32.真実なんてめんどくさい3
翌日の昼放課。
渡辺佳代という人物に話を聞くために美浜さんと共に3年4組の教室へと向かった。
正直上級生の教室に赴くのは少し勇気がいるが、今は何振りかまってはいられない。
彼女がもし今回の件に絡んでいるとしても安易には口は割らないだろう。そこを聞き出せるような話術は俺にはないし、上手く誘導できそうなプランもない。
だがこの状況を覆すには行動するしかない。待っているだけではいつ再選挙となるか分からないからだ。
美浜さんも少し緊張を滲ませた相好をしており、いつもより言葉数も少ない。
「……なんか3年生の教室とか行くの緊張するよな」
「そ、そうだね……。渡辺先輩って人が不正に関わっているか分からないけど何か聞き出せるといいよね」
「まあどうなるか分からないけど無事に解決するといいよな」
きっと美浜さんのことだから心のどこかで渡辺佳代が犯人でないことを無意識に願っているに違いない。そんな聖人のような彼女とは対照的に俺は渡辺佳代が犯人であることを望んでいる。
そして美浜さんと藍葉先輩を苦しめた者を目の前連れてきて土下座させてやりたい。それが正しい判断かは分からないが憤怒の気持ちは頂点に達していた。
昼放課で喧騒が耳を突く廊下をゆっくりと歩いていく。
緊張と期待が織り交ざった気持ちを抱いて。
「こ、ここだよな?」
引き戸の上に取り付けられたプレートを確認して立ち止まる。
「うん。ここが3年4組の教室だね」
念のため再度プレートを確認してから戸を開けた。
突然の来訪者に教室内の視線が一気にこちらに向く。揃いも揃ってこちらに注目する様子は野生動物がたくさんいる部屋に放り込まれた気分だ。
俺は一番近くの席にいた男子に声をかけた。
「あのー。渡辺佳代さんって今いますか?」
男子は眉根を寄せて少し考え込んで、
「今日渡辺って来てるのか?」
近くにいた女子集団に尋ねた。
同じクラスなのに聞かないと分からないって渡辺佳代はどんだけ存在感ないんだよ。
女子もひそひそと話して確認し合っている。
「確か数日前から休んでると思うけど」
「だそうだ」
だそうですか……。
こんな時にタイミングよく休んでいるとはきっと後ろめたいことがあるから休んでいるに違いない。
でもそれも休んでいては確認する方法がない。
結局無駄足に終わってしまったのか。
「「あ、ありがとうございました」」
俺と美浜さんは男子生徒に礼を告げると肩を落として教室を後にした。
「空振りに終わってしまったな」
「そうですね……。これからどうしたらいいのか」
ため息交じりに出る声と落胆する表情を俺たちは抑えることができなかった。
だがまだ手はある。
可能性はゼロに近いが直接主犯格と思われる人物を当たってみるしかない。
2年生の廊下に戻り、美浜さんと別れると早速俺は行動に移した。
再び来た道のりを巻き戻すように戻って彼のいる教室を目指す。
「ここだな」
先程とは違い自分でも信じられないくらい冷静だ。
多分さっきのため息と共に不安や動揺が抜け切ったのかもしれない。
俺は教室のプレートを一度だけ確認して臆することなく戸を開いた。
「黒神先輩いますか?」
戸を開いた瞬間に一斉に向けられる視線の中、足を組んでこちらを冷静に見据える男の双眸があった。
細いフレームの眼鏡に長髪の整った顔立ち。
黒神は待っていたかのように立ち上がりこちらへと向かってきた。
あまり時は経っていないのだが久しぶりに相対した気がする。
「どうしたんだ? 3年生の教室まで押しかけて来て」
「先輩に会いたかったから……なんて熱烈に言っても冗談にしか聞こえないでしょ?」
俺の返しに黒神は苦笑いを浮かべて時計を指さす。
「もうすぐ昼放課も終わってしまうよ。自分の教室に戻りたまえ」
「じゃあ今日の放課後にプール裏で待ってますんで来てくださいね」
そんな俺たちの会話を聞いていた一部の女子が何やら騒ぎ出してる。
『きっと黒神くんが攻めであの子は受けよ』とか『いやいや意外に逆かもよ』などと言っているのが聞こえる。
まあ確かに誤解を招くような会話だったことは否定できないが……。
