8-1.ある夏のこと(19/2/9 追加ストーリー)
ここまでのストーリー:兄がいた。
サスケとラデアーナが9歳の時の夏の話である。
サスケはラデアーナとともに、庭のベンチに座り、青空に浮かぶ白い雲を眺めていた。すると、にやついた顔のアロピが、二人の前に立った。
「ちょっと、面白いものを見つけたから、あんたらにも、見せてやるよ」
サスケはアロピの表情を見て、あんまり期待できないな、と思った。この前も、同じようなこと言って、浜辺に打ち上げられた、魚型のモンスターの腐乱死体を見せられたからだ。
しかし、ラデアは目を輝かせて、立ち上がった。
「面白いもの! 見たい!」
「どうせ、つまらんよ」
アロピに睨まれる。
「そんなこと言わず、見に行こうよ」
ラデアーナに手を引かれ、サスケは渋々立ち上がる。
「アロピも、手をつなご!」
「うん。もちろんさ」アロピは満面の笑みを浮かべ、ラデアーナの手を握った。「はぁ、馬鹿と阿保じゃなくて、こんな可愛い妹が欲しかった」
「悪かったな、馬鹿と阿保で」
「あんたは阿保の方よ」
「私も、アロピがお姉ちゃんだったら、良かった」
「でしょう?」
破顔するアロピの顔を見て、サスケは、お婆ちゃんかよ、と思った。
アロピに先導され、浜辺へ続く階段に向かって歩き出そうとしたとき、「んんっ!」と咳払いが聞こえ、目を向けると、ディトロが仲間になりたそうな顔でこちらを見ていた。そして大きな声で言う。
「ああ! 暇だな、俺! 俺もどっか行けるのになぁ!」
アロピはこれを華麗にスルー。ラデアーナの手を引き、先に進もうとする。
「ああ! 暇だなぁ!」
ディトロは大きな声を出して、追いかけてくる。だから、サスケは可哀想になって、足を止める。
「ちょっ、サスケ」
アロピに睨まれる。
「まぁ、兄貴も連れて行ってやろうぜ。なっ? ラデア」
「う、うん。仲間外れは、可哀想かな」
アロピは舌打ちし、サスケに目配せする。なら、お前が相手をしろよと言っている。
サスケが振り返ると、ディトロは一緒に行きたいが、しかし、興味はないような雰囲気を醸し出し、大きく伸びをしていた。
「兄貴も一緒に来る?」
「おっ、どっか行くの?」
「うん」
「そっかぁ。なら、行こうかな」
アロピが舌打ちして、歩き出すと、ディトロは慌てて追いかけてきた。
「ちょっ、どこに行くんだよ! 危険な所は――」
と言いかけたディトロであったが、アロピに睨まれて、口を閉ざす。馬鹿も阿保もアロピには頭が上がらないのだ。
「なぁ、何で、あいつ、あんなに機嫌が悪いの?」
ディトロはサスケに耳打ちする。多分、そういうところじゃないかな、と思ったが、サスケは「さぁ?」と適当に誤魔化す。
そして四人は浜辺に降りて、浜辺を歩いた。先に、アロピとラデアーナが手をつないで歩き、サスケとディトロがその後ろについて行く。楽しそうに会話する女子二人を、サスケとディトロは、黙って眺めていた。
10分ほど歩くと、海蝕洞が見えてきた。崖にできた大きな穴が、海水を呑み込んでいる。
「おいおい、あそこは危ないから近づくなって」とディトロが不安そうに言う。
「なら、あんたはここで待ってな」
「いや、でも」
「大丈夫。奥まで行かないから」
アロピは気にせず、海蝕洞へと向かう。ディトロとサスケは顔を見合わせ、ディトロは兄としての使命感があるのだろう。渋い顔でついて行った。サスケもついていく。
「で、面白いものって、何?」
サスケが聞くと、アロピが上機嫌に答える。
「見てのお楽しみ。でも、見たらきっと驚くと思うよ」
かなり自信があるようなので、サスケは少しだけ、期待した。
そして、海蝕洞の入口まであと100mという距離で、ラデアーナが立ち止まった。
「どうした?」とアロピ。
ラデアーナはその瞳に恐怖の色をにじませて言った。
「この先に、何か、いる」
「何かって?」
「わかんないけど、この感じ、怖い。ねぇ、アロピ。行くの、止めよ?」
ラデアーナに懇願するように手を引かれ、アロピは困惑する。
「大丈夫だと思うけど。なら、ラデアはここで待ってて。持ってくるから」
アロピはラデアーナの手を放した。「あっ」とラデアーナはアロピの手を掴もうとするが、空を掴んだ。
成り行きを見守っていたサスケは、ラデアーナの不安そうな顔を見て、胸騒ぎが起きた。
「兄貴、ラデアのこと、頼んだ」
「えっ、うん」
追いかけようとしたサスケの背中に、「サスケ!」とラデアーナの声が掛かる。
「大丈夫」とサスケは振り返る。「何かあったら、俺が守るから」
ラデアーナは心配そうにしながらも頷く。
サスケは、走ってアロピに追いついた。
「馬鹿の臆病風がうつっちゃったんじゃないか?」とアロピは不服そうである。
