桃姫のお見舞い⑥~姫のお清め~
一緒に食べた桃は、一匹だけで食べるよりも美味しかった。
おやつを食べ終えて、私が満足げな顔でしっぽを振っていると、
龍青様は私の頭をなでてから床に卸して、ゆっくりと立ち上がった。
見上げる私に、龍青様はにっこりと微笑みを返す。
「さてと、それじゃあ俺は湯殿に行ってくるよ」
寝込んでしまったから体を清めたいらしい。
多い時には何度も沐浴することがあるんだって。
私はわかったとキュイっと鳴いて、両手を前に伸ばしながら、
龍青様と並んで付いて行くことにした。
「……姫、やっぱり今日も一緒に入る気なのか?」
「キュイ」
そうだよ。龍青様が倒れないように、傍で見ていてあげなきゃ。
えっと、そう! 病み上がり……だもんね。具合が悪くなったら大変。
私はふんっと鼻息荒く、しっぽをぶんぶんと振って応えた。
だいじょうぶだよ龍青様、私も自分の体の洗い方を覚えたから。
これで一緒に入れるよね。
「い、いや、その前にだな、何度も言うようだが、
嫁入り前の若い娘が、婚約者とはいえ雄と共に沐浴をするのは……」
「キュ!」
行くの。
とと様の具合が悪い時は、かか様が面倒を見ていたもん、
私も龍青様の嫁になるんだから、お世話するの。
だめなら後から追いかけて、どっぼんと飛び込むよ?
「……し、しかたないな。誰か居るか?
桃姫の沐浴の準備をしてくれ、俺の分もな」
私は女房のお姉さんに沐浴用の白い着物を着せてもらった。
前に温泉に行ったときは無かったけれど、
私の分もあれから作ってくれたようだ。
今からずぶぬれになるのに、なんでこんなの着たりするんだろう?
脱いじゃだめ? って聞いたら、龍青様がだめだって言う。
「嫁入り前の娘が、みだりに雄の前で肌をさらすものではないんだよ。
こういう事にも姫は慣れておかないといけないからね」
……人型になっている時は、人間の世界のしきたりに従う龍青様。
それが一緒に入る条件だと言うのなら、私も大人しく従おう。
今日は良い子にする約束なのだ。でもいつも私は裸なんだけどね。
「だから今日は、体をみがくのは出来ないから、
湯浴み程度で我慢してくれるか、姫」
「キュイ」
よく分からないけれど、わかった。
私が大きくなったら、背中を洗いっこしようねって話したら、
龍青様が顔を背けて、「そ、そうだな」って言ってくれたけど、
頬がほんのり染まっていたのを私は見逃さなかった。
「ひ、姫は大きくなっても俺と入る気なんだな」
「キュ?」
そうだよって言ったら、龍青様の顔がもっと赤くなった気がした。
※ ※ ※ ※
神様が体を清めたりするのは、
不浄を落とし、穢れも祓う大事な儀式の一つらしい。
……意味はよく分からないけど、きれいにしないといけないようだ。
いつも人間の暮らしを真似ている龍青様だけど、
沐浴……つまり体を水やお湯で清める方法だけは、
陸の人間がやっているものとは少し違うそう。
お湯から出る白い湯気というのを浴びて、草の葉で体をこするのとは違い、
ここは膳を用意する時に使う、釜殿という部屋から用意した湯を、
近くの部屋にあるヒノキと言う木の大きな箱? みたいな所にざっばざば入れて、
それで、この湯の中に清めにもいいというお酒とひとさじの塩を入れて、
行水することで穢れを祓うんだって。
「暑い時期は、所有している泉の水で清めたりもするんだよ」
「キュ」
そうなんだ。
私はこのお湯に体ごと浸かるのが好きなので、
白いけむりだけ浴びるっていうのは、ちょっと物足りないな。
龍青様が先に入って湯浴みをしている間、
私は女房のお姉さんと近くの部屋で待っていて、
一緒に手をぺちぺち合わせたりして遊び、
まだかな、まだかな~と後ろを振り返りながら待つ。
やがて、龍青様から「いいよ」とやたら小さな声で呼ばれたので、
しっぽを振りながら中へと入ることになった。
両手を前に伸ばし、とててっと入ると中で龍青様が待っていてくれた。
「キュイ」
「さ、姫、おいで」
濡れた髪をかき上げながら、龍青様は私に話しかける。
先に湯浴みをしたおかげで、頬はいつもよりもほんのりと染まっていて、
それでいて、すっきりとした顔つきをしていた。
着ていた着物は体に張り付いていて、やっぱり邪魔そうに見えたけど。
さあ次は私の番だね。ぶんぶんとしっぽが揺れる。
「自分だけで出来ると言っていたが、大丈夫かい?」
木の椅子に腰かけた龍青様に私はうなずく。
「キュイ!」
できるよ。見ていてね龍青様。
入ると目の前の床には一枚の布が敷いてあったので、その上に飛び乗ると、
私はキューイキュイキュイ言いながら、激しくごろごろと寝転がった。
見よ。これが人間の生活を学んだ私の洗い方だ。
「ひ、姫!?」
「キュイキュイ、キュイキュイ」
体を清める。つまり体をこすり付ける行動と私は理解した。
「キュ」
ね、上手に出来たでしょ! 龍青様お湯かけてーと、
私はお腹を上にし、両手足を伸ばして得意げな顔をした。
これで最後、体にお湯を掛ければ、湯船の中に浸かっていいはずなんだ。
すると龍青様が何とも言えない顔で、私のことを見つめているではないか。
「……」
「キュ?」
「今日は湯を体に掛けるだけの予定だったんだが……。
それにそのみがき方……姫だけで入らせるのはまだ早いな。
頭を打ったら危ないし、せっかく着せた湯浴み用の着物が役に立たない」
そうだね。ちょっと疲れたし、
着せてもらった着物は紐がほどけてしまった。
そもそも、なんでこれわざわざ着るのかな? 邪魔じゃない?
