魔界と砦と結界と
「んで……おまえのことはマコト、って呼べばいいか?」
荒々しい口調でこちらに声をかけてくるのは、ナナミ。おっぱいの大きなビキニアーマー兼ツギハギの少女である。
「あ、ああ。マコトで大丈夫。こっちは……ななななナナミさんって呼べばいいのかな?」
対する誠もさすがに二回目ともなると、下の名前で呼ばれることに気恥ずかしさはなくなっていた。だがしかし。こっちから相手の名前を呼ぶのはまだ早かった。女馴れアピールをしようとした矢先にこのザマである。またしても他の異世界ニートのコミュ力がうらやましくなる誠であった。
「ナナミ、さんって…… ナナミでいいよ」
その点、ナナミのコミュ力は数段上であった。噛み噛みの誠にあえて触れることなく、さらに自分から距離を縮めに行く。これこそまさにまぶしいほどのコミュ力であった。
――うらやましい、なんだそのコミュ力は……と、心の中で愚痴をこぼしながらも、ナナミの厚意に甘えるとして、了解の返事をする。
「それで、本題に入るんだが……」
そう言うと、ナナミはミクサの方に目をやる。その視線を受けたミクサはナナミの言わんとすることを察して頷き返す。空気が重くなったのを感じて誠も心の中でふざけていた態度を改めて姿勢を正す。そんな雰囲気の中、重々しい口調でナナミが言葉を放つ。
「おまえが、記憶喪失だってことを信じるとして、一体おまえはどの程度この世界のことについて知っているんだ?」
「そ、そう! この世界のことについて教えてくれ。俺はまだ、この世界のことについて何にも分からないんだ」
「何も分からない、って言われてもな。あー、じゃあ、魔界とか人間界とかそこらへんは分かってるのか?」
「いや、本当に何も分からない。できればそこから教えてほしい」
すがるように懇願する誠。そんな誠の必死な様子を見て、覚悟を決めた様子のナナミ。
「あー、んじゃあ、そっから説明すんのはめんどくせーけど、まずはそっからやりますか」
そう言うと、その特徴的な八重歯を覗かせながら、大きく息を吸う。
「――まず、この世界ってのは『魔界』と『人間界』ってのに分かれてるんだ」
「二つ……」
「ああ。そんで、あたしたちのいるこちら側が『魔界』。『魔王』によって、あたしたち悪魔の世界は統治されている」
「なるほど、『魔王』か。またそれっぽい名前が出てきたな」
魔界なんてものがあるのだとしたら、当然魔王なんていうのが登場してくるのも頷ける。
「それに対して、『人間界』ってのは、いくつかの国に分かれている。その中でも一番大きな領域を占めているのが、セントライヒ王国。ロックミュラー一族ってのが代々治めている」
「ってことは人間界ってのは魔界みたいに一つの国が治めているわけじゃないのか?」
「そういうことだ。そして、あたしたちは、人間界からやってくる人間たちから、この魔界を守るために戦っている『戦士』なんだ」
その言葉に追従するようにミクサも頷く。
「え?戦士ってどういうことだよ」
――戦士。そんな言葉とは無縁そうな二人、特にミクサのほうは本当に無縁そうな様子であるのに、そんな彼女たちから意外な言葉を聞かされ思わず聞き返す誠。
「人間たちは魔界へとやってきて、魔王を倒さんとこちらに攻め込んでくるんだ。だから、あたしたちはそれを防ぐために戦う。戦士としてな」
「そう。わたしたちは戦士なの」
ナナミの言葉に合いの手をはさむのはミクサ。今までみた彼女の様子とは打って変わって、覚悟を決めた表情をしている。
「なっ。なんだよそれ……」
誠は弱々しく呟く。
「そしてあたしたちはそんな人間たちから魔王を守るためにいくつかの対策をした。魔王がいる魔王城を中心に、東西南北に四か所、そしてさらにその間に四か所、合計八か所の『砦』を築いたんだ」
「その、砦……を築いて魔王城に人間が攻めこまないようにしたのか」
「ああ。そして、築いた砦に核を設置してそれぞれの砦を結ぶように巨大な結界を作成した。その結界は悪魔のみを通し、人間を立ち寄らせない強力な結界だ。そして、その核を守るのがあたしたちに課せられた任務ってわけだ」
