シャーロットという女
ザザザッと勢いよく通り抜ける人影。
遠くから「またアイツだ!」「一体いつもどこからやって来るんだ。」と叫ぶ声が聞こえている。
その声が完全に聞こえなくなるまで、影はより山奥へと走っていく。
獣道だというのにそのスピードは落ちることはない。
木々が生い茂り、夜のように暗いそこから一気に開けた場所へ出ると、今までの暗闇が嘘のように、柔らかな光の差し込む大きな洋館がそびえ立つ。
はあはあと息を切らしながら走ってきた人物は、ここでようやく足をゆるめ、大げさに空を仰いで息を整える。
目深にかぶっていた帽子をとると隠していた髪がふわりと揺れる。手で髪をほぐすと今度は軽くそれを頭へ戻す。
最後に大きく深呼吸をして腰にある麻袋へ手を伸ばし、盗んだリンゴにかじりつきながら洋館へと入っていく。
「まあったく!ケチケチしないで、たまには喜んで『どうぞ、差し上げます。』くらい言えないのかね。」
ガシガシとリンゴをかじりながら靴の底の泥を落とし、腰につけていたベルトを外して本来はコート掛けであろうものに掛ける。手慣れた様子で歩きながらネクタイを外すことから衣服を脱ぐことまで片手でやってのける。
広い玄関と長い廊下を通り過ぎると大広間がある。その両端には曲線状の階段、二階は客間とバルコニーになっている。大広間の奥には10人は入れるキッチンに天然温泉を引っ張ったバスルームがあったりと、持ち主の裕福さが伺える。
「ただーいまー。今日も走り回って働いたから汗だくだよー。うー、ベタベタするー。お風呂お風呂っと。」
食べ終わったリンゴの芯をバスルームの窓から放り投げ、るんるんと鼻歌を歌いながら上品な金色の蛇口を回す。ドバアァァと轟音を鳴らしながら温泉が噴き出てくる。重そうなひも付きバッグを大事そうに洗面台へ置くと、湯がたまるまではシャワーを浴びて汗を流す。
「あーー。この時間がなにより至福だわー。」
ワインレッドの肩ほどまでの髪を結わえ、窓からの光で琥珀色に輝く湯舟に体を沈める。まだ午後も始まったばかりだというのに、彼女はすでに疲れ切っていた。
こんな豪邸に住み、時間に縛られることなく悠々と過ごす日々。しかし仕事はハードなのか足はパンパンに張っている。
念入りにマッサージをしながら、街で見てきた絵や文献についてぶつぶつと忘れないように声に出す。
「えーっと。美術館にあったあの絵は、アシュリー家の没落に至る原因を描いたもので、それの説明がいまいち正確なのが見つからないのよね。図書館の歴史書でも時代が進むにつれて内容が変わっちゃうし、これじゃあ先に進めないじゃない。でも、一族の中での問題児の記述はなかなか面白かったわ。そっちから調べたほうが真実に近いかもしれない。」
ようやく足がほぐれてきた。
「それにしても、思ったより警備が厳重なのが問題ね。アタシの細腕じゃあせいぜいリュックを背負うまでしか期待できないし。おっきなダイヤより小さいエメラルドあたりから選別するしかないか。」
結わえた髪をほどいてモコモコと泡をたてて洗う。
「それにしても---」
泡を流し、栓を抜いて、ポタポタと雫を垂らしながらタオルを手に取り、頭を拭きながら。
「泥棒ってのも楽じゃないのねー。」
そう。彼女は気ままな小説家でも
画家でも
高価なものを盗む、高尚な怪盗でもない。
彼女は---
生きるためだけに盗みを働いている、ただの泥棒なのだ。