人間の習慣ってふしぎなのが多いよね。
ぺろんとめくれてしまったので、これもう脱いでいい? って、
着物をつかんで、張り付いて邪魔なんだけどと龍青様に聞いてみたら、
「し、しかたないな」とお許しが出た。
「こういうことは俺の前だけにするんだぞ、姫」
「キュイ」
今でもこの着物を着る意味とか、
他の雄の前でやっちゃいけないとかが私は分からないんだけど。
わかったと言っておいた。
「キュイキュイ」
外で待っている女房のお姉さんの所まで行き、脱がせてって合図する。
そうしたら、「あらあら」と言いながら脱ぐのを手伝ってくれて、
元の裸になった私は、また湯殿の中に両手を伸ばして戻っていく。
足に身に付けている鈴はそのままなので、歩くたびにちりりんとなった。
この鈴の音が、私の行動を周りに知らせることにもなっているから、
龍青様も私の鳴らす鈴の音を聞いて、こちらを振り返る。
「キュ」
ねえ、やっぱり裸で入るのが一番だよ龍青様。
しっぽも翼も動かせるから、とってもいいもん。
龍青様も脱ごうよ、それ体に張り付いていて邪魔でしょ?
私は龍青様の着ている着物の裾をぐいぐいと引っ張った。
脱がせてあげる。
「いや、だから年頃の雄と入るのだからな? せめて俺だけでも着ないと。
姫、ちょっと聞いているか? こら、俺の着物を引っ張るんじゃない」
「キュ?」
聞いているよ。ねえねえそれより早く入ろうよ。
私は着物から手を離し、大きな木の箱をぺちぺちと叩きながら、
龍青様の方を振り返る。早く体をあっためなきゃ。
そうしたら溜息を吐いて、おいでと抱き上げられて龍青様のお膝の上へ、
私はそのまま座り込むと、私の体はざばざばと後ろからお湯を掛けられて、
ぬか袋とか言う小さな白い袋を、体にこすり付けられた。
「キュイ、キュイキュイ」
くすぐったくて、じたばたと逃げようとするけれど、
龍青様にがっちり捕まえられていて逃げられない。
「こらこら、暴れない」
「キュー?」
その後にまたお湯をかけられ、ぬれた布で顔をそっと拭かれると、
龍青様に抱きかかえられたまま湯の中へ――……。
「キュイ?」
入れられるかと思いきや、私は湯の上に浮かべた木の桶の中に入れられた。
中には湯が入っていて、私のお腹まで浸かる形だ。
「ふふ、まるで小舟に乗っているようで面白いだろう? 姫」
「キュ……」
まってちがう、確かに一緒に入っているかもしれないけど、これはちがう。
これは私の求めているものじゃない。
水面にぷかぷかと浮かべられた桶はゆらゆらと動いちゃうし。
桶の端っこをつかんで、キュイキュイと私は抗議した。
なんで私だけこの中なの、龍青様。
「これなら姫も足がつくし、溺れないからね」
「キュ!」
やだ。抱っこ!
私は龍青様に両手を伸ばして、私もそっちに行くと言うと、
桶がぐらっと傾いて、私は頭から湯の中に落っこちた。
「姫!?」
ごぼごぼー、ぶくぶくーと泡を吐きながら溺れたが、
だけど、ここでめげる私じゃない。私は成長しているのだ!
手足をばちゃばちゃと動かしていれば、
目的地、つまり龍青様の元に着くことを私は知っている。
沈む前に龍青様までたどり着き、着物をひっつかむと、
ぷはっと息を吐き満面の笑みを浮かべた。
ようやく私の求めている距離で龍青様を見ていられるね。
しっぽがお湯の中でぶんぶんと揺れていた。
「ひ、姫……相変わらずその行動力の良さはどうなんだ」
龍青様が私を抱き上げて、体を支えてくれた。
「だめだったか……いい考えだと思ったんだがな」
「キュイ」
ふう、最初からこうしてほしかったのに、
なんであんなのに入れられたんだろうな。悪くはないけどこっちの方がいい。
すると顔を真っ赤にしている龍青様が、また、あーとか、うーとか言って、
天上を向いているので、私も真似をして、キュー、キュー? と、
上を向いて言ってみたけど、これ、何の遊びなのかな? 楽しいの?
