21.坂本藍葉はめんどくさい2
すごく立派な理由。藍葉先輩は確かにそう言った。自分の過去を肯定するという俺の醜態とも言える答えに立派などという言葉は似あわないはずだ。
「先輩、立派ってどうゆうことですか?」
「言葉通りのままよ。自分のために他人を応援するとか他力本願に見えるでしょうけど違うのよ?」
藍葉先輩は窓の外に向けられていた視線をこちらに戻すと、ゆっくりと椅子から立ち上がりこちらに近づいてきた。
「自分に利益があることだから本気になって力になれる。これが誰かのため、学校のためとかだったらあなたの行動に力は宿らない。それこそ他力本願よ。まあ自分以外のためとかいってたら、ぶん殴ってこの場からすぐに追い出してたけどね」
幼い甲高い声で、ぶん殴るという言葉を笑顔で言う先輩。とりあえずぶん殴られなくてよかった。
「俺はこの答えを自分の中で見つけた時、自己嫌悪に駆られましたが、先輩はそんなことないと思うんですか?」
「はぁ? あんたはどんだけ聖人なのよ? あんたがあんた自身のために彼女を応援することのどこが悪いことなの? 自己を理由としない答えには恩着せがましさしか残らないわよ。何より彼女の活躍を願ってるのはあんた自身なんだから後ろめたい気持ちを持つくらいなら、その分頑張ってあんたのできることをしなさい」
藍葉先輩の言い方は刺々しいものだったが、その分俺の心に突き刺さった。美浜さんの活躍を一番願っているのは恐らく他でもない自分自身だ。彼女のため、そして自分のために最後までやれることをやってみよう。そう心の中決めた。
「それで先輩ーーー」
「失礼するよ。坂本くんはいるかね?」
俺が昨日聞けなかった、選挙活動のアドバイスをもらおうとした時、引き戸を開け一人の男が生徒会室に入ってきた。フレームレスの眼鏡にスマートでモデルのような八頭身の体形、整った顔立ちの男は軽く会釈して挨拶をすると、俺たちに目もくれず藍葉先輩のもとに向かう。
「あら? 相変わらず太々しい態度ね黒神」
「いやーそれは君も同じじゃないか坂本くん?」
「藍葉と呼んでちょうだいと何度いったらわかるのかしら?」
二人の淡々としたやり取りを俺と周二は黙って見ていた。黒神がここを訪れたということは間違いなく生徒会選挙での協力の依頼だろう。現生徒会が支援者として加われば、間違いなく戦況は有利になる。やはりというか黒神も生徒会に協力を仰いでいたとは。
「まあそんな世間話はどうでもいいんだよ。この前の返答について聞かせてもらおうと思って」
「生徒会の力を貸す代わりに、私を引き続き書記として執行部で起用するというお話ね」
「そう、まあ君の陣営で候補者を出さなかった理由はわからないが、現状勝つ確率の一番高い私にかけるのは君にもメリットしかないと思うがね」
「確かに魅力的な提案だけど、そんなに自信があるなら私が力を貸す必要なんてないんじゃない?」
黒神は口角を上げ、薄気味悪い笑みを浮かべると鷹揚に両手を広げた。
「勝つのは当然なのだよ。しかし完膚なきまでに勝たなければ意味がない。これから続いていく私の計画のためにもね」
続いていく計画だと。本当に黒神は一体なにを考えているんだか。しかしここで藍葉先輩が協力の意思を示してしまうと本当に巻き返しが効かなくなる。
「わかったわ。私はあんたに協力してあげようじゃない」
俺は耳を疑った。まさか藍葉先輩が黒神に協力するとは。確かにこちらとしては先輩に協力してもらって与えられるメリットを提示していない。美浜さんに頼んで藍葉先輩を執行部に残すように伝えるのは容易なことだっただろう。だが時すでに遅し。
黒神に先手を打たれ、それを承諾した先輩をこちら側に協力するように伝えたところで、もう動くことはないだろう。先輩にとっては黒神が勝っても、美浜さんが勝っても同じことなのだから。
