戦いの予感
「はぁ……お前も大変だよな。なぁゼット」
「クゥン?」
情けない姿を晒しながら床に寝転ぶ死神ウェスパーをよそに、誠は一匹の犬と戯れていた。この犬の名前はゼット。突然どうして犬なんかがこんなところに現れたのかというと、この犬というのは、床に転がるウェスパーが飼っているペットであるらしい。
彼の骨が折れた音を聞きつけて、一目散にこの核がある塔の最上階まで駆け上がってきたのであった。
「こんなご主人様でさぞ苦労が多いだろう。……お前すごく臭いぞ。ちゃんと世話してもらってないだろ」
――そしてこの犬、ゾンビであった。
目は赤黒く血走り、全身は肉が薄く、わずかな筋肉と骨ばかりが浮き出ている。それにこの犬から漂う匂いというのは、本来の匂いであろう獣臭などではなく、肉の腐ったような腐乱臭なのであった。
「やっぱりゾンビってーと、噛まれると俺もゾンビになっちゃったりしちゃうのかな」
そんなのんきな独り言をつぶやく誠を、正気かという目で見ているのはナナミ。
「おまっ。分かってるなら、さっさと離れた方がいいぞ。マジで一回でも噛まれたらゾンビ化は避けられねーぞ。危ねーよ。てか、くせーよ、……くせーよ!」
彼女は、鼻を押さえながら、手で必死に空気を払って、匂いをガードしている。横で座り込むミクサときたら、もはや悲鳴さえも上げられずに、白目を開けてぶっ倒れている。よっぽど臭かったのだろう。確かにこのゼットとかいう犬が来てからというもの、この核がある神聖な部屋が、腐乱臭にまみれている。
「はっ。今の俺に『死神って実はポンコツだったんだ』ということ以上に恐ろしいことはない。はやくリアルに帰って世に伝えなくては」
だが、誠にとってそんなことはどうでもよかった。最強を予測した死神があまりにもしょぼいことで、やる気を失ってしまった。
「はぁ、お前の方がぜったい強いよ、ゼット。噛めばゾンビにできるってめっちゃすごいからな。あの無敵の主人公、アリスにもお前は善戦してたんだぜ。……最後は足蹴りにされてたけど」
ナナミが驚愕するなか、ゼットを撫で続ける。
「それなのにあの死神は……。いまどき月牙天衝くらい打てて当たり前だろ」
誠の目はどこか遠いところを見ながら、ブツブツと独り言を口にする。
「おい、マジでホントに噛まれる前に離れたほうがいいぞ。一応ゾンビ化を治す解毒薬はあるけど、匂いはこべりついたら離れないからな!てかそれ以上触るならもうあたしたちに近寄らないでくれ」
と、なかなかゼットから離れない誠を見たナナミが、しびれを切らしたようで、半分キレながら誠に吠える。
――ふん。もう匂いなんてどうでもいいわ。……って、え?近寄るな。それは待って。やめて。ニート的にそれ言われるにはキツイって!ねぇ。待って!!!!
ナナミのドギツい一言で、ようやく現実に戻ってきた誠。我に返った表情で、勢いよく立ち上がり、息を整える。
「――九條誠、無事この世界に戻ってきました。……お騒がせしました」
と、この世界に意識が返ってきた誠。完全に意識をこの世界へと帰還させた。
「ってうわっ。クセぇ!なんだこれ。めっちゃ臭いじゃん!!」
だが、意識が戻ったのもつかの間、あまりの匂いにその場でのたうちまわる。
「だから言ってんじゃん。……ぺカぺカ!マコトを洗浄してやってくれ」
「ピィー!」
ナナミの言葉に反応するようにぺカぺカは誠の周りを浮上する。
「ピィ、ピィ。――ピィーーー!!」
そして、羽根を広げると、空気を震わす波を放つ。
「うおおおお。これが超音波洗浄ってやつか。いや、超音波洗浄とかよく知らんけど」
だが、その効果はてきめんだった。超音波のような波が誠の体や服に染み込むと、それに反応するかのように誠の体から腐乱臭が消えていく。
「うおお。匂いが取れていく」
――そして、完全に匂いが取れていったのであった。
「すげぇ。マジか。ぺカぺカすごすぎじゃん!!ありがと」
誠は自分の周りをクルクルと回っているぺカぺカに感謝の言葉を述べる。その言葉に嬉しそうに反応するぺカぺカ。羽根を胸に当て、自慢するように声を上げる。
「……匂いは……とれたみたいだな。それにこの部屋の匂いも和らいだ。……ミクサ、そろそろ起きろ」
「ふぇ!?もう大丈夫?」
と、あまりの匂いに気絶していたミクサはナナミに叩かれるように起こされる。匂いを嗅いで、周囲の匂いが大丈夫なことを確認する。
「それにしても、ぺカぺカすごすぎじゃね」
誠はマジマジとコウモリの悪魔、ぺカぺカを眺める。
「ピィー?」
そんな誠の目を見つめ返すように、カメラのレンズのようなぺカぺカの一つ目が見開かれる。
「そういえばぺカぺカの説明がまだだったな」
「確かに。そーいや聞いてなかった」
「んじゃ、説明すっか」
と、ナナミはぺカぺカを自身の周りに羽ばたかせ、ぺカぺカについての説明を始める。
「このぺカぺカってのは、悪魔とは少し違う、自動人形って呼ばれてる類のものだ。ぺカぺカを司令塔にして、ほかにも無数にいるコウモリ型の自動人形と連携して情報を交換したり、見ている視界や音を共有することができる」
「だから、ミクサの部屋に俺がいることを知ってたのか」
誠はミクサの部屋に、ナナミが急に入ってきたことを思い出す。