この様子を外から聞いていたのか、
女房のお姉さん達の話し声が壁越しに聞こえてきた。
「姫様があんなに懐いていることですし、今のうちに捕まえておきませんか?」
「もし、大きくなるまでに心変わりされたらと思うと。
今のうちにせめて、簡略的な婚儀だけでも済ませられないものでしょうか。
正式なものは、のちのち姫様が大きくなった時を見計らってですね」
「陸地の人間でも、そう言う前例が無いわけではありませんが」
「公方様が奥手すぎるからいけないんですわ。
あんなに姫様から好意的に迫られていると言うのに、
若い娘が心をときめかせるような言葉を、
まだ一つも囁けないのですもの」
「いくら先代様の事があったからと言って……ね。
心をつなぎ止めておかないと、いずれ逃げられてしまいますわよね。
姫様はとても行動力のある方ですから、愛想を尽かされたら一瞬ですわよ」
「おまえたち……全部聞こえているぞ?」
龍青様がぽつりと部屋の外に向かって話すと、
外で話していたお姉さん達の声がぴたりと止まり、
やがて、すたたーっと走り去る足音が聞こえた。
どうやら私達の話を壁越しに聞いていたらしい。
いつも、「走ると危ない」って私に言っているのにな、
お姉さん達だけずるくない?
でも私は龍青様と入れて幸せだった。
しっぽをぺしぺしして湯の感触を楽しみつつ、
さっきのお話はなんだっだんろうなって首をかしげる。
「キュ」
それに……こんぎ?
そういえばこんぎって、前に龍青様が言っていたことあるよね。
だから龍青様に「こんぎってなあに?」とキュイキュイ聞きながら、
お兄さんの着物をつかみ、体の力を抜いてみる。
すると私の体が、主にお尻の部分がぷかっと湯の中で浮いた。
おおっと感動した私は、足をぱちゃぱちゃと動かしてみる。
泳げるまであと少しじゃないかな。がんばるのだ私。
「こ、婚儀とは……俺と姫が正式な番になる儀式のことだよ」
「キュイ?」
今じゃ出来ないの?
龍青様が神様としての力が弱いのは、番が居ないせいだ。
でも私が龍青様の嫁になるのは、私が成体になってからって言う。
私はもうしてもいいかなってくらいには、龍青様のことが好きなんだけど。
だって番になってあげたら、龍青様が強くなれるんでしょ?
そう言うと、龍青様はお顔を真っ赤にして私を抱っこしてくれた。
「形だけは出来ない事もないのだろうが……言っただろう?
姫には考える時間を与えたいと。幼いうちにおまえを縛り付けて、
俺の父のような状況に、姫を強いたりはしたくないからな。
龍の雄の執着は蛇よりも強いんだ。一度番にしたら俺は嫁を手放せないよ」
そう言われて私は全身で龍青様にしがみ付いた。
じゃあ、私しだいってことだし、全然問題ないよね。
今すぐその、こんぎ……だっけ? してみようか、龍青様。
そうすれば龍青様も、困った事がなくなるみたいだし。
「は? い、いや姫、俺の話を聞いていたか?」
「キュイ」
聞いていたよ。
「いやよく分かってなくて言っているだろ、姫」
「キュ?」
好きだから、嫁になるのでいいんじゃないの?
聞き返そうとしたら私はお湯から上げられて、
先に出て身支度をしておいでって、背中を押されて言われた。
「キュ~?」
「さ、話はここまでだ。湯冷めしないうちに体を拭いてもらいなさい」
えーなんでー? とキュイキュイ鳴いて振り返る私に、
更に顔を真っ赤にした龍青様。
「姫を嫁に欲しいのはやまやまなんだが、
今の姫はいろいろなものに触れて、生きることを学ぶ時だからね、
物事の分別とか、雄への警戒する精神とか……特にその無防備さ加減とか、
心配な点も多いから、まだ早すぎるんだよ」
それ以上は聞いちゃいけないようだ。
私は物わかりのいいお子様なので、大人しくうなずいて部屋を出ることにする。
まだ難しいことは、とと様や龍青様にお任せしているのだ。
ほこほこと温まった体で部屋を出ると、
戻ってきた女房のお姉さん達が笑顔で出迎えてくれた。
「うふふ、お帰りなさい姫様」
「お待ちしていましたよ」
「さあ――……姫様参りましょうね?」
「さあさあさあ!」
「……キュ?」
やたら笑顔のお姉さん達が、一斉に私の方へ手を伸ばしてきて、
あれ? っと思った時には私は布に包まれてさらわれていた。
え、ちょっと待って、どこへ行くの?




