姫からの手紙
私と龍青様が出会って、人の暦で一年が経ったらしい。
どういうことか分からなかった私が、キュイっと鳴いて首をかしげると、
「姫がひとつ、お姉さんになったってことだよ」って教えてくれた。
ということは、私は少し成長したってことだよね。
「キュ」
私は自分の卵の殻の欠片を両手で持ち、龍青様の膝の上でぽりぽりとかじる。
前にミズチのおじちゃんが、私の卵を人間から取り返してもらってから、
龍青様に預かってもらって、屋敷へ来るたびに少しずつ大事に食べていた。
それもようやく私の手に残っている欠片のみになった。
陸の世界で遊び道具が無かったころは、
これの中に入って、ころころと転がったりして遊ぶのが好きだったから、
ちょっと全部を食べるのはもったいないな……と思っていたんだけど
そのせいで人間に取られちゃったことがあるんだよね。
だから、ちゃんと食べておかないといけないってわかったんだ。
「キュ、キュ……」
最後の欠片をようやくごくりと飲み込むと、
龍青様は嬉しそうに頭をなでてくれた。
「よしよし、良い子だ。これで全部食べられたな。
これで姫も必要な栄養がとれて、立派な成体に成長できるね」
「キュ?」
ほんと?
私はしっぽをぶんぶんと振りながら龍青様に抱き付いた。
ねえ龍青様、じゃあ私、全部食べられたから、もうすぐ成体になれる?
もうすぐ嫁とか番になれるの? そしたら龍青様も幸せになれるよね?
強くなってりっぱな水神様にもなれるんだよね?
そう聞いたら龍青様は、少し困った顔をして私のことを抱き上げる。
「んー……すぐに嫁にしてやりたいのはやまやまだが、
さすがにそう直ぐに大きくはなれないな」
「キュ?」
そうなの? なあんだと私は後ろにのけぞって頬をふくらせる。
私が嫁になるには、まだまだずーっと先のことらしい。
こんなにがんばって食べたのに、まだなんて。
「おまえはどうして、嫁入りするのにそんなに積極的なんだろうな……。
俺のことを好いていてくれているのは、その、すごく嬉しいのだが、
姫はまだ小さいのだし、俺以外のことにも視野を広げてごらん?」
「キュ」
「まあ、まだ姫の世界は狭いからな……両親と仲間と俺の所しか知らない。
でも一年前の桃姫と比べても、成長していると思うな。
身長も少し伸びたし、やれることも増えただろう?」
龍青様と知り合ってから、私は人間の知識をいろいろ教わり始めた。
人間の習性も分かって来たし、人間の字もだいぶ覚えてきて、
読み書きが出来るようになってきたのだ。
まだ龍青様やみんなのように、人間の姿を模すのは怖くてなれないけれど、
人型のみんなを見ても泣かなくなったので、成長したよね。
……本物の人間の相手をするのはまだ怖いけど。
ここは水神様の龍青様が居る湖の底、
人の手が来ない領域だから安心できる。
私はいつもみたいに、龍青様のお膝の上で寝転がって甘えはじめたら、
龍青様が私の頭をなでながら話し掛けてきた。
「そうだ。姫もだいぶ字を覚えられたからね。
約束通り、文……いや手紙を書けるよう道具一式を用意したんだ。
今日はそれを使って何か書いてみるかい?」
「キュ!」
私のお道具箱、用意してくれたの?
前に字を覚えたらって約束していたものね。
龍青様のまねっ子をするのは好きなので、すぐにやりたいと話すと、
私はお膝の上から飛び降りて、両手を前に出しておねだりする。
龍青様からもらえるものは、みんな私の宝物になるんだ。
「では、姫の道具箱を」
「はい、公方様」
侍従のお兄さんが龍青様に言われて、緋色の箱を持って戻ってきた。
緋色の箱には、白いうさぎが遊んでいる絵が描かれている。
それを開けると大きな黒いすずりに、墨、小さめの軽い筆、
下に敷く布と文鎮が入っていて、
桃色の紙は龍青様が「これを使いなさい」と紙の巻物を分けてくれた。
龍青様の手ほどきを受けて、
しゃかしゃかと両手で一緒に墨を持ってすってみて、
用意してくれた桃色の紙に、伝えたい言葉を並べることにした。
「手紙は文字の組み合わせで、相手に伝えたいことを伝える道具だ。
口では話せないことを、相手に伝える時にも利用するね」
「キュイ」
「ためしに、俺宛てに何か書いてみるかい?」
もちろんそのつもりだ。
私が一番に字を覚えたら龍青様に渡したかったんだもの。
墨を付けた筆を両手で持ち、紙に大きな字でめいっぱいに書いてみる。
「キュイ、キュイキュイ」
まだ、こっち見ないでね龍青様。しっぽを振りながら龍青様に話す。
ちゃんと書けたのを見せて、びっくりさせたいんだ。
「ふふ、そうか、じゃあ俺は仕事に戻るよ」
龍青様はこちらを気にしながらも仕事を続けている。
「もう少し出来るようになったら、
文に添える歌や季節の花も覚えてみるといいね」
「キュ~」
そういえば、前にお花をつけてもらったよね……よし、できた!