「でも、ラデアのあの感じ、気を付けた方がいいんじゃい? 彼女、エルフだし」
「大丈夫だと思うけどなぁ」
そして、海蝕洞の入口付近まで来た。
「この先にあるんだよ」とアロピが入口を指さした。
その瞬間、サスケは異変に気づき。アロピの手を掴んだ。
「何だよ」
「逃げるぞ」
「えっ」
サスケは状況を説明するように、入口を指さした。サスケが指さしたものを見て、アロピは息を呑む。
身長が2メートルはある大柄の人間が立っていた。しかしそれはただの人間ではなかった。腐乱死体である。皮膚が破け、腐った筋肉がむき出しになっていた。顔面の損傷も激しく、頬の肉が剥がれ落ちそうになっており、右目の周りの骨が露わになっていたが、その眼窩には健常者のような眼球があって、ぎょろぎょろ動いている。左目の眼窩には暗闇が広がっていた。
「きゃあああああああああ!」
アロピが悲鳴を上げ、一目散に逃げだす。サスケは、目の前の腐乱死体の行動を観察しながら、アロピを追いかけた。
動き回っていた腐乱死体の眼球が止まり、サスケたちを視野に捉えた。腐乱死体は、腕を直角に曲げ、猛スピードでサスケたちを追いかけてきた。
サスケは視線を前に向ける。逃げるアロピに、状況が理解できず、その場に留まるラデアーナとディトロ。
「逃げろ、早く!」
サスケの後ろからやってくる腐乱死体を認め、ようやく状況を理解したのか、ラデアーナとディトロは走って逃げようとする。しかし、そのとき、ラデアーナの足がもつれて、転んでしまった。
ディトロはラデアーナが転んだことで、杖を取り出し、腐乱死体に照準を合わせる。
「兄貴、ラデアは俺に任せて、逃げろ!」
しかしディトロは、腐乱死体に向かって、〈火球〉を放った。
(馬鹿か!)
ディトロが火球を放った軌道上にはサスケがいた。サスケは舌打ちし、しゃがむ。サスケの頭上を火球が過ぎ、腐乱死体にぶつかって、爆ぜた。
サスケは振り返る。煙が上がっていたが、腐乱死体は、火球など、意にも解さない様子で、走り続けた。
ディトロはもう一度、〈火球〉を当てようとする。
「速く、走れ! 馬鹿!」
ディトロは〈火球〉を放った。しかしその〈火球〉は明後日の方向に飛んでいく。サスケは苛立った。早く逃げればいいのに、無駄に戦おうとしたせいで、腐乱死体とディトロたちとの距離が縮まった。
(仕方ない。忍法を使うか?)
しかしラデアーナだけならまだしも、ディトロやアロピに見られるのは、都合が悪い。
(どうする?)
「サスケ! 後ろ!」
ラデアーナの声に、ハッとして、サスケは振り返る。腐乱死体がすぐそばまで迫り、手を伸ばした。
掴まりそう――になった瞬間、サスケはひらりとその手をかわし、回転蹴りで腐乱死体の左足に蹴りを入れた。
バキっと折れる音がして、腐乱死体が前のめりに倒れた。サスケは好機とばかりに、距離をとって、ラデアーナに駆け寄った。
「乗れ」
ラデアーナに背中を向ける。
「でも」
「速く!」
サスケが怒鳴り気味に言うと、ラデアーナは頷き、サスケの背中に乗った。
「お前も早く逃げるんだよ!」
まだ戦おうとするディトロの袖を引き、サスケは引っ張る。
「わかっ、わかったから、放せ!」
サスケはディトロと並走し、砂浜を駆ける。
(このまま逃げ切れるか?)
と思ったとき、ラデアーナが言った。
「あいつ! 回復魔法を使ってる!」
振り返ると、確かに、腐乱死体は起き上がって、左膝を押さえていた。そして膝を抑える右手から、緑色の光が漏れている。
「ゾンビが回復魔法を使うのか!?」
驚愕するディトロ。
「いや、あれはゾンビじゃない」とラデアーナ。
「どういうことだ?」とサスケ。
「あいつからは、魂を感じない」
何だそれ、と思ったが、エルフなりの解釈があるのだろう。サスケは取りあえず、逃げることに集中した。
「ああ、追ってくる!」
治療を終えた腐乱死体は、立ち上がり、再び追いかけてきた。心なしか、さっきよりも速い――というか、ディトロの足が遅く、それに合わせて走っているので、相手の方が速く感じるのだ。
「このままじゃ、捕まっちゃう!」と絶叫するディトロ。
「いや、大丈夫だ」
とサスケは言った。そのとき、一陣の風がディトロとサスケの間を駆け抜け、3人を守るように、男が立ちはだかった。
ラデアーナが誘拐された際、父親と一緒にやってきた優男風の騎士、セラータである。セラータは、ラデアーナや父親の護衛のため、王都からこの場所に派遣されていた。そして、異変を感じとって駆けつけたのだろう。
サスケは、走る速度をゆるめ、楽しそうにセラータの後姿を眺めた。彼には前々から興味があった。
(見せてもらおうか、騎士の力を!)