1・水神様の神隠し
ここは人里から遠く離れたとある山奥、龍族が人間の追っ手から逃れ、
安住を求めて住み着いた龍の郷。まだ出来たての龍の群れだ。
この群れの多くが紅炎龍という、真っ赤な体の火属性の者達に対し、
かか様は白龍で私は桃色の、その群れからは浮いた異色の色合いをしていた。
けれど私達は迫害されることもなく、とても仲良く暮らしている。
「キュ、キュイキュイ」
かか様、今から“神隠し”に遭ってくるね。
そう言うと止められるどころか、気を付けていくんですよと頬を舐められた。
このやり取りを聞こうものなら、卒倒するだろう私のとと様は、
今、私達の為に狩りに出かけている。つまり、私にとって今が狙い時なのだ。
「キュイ」
まっ白な白龍のかか様に甘えているのも好きだけど、
私は最近、他にも好きなものが出来た。
「キュ、キュイ、キュイ」
おみやげに草の葉で包んだ包みを、落とさないように頭の上に乗せ、
お気に入りの手まりを両手で大事に持つと、しっぽが揺れる。
「キュ、キュ、キュ~」
ご機嫌に鼻歌を歌いながら、小さな足でとてとてと獣道を歩く龍の子ども。
体は持っている手まりのように小さいので、移動するのにも一苦労だ。
私の名は桃姫、若草色の瞳に桃色のうろこで桃のようだからと、
知り合いになった湖の主様が名付け親になってくれた。
「キュ」
獣道をたどってやって来たのは、郷に近い清らかな水が流れる滝つぼ、
ここでは魚が捕れるらしいけど、水の量も多く、流れる勢いが強くてとても速いから、
とと様には「危ないから、子どもだけで行ってはだめだ」とか
いろいろ言われていたけど……。
「キュ」
まあ、いっか。いつものことだし。
毎度のことなので、言いつけを守らずにやってきたのだ。
「キュイ」
だって、とと様が一緒だと、どっちみちここへは来られないんだもの。
頭に乗っけていた荷物を横にどかし、
子ども特有だという、ぽっこりした私のお腹を岩の上へと付け、
水面をのぞきこみながら、短い足をぱたぱたと動かしていつもの習慣を行う。
泳ぎの練習ではない、これはれっきとした神様を呼ぶ儀式なのだ。
ちりん……。
ちりんちりん……。
私の足に青い組みひもで結ばれた鈴を、ちりりんと鳴らせば彼を呼ぶ合図。
音色を風に乗せて響かせれば、白銀色にかがやく光が広がる。
やがて水面が揺れて盛り上がり、水中からざばっと水しぶきを上げ、
顔を見せる人型の姿をした彼に、私は起き上がると、
うれしさのあまりに、小さなしっぽをぶんぶんと振って飛びついた。
「キュイ!」
いらっしゃい!
しがみ付いて、喉をゴロゴロ鳴らしながら出迎える。
「……っと、こらこら桃姫、いきなり飛びついてきたら危ないだろう?
いたずらをしないで良い子にしていたか?」
「キュイ」
私は元気にうなずいた。
手まりのように小さな私を、
大事そうに抱っこしてくれるお兄さんの名は、龍青様。
腰元まで流れる青銀髪の髪を、青い組みひもで一つにまとめ、
私を見つめている瞳は水面を模したような水色、
そして人間の着物をまとった彼は、もう数少ない青水龍の一匹で、
なんと水をつかさどる水神様で、とっても偉い方らしいよ。
どのくらい偉いのかなんて、子どもの私はよく分かんないけどね。
そして私の名付け親でもあり、
私が嫁とか番になると約束した相手だったりする。
「キュ」
いつも強制的に呼びつけて遊んでもらっている、私の大好きなお兄さんだ。
ちなみに嫁とか番と言う意味を知らない私は、周りに聞いたりもしたけど、
目をさっとそらされて、大きくなってから……という話をされたので、
未だに分からずじまいだ。
……なんか震えながら話された気がするけど、何があるんだろうな。
「よしよし」
「キュ~」
でも、このお兄さんは、出会った時から私にとても優しくしてくれて、
いつも何かと可愛がってくれているのが分かるから、
嫁、いいよと小さな翼をぱたぱたして、キュイっとお返事してあげたら、
龍青様はすごく嬉しそうに笑ってくれていたよ。
でも、とと様が後でこの話を聞いて『娘だけは、娘だけはあ……っ!』って、
龍青様の足元でわんわんと泣いていたのを見た事あるけど、
あれ……なんでだろうな。
「キュイ?」
それにしても今日の龍青様は、いつにもまして豪華な姿をしていた。
水面から上がってくる姿をは細やかな飾りを身に付けている。
金銀の細工に青い石が埋め込まれた首飾り、頭にも冠とか言うのを被っている。
それにやたら良い匂いがするんで、抱き上げられているのをいいことに、
彼の着物の中に自分の顔を突っ込んでみた……。
「キュー?」
この匂いなーに? と、くんくんとしきりに嗅いでいたら、
龍青様が慌てたように、ばっと私の両脇をつかんで引き離した。
「わあああっ!? こ、こら、姫、やめ、やめなさい!」
「……キュ?」
なんで? まだ嗅ぎたいのに。嗅がせてよ。
両手をちょいちょいと動かして、着物をつかもうとするが、
龍青様は首を激しく振って断られた。なんでだ。
「だ、だから、またお前はそんなことを……!」
顔を赤らめて汗を流し、困った顔をする龍青様。
「も、桃姫? お前はまだ嫁入り前の娘なんだから、もう少し……こう……。
慎みと雄への警戒心というのを……な?」
なぜか、あわてている龍青様に、私は首をかしげた。
だって良い匂いがしたんだよと私がキュイキュイ言えば、
龍青様は香を焚きしめた着物を着ているせいだよって教えてくれた。
そうなのか……私にナイショで美味しい物をこっそりと食べた訳じゃないんだね?