「な、なるほど……」
だんだんと場の状況を理解してきた誠。つまりは、人間たちから魔界を守るために、砦と結界を作って、攻め込まれるのを防いでいたのだ。
ようやくファンタジーのような展開になってきて、思わず笑みをこぼしてしまう。
「そんであたしたちが今いる地区ってのは、そんな魔王城を守るために設置された砦の、西南地区にあたる場所だ」
「ふぇ!? そしたらここは人間との戦いの最前線じゃん!」
「ああそうだ。もっと言うと、ここはそんな魔王城を守るための西南砦……をさらに守るための塔、ノルガルド塔だ」
「ってことはマジのマジで最前線じゃん…… やばいじゃん」
ファンタジーのような展開になって喜んでいたのもつかの間、臨死体験を経験した誠にとって、いくらファンタジーの設定が嬉しいとは言っても、実際に戦闘が目の前ですよと言われて、嬉しさよりもビビりが先に来てしまう。
「しかも塔って……」
誠は部屋を見渡す。目が覚めてからというもの、ミクサやナナミとの会話に夢中で自分のいる状況についての把握ができていなかった。
「窓……開けてみてもいい?」
「いいわよ」
誠はミクサに目配せすると、窓のほうへ駆け寄り、カーテンで閉じられていた窓を開け放つ。
「うわっ」
窓を開けると、気圧の差であろうか、吹いてくる風が誠の前髪を揺らす。世界を覗こうとする誠を歓迎するかのようだった。
「つっても外がきれいな景色ってわけじゃなかったな、これ……」
まぁ、残念ながら、外の景色は広大な緑に誉ある山脈……が広がってるわけなどなく、魔界らしく、枯れた大地に血の溶岩を垂れ流す火山が広がっていたのであるのだが。
だが、それでもそこから見る景色は、地上で見るよりもよりはっきりとしていて、それはそれで素晴らしいものであると同時に、誠のいる場が地上高く、塔の中にいるのだということを思い知らせてくれた。
「でもこの塔が砦を守ってるってことは……?」
「ああ。もちろんこの塔にも砦を守るための結界が張られている。まぁ、魔王城を守るためのような大層なものじゃない。魔王城の結界は八か所すべて壊さなきゃなくならないのに対して、砦の結界は、この塔にある核が破壊されちまえばなくなっちまう」
「でも、やっぱり、結界が張ってあるのか」
目を凝らして張られているという結界を見る誠。しかしながら、結界を視認することはできない。
「ははは。さすがに見ることはできねぇよ」
そんな誠を笑いながら、見守るナナミ。
その言葉に悔しがる誠を見て、かわいそうに思ったのかある提案をする。
「そんなに見たいなら、核の方なら見せてやれるぜ。あたしたち以外の他の戦士たちに挨拶がてら見に行くか」
「ああっと……」
言わずもがな、誠はコミュ障であり、コミュ障的には面と向かって見知らぬ人に挨拶に行くぞという展開は好きではない。
だが、核なんて興味の湧くものを見ないわけにはいかない。おとなしくナナミの提案に従うことにした。
「ああ、見せてくれ。頼む」
「オッケー。じゃあ、着いてきな」
そう言うと、ナナミとミクサ、そして誠の三人、そしてぺカぺカを合わせた三人プラス一匹(?)は、塔の核を見るために部屋を後にしたのであった。
※
「……そんで核ってのは塔の最上階にあるのかよ」
どこまでも続くかのように思える階段を上っているのはナナミ、ミクサ、誠の三人。それと、ナナミの周りを浮遊するコウモリの魔物ぺカぺカ。
核を見に行くと言ったのはいいものの、それがある場所といえば、塔の最上階である15階。誠たちが先ほどまでいた階が7階であるということなので、運動嫌いな現代っ子の誠にとっては、少々つらい運動となってしまった。
「ピィー。ピィー!」
『情けないなマコトは』とでも言わんばかりにぺカぺカが誠の周りを浮遊しておちゃらけてくる。
「お前は空を飛べるからいいよな」
誠は悪態をつきながら、ぺカぺカの頭をポンポンする。
「まぁ、なにはともあれもう着くぞ。ここが最上階だ」
と、誠の先を行くナナミが、声を大に叫ぶ。
「おお、ついにか」
