魔界と魔法とニートと、みんな違ってみんなやばい
「あ、悪魔……!?」
──おいおいそれは違うだろう。俺を呼ぶ言葉にヲタクや引きニートがあるとしても、悪魔はさすがにないだろう……
などと、心の中でおちゃらけてみせる誠。それはこの危機的状況から目を背けるための現実逃避なのであろうか。それとも異世界転生でチート能力を授かった主人公に自分を重ねているからなのだろうか。
だが、そんな誠の心の中を知る由もなく、誠の首元に大剣を突き立てている男──ジークは誠のその呟きに怪訝な表情を浮かべる。
「あん? なんだその腑抜けた答えは」
ジークは手にした剣に力を入れなおして、誠に向けて剣の切っ先を伸ばす。再度向けられた敵意に誠の意識が現実に戻る。
「まっ、待て! お、落ち着け」
「悪魔ってのはなんだ? やっぱりここは魔界であってるのか?」
「何言ってんだ。そりゃあそうだろうが。ここは魔界で悪魔がうろちょろしているところだ」
──魔界。その言葉が誠に重くのしかかる。
やはり誠が転生したのは魔界で、ここは悪魔の住む世界であったのだ。
「やっぱりマジだったのかよ……」
今までは憶測で判断していたにすぎなかったが、面と言われて魔界なんて言葉を聞いてしまったら認めざるを得ない。
──誠は魔界に転生してしまったのだ。
だが、そんな理解もつかの間、ジークはしびれを切らしたように動き出した。
「そんでもって──」
そう言うと、ジークは大剣を振り上げ、切りつけるための構えを取る。そして、誠の顔面すれすれ、目の前を通過するようにして剣を振り下ろした。
「悪魔か人間か、一体どっちなんだ。てめぇは」
ジークの剣先によって切られた誠の前髪がパラパラと地面に舞い落ちていった。舞い落ちる髪を目で追いながら誠は自分が甘かったことに気づく。
今まで現実世界では生死なんてこと、ロクに考えもせずに生きてきた。だが、そんな誠でもはっきりと感じ取った。下手をすれば殺されると。つまりは、この空気、『本気』だと。
「くっそ。どうすりゃいいんだよ」
誠は小さく呟く。
自分は人間だ、とバカ正直に言ってもダメなことくらいは誠にも分かった。この男は求めているのだ。誠が人間である根拠を。悪魔でない証拠を。
だが、誠にはその証明のしようがない。あるとすれば、見た目が人間であるということくらいだ。だが、あの男の口ぶりからすると、見た目だけじゃ悪魔か人間か判断できないようだ。とすれば、別の方法、例えば魔法か何かを使って証明するのが正解なのかもしれない。だが、そんなことは誠にはできない。
思えば、そもそもこの世界に関する情報が少なすぎる。ここが魔界であることは、さきほどの会話で確定したが、それ以上のことは何も分からない。
ならば、今、誠に必要なのは情報だ。できるだけ情報を引き出してここを丸く収めるしかない。それにはこの男は危険だ。出会い頭に武器を振り回してるくらいだ。誠のコミュ力とこの男の性格じゃ噛み合わない。ぶっちゃけこういったタイプとは話ができる気もしない。
誠はジークの背後、誠たちのいきさつを見守っている彼の仲間に視線を向けた。
「な、なぁ。待ってくれ。そもそも俺はここに突然とばされてきちまったんだ。だから、何も分からないんだよ」
「何も分からない、だと?」
そんな誠の言葉に仲間の一人が答えた。きっちりと着こなした軍服のような服装に、眼鏡をかけた奥からのぞく生真面目そうな目元、そして特徴的な白髪の髪をした二十代半ばほどの男であった。この男ならば、と誠は期待を寄せる。
「あ、ああ。そうだ」
「それに飛ばされてきた……と。それはどこからだ?」
「そ、それは……」
誠は答えに窮してしまう。異世界から来たなんてどうやって伝えればいいのかなんてそれこそ分からない。
「と、……ともかく! 俺に敵意はない。だ、だから教えてくれ。ここのことを。この状況がなんなのかを」
「……」
「た、頼む……!」
「そうだな……」
誠の様子に害はないと見たのか、白髪の男は誠に向けていた敵意の感情を抑える。
「いいだろう。君が知りたいことを教えよう。その上で判断しても遅くな──」
「──ねぇ」
だが、そんな白髪の言葉は横にいる女の声によってかき消されてしまう。
「さっきから何してんのさジークもカイトも。ウダウダめんどくせーな」
言うと、女は白髪の男──カイトと誠の間とに割り込んでくる。
魔法使いのような出で立ちをした女だった。黒のローブに三角帽子、そこからのぞくゆるやかにカールした橙色の髪はまさにファンタジーで見るような魔法使いそのものであった。そして、そんな彼女の水色をした目つきの悪い目はこちらにきっちりと敵意を向けていた。
