夏の勝者の川渡り
歩道に染み込んだ雨が、灼熱の太陽に照らされ蒸発する。
みるみるうちに消えていく湿った痕跡のように、僕の精気もまた太陽に奪われる。額に流れる汗が、顔をゆっくり滴って首筋へ。過敏な肌はかゆみを放ち、僕の右手を誘い寄せる。だめだと思ってももう遅い。気づけば僕の爪は首もとをかきむしり、垢をその隙間へと詰め込んでいく。
日本の四季は時おり海外から称賛の的とされるが、現地人の苦労は止まるところを知らない。ましてや夏の湿気と熱気は、文化として許容するにはその域を越えている。一昨日も確か、熱中症の患者が何人か病院に運ばれたとかいうニュースが流れていた。そして、この暑さに殺された人々のニュースもまた、否応にも耳にはいってくる。人を殺す文化を称賛されるのもたまったもんじゃない。
学校までおおよそあと5分。それまでに生きてたどり着ければ僕の勝ち。僕が途中、道半ばで倒れれば太陽の勝ち。この勝負は人の生き死にを決める。齢17で命をかけるのもおかしな話だが、夏という季節が勝負を挑んできているのだ。そして僕に拒否権はないと来ている。アンフェアな中で繰り広げられるデスマッチだが、そろそろ決着がつきそうだ。
見ろ。眼前数メートル先に見える校門を。そして、僕と同じように勝負を吹っ掛けられた勇姿たちが、次々校門を通り抜ける様を。僕も彼らの一員に加われると思えば、なんと素晴らしいことだろうか。今日僕は、夏に、太陽に、湿気に、熱気に勝つのだ。あと数十歩足を動かすだけで、この長かった戦いに終止符が打たれるのだ。
僕の勝利は日本中に発信されるだろう。それは僕の名前、年齢、出身、あらゆるデータとともに報道される。そしてそれは、あらゆる人々の目にとまる。友達、家族、隣人や、僕の知らない人にまで、その拡散力の影響は及ぶ。僕の吉報を知らされることのない者たちといえば、それは死者に限る。何十年も前に戦争で死んだ人。一年前に死んだ友達の祖母。つい最近死んだ熱中症患者。そう、僕の勝利は決して敗者に伝わることはない。ましてや、夏に負けた連中が知るよしなどない。
ニュースで見た顔を思い出そうとする。熱中症で亡くなったのは年端のいった老人だった気がする。ふと隣にいた老人の顔を見てみれば、そう、まさしくニュースで見た顔と同じであった。
遠くの方でサイレンの音がする。救急車の音だ。また熱中症の患者が出たのだろう。だが僕にはもう関係ない。私は勝ったのだ。あらゆる不条理から勝ち逃げたのだ。私はいっそう晴れやかな気持ちで、目の前の校門を通り抜けた。隣の老人とともに。
みなさんも、熱中症、脱水症状には十分に注意しましょう。