そういえば彼女は、ぺカぺカに言われてミクサの部屋に来たと言っていた気がする。
「そういうことだ。自動人形の情報をぺカぺカがキャッチしてあたしに伝えたんだ」
「じゃあ、俺らの会話見られてたのかよ……」
となると、ミクサの部屋にはその自動人形とやらがずっと監視していたわけか。あの時のことは全部聞かれてたということだ。誠は急に恥ずかしくなる。
「そんで、ぺカぺカはオートマタから受け取った情報を空間に投射することができるんだ」
「ピィー!」
と、ぺカぺカの鳴き声とともに、レンズのような一つ目から、無数にある映像が次々と空間に投射される。
「おお、これが――」
誠は投射された映像を見てみる。
――塔の中であろう、部屋の一角の映像。誠たちがさきほど上ってきた階段の映像。そして、外の景色であろう、灰色の岩盤が広がる映像。様々な映像が空間に投射されていた。
「どうだ?すげぇだろ?」
そんな映像を背景にナナミが声をかけてくる。
「あ、ああ」
それはまるで監視カメラで撮った映像を眺めてるいるかのようだった。
なるほど。このぺカぺカというのは、通信やセキュリティ関連を担当する悪魔、自動人形であったのだ。それはおそらく、人間に攻め込まれないように彼らを事前に察知する役目を果たしているのだろう。
――やっぱり彼らは戦士なんだな
そんなぺカぺカから投射される映像を見ながら、誠はそう思ったのであった。
※
「――それで、ここにいるメンバーで全員なのか?」
この場にいるメンバーの紹介を終えたところで、誠はナナミに問いかける。
「ああ、これで全員だ。ここにいるメンバーでこの西南地区を守っているんだ」
「なるほど」
誠は彼らの顔を見渡す。
――サキュバスの少女ミクサ、ツギハギの少女ナナミ、死神の悪魔ウェスパー、自動人形のぺカぺカ、……そしておまけで死神のペット、ゾンビ犬のゼット。
彼らがこの西南地区を守っているのだ。
「なんか、面白くなってきたな」
誠は、ふとそんな呟きを漏らす。
「あ?なんか言ったか?」
そんな誠の呟きに反応するようにナナミが尋ねてくる。
「いや、なんでも」
誠は手だけで反応する。誠は思う。ここから真の異世界生活が始まると。大いなる旅の幕が開けるのだと――
そして彼は同時に思う。自分は彼女たち悪魔と生きていくべきなのか、それとも人間界に行き、人間と生きていくべきなのかを、誠は心の中で自問する。
――俺は、どちら側で生きて行けばいいのだろう――?
※
「ピィー?」
物おもいにふける誠を不審がって、ぺカぺカが首を傾げながら声を放つ。そんな彼の挙動に応じて、投射された映像も傾く。
「いや、大丈夫だよぺカぺカ。物語特有のただの自分語りをしていただけさ」
と、誠は答える。
「それにしてもぺカぺカが動くと、映像も動くんだな」
マジマジと傾く映像を眺める。
――と、無数にある映像の中から一つ、違和感があるものを見つけた誠。
「な、なんだ?」
その映像を目を凝らして見てみる。画質のあらい映像のなか、ピントの合わない画面の奥、
――そこには、あの時の例の四人組が映っていたのだった。
「あ、あいつら――!」
「どうした!?」
誠の叫ぶような声に、ただならぬものを感じたナナミが誠の方を向く。
「あいつらがいる。――俺がボコボコにされたときの。あそこの映像を見てくれ!」
誠は彼らの映っている映像を指さす。その動きに従って、映像を見るナナミ。
「おい。なんでこんなところに人間がいやがるんだ。……最悪だ」
そして、映像を見たナナミの顔が、獣ような顔つきに変わっていく。
「――敵襲だ!敵が攻めてきた!行くぞお前ら!!」
本来の獣のような性格に戻り、他人に近寄らせないほどのオーラを放つ。その姿に恐れをなす誠。誠は感じた。安らかな時が終わりを向かえたことを。そして、もうじきに戦いが始まるのだということを。
「で、でも……相手はたったの四人だし。さっきも言ってたけど、核は兵士100人でやっと壊せるくらいの強度だって……」
そんな現実を認めたくないと、希望的観測をする誠。ナナミが覚悟をするほどの展開にはならないと、すがるような気持ちで言葉を放つ。だが、そんな希望を真っ向から否定するように、ナナミが誠に怒りの目を飛ばす。
「だからこそ、だろ!……だからこそ余計にやばいんだろうが」
「な、なんで――!?」
「核が兵士100人いなくちゃ壊せないってことは、人間界のヤツらにも知れている。それなのにヤツらが攻めてくるってことはだな――」
「――ヤツらは、たった四人で、兵士100人分の力を持ってるってことだ」
――瞬間、爆音が世界に鳴り響く。
「な、なんだ!?」
誠たちは、ステンドガラスが張られた窓に駆け寄り、それを乱暴に開け放つ。
「う、嘘だろ――!?」
窓から外の景色を見た誠は驚愕の声を漏らす。
――岩盤がむき出しの枯れた大地。その景色が炎に囲まれた地獄に変わっていたのであった。
窓に駆け寄った誠たちの傍ら。ぺカぺカは映像を空間に投射し続けていた。映像の真ん中にはこの爆発をおこした魔法使い、――パルの姿が映っている。パルは手にした杖を掲げ、声高らかに宣言する。
「――さぁ、執行の時間だ。醜い悪魔どもが」