私は書いたばかりの手紙を乾かして、紙を切り、さっそく龍青様にお届けする。
両手で紙のはしとはしを大事に持って、とてとてと歩いて近づき差し出した。
みてみて龍青様、上手に書けたと思うの。
龍青様はどれどれと言いながら、私の差し出す手紙を受け取って……。
「姫、手紙は中身が他の者に読まれないように、
ふたつみっつと折りたたんでから、相手に渡した方が……っ!?」
龍青様は私の手紙を苦笑しながら受け取ると、固まった。
そしてそのままゆっくりと、龍青様の体が傾いていって……。
手紙を持ったまま、床にごろんと倒れこんでしまったのだ。
「……キュ?」
「公方様!?」
「いかがなされまし……ああ」
女房のお姉さんと侍従のお兄さんが、あわてて龍青様に駆け寄ると、
龍青様が持つ、手元の物を見て原因が分かったようだ。
みんながそろって、私の方に何ともいえない顔をして見てくるんだけど。
何? 私はお手紙をあげただけだよ? 上手に書けたでしょ?
「……姫様、あのですね? 大変申し上げにくいのですが、
公方様は純粋な色恋にあまり免疫がないのですよ。
ええと、邪な野望を持つ姫君や市井の娘には、
普段から、しつこいくらいに言い寄られたりするんですけどね?」
「キュイ?」
「姫様からの、素直で直球の告白は刺激的過ぎたのか、
感激して気絶してしまわれたのかと……」
そうなんだ? 私は龍青様の体をゆさゆさと揺らしながら首をかしげる。
お手紙を龍青様のためにがんばって書いたのに、ダメだったのかな?
私は紙の大きさいっぱいに「すき」と大きな字で書いていた。
私がお兄さんに伝えたいことは、この言葉に全て込められているから、
がんばって書いたんだけど……。
龍青様はすごく喜んで気を失ったようだ。
でもおかしい……私、龍青様に「すき」っていつも言っているんだけどな?
最近はね? 龍青様の肩の上によじ登って、
耳元に口を近づけて、ないしょ話でこしょこしょと「すき」って伝えているんだ。
そうしたら龍青様が、くすぐったそうにしながらも喜んでくれて、
「俺も姫のことが好きだよ」と顔を真っ赤にして、
私の耳に手を添えて、こしょこしょして返してくれてね。
そのやりとりがとっても楽しくて、私はキュイキュイ鳴いて喜んで、
最近ではほぼ毎日、龍青様と「すき」を言い合っているんだけど。
「姫様の出された手紙は恋文になりますからね。
秘めた思いを形として残す。趣のあるものなんです。
姫様から初めての恋文をもらえるとは思っていなかった公方様は、
突然の愛情表現に、こうなってしまったのでしょう」
「歌にしのばせて、好意をほのかに伝える方法はありますが」
「姫様ですからね」
「そうですね。公方様も突然の求愛に、身構えることが出来なかったのかと」
「キュイ?」
みんなが私の頭をなでては去っていく。
そして誰も、龍青様を助けてはくれないのか。
私はあいかわらず、龍青様をゆさゆさして、「お返事ちょうだいよう」と、
お兄さんを起こそうとしていたが、あわてて侍従のお兄さん達に止められた。
何でも「幸せのよいん?」とやらを奪ってはかわいそうだとか言われて、
涙を拭って、みんな部屋をいそいそと出て行くんだ。
なんなんだと私はお兄さんと取り残されて、
気を失っている龍青様の顔をのぞきこんでいたら、
女房のお姉さんにおやつの桃を用意してもらった。
「さあ、姫様。水菓子をお召しになって待っていましょうね?」
「キュ~……」
桃が私を呼んでいる。じゅるっとよだれが反応した。
龍青様が幸せならいいか……私はしかたないので桃の欠片を手に取り、
横たわったままの龍青様の懐に近づいて、よりかかって、
しゃくしゃくと桃を食べて過ごすことにした。
※ ※ ※ ※
しばらくして、ようやく目を覚ました龍青様は、
私が渡した手紙をしっかと抱きしめて起き上がってきた。
「こ、この手紙にふさわしい、保管用の箱を直ぐに職人に作らせよう!