「俺が来るとでも? 俺は放置主義でね」
「そうですか。――――渡辺佳代。彼女の今後がどうなってもいいなら」
俺は賭けに出た。黒神が容易に話に応じることはないと分かっていたから彼と関係のある渡辺佳代という人物の名前を出して誘いに乗ってくることを。
もちろん黒神と彼女が白ならここで彼は有無も言わさず俺を突き放すだろう。
――――そして俺は賭けに勝った。
普段見せる彼の冷静な表情とはかけ離れた苦渋がにじみ出る渋面を俺は見逃さなかった。
「了解した」
黒神は一言だけ言って教室の扉を閉めた。
魚は餌に食いついた。ここからどう引き上げるのかが問題ではあるが……。
*****
授業が終わり、放課後になると作戦を再び練ろうという千夏と周二に用事があると告げて先に教室を出た。
ここからのプランは大まかに決めているが嘘とハッタリをメインにした博打のような作戦だ。
冷静な彼の心を崩すには動揺が不可欠。
そこで俺はまず黒神が腹を立てそうなことを言って冷静さを欠くように仕向ける。
プール裏で屹立して考えを巡らせながら黒神を待った。
5分後くらい経った頃だろうか、肩に鞄を掛けながら鋭い視線を保ったまま近づいてくる一人の男がいた。黒神進一だ。
その姿を見て俺は胸元に入れたスマホのボイスレコーダー機能をONにした。
残念ながら俺は喧嘩は強くないし、機転も利くほうではない。
だがもし殴り合いになったとしてもこの際仕方ないだろう。
男というのは引いてはいけない状況を自然と把握して立ち向かえるようにできているのかもしれない。
覚悟は決めている。
「どうも先輩。来てくれてありがとうございます」
「くだらない挨拶などどうでもいい。渡辺佳代がどうした」
「ああ、それより先輩。選挙で負けてどうでしたか?」
「ふっ……。不正投票疑惑があるのに負けたも勝ったもないだろう」
「まあいずれにせよ先輩は負けてましたよ。選挙演説では一番と言っていいほどくだらなかった。本当にくだらない演説でしたよ」
黒神は瞼をピクッと動かし先ほどより鋭利な視線をこちらに向けた。
「所詮先輩なんて人の上に立てる人間じゃない。すべて自分のためであって学校のことなど一ミリも考えてない。自慰ばっかしてる猿と同様です。こんなくだらないビラまで作って」
俺は黒神の目の前で彼の選挙活動中に配られていたビラを破り捨てて、残骸を地面にばら撒くと靴でねじる様に踏みつける。
その非道な姿に黒神は徐々に怒りを露わにして俺の胸倉を掴んだ。
顔を真っ赤にして目にはほとばしるような血管が見える。
「貴様! くだらないビラだと! これを作った人の気持ちを考えたことがあるのか!」
ビラにこんなに反応したのは疑問だが、目的は達成された。
ここからは嘘とハッタリで彼の知っていることを聞き出す作戦に移す。
「知るわけないでしょ? そもそもそんな見るからにくだらないビラごときで怒る先輩なんてもっとくだらない。まあどこぞの女が不正をしてまぐれで勝てるかもしれないって人ですからね。どうです? 先輩はその女に一番感謝してるでしょ? 好都合だったって」
「黙れ貴様!」
唾を飛ばしながら怒鳴る黒神。
俺の胸倉を掴む彼の手により一層力が入る。
「もうばれてるんですよ。選管の人達にも報告しておきました。渡辺佳代という人間はくそ最低な野郎でひ――――」
「黙れ!!」
怒号と共に俺は左頬に強烈な痛みを感じる。
黒神の握りしめられた拳が下衆な言葉を吐く俺の口を閉ざしたのだった。
「貴様にはわからない! 佳代がどんな人間かということを」
黒神は肩で息をして峻烈に俺を批判する。
口の中が切れたのだろうか、鉄の苦い味が舌に伝わると遅れて鉄臭い匂いが鼻に入ってきた。
だがこれくらいは覚悟していたことだ。
血の混じった薄赤い唾を地面へと吐き捨て、
「もう証拠はあがってるんですよ。渡辺佳代が独断ですべてを計画したことを。藍葉先輩が調べてくれました。あなたも藍葉先輩の同級生であれば知ってるでしょう? 彼女がどんなにやばい人か」
もちろん嘘の話である。