俺は頭の中が真っ白になった。先ほど先輩に説き伏せられて、戻ったやる気もすでに手を放した風船のように宙を舞い自分のもとから離れていった。
「藍葉ちゃん! 桜形のことはどうすんだよ!?」
「ミクロシスチンくんには悪いけど、私は黒神に協力してあげるわ」
「くっ・・・見損なったぞ藍葉ちゃん!」
周二は呆然としていた俺の肩を叩き、生徒会室から出るように促した。ミクロシスチンという名は今の俺にはぴったりだ。カビと腐敗臭を発して水面を覆う藻のようにドロドロと澱んでいる。
生徒会室を出る時、後ろを振り返ると黒神が馬鹿にしたように手を振っていた。
「さようなら~」
最後に放った黒神の言葉が脳裏に張り付く。まるでもうなにもできないのだと言っているように。
生徒会室を出ると周二とゆっくりと教室に向かう。
今日の曇った空からは、まったくと言っていいほど日光が差し込まず、白いリノリウムの床が薄暗いグレーのように映り込む。
「桜形すまなかったな」
「お前が謝ることじゃねーだろ。俺がもっと早く考えて行動しなかったのが原因だからな」
「これからどうするんだ?」
「もう正直なにをしても無駄なあがきにしかならないな」
「俺も手伝うぞ」
「すまんな」
周二の意外な言葉に嬉しく感じるも、目の前にあったビジョンが崩された俺にとっては気休めにしかならなかった。ひとまず秋穂に会って、秋穂の知り合い一年生の票を固めよう。
俺は周二と一緒に秋穂のいる1年4組を訪れた。入口の一番近くに座っていた女子生徒に秋穂を呼んでもらうように頼むと、クラスの男子の視線が一様にこちらに向けられる。
まったく一年坊主のくせに敵意むき出しとはいい度胸じゃねーか。こんな反応をされるということは秋穂はクラスでもモテているのだろう。過去の地味な秋穂からは想像もできない話だ。
友達と談笑していた秋穂が席を立つと手を振りながら向かってくる。
「先輩! 昨日ぶりですね。そちらの方は先輩のお友達ですか?」
「ああ、こいつはーーー」
「2年6組、周二彰よろしく!」
「よ、よろしくお願いします」
周二は俺が紹介するのを待てんとばかりに、自ら前に出て自己紹介すると、手を差し伸べて握手を求めた。秋穂は少々困った様子で苦笑いしながら握手に応じる。下心が丸見えだぞ周二。
「そ、それで先輩今日はどうしたんですか?」
「秋穂に選挙活動のことで頼みたいことがって」
「ああ! マリアから聞いてますよ! もちろん協力させていただきますが1つお願いが・・・」
マリアが話してくれていたのか。あいつも意外に察しがいいのかもしれないな。さすが我妹だ。
「お願いって?」
「その、美浜さんという方の呼びかけに私も参加させてください!」
秋穂のお願いは願ったり叶ったりの内容だ。1年生が支援者として一緒に呼びかけてくれるという事は秋穂の友達意外の票の獲得にも繋がる。美浜さんが単体で呼びかけるよりも、支持する和が広がりやすいだろう。
「もちろんだ! 力を貸してくれ」
俺の深刻な表情を見て、なにか察したのか秋穂は俺の手を掴んで優しく微笑み返した。
「大丈夫です! 先輩ならきっとできるはずです」
「ありがとう」
ありふれた励ましの言葉だったが、彼女の眼差しは真剣で嘘偽りは感じられなかった。純粋な応援する気持ちを向けられて俺は嬉しかった。
そして秋穂と帰りに美浜さんの選挙活動の呼びかけを手伝うことを約束して、教室へと戻った。
「さっきの秋穂って子可愛かったな! まったくお前の周りは相変わらず美少女で溢れてるな」
「まあ否定はしないけど、すべてたまたまだ」
「まあそんな美少女の知り合いが増えたところでお前が童貞なことに変わりわないがな! わはは!」
うっぜー! 自分も童貞なくせして童貞を馬鹿にするやつにいいやつはいない。まあでもこんなくだらない会話をしていると、気も休まる。