「そんなこいつが悪魔か人間かなんてどうでもいいよ。だってさ、パルは思うんだよね。……殺せばどっちだって同じ、ってさ!!」
そう言うと、魔法使いの女──パルは杖のようなものを頭上へと掲げる。すると、杖の先から小さな赤い光が発生する。
「強欲な炎」
その光は彼女が詠唱した言葉に反応するように、渦を巻きながら肥大化していく。次第に熱を帯びはじめ、周りの空気を吸い込んでどんどんエネルギーを増していく。
「なっ。ま、マジかよ……」
──そして、巨大な熱球が形成された。
「ま、まさか、魔法……?」
目の前で起きた現象、これは明らかにおかしい。火種がないのに突然炎を生み出すなんて聞いたことない。だが、ここは魔界。そしてこれは異世界転生。
──魔法が存在していたのだ。
パルが生み出した熱球は周りの岩を焼き焦がし、メラメラと空気を震わせている。そのあまりの熱に距離が離れているはずの誠の方にまで熱が伝わる。誠は直感した。この炎をまともに食らえば死ぬ、と。体のなかの至るところが警鐘を鳴らしていた。だが、体が全く動かない。迫りくる死の恐怖に、頭が働かない。
そんな狩られる獲物よりも情けない様子の誠を、獲物を狩る眼光というよりも、もはや嬲り殺しを楽しむようなパルの表情。歯を見せて笑みを浮かべながら叫ぶ。
「食らいな!!」
そして、掲げた杖を振り下ろす。その動きに連動して熱球が誠目がけて飛んでいく。
「あ、ああ……」
悲鳴を上げることもままならない。誠は考えることをやめた。迫りくる現実から逃避するように。もう何もかも諦めるように。ただ、やるならせめて痛みのないよう一瞬でやってくださいと願った。
──だが、
「待ちなさい」
仲間の最後、金髪の女が熱球に向かって右腕を伸ばす。すると、次の瞬間、熱球が蒸気を上げながら、一瞬にして消滅した。
「なっ。き、消えた……?」
見間違えようがない、完全に熱球が消失した。だが、なぜ? 一体どういうことなのか。
「なんで邪魔すんだよ! ジュリア!!」
だが、そんな誠の抱いた疑問はパルにとっても同様であるようだった。鬼のような形相でジュリアと呼ばれた金髪の女に詰め寄った。
それに対して冷たい氷のような視線をしたジュリアが答える。
「こんなところで爆発を起こして塔のヤツらに気づかれたらどうするのかしら」
「で、でも……」
ジュリアの言葉になおも食い下がるパル。だが、
「おいたが過ぎるかしら。……少しおとなしくしていなさい」
ジュリアがパルの眼前に右腕を突き出した。その行動にパルの表情が強張る。
「くっ。分かったわよ。魔法を使わなきゃいいんでしょ。早く手をどかしなさいよ」
「分かってくれたならいいわ。うふふ」
ジュリアはパルに向けていた殺意を鎮めると、わざとらしく妖艶に微笑む。
「た、助かった……のか……?」
そんないきさつを見て誠はひとまずは助かったことを理解した。
塔のヤツらがどうとか言ってたが、どういうことなのか意味が分からない。だが、今は助かっただけでも十分だ。安心して息を漏らす。だが、
「でもさ、これならいいんでしょ!」
瞬間、誠の頭に衝撃が走った。
「がはぁっ!」
──パルが誠に強烈な足蹴りを食らわせたのだ。
その衝撃に耐えきれず誠は地面にあおむけに倒れ込んでしまう。
「クソっ! 腹立つな!!」
倒れ込んだ誠に対してパルは何度も何度も蹴りを食らわしてくる。
──痛い痛い痛い痛い痛い
人生で味わったことのない痛みが誠の体中を走る。体は痛みで熱を帯びだした。何度も蹴られているうちに誠の意識が徐々に遠ざかっていく。
「あ……うぅ……痛っ……」
痛みを食らい、かすれていく意識のなか、誠は蹴りを入れてくるパルのはるか上、暗雲に覆われた空をぼんやりと眺める。
──あれ、これで俺の異世界生活は終わりなのか……?
「なんだよ……これ……」
こうして誠の意識は途切れた。
※
「────」
暗闇の中で誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。その声に答えようと口を動かす。しかし、言葉は発されない。
「────」
またも誰かの声が聞こえる。今度はその声の方に手を伸ばす。体は動かなかったが、それでもその声に近づいた気がした。
「────」
その声はさきほどよりも近づいた。誠は手を伸ばす。伸ばし続ける。その声の主に会うために。
もう少し、もう少しだ。手を伸ばし、伸ばし、伸ばし──
そして──
「あ、よかった、起きたのね。心配したんだから」
──目の前には美少女が立っていたのだった。