でも香ってなんだろう? また難しい言葉が増えてしまった。
「キュイ、キュイ」
再度、私が顔を近づけてすんすんと嗅いでいると、やっぱり甘くていい匂い。
(龍青様の匂いもするね)
この匂い好きだなと思って、キュイキュイと鳴いてしっぽを振っていたら、
龍青様は私の頭をなでながら頬を赤くして、
あーとか、うーとか、よく分からないうなり声をあげていた。
「そ、そうなのか……この無防備さ……。
無事に育てられるか本当に心配になってくる。
桃姫……頼むからこんな事を他の雄には絶対にするなよ?
もしも勘違いされたらどうするんだ」
「キュ?」
なんで?
そう言うと、龍青様は空を仰いで、またうなり声を発していた。
……お腹でも痛いのかな? あとでぽんぽんしてあげなきゃ。
「……まだ幼いお前に、このような事を話してもまだ無理か。
婚約者の俺が守ってやらないとな」
「キュ?」
「なんでもないよ。香は破邪の力があってな、妖魔の類を退ける力もある。
そうだ。姫にもそろいの匂い袋でも用意してやろうか。
おまえは小さくて危なっかしいし、やたらと狙われやすいようだからな」
「キュイ」
よく分からないけど、もらえるものはもらうよ。
でもその前に、なんで今日はこんなかっこうなの?
「キュ?」
「ん……ああ、この衣装が気になるのか?
これは陸にある水神を祀る社に行く用事があってな。俺の正装だ。
姫には余り馴染みのないものだから、珍しいのか」
「キュ……」
食っちゃ寝だけの子どもの私と違って、いつもお仕事で忙しい龍青様。
神様と言うだけあって、実は人間が作った社でも祀られているので、
水源のある所を行き来している。日照りや豊漁にも関係があるそうで、
人間でもこのお兄さんを敬う人とかも多いらしい。
……龍にとって人間は天敵なんだけど、龍青様にとっては違うのかな。
私は物珍しい容姿だったせいで、人間に狙われたことがあるから、
龍青様の考えている事は分からないや。
ということは、龍青様はこれからおでかけか。
「キュウウ……」
じゃあ今日は一緒に遊べないの? 私はすんと鼻を鳴らした。
郷には私と遊んでくれるような相手が居ない、今郷に居る子どもは私だけだからな。
龍青様が遊んでくれないと、一匹ぼっちで遊ぶしかないのだ。
すると、龍青様は私の頭をわしわしとなでてくれた。
「いや、用事はもう終わったよ……桃姫がまた今日も俺を呼ぶと思ったからな。
俺が留守の間に桃姫が水辺に来ていたら危ないし……生きた心地がしない」
前に来るのが遅くて、もしや龍青様に何かあったのかもしれないと、
私が滝つぼのふちでキュイキュイ泣いて、龍青様のことを呼び続けたあげく、
水の中にどぼんと飛び込み、探そうとしたことがあったので気にしているようだ。
「本当は桃姫が分別の分かる位に大きくなるまで、
俺は姫と会うのは控えようと思っていたんだが、
おまえは目を離すとすぐ無茶をするからな……。
だから酒も飲まずに急いで戻ってきた。今日も間に合ってよかったよ」
「キュイ」
うん、それ……かか様にもよく言われる。
私が傍に居ると、何をしでかすか怖くて何も手につかないってさ。
だからね。私が龍青様の所に遊びに行くと、龍青様が私の面倒を見てくれるから、
かか様は龍青様と遊ぶのは、あんまり反対していないようなんだよね。
前に私が親とはぐれて、龍青様に面倒を見てもらっていた時に、
私が龍青様の嫁になる約束を勝手にしたことは、驚いていたけれど。
その後、陸に帰る時に、かか様に聞かれたんだ。
『湖の主様のことが好きなの?』って。
だから私は大好きだよって、しっぽを振りながら答えた。
両親と引き離されて心細かった時に、助けてくれたのが龍青様だった。
とと様とかか様の元に帰されるまで、寂しがる私をよく抱っこして慰めてくれた。
私に居てもいいと、安心できる居場所をくれたのは、龍青様だったから。
『キュイ』
ずっとずっと、一緒に居たいんだ。
『……そう、もうあなたはあの方を番の相手に選んだのね』
『キュ?』
『龍の雌は若い時から、自分の番となる雄を探し、見定めるわ。
あなたが選んだ相手は、あの方になるのね……』
私のことをじいっと見つめた後、ぎゅっと抱きしめられて……。
よく分からないけれど、かか様に抱っこされて嬉しかった私は、
喉をゴロゴロ鳴らしながら、かか様に頬ずりして甘えた。
でも……かか様は少し泣いているように見えた。
その意味に、私はその時まだ幼すぎて分からなかったけれど。