当におまえは……じゃあついておいで、こっちだよ」



 持っていた手まりを女房さんに渡し、龍青様の後に付いて行く。

体の泥を落としてからじゃないと、おやつは食べられないんだ。

龍青様に濡らした布で体を拭いてもらい、両手もきれいになると。

すっきりとした気分になって、キュイっと鳴いてお礼を言う。


……さっき私の口元を拭いてくれたのとは別の布のようだ。

このお兄さん、布をいくつ持っているんだろう……今度調べてみようかな。



「さあ、これでいい、おいで姫」


「キュ」



 行こうとしたら、ふと……手を洗う時に使った目の前の水瓶が気になった。

大きさ的にこの入れ物は、小さな体の私にはぴったりではないかな。

川とか湖だと水が深すぎて怖いし、これならいけるかも……。


 そう、泳ぎの練習だ。

出来るようになれば、きっといつか役に立つだろう。

せっかくいい感じなのがあるんだし、少し試してみようかな。

思い立ったら直ぐに行動してみる私だった。



「桃姫?」


「キュイ」



 ねえ龍青様、ちょっとここで泳ぐので見ていてくれる?

彼が返事をする前に、私は水瓶みずがめに飛びつき、瓶のふちに両手をかけて、

頭からどぼんと飛び込んで見せた。



「ぶわっ!? も、桃姫!?」


「姫様!?」


「ああ、何をそのような……きゃあっ!?」


「……キュ……キュ!」


 水しぶきが傍に居た龍青様にかかり、近くの女房さんへも掛かったようだ。

でも私はそれどころじゃない。泳ぎとは命がけのものなんだ。

私はそのまま、水の中で必死になってじたばたしながら考える。


「……」


 えっと……ところでどうやって泳ぐんだっけ? たしか――……。


 

 ごっごっごっ……。


 私は思いのままに、中にある水を思いっきり飲んだ。いっぱいいっぱい飲んだ。

そして限界を感じて顔を上げ、何とかふちにつかまると満足げにふーっと一息。

今日はこの辺で止めておこう。私は今日もがんばった。

龍青様、どう? 私少しは泳げていた?



「……キュ?」



 目の前を見れば、長い青銀髪の髪が水でしたたり、

何とも言えない顔で私を見ている龍青様達と、

震えながら袖で顔を覆っている女房のお姉さんたちが居た。



「……」


 なんでみんな水浸しなんだろうな……ああ、私のせいか。

ごめんねとキュイっと謝っておいた。



「桃姫……の、喉がそんなに乾いていたのか?」


「キュ?」


 違うよ?

首を左右に振って否定する。


「キュイ」


 泳ぎの練習をしていたんだけど、龍青様……もう私飲めない。

 

「なぜ泳ぐのに、水を飲む必要があるんだ」


 どうやら泳ぐ時は、水を飲まなくていいらしい。

そうなのか……私はずっと溺れていた時にたくさん水を飲んでいたから、

きっと飲みこなせればいけると思っていたんだけど。



「それは息継ぎをまちがえて覚えたんだな。

 水は飲まずに息だけを取り込むんだ」


「キュイ」


 私は一つかしこくなった。水は飲む必要がない。

どうやら泳ぐと言うのが何かすら、私には分かっていなかったようだ。



「こんな所にまで頭を突っ込むなんて、子どもは本当に何をするか分からんな」


「そうですわね……でも公方様もお小さい頃はこんな感じだったかと」


「キュ?」


 そうなんだ?


「……っ、お、俺の子どもの頃のことはいいから、

 それにしても水神の嫁になる予定の娘が、

 水神の屋敷の中で溺死するなんてシャレにもならんからな。

 姫が居る時は特に気を付けていないと」


 それから私は水で手を洗う時でさえ、

誰かが傍に付いていないとだめって言われるようになった。

なんでだろう……私はこんなに頑張っているのにな。







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