桃姫が俺のため、俺のためだけに明確な意思を持って用意してくれた。
初めての恋文だ!! これは生涯大事にとっておかないと!!」
「キュ」
興奮気味に龍青様は職人のおじさんを呼んで、
私から贈った手紙をしまうための、
特別な箱の装飾についての相談が始まった。
……そんなに気に入ってくれたのなら悪い気はしないな。
じゃあ、たくさん“こいぶみ”というのを書いてあげようか。
でもね? この事を後から来たミズチのおじちゃんに話したら、
目頭を押さえて「ふびんな」とか言われたんだけど、ふびんってなに?
私がまだ小さな子どもだから、
ままごとみたいな事しかできないからってことらしいんだけど、
んーと考えて、よく分からなかったらキュイっと鳴いて、
まあいいかってなった。
次の日、龍青様から桐の箱に入れてお返事をもらった。
そして、手紙はもう少し長い文で書くんだよと龍青様に教えてもらい、
私はキュイっとうなずいて、龍青様に長いお手紙を書くことにした。
「りゅうせいさま、だいすき」
紙の上いっぱいにまたおっきく字を書いて、
見て、としっぽを振って龍青様に渡しに行ったら、
龍青様は嬉しそうにそれを受け取った後、
書いたものを見たとたん、今度は胸元を押さえて倒れこんでしまった。
「どれど……ぐはっ!?」
「キュ?」
「公方様!?」
「公方様が心の臓を―!!」
「お倒れになりました!」
「だっ、誰かお医者様を!!」
「……キュ」
今度こそみんなが慌てて駆け寄って介抱しようとするものの、
私が龍青様にこれをあげたらなったよと、
侍従のお兄さんの着物の裾をくいくいっと引っ張り、
あっちあっちと手で指し示したら。
「ああ、いつものことですか……」
と、またも龍青様を放置して、みんな散り散りになった。
さっきまであんなに怖いお顔をしていたのに、
なんでみんな笑っているんだろう。
私は「どうして誰も龍青様を助けてくれないの!?」と思って、
キュイキュイと抗議しながら、今日もゆさゆさと龍青様の体を揺らした。
私だけがきっと龍青様の味方なんだ。これは私が龍青様を助けてあげないと。
ふんっと鼻息荒く、龍青様の顔を舐めていると……。
「姫様、公方様は大丈夫ですわ。しばらくは目を覚まされないでしょうし、
このまま休ませてさしあげて……そうですわ、
姫様はそろそろおやつにしませんか?」
「キュ?」
私はゆさゆさを止めて、おやつという言葉に反応する。
そのまましっぽを振りながら、桃の欠片をもらうことにした。
そして今日も、床に放置された龍青様に寄りかかってしゃくしゃくと食べる。
龍青様は今日も幸せそうに夢の世界に行っているようだ。
私のもので喜んでくれるのは嬉しいけど、
こうなると龍青様が戻ってくるのは時間がかかる。
ちょっと寂しいな。もうちょっとかまって欲しいんだけど。
「キュ……」
でも思うんだ。龍青様はいつも私の郷やみんなのために、
たくさん神様のお仕事をしているから、きっと疲れていると思うんだ。
なら、このまま少し休ませてあげないといけないよね。
目が覚めたらまた遊んでもらおう。
「よお、お邪魔するぜ――……って、
おい、なんでそんな所で寝てやがるんだ龍青は」
「……キュ?」
あ、ミズチのおじちゃんだ。いらっしゃい。
おじちゃんはお部屋に来てすぐに、私があげた手紙と、
胸のあたりの着物を押さえて床の上で倒れたままの龍青様を見て、
全ての事情を分かってくれたらしい。
でもミズチのおじちゃんも、龍青様を起こしてはくれないようだった。
「龍青、色恋には奥手だと思っていたがこれほどとは……」
と、くうっと泣かれてしまったけどね。
おねむになったら、寝床に連れて行かなくていいのかな?
でも私じゃ、寝床まで龍青様を運んであげられないんだよね。
……と思いながら、私は余りの桃の欠片をしゃくしゃくと食べる。
「それにしても……色恋沙汰で言い寄られることはあるってえのに、
嬢ちゃんみたいな、真っ直ぐな愛情表現には慣れていないなあ。
まあ、幸せそうに寝こけているようだし、放っておくか」
「キュ?」
食べ終わった私は、甘い汁の付いた手をぺろぺろと舐めとると、
まだ眠っている龍青様を見て、こくりとうなずいた。
「純粋な想いに慣れてはいないが、こいつには必要な事だろうさ。
ずっと嬢ちゃんのような愛情をくれる相手に飢えていたからな、
これからも面倒をみてやってくれや」
そう言いながら、ミズチのおじちゃんは持ち込んだお酒を杯に注ぎ、
ぐいっと飲んで、ごきげんで過ごしている。
「キュイ」
うん、私と龍青様は一番の仲良しさんだもんね。
こんな風に少しずつ、大好きなお兄さんの為に何かできるのが嬉しくて、
私はしっぽを揺らしながら、龍青様の寝顔を見つめ、
やがてころんと寄り添って眠ることにした。