この選挙戦のポイントはやはり1年生の票数獲得にある。全校生徒713名、各学年には約40名6クラスがある。それぞれの学年の票数を100%とすると3年生はまず、黒神に8割程度入るだろう。その他は同じ学年の3年生立候補者に集まると思われる。2年生が生徒会長になることを気に食わないやつも大勢いると思うので必然的に美浜さんに入る票は少なくなると予想される。
そして2年生は7割程度美浜さんに票が入ってくれると思う。男女共に人気のある美浜さんであれば学年からの支持は固いはずだ。だが黒神も人気のある先輩ということで2割は獲得するだろう。
この時点で黒神は100%、美浜さんは70%となってくる。その差30パーセント。
ブラックボックスである1年生は予想ができないが、この時点で美浜さんが70%の票を獲得できなければ負けが確定してしまう。考えただけでも非常にシビアな戦いである。
*****
放課後になり、帰る生徒に呼びかけをしている美浜さんを手伝うため、秋穂と周二と共に校門を訪れた。するとそこには美浜さんと千夏が横に並んで、帰りゆく生徒に挨拶をしていた。美浜さんは俺たちに気づくと小走りで駆け寄ってくる。千夏もその後を追うようにとぼとぼと歩いてきた。
「桜形くん! 実はね千夏ちゃんが私の選挙活動手伝ってくれることになったの!」
予想外の言葉に千夏の方に視線を向ける。あの千夏が美浜さんのことを手伝うとは・・・。
「千夏も自分の選挙があるのに大丈夫なのか?」
千夏は俺から視線を外して、少し言いずらそうに口を開いた。
「今回の選挙は出るのやめて、美浜さんのこと応援することにしたの! 別に黒神に負けそうだからとかそんな理由じゃないんだからね。あいつに生徒会長になってほしくないから美浜さんに賭けることにしたの」
まあ千夏の言う事は半分本当で半分嘘といったところだろう。彼女も彼女なりに考えて、今回は美浜さんを応援するという結論にいたったのだと思う。
「そうか! それじゃあみんなで美浜陣営として盛り上げていこうぜ」
「それより、その後ろの金髪美少女は誰なのよ?」
後ろに隠れるようにしていた秋穂を前出るよう促して、二人に紹介する。
「あー紹介するよ。今回美浜さんの選挙活動の協力をしてもらうことになった1年生の三好・ランチェスター・秋穂だ」
「よ、よろしくお願いします! 桜形先輩の中学の後輩で三好・ランチェスター・秋穂です」
「協力してくれるの! ありがとう! 私は2年1組美浜美晴です。よろしくね秋穂ちゃん」
秋穂は美浜さんをしばし見つめて一言。
「お、大きいですね」
考えなくてもわかってしまうが、きっとお胸のことなんでしょうね。マリアは秋穂は美浜さん以上の巨乳だと言っていた。きっと巨乳同士引かれ合う運命だったのかもしれない。
「大きい? 声のことかな? まあ大きいほうかも! それでこっちは2年6組の刈谷千夏ちゃん。多分桜形くんと同じ中学なら知ってるかな?」
「はい。一方的にですが、千夏さんのことは知っております」
「あら? それは光栄ね! 刈谷千夏よ! よろしく。一緒に頑張りましょ!」
「はいっ!」
それぞれの紹介を終えたところで、俺は現生徒会が黒神に協力するとうことを美浜さんに伝えようとした時、それを見計らったかのように黒神と藍葉先輩が生徒会長をはじめとする生徒会執行部を引き連れて校門に姿を現した。
悠々と闊歩する姿に俺たち一同は萎縮した。そして決して状況が覆ることはないと、目の前の光景が現実を教える。
「あ、藍葉先輩・・・」
先輩はこちらにチラリと目を配ると俺たちに聞こえる声で執行部に指示をだした。もうダメだ。応援してくれる仲間もせっかく増えたというのに・・・。もうどうにもならないのか・・・。
「じゃあ下僕達は美浜さんのところに行って、死ぬほど応援してきなさい!」
「「了解しました! 藍葉様!」」
藍色の小さな葉っぱが、背中を強く押すのを俺は感じた。