だが藍葉先輩という現実的に可能そうな人の名前を出すことで、俺の嘘とはったりをリアルに見せつけて黒神の知っていることを自白させるのだ。
「このままだと渡辺佳代さん。――――きっと言いふらされて二度と学校に来れなくなりますよ」
「お、俺が指示したんだ。佳代は俺に指示されて実行したに過ぎない」
「そうですか。でも結論は覆らないと思いますよ」
「な、なぜだ!?」
「すでに今この時、選管と教員が話しあって処分が決定しているはずです」
無言のまま俯いた黒神は静かに、しかし力強く拳を握った。
渡辺佳代という人物がどんな人か分からないが黒神にとってはとても大切な人らしい。
それがこのやり取りの間に分かったことだ。
この録音した音声を選挙管理委員に届ければ藍葉先輩の無実は晴れ、美浜さんも無事生徒会長へとなれるだろう。
きっと黒神には重い処遇が下されるに違いない。そして実行犯の一人の渡辺佳代も同様だろう。
敵ながら哀れな敗北であり、無様な姿だ。
きっと俺の望んでいた結末なのだろう。
――――だが。
「先輩。ここで俺に提案があります。すべてを丸く収めて誰も処罰されない方法が」
「な、なんだそれは」
「とりあえず、本当のこと俺に話してください」
黒神と俺はズボンに砂を付くのも気にせずにその場に座り込んで話を続けた。
黒神の反応を見て予想できていたことだが、不正を行ったのはやはり彼の指示ではなく渡辺佳代の独断によるものだったらしい。
彼女は不正を行って再選挙と美浜さんのイメージダウンを狙うことを画策していたとのことだった。
「偶然選挙活動の最終日に先輩と渡辺さんが言い合うのみかけたんですが、あの時先輩は止めてたんですか?」
「ああ、だが結局俺は止めることができなかったらしい。俺と佳代は幼馴染でな。昔は仲が良かったんだが中学から俺たちの関係は変わったんだ……」
黒神は夕暮れになる前の青とオレンジの混じった絵画のような空を見上げた。
彼が言うには中学頃から自分に馴れ馴れしく接する渡辺佳代を良く思わない女子にひどいいじめを受けていたらしく、黒神はそんな彼女の状況を知って距離を置いたそうだ。
それでも普段通り傍にいたいという彼女に黒神は強く当たったらしい。
そんな状況の続いた二人だったが黒神が総海高校に落ちたことで大きく事態は変わった。
高校では元の関係に戻れると信じ、二人は共に県内一の偏差値を誇る総海高校を目指したのだが、渡辺佳代のみ合格して黒神は落ちてしまった。
しかし彼女は黒神を追いかけて矢作高校に入学してきたのだ。
後ろめたさを感じ再び彼女を遠ざけた黒神だったが、彼女は2年の終わり言ったのだ。
『進一のいる高校が一番の高校だよ』
その一言で彼は思い立ったのだろう。
過去のようにこの学校を再び県内一にしてみせると。
そして彼女の選んだ道が正しかったことを正当化してみせるために。
もちろん渡辺佳代がしたことは間違っている。だがきっと彼女はそこまでして黒神の願いを叶えたかったのだろう。
人の気持ちを推し量ることは、一見難しく見えてほとんどの人がやっていることだ。
だが黒神と渡辺佳代の間にはそうすることのできない二人だけの強すぎる想いがあったのだろう。
「意外ですね。先輩もちゃんとした人間なんですね」
「失礼な。だが前に言ったように単純に一番でないと気が済まないという気持ちで立候補したのも事実だ。君こそもう少し完璧に嘘をついたほうがいい。まあ……冷静さを欠いた私の負けだけどな」
「ばれてしまいましたか。まあとりあえず真実が分かってよかったですよ。先ほどの暴言すいませんでした」
「まったくだ。私も本当にすまない。後で保健室に行こう」
お互いに心の荷が降りて自然と微笑みがこぼれた。
喧嘩した後仲良くなるって本当なのかもしれないな。
だがもう殴られるのはごめんだ。
「保健室は一旦置いといてすべてを解決してきますよ」
そして俺は黒神にすべてが丸く収まる強引な作戦内容の話をする。
彼は俺の提案に驚いたが最後には『面白い』と言って協力を申し出た。
ゆっくりと立ち上がり、尻に着いた砂を手で払うと俺と黒神は職員室にある会議室へと向かった。