彼女の声に励まされて、誠の足も自然と軽くなっていく。最後の階段を駆けあがるように上る。そして、階段を抜け、フロアまるまるくり抜かれた、広大な広間へとたどり着く。
「まさか、これが――」
最上階についた誠は目の前に広がる光景を見渡す。
――四方を壁に囲まれた巨大な空間。無数に埋め込まれたステンドガラスが、光源の薄いはずの魔界の空から、光を受けたように、キラキラと輝いている。
そして、そんな空間の真ん中、広大であるはずの空間に圧倒的存在感を放ちながら、居座る巨大な物体。丸みを帯びていて、太陽のように輝き、そして、心臓のように脈打つものがそこには存在していた。
「これが、核――!?」
見間違いようがない。これこそが人間たちから悪魔を守るものであり、同時に守らなければならないもの、――核であった。
「す、すげぇな」
呟きながら、核をじっくりと眺める誠。心臓のように脈打ちながら、ドクンドクンと鼓動を響かせ、畏怖をもたらす偉大さを醸し出す。
「なんつーか、すっげぇ頑丈そうだな」
誠は、少年のような眼差しになりながら、目の前のある核をマジマジを眺める。
「これ見た感想が頑丈そうって…… 面白い反応だな」
「でも確かに頑丈そうっていうのは間違いじゃないかもね」
そんなナナミの様子にミクサも同意する。
「そうだな。なんせこの核は、魔力がかかった攻撃を一切通さない特殊な構造になってるからな」
「魔力を通さない?」
「ああ、そうだ。こいつは、魔力なんかを使った攻撃、例えば、魔法だったり魔法がのっかった物理攻撃なんかを無効化することができる。つまりは、核、そしてこのノルガルド塔もだが、コイツらは魔力を受けつけず、物理攻撃で壊さない限り絶対に壊れないようになっているんだ」
「そ、それってすげーじゃん」
「だろ。しかも物理攻撃も鍛錬した兵士100人が束になってようやく壊せるかどうかの頑丈さだ」
「な、なるほど……」
「そして、この核を守っているのが、あたしたち戦士ってわけだ」
そう、彼女たちは戦士なのだ。人間界から攻め込む人間たちから魔界を守るために、砦を築き、塔を築き、そして、結界を築いた。そんな彼女たちの最重要の任務がこの核を守ること。そのために彼女たちはこの場にいるのだ。
「そう、いうことか」
誠は思わず、笑みをこぼす。この地獄のような異世界。突然飛ばされ、訳も分からないままたどり着いた人間と悪魔の戦いの最前線。
足は震えて、脳は委縮するが、それでも誠は何かを悟った。この世界で生きていくのかもしれないと。悪魔と一緒に生きていくのかもしれないと。
――地獄のような、されども素晴らしき誠の異世界生活が始まろうとしていた。
と、そんな覚悟を決めたのもつかの間、ナナミは何かの気配を感じたようで、誠たちが上ってきた階段のほうへと視線を向ける。
「挨拶に行こうと思ってたんだが、向こうから来たみたいだな――」
遅れながらも、誠もナナミの視線の方向に目を向ける。と、なにやら人影が見える。
その人影は、真っ黒であった。それはおそらく、距離が離れているからという理由ではないだろう。それは、間違いなく、黒であり、というよりも黒装束といったほうが正しかった。黒装束で全身を覆っている人影は、真下を向いているため、男か女かは判断できない。
そんな黒装束の人影に、ナナミが声をかける。
「こっちから出向くべきだったのにわりぃな。ウェスパー」
「ウェスパー?」
と、ウェスパーと呼ばれたその人影がこちらに顔を上げる。そして、人影の全貌を見た誠の体は、時が止まったかのように固まった。
――男か、女か判断できない。
そのような決断を下した誠は自らの過ちを悔いる。誠は思い出す。これは異世界転生、されどもただの異世界転生ではないと。
今まで出会った悪魔はミクサにナナミ、確かに悪魔といえども、それを忘れさせるほどにかわいかった。だが、悪魔というのは、本来はこういうものである。
つまりは、悪魔といえば、死神。死神といえば――
「お、おおおおおおっ!!」
人の背丈ほどもある鎌、それを握りしめる白骨化した腕、黒装束から覗く、白く無機質な骸骨の顔。
――元祖悪魔の一人ともいえる、不気味な不気味な死神が立っていた。